新・内海新聞 78号

レッドソックスの上原浩治投手と長州ファイブ

阪神ファンの私は、巨人の選手に興味はないのですが、この上原浩治という投手は興味があります。
有るというより、一目置いていると言った方が良いかも知れない。
野茂投手以来、単身アメリカの大リーグに乗り込んだ野球選手は数多いが、この上原浩治が最高の選手かも知れない。
こんな事をいうとイチローファンに叱られるかも知れない。
何年か前、アメリカに出張で行った折り、サンフランシスコでジャイアンツの新庄選手の試合を観戦して以来、大リーグの大ファンになってしまったのです。
グラウンドぎりぎりまでせり出した客席、ハイペースな試合運び、大興奮の熱狂的観客たち、ホットドッグを売る名物おじさん・・・・
とにかく、そこにある場面全部が、ザ・アメリカなのです。

上原浩治は既に今年38歳。
現役選手としてはもう終盤に差し掛かっている。
しかし、上原浩治は素晴らしい投手だということをアメリカで証明されたと思う。
今、上原浩治が任されているポジションは、試合を締めくくるクローザーの一つ前のセットアッパーというポジションです。
アメリカでは、先発投手は100球ちょっとで交代するルールなので、どうしても中継ぎや抑えの投手が必要になります。
そして、この中継ぎや抑えは試合の中で大変重要なポジションになってきます。
上原浩治は、中継ぎのピッチャーとしてアメリカで開花したといえます。

上原浩治の昨シーズンの成績は、21試合0勝0敗1セーブ、防御率1,83。
はっきり言って、あまりぱっとしない成績かも知れない。
しかし、国技としてベースボールを育ててきたアメリカでは、投手を見る指標がいくつもある。
K/BBという指標がある。
これは防御率とともに、アメリカでは大変重要な指標です。
Strikeout to walk ratio という指標です。
奪三振÷与四球数 の事です。
つまり、フォアボールを1回出す間に三振をいくつ取ったかという指標です。
この数字が高いほど、コントロールが良く、三振を多く奪える投手といえます。
一般的に、優秀といわれる投手は、3,50以上といわれる中、上原浩治はなんと14,33も有るのです。
この14,33という数字は、1900年に近代野球が始まって以来、至上3番目という驚異的数字なのです。
しかし、上原浩治は豪速球投手でもなく、89マイル(143Km)程度のまっすぐしか投げられないのに、大リーグの打者は面白いように空振りをしていく。

それには理由がある。
上原の武器であるフォークボールです。
激しく落ちるフォークボールは大リーグの打者を手こずらせます。
そして低めのフォークを警戒していると、直球が飛んでくる。
そんな直球が、打席から見ると153Kmに見えると女房役のキャッチャーのサンタラマッキアは証言する。
特に高めの直球が飛んでくると、低めに的をあわせていた打者が打ち返すのは至難の業となる。
上原浩治の投げる球の実に40%がフォークボール。
その変化球の間を縫って、遅いけれど直球が飛んでくると、どうしても手を出してしまうらしい。
少ない球種の上原浩治にとって、うまく組み合わせたごまかし投球術が、現在の彼の評価を支えている。
こんな上原浩治の生きざまにとても共感する。
「有るものを活用して、無いものを手に入れる。」

まさにこの極意を地で行っている。
自分の能力が人から劣っていると思っても、もう一度見直して、その才能をうまく組み合わせることで、圧倒的な武器になりえるということになります。
かつて幕末のころ、英国で「長州ファイブ」と称賛された人たちがいます。

長州五傑(長州ファイブ)と呼ばれ、幕末に長州藩から派遣されてヨーロッパに秘密留学した、井上聞多(井上馨)、遠藤謹助、山尾庸三、伊藤俊輔(伊藤博文)、野村弥吉(井上勝)の5人の長州藩士たちです。
英国船に荷物として乗せられ、船底の暗い部屋に閉じ込められて、何カ月もかけて密航していきました。
このときの話を松田龍平主演で映画化されたのが「長州ファイブ」です。
英国に渡った5人は、英国人夫妻の自宅に居候として世話になり、語学の勉強に励みます。
見るもの聞くもの全て生まれて初めて見るものばかり。既に文明の差は100年位有ったかも知れない。
生まれて初めて見た鉄道に腰を抜かしました。
故郷の長州では馬と馬車と籠しかない世界なのに、ここでは煙を吐いて何十里という遠くまで大勢の人々を一度に運んでくれる。
何をどうすればこんな国になれるのだろうか・・・
5人は毎日議論し悩み続けます。
とにかく、今は勉強し、この国の技術を少しでも吸収して祖国に帰ることしかないと猛勉強をします。
この礼儀正しく、勉強熱心な5人の事を、地元の人々は敬意を持って「長州ファイブ(長州五傑)」と呼び、ロンドン大学には今でも「Choshu Five」という顕彰碑が建てられています。
その後、伊藤博文は内閣総理大臣に、井上聞多は外務大臣に、山尾庸三は後に東京工業大学工学部を設立し、遠藤謹助は造幣局長となり、現在の造幣局の通り抜けは遠藤の指示で始まっている。
野村弥吉は、日本初の鉄道をつくり、日本の鉄道の父と呼ばれた。
ここまで行くには、猛勉強の末の事であろうと思いますが、この2006年に封切られた「長州ファイブ」の映画の中で、伊藤と井上が急遽志し半ばで帰国することとなり、お別れの日、ロンドンでお世話になった下宿先のヒュー・マセソン(ジャーディン・マセソン商会・ロンドン社長)氏の奥様から、それぞれに紙で包まれた大きな荷物を手渡されます。
そして奥様は二人にこう言います。
「有るものを活用して、無いものを手に入れなさい。」と。

馬車の中で二人は頂いた紙包みを開けてみます。
そこには、二人がロンドンにやってきたときに履いていたぼろぼろの革靴が入っていました。
この二人には、今は何も無い。
だけれどこの靴を見て思いだしなさい。
家族を捨て、密航してまで、外国の文化文明を学びたいという情熱がある。
あなた方にあるのは、その人並み外れた情熱です。
その情熱を活用して、まだ手にしていないものをドンドン手に入れなさい。
おそらく奥様はそう二人に伝えたかったのだろうと思います。

「有るものを活用して、無いものを手に入れなさい。」

この言葉は私にとっても、心に響く言葉です。

前述の上原浩治のフォークと直球という二つだけの武器で、これらを活用し、アメリカ野球史上最強のセットアッパーといわれるまでのし上ってきました。

夢を持って、そこに駆け上がるために今ある武器を研ぎ澄まし、一点を極める事。

時代を超えて、職種を超えて、勝利の方程式なのかも知れません。