新・内海新聞 93号

「友翁伝」

友近忠至さんは、サンリオの創業メンバーのおひとりです。
当社創業の頃より株主であり取締役として、ご指導を仰ぎました。
友近さんのアイデアが無ければ当社はここまで発展することはなかったと思います。
その友近さんのこれまでの足取りを振り返ることで様々な気付きを感じていただければ幸いです。

(前号より続き)
松山の書店に転職してすぐに出火、警察での事情聴取と大変なスタートでしたが、
結果的には松山一の書店として新築したビルでの営業がスタートしました。
オーナーの安藤専務は、もともと近江の出身で非常にお金には厳しい方でした。
昔から近江商人と言うのは、商売上手ですが非常にケチと言うことでも有名でした。
三方よしという言葉があります。
「売り手よし、買い手よし、世間よし」という皆が丸く収まるような商売を目指せということです。
そのような環境で育った安藤専務も典型的な近江商人であったそうです。

安藤さんは、いろいろ事情があって松山に越してこられました。
そして、自ら三味線をもって飲み屋街を流しの歌手として日銭を稼いで生活をされていました。
民謡や浪曲、そして流行歌となんでも歌いました。
当時は戦後の焼け野原で、人々の娯楽と言えば流行歌を覚えて歌うことでした。
ラジオから流れる雑音混じりの流行歌を覚えようと、人々は必死に耳を傾けました。
安藤さんは、そんな民衆のためにガリ版で流行歌の歌本を作ることを思いつきました。
歌詞を書き、紐で閉じて歌本にし、流しで回る飲み屋で売りました。
それが飛ぶように売れたのです。
人々はラジオから流れる歌声を聞いても雑音で聞き取れないところがたくさんあり、歌本はとても有難かったのです。
ガリ版で刷っても刷っても飛ぶように売れました。

安藤さんはもっと売ってやろうと、宝くじ売り場のおばさんに声を掛けました。
「この歌本を置かしてもらえないかな。売れた分だけ手数料を払うので頼むよ。」
とあちこちの宝くじ売り場に置いてもらえることになりました。
ある日、街を歩いていると後ろから「お兄さ~ん。歌本のお兄さんでしょ?」それは宝くじ売り場のおばさんでした。
「あの歌本、もっと持ってきてくれないかしら?あっという間に売れちゃったわよ。いくらでも売れるわ!凄いわよ!」
それからというもの、どんどん売れて安藤さんのもとにはどんどんお金が入ってきました。

そんな時、昭和21年、時の幣原内閣は突然預金封鎖を実施しました。
預金を勝手に引き出せないように封鎖し、新円という新しい紙幣を発行しました。
給料の一部を強制的に預金させたり、一回の引き出し額を世帯主で新円で300円までと制限が加えられました。
安藤さんはせっせと歌本を売り続けました。
そして歌本の購入に支払われるお金は全て新円です。
人々は一回に300円までしか引き出せず、生活のためにそのお金も消えてゆきます。
一方、安藤さんの手元にはどんどん新円が集まってきました。
新円で自由になるお金が沢山集まったのです。
そして松山の中心地に200坪ほどの土地を購入しました。
そこに小屋を建て、今度は貸本業を始めました。
当時は焼け野原で、人々は活字に飢えていました。
安藤さんは焼け野原の中から焼け残った本を拾い出し、表紙をつけて貸し出しました。
また、お客さんに2冊本を持ってくれば一回タダで貸し出すという方法で、
一気に松山の焼け野原の中に落ちていた本を回収して行きました。それらの収益をもとに、松山一の書店が誕生します。
まさに時代のひずみを利用し、一気に時代を駆け抜けたと言えます。
そんな松山一の書店に転職してきた友近さんは、近江商人としての安藤さん見ることになります。

