新・内海新聞 98号

友翁伝

当社の創業時の大恩人、友近忠至氏の足跡を連載しております。
友近氏はキティちゃんで有名なサンリオの創業メンバーのおひとりです。
そして当社の元役員であり株主でもありました。
友近氏の人生をなぞることでそのマーケティングの秘話をご紹介したいと思います。
以下、前回からの続きです。

「カード会社」
平凡社の国民百科事典は、爆発的に売り上げを上げていきました。
百科事典の月賦販売をサポートする図書月販という会社が金融機関の出資で設立され、
友近さんは専務取締役に就任されます。
そして、当時としては珍しい、営業のプロたちを契約社員として雇う、
テンポラリーシステムを積極的に取り入れました。
売れた分のコミッションが支払われる方式です。
全国から営業の猛者が集まってきました。毎日毎日面接です。
友近さんは、家に帰れずホテルに泊まり込み、
ホテルの部屋で面接するという凄まじい採用活動です。
ミシンの営業マン、化粧品の営業マン、自動車の営業マン、
学習教材の営業マンなどなど、多士済々の人たちが集まりました。

その結果、平凡社の売り上げは当初の10倍まで膨れ上がりました。
世はまさに教育の時代。
一家に一セット、百科事典が応接間に置いてあるという社会現象になります。
更に百科事典だけでなく大型高額図書も月賦販売に乗せられ、
それを担当する割賦販売会社が作られ、それらを統括するための、
平凡社販売という会社が作られ、友近さんはその会社の常務取締役に就きます。
まさに、儲かり過ぎたのです。
その時、ある銀行からこんな話が持ちかけられます。
「アメリカの会社の日本法人で贈り物にするカードを販売している会社がある。
アメリカでは、カードを贈ることは一般的なのだが、日本ではまだ馴染まず、大赤字の会社だ。
これから日本もアメリカを追いかけることになるので、いずれこのカードを贈る習慣も浸透するかもしれない。
そこに出資してみませんか?」
そんな話でした。
平凡社の下中社長は、これは面白い!と、出資を決めます。
この経営難に陥っていた会社がやがて、数多くのキャラクターを生み出し、世界を席巻して行くことになります。

「オーバーフロー」
平凡社が出資した会社が後のサンリオとなりますが、
その頃はまだサンリオグリーティングという社名です。
平凡社を大株主としてグリーティングカードのサンリオグリーティングが再スタートします。
グリーティングカードとは、日本の年賀状や暑中見舞いのようなものですが、
特別なものではなく、誕生日や結婚式はじめ、日常生活の中での挨拶代わりとして、
普通に友人同士で交換される絵はがきです。
平凡社の出資によって、財務状況は改善し、当面の資金繰りも問題なくなりました。
会長は下中邦彦さんが、社長は辻信太郎さんが、専務取締役は荻須照之さんが、
そしてその後、常務取締役として友近忠至さんが就任しました。
当時は、キャラクターといえば、アメリカの人気漫画の白い犬のスヌーピーでした。
国内での販売代理店契約をしていました。
辻社長は、ソーシャルコミュニケーション産業という独自の考え方をお持ちでした。
自分の気持ちをモノに託して相手に贈り、贈られるという愛の交換という産業が必ず成立するという考え方です。
その後、辻社長の言った通りの時代が訪れることになります。
友近さんは、倉庫の在庫管理を担当することになります。
そして、着任早々事件が発生します。
注文の荷物がまだ客先に届かないと、営業担当が怒鳴り込んできたのです。
倉庫担当は、あるはずの荷物がなく、今製造に連絡して急いで作らせているという。
製造部に確認すると、倉庫の発注があてずっぽうで、ある商品は余り、ある商品は欠品という状況ということらしい。
辻社長は、倉庫に泥棒がいると大騒ぎです。
原因は、そもそも在庫管理が全くできていないことです。

さらに、よく売れる商品は営業担当がアルバイトに頼んで、棚から別のところに隠させて、
自分の受注が欠品にならないようにしていました。
それではいくら在庫管理しても同じことが続きます。
これも正確に在庫がわかり、欠品がないようにしてやれば、こんなことはなくなります。
そして、友近さんが、ある一手を打ちます。
全く設備投資もせず、今日来たアルバイトでも正確にできる仕掛けです。
在庫管理から販売分析、製造への発注処理まで同時に出来てしまいます。
この秘策が、サンリオの世界最先端と言われたコンピューターシステムの基礎となりました。
昭和45年、大阪万国博覧会が開催された頃です。さて、その秘策とは………。

