新・内海新聞 72号

同窓会に思うこと

最近、同窓会の案内が頻繁に来る。
しかも参加率はすこぶる良いようだ。

以前は仕事の調整が最優先で欠席することも多かったのですが、最近はなんとか無理にでも日程調整して行きたくなっている。
小学校の時の印象しかないのに、会ってみてびっくりということも多い。
そういう自分自身も友人たちを驚かせているとは思います。
来年の還暦に向けて現在密に連絡を取り合いながら、各地でミニ同窓会が実施されている。日頃のこういう地道な活動は重要です。

しかし、なぜこの歳になって同窓会なのか?
私の友人が、早稲田大学のOB会の幹事長をしていて、同期会なるものを実施されています。
そうすると30代の同期会の集まりは非常に悪く、40代になると少し参加率が良くなり、50代を超えると急に参加率が上昇。
募集から一週間以内で定員に達するそうです。
60代になると定員オーバーで更に会場を広めのところに変更する事態になっているそうです。人生の終盤に入って懐古趣味に走っているのかな?と思っていました。

これが、自分の番になって初めて判りました。
40年以上会っていない連中です。
今、どんな仕事をしているの?とか、どんな生活を送っていたのかとか、これからどうするのか?とか・・・そんな人生のスケジュールなんて全く興味がない。
会ってもそんな話は一切出ません。
出てくる話題といえば小学校5年生の遠足はどこに行ったか?とか、校庭にあった松の木はまだあるのか?とか、修学旅行で撮った記念写真はどうだったか?とか、当時のことばかり。
顔は既に歳相応なのに、頭の中だけ絵はまだ11歳とか12歳です。

みんなで集まると、一番盛り上がるのは当時の記念写真を持ってきて、名前当てクイズです。これはいったい誰だ?から始まり、何子ちゃんはどこにいる?とかクラス全員判明すると、次は、当時のクラスの様子を覚えている人が、当時を再現して発表します。

私の時は、小学校5年生6年生と2年間同じ担任の先生で皆同じクラスメイトでしたので、とても仲の良いクラスでした。
当時は給食が開始された頃で、給食当番が準備をしている間、教室の外の廊下で担任の先生がアコーディオンを弾いて皆で歌を歌いました。
当時はそのほとんどがロシア民謡で、「赤いサラファン」などは今でもメロディが聞こえると口ずさみます。
また当時はロシア語で覚えていたので、ロシア語で歌えるものもいました。
その時の影響でその後、プロのアコーディオン奏者になった友人がいます。
彼の演奏会に同期の仲間が集まった時も、コンサートが終わった後、みんなで集まって当時のように、赤いサラファンを歌ったりしてしまいます。
本当に不思議なトワイライトゾーンです。

来年の還暦大同窓会に向けて着々とその準備は整っています。
当時、担任だった先生は新人の24歳くらいの若い溌剌とした青年でした。
勉強にも熱心で、年間24回以上の全国模擬試験の受験や、当時の中学で使う教科書を使っての授業であったり、日本でも有数の進学小学校でした。

最近、わかるのですが人生の中で一番大切な時期は小学校ではないかと思います。
特に5年生6年生です。

昔、スタンドバイミーという映画がありました。
ここに登場する子供たちは、小学校5年生6年生位です。
街で噂になった死体を皆で線路を歩いて捜しに行くという冒険ドラマですがここに登場する子供たちは男性でもなく女性でもない、人生の中で唯一の時期です。

男子とか女子とか呼び合い、男子に関してはまだ初恋未体験、しかし母親からの干渉から解放されて、自由になる時期。
つまり、女性に支配されない唯一の時間。
女子に関しては、異性としての関心はまだなく、ほとんど中性の時期。
この時期は、本当に人間らしい、性別を超えた生物としての本能の中で生きられる唯一の時期です。
スタンドバイミーはそんな映画です。

小学校の同窓会に集まった時、当時の自分たちも中性で、対等に相手を見て競争していた時期です。
だからこそある意味、戦友のような一体感があるのかも知れません。

エチ先生追悼

橋本武先生が亡くなりました。
享年101歳。

橋本武先生は伝説の国語教師とよばれ、そのニックネームは「エチ先生」。
東京師範学校(現筑波大学)を卒業後、神戸にある当時は二流だった私立灘中学に赴任します。

この話は2012年の6月号内海新聞に一度書いていますが、追悼の意味で再掲載します。

その当時からユニークな授業を展開しました。
中学生の3年間は、一切教科書を使わず、作家中勘助の「銀の匙(さじ)」という短編小説をじっくりじっくり読んでいく授業です。
今の時代は、速読が流行りですが、エチ先生はスローリーディングです。
文庫本の1ページから2ページを1時間掛けて読んでいきます。
それは様々な話題に寄り道していきます。
少年がおばさんの背中におんぶされて駄菓子に行くシーンでは、小説の中に実際に登場する飴を先生は生徒の数だけ持ってきて、一個ずつ配り、みんなで食べながらそのシーンに浸り感想を言い合うというものです。
また魚の漢字が登場すると、ノートに魚へんの漢字を678個探してプリントに書いていく。
中国の漢詩が出てくる場面では、実際にピンインで中国語の発音で読んでみる。
その時の生徒は、生まれて初めて中国語に触れて感動し、独学で中国語を勉強し、その後の東京大学の受験の外国語を中国語で受験しています。

凧あげのシーンでは、実際に教室で竹ひごと和紙で凧を作り、思い思いの絵を描いて運動場でみんなで凧あげをしたり、万事この調子です。

これをエチ先生は追体験といわれています。

人それぞれ皆違う個性を持っている。
個性とは持続する関心のこと。
持続して考え続けることからその人の個性や方向が生まれる。
すぐに役立つことは、すぐに役に立たなくなる。
遠回りかも知れないけれど長い人生の中で、どこかで20年30年先で生きてくるかもしれないものを大事にしなければいけない。

このような銀の匙の場面の追体験をしていくユニークな授業を何十年と続けられました。
その結果、二流校だった灘中学が昭和43年には東京大学合格者数132名(内、現役112名)で遂に日本一となります。
その卒業生には、現神奈川県知事の黒岩祐治さん、日本弁護士連合第36代事務総長の海渡雄一さん、東京大学第29代総長の濱田純一さん、最高裁判所第23代事務総長の山崎敏充さんといった卒業生が誕生します。

今回、101歳ということで天寿全うではありますが、本物の教師を失った思いでいっぱいです。