新・内海新聞 90号

グロパゴス

前回、日本独自のカスタマイズ能力「ガラパゴス」と書きました。
この国内向けの能力だったものを、海外に持って出て、グローバス化する能力をガラパゴスのグローバル化、つまり「グロパゴス」と命名しました。

グロパゴスの象徴は「寿司」です。今や寿司は国際的に通じる固有名詞となっています。
なぜ、寿司がこれほどの国際食になったのでしょうか?
おそらくそれは、その国の地元の人たちが、自分たちの好みで自由にカスタマイズしたからだと思います。
かつて、伝統的な寿司の調理法を守らせようと「寿司ポリス」なるものを作って、
世界の寿司屋に派遣し、邪道の寿司屋に対して指導をしていったことがあるそうです。
しかし、これは極めて不評で、すぐに止めてしまったそうです。
今、世界中にある寿司屋は江戸前の寿司ではなく、
その国の食材、味付け、握り方で独自に進化したニュー寿司であることが多いです。

一番有名なものは、アメリカのカリフォルニアロールやスパイダーロールです。
しばらくしたら、中国でチャーハン握りやインドのカレー寿司が出現するかも知れません。
日本人が見たら眉間にしわが入るような寿司でも、その地域にとったら、正当な寿司なのです。
この様に自由な発想を任せて、その土地に合った方向に伸ばしていくこと。
かつて、日本人がしてきたことと同じことが、まさに今世界で行われているのです。
グロパゴスにはこの様な柔軟性が必要なのです。

 

【わが師匠、友近忠志(ともちかただし)】

ここからは、しばらく師匠である友近忠至氏のエピソードを書いてみたいともいます。
この方との出会いが無ければ、今の私は存在していなかったかも知れません。
パソコンも触れた事が無いのに、コンピューターの神様と言われ、サンリオでは世界初のERPを作り上げた人物。

友近忠至氏は昭和2年、満州で生まれる。
父親は満州鉄道の重役で、何不自由なく裕福な暮らしをしていました。
戦争が激しくなり始めます。満州国内も激しい戦闘で、父親が亡くなります。
母親と友近氏は日本に帰る事になりました。
母親の親戚を頼って愛媛県松山にたどりつきます。
成績が優秀だった友近氏は名門松山中学に入学。
兵役を逃れるために、理系に進学し、特に医学部を目指しました。
しかし、その途中で敗戦。満州から持ち帰った軍票も一円の価値も無くなり、極貧の生活になりました。
毎日、アルバイトの毎日です。貧乏な生活の中で東京大学を目指していた友近氏は進学をあきらめなくてはいけませんでした。

私が友近氏のお話を聞くなかで、痛烈に感じたことは、恐ろしく「引きが強い人」であるということです。
友近氏は毎日アルバイト生活です。
当時松山の野球場で全国中学校野球大会(今の甲子園大会)の予選が行われていて、
友近氏はそこでアイスキャンディー売りのアルバイトをしていました。
灼熱の太陽の下で、思い箱を持って汗まみれになってキャンディーを売っていました。

その時、スタンドの上の方から「学生さーん、学生さーん」と誰かが呼んでいます。
声のする方に上がってみると身なりのきっちりとしたご婦人でした。
アイスキャンディーを買ってくれました。そしてこう言いました。

「あなた松山中学の学生さんですね。その制服で判ります。
松山中学の学生さんがこの様なアルバイトをしてはだめです。
私がもっと良いアルバイトを紹介してあげるので、あとで私の事務所にいらっしゃい。」
そう言って名刺を渡しました。

そこには、「衆議院議員稲本早苗」とあります。
あとで判る事ですが戦後日本で初めて女性に参政権が与えられた選挙で初当選した女性議員の方だったのです。
市内の事務所を伺うと議員は待ち構えていたように
「良くいらっしゃいました。あなたにふさわしいアルバイトがあるから、私についてきなさい。」
そう言って市内の病院に連れて行きました。