「たなふだ」
友近さんが打った一手とは、「棚札(たなふだ)」です。
友近さんが命名しました。グリーティングカードは1箱500パッケージ入りです。
しかも、1パッケージ12枚ずつ入っています。
注文は1バッケージごとです。しかも、グリーティングカードは360種類もあります。
友近さんは、次のような方法をとりました。

一枚の紙に、上から降順に 500  499  498  497   496………10  9  8  7  6  5  4  3  2  1
と 100ずつ四行に分けて書きました。
この紙を360種類作り、ボードに挟み360種類の箱の棚の前に吊るしました。
そして、そこにボールペンを紐で吊るしました。
これで準備は完了です。
倉庫のアルバイトは、注文の品2パッケージを抜き取り配達用コンテナに詰めたとします。
その時棚札の数字を上から抜き取った分の2個をボーペンで消します。
500と499の2個に斜線が入ります。そうすると消されていない498が在庫数ということになります。
これの繰り返しです。次に、毎月ボールペンの色を変えました。
黒の翌月は赤、その翌月は青という具合です。
すると毎月の出荷の傾向が一目で分かります。
この月は出荷傾向がこうだから在庫数はいくらないといけないということがアルバイトでもわかります。
在庫数が100パッケージないといけないとすると100の手前に太い線が引かれます。
「ピッキングがこのラインを越えたら主任に発注の依頼をする事」とそこには書かれています。
これによって、適正な在庫で、欠品になる事もなく、投資もなく完成しました。
この考え方は、その後サンリオが最新鋭のシステムを構築する時の基本的な考え方になります。
そして、この棚札は、最新鋭のコンピューターシステムが導入されたあとも、
越中島の倉庫のグリーティングカードのコーナーには使われ続けました。

「平均値」
サンリオグリーティングのキャラクターアイテムはどんどん増えていきました。
キャラクターの売れ行きをどのように予測し生産計画を立てるのだろうか?
それは、謎でした。
友近さんは、いつでも誰でも同じようにできる仕掛けを作り上げなければならないと、いつも言われていました。
「自分の分身を作らなあかんのや。」
自分ひとりでやったら、なんでもできるし、要領ようできるで。
しかし、ひとりは所詮ひとりの力にすぎない。
このひとりの力を何十倍何百倍にするためには、人に協力してもらわなあかん。
だから、誰でも同じようにできるシステムが必要なんや。
そして、数字や。数字は最高のコミュ二ケーションツールなんや。
数字によって正確な判断ができるし、相手に正確に情報を伝えることができるからな。
…そう言われていました。

そして、その友近さんを驚かせたのが、ホールマーク社の平均販売指数方式というものでした。
そのノウハウとは?
グリーティングカードで、一個のイチゴと、二個のイチゴ、三個のイチゴのデザインのものがあるとします。
どれが一番売れるのだろうか?
これは、誰にもわかりません。
人の好みはバラバラですから。
これまでは人の勘に頼っていました。
しかし、ホールマークは知っていました。
平均販売指数方式という計算方式で決めて行くのでした。
それは、すべてのイチゴのグリーティングカードの平均販売枚数を計算するのです。
例えば、イチゴ1個のものが30枚売れました。
2個のものが50枚売れました。
3個のものが20枚売れました。
トータルの売れた枚数は、30+50+20=100枚です。
イチゴが1個から3個の3パターンあるので3で割りますと、1パターンの平均販売枚数が出ます。
100÷3=33.3枚です。これが平均販売数です。
この平均枚数の33.3を1.0とし、平均の2倍売れるもの は2.0、3倍売れるものは3.0。
半分しか売れないものは0.5とすべて2桁の指数にします。
この二桁の数字をレーティングと呼び、すべてのデザインを数値化します。
先ほどの例だと…
イチゴ1個は、30割る33.3でレートは 0.9
イチゴ2個は、50割る33.3でレートは 1.5
イチゴ3個は、20割る33.3でレートは 0.6です。
結果、イチゴ2個が売れ筋であり、イチゴ3個は人気がないことになります。
これまでは、担当者の勘に頼っていたものを、すべてデジタル化したのです。
サンリオは、これを積極的に取り入れました。
サンリオの製品についているタグを一度見てください。
長い数字が印刷されています。
これは先ほどのレートと、様々な情報が秘められています。
どの棚の、何段目のどこに陳列しなければならないといった細かい情報が書かれてあり、
すべてコンピューターではじき出された様々なレートを印刷しています。

