新・内海新聞102号

友翁伝

当社の創業時の大恩人、友近忠至氏の足跡を連載しております。友近氏はキティちゃんで有名なサンリオの創業メンバーのおひとりです。そして当社の元役員であり株主でもありました。友近氏の人生をなぞることでそのマーケティングの秘話をご紹介したいと思います。
以下、前回からの続きです。

 

「リストラ」
平凡社に戻った友近さんの仕事は業績の立て直しです。しかし、どうしても経費の削減が最優先であり、人件費に手を付けざるを得ない状況になってきました。そして、友近さんの一番嫌いなリストラを断行しなければならなくなりました。1984〜5年の頃です。これまでとは正反対のお仕事です。希望退職者を募り、さらに退職勧奨のリストを作り、面接を繰り返し、苦悩の毎日です。この辺りの話は、私は一度だけ聞きました。あまり、話したくなかったのかもしれません。
「あの時辞めさした社員の人たちは、今でもわしのことを恨んでるやろな…」と、ポツリと言われたのを覚えています。
希望退職した社員、リストラした社員たちの再就職先を世話し、全力で対応されました。この頃の様子は友近さんの奥様の博子さんに伺ったことがあります。
「毎晩毎晩うなされて、辛そうやったよ。」
そして、リストラも見通しが立った時、その責任をとって60歳で平凡社を退職します。お世話になった平凡社と下中社長への恩返しをすることができました。48歳のとき、本門佛立宗のご住職から、あと24足すと幾つになるか?と尋ねられたとき、60歳までに自分の仕事を達成すると決めた通りの人生となりました。
「バスの奇跡」
ようやく自由になる時間を得た友近さんは、今までなかなか出来なかった大好きな読書に没頭します。あるとき、書店で見つけた本にのめり込みます。
松井孝典さんです。地球物理学の学者でノーベル物理学賞に最も近い人物と言われる方です。宇宙の誕生から人類の進化などを宇宙の歴史から俯瞰した考え方に、友近さんはすっかり魅了されました。
よし、松井先生の本にある、地球誕生の痕跡を見に行こうと決心され、世界中を巡ることになります。スイスに行った時、目的地までバスに乗っていました。そして松井先生の本を読みながら外の情景と照らし合わせて楽しんでいた時です。すぐ後ろの席から日本語が聞こえます。「ほら、見てごらん。前に座ってる方。読まれてる本は、タカノリちゃんの書いた本じゃない?」「そうね、でも同姓同名かもしれないし。」「そうね。」
前にいた友近さんが振り返って、「あの、初めまして。
日本の方ですか?いえ、聞きなれた言葉が聞こえたもので。」
「まぁ、大変失礼いたしました。ちょっとそのご本を見せていただけますか?ほら、やっぱりタカノリちゃんのよ。」「そうね。」
「松井先生をご存知なんですか?」
「はい、私の甥っ子なんです。なんか、難しい勉強ばかりしてますわ。」

「内海ちゃん、ホンマ不思議な出会いやった。こんな事があるんやな。会いたい会いたいと思てたら、こんな形でチャンスが巡ってくる。スイスで乗ったバスの後ろの席にチャンスが座っていた訳や。
あの時、あの本を読んでなかったら、これは無かったな。そういや、内海ちゃんとわしもそうやったな。あんたは、10年わしを追いかけたんやったな。」
「いえ、14年です。」

この、不思議なご縁の、このご婦人の紹介で松井先生と念願の出会いを果たすのです。
「断食」
友近さんは、サンリオの頃は、とても肥満で病気の百貨店と言われた位、不健康でした。ある時、同じ松山出身の京王電鉄の社長から、「もっと健康管理を気を配らないといけないよ」、と忠告されます。「もし良かったら、伊豆で人参ジュースだけで断食をするクリニックがあるので行ってみなさい」と、紹介されます。