ある日のこと、友近さんが書店のレジに立っていると
安藤さんが書店の中をうろうろしながら何かを探しています。
何をしているのだろう?と見ていると床に落ちている真っ黒になった輪ゴムを集めていました。
一個一個拾っては紙の袋に入れています。
人に踏まれて真っ黒になった輪ゴムです。
袋一杯になった輪ゴムを安藤さんは嬉しそうに、自分の部屋に持って帰ります。
友近さんは、安藤さんの部屋に行ってみました。

「おう、友近さん。ええとこに来た。ええもん見せたげよう。」
そう言って机の引き出しを開けたら真っ黒な輪ゴムが一杯入っています。
安藤さんは、事務員のおばさんを呼んで言いました。
「また、今日もいつものように頼むわ。」そう言って引き出しを抜いておばさんに渡しました。

「あの輪ゴムな。洗ってもらうんや。
そして新聞紙の上に広げてほしたら、また飴色の新品同様になるんや。な、大儲けやろ!」
店内では本が売れたら包装紙を巻いて輪ゴムで留めます。
その輪ゴミが飛んであちこちに落ちているのです。
それを安藤さんは拾い集めていたのです。

「安藤さん、一応この店の一番偉い人なんですから、
そんな格好の悪い事は止めてくださいよ。
輪ゴムは我々の方で集めますので、もうこれからはやらないで下さい。
そして朝礼で従業員に見つけた輪ゴムを拾うように伝えました。
しかし、誰も拾おうとしません。
汚い輪ゴムを、そんな格好の悪いことをしてまで拾いたくないというのが言い分です。
友近さんは困ってしまいました。どうしたらみんなが進んで輪ゴムを拾ってくれるだろうか?
そしてある事を思いつき、実行しました。
その方法とは、友近さんが「詩」を作って朝礼で発表したのです。

そのタイトルは「輪ゴムは泣いている」です。
輪ゴムは、新品で書店にやってきたのに、はじかれて床に飛ばされ、
人に踏みつけられ、輪ゴムとしての仕事も一切できず、
人知れずその一生を終っていく。輪ゴムは泣いている・・・。」と言う様な詩を朗読したのです。
従業員の女子たちは、皆涙を流して聞いていました。

その日から、皆自主的に見つけた輪ゴムを拾うようになりました。

ある日のこと、店の前に自転車置き場があるのですが、
夕方になると地元の中学生が大急ぎでやってきて、週刊漫画を立ち読みにきます。
我先に店内に入ろうとするので、自転車を隙間に押し込み、
その反動でガシャーンと横倒しになります。そうすると隣近所からクレームです。
邪魔になるからちゃんと直してくれと。
そのたびに、友近さんは店の前の自転車の整理をしていました。
毎日毎日、何度もこんなことが続いたら仕事になりません。
友近さんは安藤さんに言いました。
「自転車の整理にこの書店に来たのではありません。
どなたか暇してる老人を整理係に雇ってもらえませんか?」

すると安藤さんは「あんた大学出てるんやろ。
何を勉強してきたんや。大学出てるのにそんなことも出来んのか?
ワシなんか小学校しか行ってないぞ。」と切り返します。

これと大学は関係ないと思いながらも、
何か方法を考えないと自分の仕事ができなくなってしまう。

ある商店街が休みの日に、商店会長を訪ねました。
そしてある承諾をえて、友近さんは実行に移しました。
書店の前の自転車置き場になっている道路に、
白いペンキで斜めに30センチ間隔で線を引いて行きました。
そして両端に立て看板を立てました。
自転車はこの白い線に沿って置いて下さい。
ここが一杯になったら、店の裏にも同じ駐輪場があるのでご利用下さい。

次の日の夕方、恐る恐る中学生達が来るのを待っていました。
彼らはいつも通り必死になってやってきました。
その白いペンキに戸惑いながら、立て看板を見て、その白い線に沿ってとめているのです。
誰一人はみ出してとめたり、押し込むものはいませんでした。
次の日も、またその次の日も同様でした。

友近さんはその時に気付いたそうです。
「誰でも教えなくても同じようにできるようにできる仕掛けをシステムというのだ」と。