新・内海新聞 97号

友翁伝

当社の創業時の大恩人、友近忠至氏の 足跡を連載しております。
友近氏はキティちゃんで有名なサンリオの創業メンバーのおひとりです。
そして当社の元役員であり株主でもありました。
友近氏の人生をなぞることでそのマーケティングの秘話をご紹介したいと思います。
以下、前回からの続きです。

 

「逆転の発想」
そして、国民百科事典の契約者は毎月どんどん増えていきました。
会社としては有難いことですが、その処理に追いつくためには、
大幅な設備投資と増員が要求されます。
このコンピュータというやつは仕事は早いのに、なんとも融通が利かない。
コンピュータを使ってなんとかならないのか・・・とIBMを呼ぶことにしました。
早速IBMの営業が数名でやってきました。
「当社では未入金者を探し出すのに大変苦労している。
ここをコンピュータでなんとか解決できないものかと、本日は来て頂きました。」

「現状はどのような処理を行われていますか?」

「まず、百科事典の月賦の申し込みをした方の個人情報をキーパンチャーが入力をします。
これが契約者データです。次に入金者データを入力します。
この契約者データから今月の入金者データを引き算します。
この答えが、今月の未入金者データということになります。」

「お伺いいしたところによると、何も間違っていませんが・・・。
問題はありません。一体どこが問題なんでしょうか?」

「いやいや、大問題ですよ。
毎月の未入金者は約2%なので、毎月全契約者の98%を入力していることになります。
更に、契約者も新規が増え、毎月どんどん増えているのです。
結果、毎月の入金者データも増え、パンチマシンもオペレーターもまったく足りない状況なのです。」

「友近さん、それは当然のことです。どこもそうですよ。
それは御社にとっては有難いことじゃないですか。」

「あんた、何を考えているんだ!これじゃ、経費がどんどん増えてしまう。」

「方法があるとすれば、もっと高速のコンピュータを導入されることをお勧めします。」

「そんなことが許されるはずがない。
受注すればする程経費が増大して赤字になってしまう・・・。
ところで、IBMさん、良いアイデアがあるのですが・・・」
友近さんはニヤリと笑いました。

「契約者データ、これを(A)とします。
次に、毎月の締め日の、銀行から連絡のあった入金者データ。
これを(B)とします。
そして契約者データから入金者データを引き算すると、これが未入金者データ(C)ということになります。
つまり、(A)マイナス(B)=(C)という計算式です。
よく考えると(A)マイナス(C)=(B)でもある訳ですな。
(C)の未入金者データは全体の2%しかないのですから、
最初からこの(C)の2%だけを入力すれば良いとは思いませんか?」

IBMの営業は目を丸くして「はぁ?!」と答えるのが精いっぱいでした。
「いや、その(C)が判らないから(A)から(B)を引き算しているのですよ。
これだから素人の方は困るんですよ。」
そう言って、IBMは帰って行きました。

しかし、友近さんは諦めません。
(A)マイナス(C)=(B)この計算式を何日も何日も考えています。
そして、遂に思いつくのです。

まず、顧客の入金管理を本店から各支店に移しました。
銀行からの入金連絡は、それぞれの管轄の支店に連絡する様にお願いしました。
それから、各支店にカステラの箱を二個ずつ配りました。

支店は、この箱に入る大きさのカードをつくり、契約者の情報を書き込みました。
二個の箱は縦に二つ並べました。そして左側の箱に「契約者」と書きました。
そこに、先程つくった契約者カードを「あいうえお順」に並べました。
右の箱には「入金者」と同じように書きました。こちらは空っぽです。
これで準備は完了です。

さて、これでどうなったでしょうか?
銀行から支店に入金者の情報が伝えられます。
支店の事務員さんは、左の箱から連絡のあった人のカードを抜き取ります。
そして、右の入金者の箱に移動させます。この繰り返しです。

その結果、最後に左の箱に残った数枚のカードが未入金者ということになります。
この数枚のカードを入力するだけです。これで、あの悩ましい問題は解決したのです。
(A)マイナス(C)=(B)の計算式を見事に達成しました。
しかも、人員も装置も今までの半分以下で賄えるようになりました。
これ以後、IBMはこの友近忠至という人物に注目し始めたのです。

 

