新・内海新聞 83号

大恩人

当社ジンテックの元役員で株主でもあった友近忠至さんが亡くなった。
昭和2年生まれの87歳。
非常にお元気で、つい2週間前にも一緒に蕎麦屋に行っていろんなお話をしたばかりでしたので驚きました。
友近忠至さんは、キティちゃんで有名なサンリオの創業メンバーのおひとりです。
サンリオの前身の会社が、大赤字で経営難に陥った時、出版社の平凡社が出資し経営を軌道に乗せました。
その時、平凡社側から常務取締役として着任したのが、友近忠至さんです。
この創業時の裏話が書かれた本がPHPから「サンリオの奇跡」というタイトルで出版されました。昭和54年の事です。
私はこの本を何度も何度も夢中になって読みました。
そして、ここに登場する友近忠至さんにどうしてもお会いしたいと思っていました。
しかし、何のツテもなく諦めていました。
しかし、運命のいたずらなのか、15年も経ってからようやくそのチャンスが訪れます。
それは大変不思議な出会いでもありました。

今からちょうど20年前、私は会社経営に悩んでいました。そんな時、ある人を紹介されました。
その人は、私が持っている名刺を全部持って来いという。
言われるまま、全ての名刺を持っていきました。
何千枚もある。
すると、この部屋に全て表を向けて並べろと言う。
並べられた名刺をその人は暫く見ていたが、あの名刺とこの名刺だけ取って、あとは片づけろと言った。
「両手に持った名刺の左手の名刺の人が右手の名刺の人を紹介する。
そして、右手の名刺の人がお前を助けてくれる。」
左手の人は顧問先の社長で、右手の人は弁護士のAさんだが、よく知らない。
お礼を言って帰ろうとすると、
「まだもう一人見える。60歳代のおじいさんが見える。
お前がこの人に気付けたなら、会社は大いに発展する。
気付かなかったら会社は滅びる。目印は右足を引きずって歩く人だ。」
そう言った。
そんな老人は知らない。

一ヶ月後、左手の名刺だった顧問先の社長を訪ねた。
いろいろ話をした後、来月からもう来られないかもしれないと告げた。
親会社との関係で、この会社を解散することになると思うと伝えた。
その社長は、それは困ったと言い、事情を聞かせて欲しいと言われるので、今の状況を正直にお話した。
そうすると、
「そういう問題は、弁護士のAさんですよ。」
と言い出した。
驚いた。
その晩、その弁護士の先生とお会いしました。
その結果、様々なサポートをして頂き、無事その難局を乗り切ることができたのです。
本当にこの出会いに感謝しています。

さて、もう一人、60歳代のおじいさんと出会うと予言していた。
それから半年後、無事新会社を創り、親会社から独立し、新事業が動き始めていました。
ある取引先の会長と夕食をすることになりました。
二人っきりで話題の乏しい私は仕方なく愛読書の「サンリオの奇跡」という本の話を始めました。
もう百回以上読んだだろうか。
その本に登場する友近忠至さんにとても会いたいが、雲の上の人だとも言った。
一時間ほど私の話を黙って聞いていた会長はこう言った。
「わかったよ、内海さん。その友近さんは私の兄貴分のようなお方、紹介してあげよう。」
驚いた。
一ヶ月後、銀座のお店でお会いした。
私はすぐに右足を見ました。
足を引きずるような様子はありません。

この人ではない。

それから、この友近さんと何度かお会いすることとなります。
ある日、
「内海ちゃん、これからは健康管理が大切。
それには断食が一番。伊豆の伊東にある人参ジュースだけで断食するサナトリウムがあるから一緒に行こう。」
と誘われた。
そこは断食と人参ジュースだけで、することといえばあとは散歩だけ。
毎朝二人で散歩に出かけました。
その日は曇っていました。
友近さんが私の前を歩き、私は後を追った。すると突然右足を引きずり始めたのです。
「先生!どうされたのですか?」
「いやぁ、内海ちゃん。元々右膝が悪くてな、いつもテーピングしてるんやけど、こんな気圧の谷がくるとどうしても疼くんよ。」
驚いた、やはりこの方だった!
その場で、頭を下げて役員就任と株主になって頂くお願いをしました。

それから会社は一度も赤字にはならず増収増益を続けた。
この話を、2週間前、友近さんとご自宅の近くの蕎麦屋で食事をしながら、初めてお話したのです。
「そうか、あんたとは不思議な因縁で結ばれているんやなぁ。」
「ワシの人生で内海ちゃんに出会えたことが一番の思い出になった。」
と、意味深い言葉が今も耳に残っている。
友近忠至さんの口癖があります。

「見たことは、したことにならない。
聞いたことは、したことにならない。
言ったことは、したことにならない。
ただ、したことだけが、したことになる。」