応接室で二人で待っていると院長がやってきました。
議員はこんな説明を始めました。

「この子は私の遠い親戚の子です。
松山中学に通っていて頭も良いので家庭教師のアルバイトをさせようと思います。
確か先生の御子息は医学部を目指されていましたね。
いかがですかこの子を家庭教師に雇って頂けませんか?
できましたらこの病院に住み込みの家庭教師ということでいかがでしょう。」
院長も二つ返事で友近氏はアルバイト先が決まりました。
友近氏と、この女性議員とは初対面。不思議なご縁です。

戦後の教育改革で旧制中学が新制高等学校に変更になり、
旧制中学に通っていたものは新制大学の3年生に編入学できる事になりました。
友近氏は地元の松山大学経済学部に編入することができ、無事卒業します。
アルバイト先の病院のご子息も無事に私立医科大に合格し、責任を果たします。
しかし、自分自身の就職先が決まりません。就職難の時代、なかなか内定が出ません。
父親代わりにいろいろ相談に乗ってくれていた病院の院長に話しました。

「息子のことではいろいろ世話になったし、なんとか頼んでみよう。」
そう言って、地元の愛媛相互銀行の頭取を呼びました。
地元でも名士である院長の頼みとあっては、頭取であっても飛んできます。

「実はここにいる青年であるが、私の家内とは別の女性との間に生まれた子供。
表ざたにはできないのだが、今就職先を探している。
君の銀行で雇ってもらえないだろうか?」
と、とんでもないことを話し始めました。

頭取は驚きましたが、ただならぬ事情に承諾し、
「こちらで責任を持ってお世話させていただきます。」ということになりました。

晴れて銀行員となった友近氏は本店勤務となります。
友近氏の趣味と言えば読書です。
とにかく、時間さえあれば本を読んでいます。
毎月の給料のいくらかを、毎月の本代にして片っぱしから読んで行きました。
読み終わった本は、銀行の食堂の中の本棚に並べて誰でも読めるようにしていました。

他の行員たちも、友近氏の読み終わった本を回し読みするようになりました。
そこで、社内図書館を作ろうということになり、
有志たちが毎月いくらか本代を出し合い、
それを原資に友近氏が毎月本を購入して本棚に並べる。
この読書俱楽部には頭取や副頭取、各部長たちもメンバーとなりました。
結果、この読書俱楽部に銀行としてもいくらか協賛することになり、毎月そこそこの図書購入資金ができたのです。
図書の仕入れは、友近氏が担当する事になりました。

この様に、社内にできた読書俱楽部は会員も増え、大きなサークルとなりました。
ある日、営業本部長が友近氏を呼びました。
「友近君、君は本が好きなようだね。
君が作った読書俱楽部もこの銀行で一番大きなサークルに育ってきたし。
そこでだ、君にやってもらいたい仕事があるんだ。」

「松山市のショッピングモールの銀天街にある、明屋書店(はるやしょてん)」の新規口座を獲得してきてほしいのだ。
これまで何人もの行員がチャレンジしたが誰も達成できたものはいない。
その点君は読書好きだし、オーナーの安藤さんとウマが合うかも知れない。
どうだ、やってくれるか?」
友近氏は、そんな簡単な仕事と思いました。

翌日の朝、明屋書店に向かいました。
番台にオーナーの安藤さんが座っています。
友近氏は意気揚々と、安藤さんのところに向かいました。
友近氏は愛媛相互銀行の名刺を差し出し、「愛媛相互銀行の友近と申します。当行とお取引をお願いしたく参りました。」

すると安藤さんは「いらんいらん。うちはずっと協和さんと取引しとるんや。
うちの店の向かいが協和さんの店舗があるやろ。
いつでも飛んできてくれるで。お宅の銀行は松山の駅前やろ。
遠いし不便や。何回頼みに来てもおんなじや」あっさりと断られてしまいました。

そして、何度来ても挨拶もさせてもらえない状況が続きます。
しかし、友近氏の逆転の発想が、大取引に繋がることになります。(次回に続く。)