「資金ショート」
友近さんによる革命的コンピュータ処理を行った平凡社は、順調に受注を伸ばしていきます。

「コンピュータという機械は、恐ろしく消化の早い機械や。
大量の情報を猛烈なスピードで消化してしまう。そして、偏食が激しい。
コンピュータが消化しやすいように調理してやらないと一切受け付けない。
この調理の仕方がミソなんやで。」
これは、いつもの友近さんの口癖です。

平凡社の契約が伸びる事により新たな問題が発生したのです。
国民百科事典を月賦で販売すると、商品は先に渡します。
そして代金は1年かけて回収です。
つまり、資金繰りが悪化してきたのです。
契約数が伸びれば伸びるほど、資金が足りなくなってきました。
資金をどこからか調達しなくては、資金ショートで倒産です。
友近さんは銀行回りを始めます。
しかし、どこの銀行も話を聞いてくれません。
当時、出版業界は水商売と同じで、本は出版しても売れるかどうかは確証がなく、水ものだったからです。
友近さんは途方にくれました。
ある日、旧制松山中学の同窓会が新宿であり、友近さんは参加する事にしました。
懐かしい顔ぶれに大いに盛り上がりました。
同窓会も楽しく終了し、何人かで新宿駅までブラブラ歩いて帰りました。
たまたま一緒にいたのが、同級生のA君でした。

「あんた確か、三井生命やったな。いつも不思議に思うんやけど、
生命保険というのは毎月掛け金を集めてるけど、その金はどうするんや?」

「そうやなあ、万が一の時の支払いに使われるけど、それ以外は、資金運用してる。」

「資金運用?」

「ああ、いろんな会社に貸し付けて運用して、利息を稼ぐんや。」

「生命保険会社が銀行みたいなことするんか?!」

「でも、ほとんどが三井グループの中での運用やけどな。」

「そ、その話をもっと詳しく聞かせてくれ!!」
そのあと、友近さんは、平凡社の現状、月賦販売は確実に資金回収できること、
またその資金が必要なことを話しました。

A君は、一度社内で検討する事を約束してくれました。
それから一週間程してA君から電話がありました。
「友近君、うちの専務が話を聞いてもええと言うてる。一度、こっちに来てくれるか?」
何か大きな歯車がガチャンと一つ動いたような気がしました。

友近さんは、三井生命の専務に、明屋書店のこと、平凡社のこと、国民百科事典のこと、
日本初の月賦販売のことなどを熱く語りました。

「友近さん、わかりました。平凡社に10億円、資金をお出ししましょう。
その代わり条件があります。
毎月一回、ウチの課長達に友近さんのご経験談をご講義いただきたい。」
この専務は後に三井生命の社長になられます。

かくして、三井生命から平凡社に10億円が、振り込まれます。
友近さんは、そこから1億円ずつ、今まで融資をお願いするために訪問していた銀行に預金していったのです。

驚いたのは銀行です。先日までお金を貸してくれと言っていた平凡社が今度は1億円も預金!
支店長がどういうことか聞かせて欲しいと挨拶にこられました。

「三井生命さんが10億円も!」
「では、当行も1億円の預金を担保に3億円までの融資枠を付けさせて頂きます。」

同様に他の銀行も融資枠が付き、合計35億円の融資枠になりました。

新・内海新聞 96号

友翁伝

「専務の背中」
そして運命の出会いが訪れます。
平凡社社長、下中邦彦氏との出会いです。
平凡社国民百科事典の販売実績日本一となった明屋書店に、
平凡社社長、下中邦彦氏が訪れます。
「貴方が友近さんですか?下中です。
今回は大変お世話になり心からお礼申し上げます。」
当然、下中社長は友近さんを引き抜きに来られたのです。

そして、友近さんは明屋書店のこと、安藤専務との約束のこと、自分には決められないことなど、下中社長にお話をしました。

下中社長は、「良くわかりました。安藤専務と一度お話をさせて下さい。」

友近さんは、安藤専務に下中社長を紹介し、二人は部屋に入って話し合うことになりました。
安藤専務にしたら、お世話になっている平凡社の社長です。
まさか友近さんの引き抜きに来られたとは夢にも思っていません。
かなり長い時間、二人は部屋で話し合われました。
夕方になって下中社長が出て来られました。
そして友近さんに「話はついた。後は安藤さんとよく話しなさい。」そう言って出て行かれました。

