新・内海新聞120号

【現代の帝王学】

「現代の帝王学」ダイヤモンド社
伊藤肇著
私が22歳の時に出会った本です。大学の先輩からこの本を読みなさいと貰ったことがきっかけです。帝王学というと、何か戦国時代の話のようで、しばらくは手をつけませんでした。
10年ほど経って、何かのきっかけで読み始めました。
それ以来、何度も何度も読み返す、長い長い付き合いとなりました。
帝王学といっても、人の管理や人の支配のことではなく、いわゆる人の出会いの大切さを書いた本です。歴史上の人物や市井の人々の人生の中の運命を決した1シーンを切り取り、それらを集めたエピソード集といえます。
ですので、この本は最初から順番に1ページずつ読まなくても、たまたま開いたページを読むスタイルで良いと思います。むしろ、最初から順番に読むと、あまりの重量感に押しつぶされて、最後のページまでたどり着かないかもしれません。
さて、この本は、三部構成となっています。人は三人の人物に出会わなければいけない…とあります。さまざまな人たちが、この三人の人物との出会い、あるいは、その出会いから学んだ教訓が書かれています。
まず、最初に出てくるのが、
「原理原則を教えてもらう師をもつこと」
二人目が、
「直言してくれる側近をもつこと」
そして三人目が、
「良き幕賓(ばくひん)をもつこと。」
この三人です。
この三人との出会いの理由と大切さを詳細に説明したのが「現代の帝王学」です。著者の伊藤肇氏は既に亡くなっていますが、著名な陽明学者です。伊藤肇氏の師が有名な陽明学者の安岡正篤氏です。伊藤氏にとっての「原理原則を教えてもらう師」が安岡氏なのかもしれません。この本が出版されて、既に40年近くになりますが、まだ増版されています。そういう意味では、これは人生のバイブルと言えます。本を開いて一番最初の巻頭に「驕慢」について書かれています。
人は権力を手に入れると、決して離すまいと執着する。
それは、塩水を飲むと飲めば飲むほど喉が渇くように、権力を得れば得るほど、安らぎが去り、不安と焦燥感に襲われる。そして、さらに権力を集め、その上にあぐらをかく。何か自分が偉くなったような錯覚に陥る。
かつて、政治家になって間もない河野洋平氏の話が語られる。代議士になると新幹線のグリーン席のフリーパスが与えられる。最初は、タダであることが申し訳なく、小さくなって乗っていたものが、だんだんと慣れてくると新幹線が満席でグリーン席が空いていないと腹が立ってしまう…そのことにハッと気づくことがある、と河野氏は話している。まさに驕慢の毒にやられた訳です。
また、不思議なのは、第1章の「原理原則を教えてもらう師を持つこと。」の一番最初に人相学の説明があります。一番最初に人相学?と思いましたが、読み進むうちに納得します。
中国において戦国時代、いかに敵の大将の性格を知ることが一番大切とされてきました。これは、現代でも同じです。敵を知り己を知れば百戦危うからず。兵法書には必ず書かれている言葉です。古代中国において、どういう方法で敵の大将の性格を知ったのでしょうか。名前を探り、その名前の画数を調べ、姓名判断で敵の大将の性格を分析しました。そうすると、敵は偽名を使い始めます。次に生年月日を知り、四柱推命という易学て敵の大将の分析をします。それに対抗するように、嘘の生年月日を流します。そして、最後に敵将がどんな顔をしているのか調べさせて分析をする人相学が発達します。
人相学というと、いろいろ難しそうですが、我々の日常生活の中でも知らず知らずの内に人相学を使っています。
初対面で相手を見て、感じが良いとか悪いとか、直感的に感じる印象がそもそも人相学です。相手が凶相であれば、近づきたくないという感情がでてきます。福相を持つ人は、第一印象からして、何か感じるものです。そして福相であれば、福相の人たちが周りに集まり、全体が好転して行く。
まず、人を見るとき冷静に福相か凶相かを見分けることはとても大切なことと言えます。自分の運を好転させるには、自分の周りに運を集めること以外にありません。

私にとっての原理原則を教えてもらった師とは、中学2年生の時に出会った少林寺拳法の、師範代でした。人生の師であったことは、それからずっと後になってから分かるのですが、その出会いは人生の方向を決める大きなものだったと、今思えば分かります。私は、ただ単純に喧嘩に強くなりたい一心で道場の門を叩いた訳ですが、そこにいた師範代は20歳そこそこの青年でした。それでも当時中学生だった私から見れば、はるかに大人でした。中卒で三菱電機工場の工員だったその師範は、あまりにも強く優しく厳しかった。
ある時から、一番に誰もいない道場に行って、師範と道場の床の雑巾がけで競争するようになりました。端から端までどちらが早く終われるかという競争です。最後は
二人とも息が上がって、床に大の字になって倒れて終了。
「先生がなんで雑巾がけなん?偉いねんから、もっとえばってたらええのに、なんで?」
私の質問に師範はこう答えたのです。
「これが俺の威張り方や。」そして、こう続けました。
「人十度 我百度という言葉があるから覚えておきなさい。人の十倍の努力をしなければ、人を指導することなどできない。だからいつも努力を続ける。それは、人に見てもらう為やない。自分の為や。人はな。師匠の背中を見て強くなるんや。だから誰よりも努力する。そうしたら、きっと、人はこっちを見てくれるようになる。」
この言葉は自分の指針となりました。まだまだ若輩の話で、自分にとっては原理原則になったと思います。

第1章の原理原則を教えてもらう師を持つこと…の中の中に「喜怒哀楽の原理原則」という項があります。
その中のエピソードとして、野村證券の元会長であった奥村綱雄氏の話が書かれています。奥村氏は語っています。「喜怒哀楽が端的に出るのは女性に対する姿勢だ」という。氏は続けます。「人物を評価する場合、正面から取り組むより、裏側の色から見たほうが、より正確に把握できる。というのは、色には人の人格が反映されるからです。男と女は放っておいても勝手にくっつくが、しかし、別れ際ほど、男の本性がはっきり表れる。冷酷な男は冷酷な別れ方をする。物質万能の男は、札束で頬っぺたをひっぱたく様な別れ方をする。情けのある男は涙を誘うような切々たるものを残す。
世間一般に、男と女が一緒になる時にはあれこれ騒ぐが、別れる時には案外さっぱりと聞き流してしまう。
しかし、人物を見る時にはその逆をいって、別れ際の男の態度をしっかり見極めなければいけない。」
さらにこうも付け加えた。
「大きな声では言えないけれど、四十を過ぎてなお、女房以外の女に惚れられない男は、我々同性から見ても魅力がない。」
「外へ出たなら惚れられしゃんせ。そして惚れずに帰らんせ。」という都々逸があるが、こんな思いを女性から託される男でなくてはならない。
そして、色道三則というのがある。
その一 色恋の道に連れは禁物。秘め事は集団でするな。
その二 男は自分の愛しんだ女のことを他人に喋るな。
その三 自分の下半身の始末に、他人の知恵を借りるのは恥である。
また、浮気五原則ということも語っている。
1.一回限りであること。
2.金銭のやりとり無しであること。
3.人目をしのぶ仲であること。
4.お互いに恋愛感情があること。
5.両方とも新品でないこと。

ということらしい。諸説はあるとは思いますが、ご本人からこのような指南を受けるのは楽しい。
これも原理原則を教えてもらう師ということになるのだそうです。(以下続く)