長崎大学出身の石原結実博士が主宰されるクリニックで一週間人参ジュースだけで何も食べずデトックスをする断食道場でした。友近さんは、言われるまま行動に移します。
1日に1kg位痩せていきます。体重だけでなく、体脂肪も落ちていくのです。10kg位痩せて東京に戻りました。いつもの虎ノ門病院での診察の日、院長が友近さんの採血データを見ています。
そして看護師に「これは、友近さんのデータじゃないよ。間違っちゃいかんよ。」と叱っています。
「いえ、先生。これは友近さんのデータに間違いありません。」
これまで、病気の百貨店と言われるくらい数値が悪かったのですが、一ヶ月の間に、全て正常値に戻っていたのです。
それからというもの、友近さんは石原先生を主治医とし、毎年1〜2回は伊東に断食に行くのが恒例となります。友近さんはゴルフもお上手で、私はまだ一度も勝ったことがありません。
虫歯も一本もなく、入れ歯も必要なしで、歯から換算すると125歳までは保証しますと太鼓判を押していただいたのですが、うまくいかないものですね。
「てんぷら」
ある日、友近さんに仕事仲間の松下さんから電話がかかってきました。
「松下です。お久しぶりです。私の知り合いで、友近さんの事を10年以上追いかけている人がいるんですが、会ってみますか?」
「それは、男性か?女性か?」
「男性です。」
「なんや、そうか。まぁ仕方ない。会ってみるか。」
銀座の天国というてんぷら屋で会う事にしました。
(ここで、この友翁伝の最初の振り出しに戻るのですが…)私は14年待った甲斐あって、友近さんと念願の出会いを果たす事になります。

平成5年、株式会社ジンテックは親会社の人材派遣会社から離れて独自の道を歩き始めます。人材募集コールセンターとしての業務を引き継ぎ、何の後ろ盾もなく苦難の道を歩み始めることになります。丁度、その頃に友近忠至さんと出会う事になります。
当時のジンテックは新卒学生の会社訪問を促進する「学生送致事業」というものを事業としていました。学生名簿に従って電話を掛け、会社説明会に動員してゆく事業です。
当時、経済バブルで慢性的人手不足の中、順調にオーダーを伸ばしてゆきました。
契約先の人事部に希望する大学学部を選んでもらい、学生名簿からそれを無作為に抽出。そこに対して台本に従って電話を掛けてセミナーの参加承諾を取ってゆきます。参加承諾を快諾してくれた学生には、速達で会場の地図や注意事項を記載したはがきを送付します。
このはがきは、地図や注意事項は印刷されているのですが、宛名はあえて手書きで送りました。この理由は、この時期大量のDMが各企業から送られてくる中で、少しでも目立つようにと親書のように見えるように手書きにしていました。
はがきはコンピューターにつながった何台ものプリンターからどんどん印刷されてきます。
そのはがきにアルバイトたちがリストに従って手書きで住所と名前を書いてゆくのです。
丁度、そのころ友近さんが会社に来られました。社内をぶらぶら見て回り、開口一番に「お前んとこの会社は、いつから印刷屋になったんや?」
「いえ、印刷屋にはなっていません。」大量に印刷されるはがきの理由を説明しました。そうしたら今度は「せっかく印刷してるのに、なんで宛名は手書きなんや?」
宛名が手書きの理由を確り説明しました。
そしたら突然怒りだしたのです。
「手書きやったら親書のように見えて読んでもらえる確率が上がると今言ったな。そしてら宛名を印刷するのと手書きと何パーセント差があるんや?お前まさか、感じだけでもの言ってるんと違うやろな。なんでもデータの裏付けが無いもんは説得力なんか無いんや。一回試してみたらええ。手書きと印刷と。」
確かに言われる通りでした。何も言い返せません。
ある会社は手書き、ある会社は印刷と分けて反応を見てみることにしました。
結果はさほど差はありませんでした。結局、宛名も全て印刷することになり、大幅な経費削減につながりました。
これがお叱り第一号でした。

このように全てデータの裏付けを求められました。
私は友近さんによって徹底的に再教育を受けたのです。