友近さんは安藤専務の部屋に行きました。
安藤専務は椅子に座って後ろの壁をみて、こちらには背中を向けています。
心なしか安藤専務の肩が震えています。

「専務……」友近さんは声を掛けました。
「友近さん、ウチの倅でも思い通りにならんのに、長い間、よう私について来てくれたなぁ。
いつの間にか、あんたが私の倅と錯覚するようになるくらいやった。
もし、自分の倅が東京に行きたいと言いだしたら、きっと行かすやろうと思う。
なのに、あんたは行かさんというのは筋が通らん。
友近さん、行け。」後ろの壁を見たまま振り向きもしません。

「有り難うございます。本当にお世話になりました。」
いよいよ友近さんは上京することになります。

平凡社において、明屋書店で展開した方法で東京を拠点として全国制覇に向けて動き出します。
そして、友近さんのコンピーターとの大格闘も始まるのです。

「スケジュール」
明屋書店時代、友近さんは社員達の意見を尊重しました。
様々なアイデアを採用していかれたのです。
特に伝票や帳票類のアイデアはどんどん採用されました。
例えば、ティクラカード。厚紙のハガキ大のカードです。
スケジュールで毎月決まった予定というものがあります。
15日は返品の締切日だったり、10日は発注の期日だったり、25日は新刊本が届く日だったりです。
このカードが入る箱を用意します。そして1日から31日までの仕切りを作ります。
同じものをもう一つ作ります。
最初のものを当月。もう一つを翌月と表に書きます。
当月の指定の日にちのところに、その日の行事のカードを入れます。

例えば、15日/返品締切と書いたカードは15日の溝に入れます。
10日/発注期日と書いたカードは10日の溝に入れます。
この様にあらかじめ決まった日にちのものは先に入れておきます。
次に、日々出てくる予定、例えば大掃除予定とか、A子さんのお誕生会とか、忘年会とか、会議予定とか、そのカードを作ってその日にちの溝に入れます。

毎日、皆がそのケースを見ます。
そしてその行事が完了すれば、ケースから抜いて控えの箱に移動して保管します。
あるいは、来月も繰り返されるものは、翌月の指定日に移動します。
こうすることによって、スケジュールは黙っていても皆で共有することが出来るし、予定は覚える必要はありません。
カードを箱に入れれば後は忘れても良いのです。
毎日、ティクラカードの箱を見れば今日以降のするべき仕事がわかるからです。
これも、社員達のアイデアから出てきました。
友近流システム思考。誰でも何も考えずに、同じ様に出来る仕組み、です。

「殺到」
上京した友近さんは、平凡社に出社します。
将来、この東京であのキティちゃんに関わって行くとは、この頃は夢にも思っていなかったのです。
いよいよ友近さんは活動を開始します。
平凡社の国民百科事典を月賦で販売してゆくという、松山で展開した方法を東京で始めます。
時代は昭和32年から昭和42年まで続く教育の時代。
そしてその後、52年まで続く経済台頭の時代が待っています。
日本人は、活字や教養を求めて、そこに消費してゆくことになります。
予想どおり、国民百科事典は猛烈に売れ始めました。
全7巻1万円を毎月千円+利息の10回払いです。
申込みがあると、月賦用伝票10枚綴りを契約時にお渡しします。
百科事典は、初回に全巻届けられます。
契約者は、毎月伝票を一枚ずつ使って、指定銀行口座に振り込むことになります。
振り込みがあると、本店に銀行から電話があります。
当時、まだ口座からの自動引き落としというものが無かった時代です。
友近さんの思惑通り、受注も順調。契約数も増えてきました。

数か月経った頃、管理部の課長が友近さんのところに駆け込んできました。
「友近さん、大問題発生です。受注が多すぎて処理できません。
新規の契約者情報をパンチ入力していますが追いつきません。
更に毎月の入金者情報の入力も追い付きません。
予想では来年には入力数が現在の2倍になります。
パンチ入力機を今の2倍に増設し、キーパンチャーの人員も2倍に増強しなければ間に合いません。
どうしましょう?!」

「そんなことしたら経費ばっかり増えて儲けがなくなるやないか。何か方法を考えろ!」
まずここで当時のコンピューターの構造を説明します。
まず平凡社ではコンピューターが導入されており、全国の購入申込者の情報をコンピューターにパンチ入力します。
現在の様なキーボードで直接文字や数字を入力するのではなく、パンチカードという専用の入力カードがあり、これに専用の機械で穴をあけていくのです。
この穴の開け方によってそれぞれ意味があるのです。
この穴の開けられたカードをコンピューターのスリットに通すことによって入力が完了します。
キーパンチャーと呼ばれるオペレーターは、せっせとこのカードに穴をあけてゆく作業をします。

