新・内海新聞 95号

友翁伝

友近忠至さん、サンリオの創業メンバーのおひとりです。
当社創業のころより株主であり取締役として、ご指導を仰ぎました。
友近さんのアイデアが無ければ当社はここまで発展することはなかったと思います。
その友近さんのこれまでの足取りを振り返ることで様々な気付きを感じていただければ幸いです。

(前号のあらすじ)
愛媛県松山市にある「明屋書店(はるやしょてん)」に、大きなチャンスがやってきました。
平凡社という大手出版社が国民百科事典というものを発売することになったのです。
1967年のことです。全7巻で1万円の価格。
百科事典としては破格の安さではありますが、当時、一般大衆が1万円も出して買えるようなものではありません。
当時の大卒初任給が2万6千円くらいの時代です。そう簡単には売れません。
購入した人は、医者や弁護士といった収入の高い人だけなので数セットの販売が限界でした。
そこで友近さんは、いろいろなアンケートを取りました。
国民百科事典を見せると、皆素晴らしいし、購入したいという。
しかし、実際には売れていかない。一体何が原因なのか?
その原因は、二つありました。

一つは、一万円もの大金を払えないこと。
当時の大卒の初任給が3万円の時代です。
そして、もう一つは大きな本を7巻も置く場所がないことでした。

そこで、考え出されたのが本の月賦販売です。
百科事典は最初に全巻お渡ししますが、お支払いは10回分割となります。
これは、当時日本で初めての試みでした。
毎月集金に行くのは手間ですが、売上がどんどん上がっていきました。
また百科事典の置き場所がないという方には、押入れを改造して簡易本棚を作ることまでしていきました。
これらの努力で1800セット販売という日本一の販売数を記録することになります。

・・・・・・友近さんは相変わらず、業務のシステム化を考えています。
一方、出版業界では、この実績が大きな噂となって大手出版社の幹部が友近さんをスカウトしに来るようになったのです。
友近さんご自身は転職の意思はなく、明屋書店を日本一の本屋にするという夢を安藤社長と約束したのですから聞く耳を持ちません。
しかし、旺文社や新潮社や大手出版社の幹部が、破格の条件を持って何人も何回も訪問してくることになります。
さすがの友近さんも悩み始めます。
このことを安藤社長に相談する訳にもいかず毎日悶々としていたのです。

そんな時、主婦と生活社という出版社の常務がやって来ます。
女性の方でした。彼女もまたスカウトのミッションを持ってやって来たのでした。
友近さんの余りに悩んでいる姿を見て、その方は自分のノートに、鉛筆で大きな○を書きました。
「ここに一個の砲丸投げの球があったとします。
そしてその周囲には酸素で満たされていると思ってください。一体どうなると思いますか?」
「そうですね・・・・・。何も起こらないと思います。」
「そう、きっと何も起こらないわね。」
「では、今度は・・・」
と言ってハンドバックから自分の口紅を取り出したのです。
次のページに口紅で同じように大きな○を書きました。
そしてその丸の中を口紅がだめになるくらいグルグルと塗りつぶしました。
「さて、今度は同じ砲丸投げの球でも、まさに今溶鉱炉から出てきた真っ赤に燃えた鉄の球だとします。
そして、そこに一粒の酸素がゆらゆらと飛んできました。さて、今度はどうなると思いますか?」
「そうですね。たぶんガスをひねってマッチを近づけた時と同じように、ボッと燃えるに違いありません。」

「そうそう。私もそう思います。
実は、この鉄の球は、あなたの心なのです。
そして酸素はあなたにとってのチャンスです。
もしもあなたの心が真っ赤に燃えていたならば、向こうから反応して燃え始めるに違いありません。
もしも、あなたの心が冷えた黒い鉄の球なら、いくらチャンスがやって来てもきっと何も起こらない。
今は、そんなに悩まなくてもいいのです。今やっているお仕事で思いっきり頑張って燃えることです。
そうすれば、きっとチャンスは向こうからやって来ます。
私は、あなたをスカウトに来たのですが、諦めて帰ります。
どうぞ、もっともっと燃えるようなお仕事をして下さいね。」
そう言われて帰られました。

しかし、この方の言葉がご自身にとっての大きな励みとなり、悩みも消え、
日々のお仕事に力が入るようになったそうです。
今後、もしも東京に行くことになるにせよ、そのチャンスは向こうからやってくる。
自分の与えられた人生に逆らわず、前向きに生きてゆこう。そう決心されたのです。
私は、この話を「鉄と酸素」と名づけ、機会あるごとに話しています。
友近さんご自身も、自分の生き方を決定付けた示唆のある言葉であったと言われています。
私が21年前に友近さんと初めてお会いした時、最初に伺ったお話しです。
自分の心を真っ赤に燃えさせるにはどうしたら良いのだろうか?
当時、このお話しの意味は判るのですが、「一体どうすれば・・・・。」自分にはまだ判りませんでした。
その後、何度も何度も伺うのですが、なかなか体では判りませんでした。
当時、私の会社は豊島区の大塚というところにありました。
大塚といえば、風俗のお店が多い下町です。
その大塚駅北口から15分程歩きます。
癌研の手前の4階建てのペンシルビルの4階で、1階が中華料理屋でした。
ある時、友近さんが「君の会社を見学に行きたいので、地図をFAXしてくれるか?」と電話がありました。
翌日のお昼にだいぶ遅刻して友近さんは来られました。
部屋の隅にあるソファに腰掛けて頂き、お礼を申し上げたのですが、ご機嫌が悪く、こう言われました。
「あんた、顧客情報を扱う会社やな?ここは。
それやのになんや、ここは!
駅前からキャバレーや一杯飲み屋みたいな路地を抜けて、延々歩いて、大衆中華料理屋の上にある事務所・・・。
中華料理屋があかん言うてるんやないんや。
もっとセキュリティーを考えなあかんやろ。
それに一流の企業と付き合いたいんやったら、もっとしっかりした住所の事務所に移るべきやろ。」
延々叱られました。

それから、1カ月程したころ、株主のIさんから電話がありました。
「内海さん、いつまでもそんなところにいないで、もうちょっと真ん中にでてこないか?」
Iさんは、千代田区の平河町にオフィスを借りられたのですが、少し広いので半分借りないか・・・ということでした。
「私は、二つ返事で、行きます!」と答えました。
そこは、今はもうありませんが、赤坂プリンスホテルの旧館の前で、永田町駅の真上です。
そして、しばらくしてそのオフィスに移動したのです。
そして、友近さんに報告しました。
「どこへ引っ越したんや?」
「永田町です。赤坂プリンスホテルの向かい側です。」
「お前、そんな凄いところに越してきたんか?驚いた!」
大喜びです。
「お前は凄い。ワシが言うたことをすぐに行動に移した。それが一番大事なんや。」
そう言って、こんな言葉を教えて頂きました。
「見たことは したことにならない。
聞いたことは したことにならない。
言ったことは したことにならない。
ただ、したことだけがしたことになる。」
これは、かつて松山の明屋書店に勤めていたころ、オーナーの安藤明さんに何度も聞かされた言葉ということです。
その後、私は何度も耳にタコができるくらい聞かされます。
そしてこう言われました。
「心を真っ赤に燃やすには、まず行動することなんやで。」と。