平凡社では、百科事典の月賦の申し込みをした方の個人情報をキーパンチャーが入力をします。
これが契約者データ(A)です。
次に、毎月の締め日の、銀行から連絡のあった入金者の情報(B)をパンチ入力します。
そして契約者データから入金者データを引き算すると、これが未入金者データ(C)ということになります。

つまり、(A)マイナス(B)=(C)という計算式です。
この(C)に督促はがきを郵送することになります。
毎月の未入金者の平均が約2%なのです。
毎月毎月、契約者数とほぼ同数の契約者情報を入力していることになります。
そして、その契約者は毎月どんどん増えていきました。
受注が爆発的に伸び始め、友近さんは追い詰められていくことになります。 

新・内海新聞 95号

友翁伝

友近忠至さん、サンリオの創業メンバーのおひとりです。
当社創業のころより株主であり取締役として、ご指導を仰ぎました。
友近さんのアイデアが無ければ当社はここまで発展することはなかったと思います。
その友近さんのこれまでの足取りを振り返ることで様々な気付きを感じていただければ幸いです。

(前号のあらすじ)
愛媛県松山市にある「明屋書店(はるやしょてん)」に、大きなチャンスがやってきました。
平凡社という大手出版社が国民百科事典というものを発売することになったのです。
1967年のことです。全7巻で1万円の価格。
百科事典としては破格の安さではありますが、当時、一般大衆が1万円も出して買えるようなものではありません。
当時の大卒初任給が2万6千円くらいの時代です。そう簡単には売れません。
購入した人は、医者や弁護士といった収入の高い人だけなので数セットの販売が限界でした。
そこで友近さんは、いろいろなアンケートを取りました。
国民百科事典を見せると、皆素晴らしいし、購入したいという。
しかし、実際には売れていかない。一体何が原因なのか?
その原因は、二つありました。

一つは、一万円もの大金を払えないこと。
当時の大卒の初任給が3万円の時代です。
そして、もう一つは大きな本を7巻も置く場所がないことでした。

そこで、考え出されたのが本の月賦販売です。
百科事典は最初に全巻お渡ししますが、お支払いは10回分割となります。
これは、当時日本で初めての試みでした。
毎月集金に行くのは手間ですが、売上がどんどん上がっていきました。
また百科事典の置き場所がないという方には、押入れを改造して簡易本棚を作ることまでしていきました。
これらの努力で1800セット販売という日本一の販売数を記録することになります。

・・・・・・友近さんは相変わらず、業務のシステム化を考えています。
一方、出版業界では、この実績が大きな噂となって大手出版社の幹部が友近さんをスカウトしに来るようになったのです。
友近さんご自身は転職の意思はなく、明屋書店を日本一の本屋にするという夢を安藤社長と約束したのですから聞く耳を持ちません。
しかし、旺文社や新潮社や大手出版社の幹部が、破格の条件を持って何人も何回も訪問してくることになります。
さすがの友近さんも悩み始めます。
このことを安藤社長に相談する訳にもいかず毎日悶々としていたのです。

そんな時、主婦と生活社という出版社の常務がやって来ます。
女性の方でした。彼女もまたスカウトのミッションを持ってやって来たのでした。
友近さんの余りに悩んでいる姿を見て、その方は自分のノートに、鉛筆で大きな○を書きました。
「ここに一個の砲丸投げの球があったとします。
そしてその周囲には酸素で満たされていると思ってください。一体どうなると思いますか?」
「そうですね・・・・・。何も起こらないと思います。」
「そう、きっと何も起こらないわね。」
「では、今度は・・・」
と言ってハンドバックから自分の口紅を取り出したのです。
次のページに口紅で同じように大きな○を書きました。
そしてその丸の中を口紅がだめになるくらいグルグルと塗りつぶしました。
「さて、今度は同じ砲丸投げの球でも、まさに今溶鉱炉から出てきた真っ赤に燃えた鉄の球だとします。
そして、そこに一粒の酸素がゆらゆらと飛んできました。さて、今度はどうなると思いますか?」
「そうですね。たぶんガスをひねってマッチを近づけた時と同じように、ボッと燃えるに違いありません。」

「そうそう。私もそう思います。
実は、この鉄の球は、あなたの心なのです。
そして酸素はあなたにとってのチャンスです。
もしもあなたの心が真っ赤に燃えていたならば、向こうから反応して燃え始めるに違いありません。
もしも、あなたの心が冷えた黒い鉄の球なら、いくらチャンスがやって来てもきっと何も起こらない。
今は、そんなに悩まなくてもいいのです。今やっているお仕事で思いっきり頑張って燃えることです。
そうすれば、きっとチャンスは向こうからやって来ます。
私は、あなたをスカウトに来たのですが、諦めて帰ります。
どうぞ、もっともっと燃えるようなお仕事をして下さいね。」
そう言われて帰られました。

しかし、この方の言葉がご自身にとっての大きな励みとなり、悩みも消え、
日々のお仕事に力が入るようになったそうです。
今後、もしも東京に行くことになるにせよ、そのチャンスは向こうからやってくる。
自分の与えられた人生に逆らわず、前向きに生きてゆこう。そう決心されたのです。
私は、この話を「鉄と酸素」と名づけ、機会あるごとに話しています。
友近さんご自身も、自分の生き方を決定付けた示唆のある言葉であったと言われています。
私が21年前に友近さんと初めてお会いした時、最初に伺ったお話しです。
自分の心を真っ赤に燃えさせるにはどうしたら良いのだろうか?
当時、このお話しの意味は判るのですが、「一体どうすれば・・・・。」自分にはまだ判りませんでした。
その後、何度も何度も伺うのですが、なかなか体では判りませんでした。
当時、私の会社は豊島区の大塚というところにありました。
大塚といえば、風俗のお店が多い下町です。
その大塚駅北口から15分程歩きます。
癌研の手前の4階建てのペンシルビルの4階で、1階が中華料理屋でした。
ある時、友近さんが「君の会社を見学に行きたいので、地図をFAXしてくれるか?」と電話がありました。
翌日のお昼にだいぶ遅刻して友近さんは来られました。
部屋の隅にあるソファに腰掛けて頂き、お礼を申し上げたのですが、ご機嫌が悪く、こう言われました。
「あんた、顧客情報を扱う会社やな?ここは。
それやのになんや、ここは!
駅前からキャバレーや一杯飲み屋みたいな路地を抜けて、延々歩いて、大衆中華料理屋の上にある事務所・・・。
中華料理屋があかん言うてるんやないんや。
もっとセキュリティーを考えなあかんやろ。
それに一流の企業と付き合いたいんやったら、もっとしっかりした住所の事務所に移るべきやろ。」
延々叱られました。

それから、1カ月程したころ、株主のIさんから電話がありました。
「内海さん、いつまでもそんなところにいないで、もうちょっと真ん中にでてこないか?」
Iさんは、千代田区の平河町にオフィスを借りられたのですが、少し広いので半分借りないか・・・ということでした。
「私は、二つ返事で、行きます!」と答えました。
そこは、今はもうありませんが、赤坂プリンスホテルの旧館の前で、永田町駅の真上です。
そして、しばらくしてそのオフィスに移動したのです。
そして、友近さんに報告しました。
「どこへ引っ越したんや?」
「永田町です。赤坂プリンスホテルの向かい側です。」
「お前、そんな凄いところに越してきたんか?驚いた!」
大喜びです。
「お前は凄い。ワシが言うたことをすぐに行動に移した。それが一番大事なんや。」
そう言って、こんな言葉を教えて頂きました。
「見たことは したことにならない。
聞いたことは したことにならない。
言ったことは したことにならない。
ただ、したことだけがしたことになる。」
これは、かつて松山の明屋書店に勤めていたころ、オーナーの安藤明さんに何度も聞かされた言葉ということです。
その後、私は何度も耳にタコができるくらい聞かされます。
そしてこう言われました。
「心を真っ赤に燃やすには、まず行動することなんやで。」と。

新・内海新聞 94号

友翁伝

友近至忠さんは、サンリオの創業メンバーのおひとりです。
当社創業の時より、株主として取締役としてご指導いただきました。
友近さんのアイデアと助言がなければ当社はここまで発展することはなかったと思います。
その友近さんのこれまでの足取りを振り返ることで様々な気づきを感じていただければと思います。

(前号からの続き)
松山の明屋書店に転職後、さまざまな難問を解決してきた友近さんですが、
毎日夕方に自転車で漫画本を読みにやってくる中学生に教えられます。
店の前に停められたたくさんの自転車が横倒しになりご近所に迷惑をかけている問題を
道路に白線を引くことで見事に解決した時、ある大きな発見があったのです。

誰に教えられなくても、皆が同じようにできる仕掛けがあるということでした。
それはその後に「システム」と呼ばれるようになります。
友近さんは、その後コンピューターの世界に入って行かれますが、
生涯一度もコンピューター触れることもなく、キーボードを叩くこともありませんでした。
いかにコンピューターをうまく動かすかということだけを考え続けた人生でした。
友近さんは、コンピューターのことを「コンピューターというやつは、恐ろしく消化の早い機械らしい。
恐ろしいスピードで情報を消化してしまう。
しかし、それ以上に偏食が激しくコンピューターが食べやすいように調理してやらないと全く受け付けない。
この調理の仕方がミソなんだ。
この調理の仕方をシステム化することでコンピューターはどんどん消化してくれるはずだ。」と。

書店の中は相変わらずお客でいっぱいです。
安藤さんが店内で天井を見上げて動きません。友近さんは気になって尋ねました。
「いったい何をご覧になっているのですか?」
「おお、友近さん。あの蛍光灯汚れてるんと違うか?ちょっと掃除した方がええなぁ。」
そして、その晩、安藤さんと友近さんの二人で100本以上ある蛍光灯の掃除をすることになります。
脚立を出し、安藤さんが上に上がり蛍光灯を外します。
下にいる友近さんが受け取り雑巾で拭いて、安藤さんに戻します。
延々この作業の繰り返しです。
結局、全部の蛍光灯を拭き終えたのが深夜2時過ぎ。
ふらふらになってバイクで自宅まで帰りました。
こんなことが頻繁にあったら体がいくらあっても足りない。何とかしなければ、そう思いました。
翌日は雨でした。
雨の日は店内に古新聞を敷き、雨水でお客様が滑って転げないようにしていました。
友近さんは、ノートに書きこまれたデータを見ています。

そして、安藤さんにある提案をしました。
「安藤さん、この数字を見て下さい。雨の日の客の来店の推移です。
雨の日は通常の半分くらいで、特に7時以降の来店の数は極端に低いです。
どうです、店を開けていると電気代や人件費がかさみますから、
ここは節約のために7時で閉店してはどうでしょうか?」
いつもなら、そんなことは許可しない安藤さんも、
友近さんの作ったしっかりしたデータがあったために渋々承諾することになります。

友近さんは、従業員に伝えました。
「今日は雨なのでお客様も来られないし、早く店じまいすることにします。
そのかわり、全員で店の大掃除をします。みんなで頑張ればすぐに済むでしょう。」
店員たちは大喜びです。新聞を片付ける者、雑巾で床を拭く者、手分けしてあっという間に終わりました。
その後、蛍光灯の拭き掃除も加え、雨の日は早くお店を閉めて大掃除の日となりました。
そして、あの厄介な蛍光灯掃除も同時に解決したのでした。

そんなある日、友近さんは安藤さんに呼ばれました。
「友近さん、今度、平凡社という出版社から国民百科事典というものが発売されるらしい。
たいそう高い本らしいが、うちで扱ってみようと思う。友近さん、やってもらえんか?」
友近さんは引き受けたものの困りました。
松山市内でも国民百科事典を購入した人は、弁護士、医師、会社の重役くらいで、
一般の人が変えるような価格ではありませんでした。
しかし、戦争が終わって20年近く経ち、
人々はきっとこのような百科事典を買い求めるような時代がやってくる。そう確信していました。
そして、友近さんはある行動に出ます。この百科事典は全7巻セットで1万円という高額商品です。
どうすれば、一般家庭でも買ってもらえるだろうか・・・毎日考え続けました。
そして、思いついたのが百科事典の月賦販売です。
本の月賦販売など前代未聞です。
しかし、この方法が大当たりでした。百科事典は全7巻契約時に届きます。
支払いは毎月千円ずつ支払います。当時は自動引き落としなどなく、毎月指定口座に振込むことになります。
振込があると銀行から電話で連絡があります。
振込みがなければ、督促のはがきを送るという仕掛けです。
しかし、注文が多すぎて配達が間に合いません。
そこで友近さんは配達のために護送船団方式という方法を思いつきます。
まず、注文の百科事典をトラックに積み込みます。そして注文のエリアに移動して停まります。
そこからは自転車に乗せ換えて、ご家庭まで運びます。
これで何とか追いつきました。
買いたいけれど、百科事典を置く場所がないというご家庭には、木材と大工道具を持ち込み書棚まで作ってしまうという凄まじい営業でした。
その結果、愛媛県で2万5千セット販売するという快挙を達成します。
この結果、明屋書店は全国的に有名になります。
その後、各出版社は、その販売の陣頭指揮をとった友近さんの引き抜き合戦が始まります。