新・内海新聞 62号

3つの定義と内海式マーケティング23の法則(1)

マーケティングという言葉の的確な日本語訳は無いと言われています。
そこで勝手に解釈した場合、「売り手と買い手の距離を近づける方法」と訳しました。

なんとなく解りやすくなりました。
世の中の動きのほとんどは人が作り出している訳であり、人の考えによって様々な動きをします。
つまりその根っこは人の頭の中、つまり脳にあると言えます。
脳を分析する事でその行動パターンは少し掴めるのかもしれません。

そんな人の行動パターンを心理的にまとめたのが、内海式マーケティング23の法則です。
この23の法則のいくつかはこれまでもこの中に書かせて頂きましたが、今回何回かに分けて体系的にまとめてみようと思います。

先ず、マーケティング23の法則の前に3つの定義というものがあります。
日頃、何気なく使っている言葉の中で、マーケティングにとても影響のある言葉です。

それは、「コンセプト」と「個性」と「ブランド」です。

このそれぞれの言葉の定義を考えてみましょう。
コンセプトが大事!コンセプトを明確に!コンセプトをシンプルに!などとよく会議などで出てきますが、いったいコンセプトとは何の事なのでしょうか?
辞書をみれば「概念」や「発想」とありますが、これではますます解りません。
なぜこの辞書の意味がよく解らないのでしょうか?
では解らないのは、なぜ解らないのでしょうか?
それは行動の予測ができないからです。何をすれば良いのか解らないというのが正確な心理と言えます。
コンセプトという言葉の意味に行動を持たせる事が大事です。
コンセプトとは「誰に何を提供するのかを決定する事」と言えます。
これさえ決まれば、何をいつどのようにして提供すれば良いのかが予測できてきます。
だからコンセプトとはとても大切なのです。

また「個性」という言葉も厄介な言葉です。
行動パターンや購買パターンは、この個性によって支配されている事が多いからです。
であれば個性とはいったいどういう事を意味するのでしょうか?
彼は非常に個性的だ!とか、個性豊かな作品だ!とか、あなたの個性が理解できない!とか、それぞれ無意識に使っています。

この個性とは何をさすのでしょうか?
個性とは「持続する関心」です。ずっと考え続けている事がその人の個性であり、行動にもその関心が現れてきます。

23の法則に出てくる「好みの管理」や「けもの道マーケティング」でまた詳しくご説明したいと思います。

そして、最後の「ブランド」。一番一般的で難解な言葉です。

 

3つの定義と内海式マーケティング23の法則(2)
その一 「決断の法則」

「ブランド」を辞書で調べると「商標」「銘柄」とあります。
確かにそういう意味なのだろうと思いますが、前述と同じように、どういう行動が伴うものなのかが解らなければ理解できません。

「ブランド」とは「顧客との約束」という解釈になるかと思います。
顧客とどういう約束をしているのか?約束ですからそれはきっちり守らなければなりません。
約束が守られる事によって、信頼が増し、絶対的な信用につながっていきます。
顧客と何を約束して、どうそれを守って行くのかという事が「ブランド」の意味となります。

これらのように、何気なく使っている言葉の中にマーケティングの大きなヒントが隠されています。
言葉の意味を知り、それを実際の行動に置き換えて考えるとき、様々な方向が見えてくると考えています。

これが売り手と買い手の距離を近づける事につながって行くものと信じています。

お客様に対する「ありがとうございました!」という感謝の言葉も漢字で書くと「有り難うございました!」となります。
「有る」が「難し」。つまり有り得ない事という意味です。
目の前でまさに今奇跡が起こっているという意味です。その奇跡に感謝するという大変重い意味となります。
人に感謝するというのはそういう意味なのだという事で顧客にも対応していく事が大切です。

内海式マーケティング23の法則は、体験的行動理論とも言えます。
体験上に生まれた考え方ばかりですが、行動し前に進むにはどうすれば良いかという事のルール化と言えます。

「やってできないはずがない。やらずにできるわけがない。」というのが前提となっています。

今回は一つ目の法則の「決断の法則」です。23の法則の中でももっとも重要な法則と言えます。
何かの大きな決断をする時に用います。
決断の方法はその内容がどうだとか、可能性がどうだとか様々な悩む要素はありますが、それを考えていたら何時までたっても判断はできません。
なぜならその前提が、もしもうまくいかなかったらどうしようと思っているからです。
うまく行く方法は無いものか?と思ってももしそのような方法があれば悩む必要も無い訳で、決断とは実は全く違うところに大切なものがあります。
それはリスタートできるかどうかという事になります。

決断の法則は
(1)前からしたかった事なのか?
(2)その人が本当に信頼できるのか?

という2つの質問に両方YESが付けば迷わずにGOです。
もしも、どちらかにNOが付けば一旦中止という事です。
これは、どんな企画でもうまくいかない!という事が前提になります。
順風満帆に進む事など無いからです。うまく行かなかった時、人はスタート時の事を考えます。
本当は信用できなかったとか、本当はしたくもなかったとか、どちらかにNOがあれば、その企画自体が嫌になり、これまでかけた時間すべてが無駄になります。
もしも最初の質問が両方YESなら、問題が発生したところに目が向き、軌道修正してリスタートできます。

大切な事はいかに持続させるかという事であり、持続を妨げる要素を排除する必要があります。その最大の要因がスタート時にあると言っても過言ではありません。

 

新・内海新聞 61号

当社は、スリランカという国の子供たちのために教育支援を続けています。
彼ら彼女たちは、日本に憧れ、日本語を学び、日本に留学してきます。
スリランカの国民一人当たりの年間平均所得は900米ドル以下。日本円で7万円弱です。

しかし、教育熱心で識字率は95%を超え、日本への留学を希望していますが、経済的な理由からなかなか実現しません。
スリランカの優秀な高校生が一年間日本の高校で勉強できる費用を社会貢献予算として計上して提供しています。
また数年前のインドシナ半島の大地震による大津波によって数万人と言う人々が流され、多くの子供たちが孤児となりました。
その孤児の中の特に女の子たち二十数名ですが、一緒に生活が出来る孤児院「ガールズホーム」を建設しました。

アジアの遠くにある極貧で小さな島国のスリランカ。なぜ、スリランカという国を支援し始めるようになったのか?
それが以下に書くコラムです。

スリランカという国がなかったら、スリランカ人が支援してくれなければ、今、こうして平和に暮らすことは出来なかったかも知れません。

 

【日本の分割統治計画とスリランカ①】

かつて、敗戦後、連合国は第二次世界大戦中、日本が明治以降に獲得した地域を連合国によって分割する方針を打ち出していました。

【ソ連】

南樺太(ポーツマス条約で獲得、内地、1943年3月31日までは外地)

千島列島(樺太・千島交換条約で獲得、内地)

朝鮮北緯38度線以北(日韓併合条約で獲得、外地)

関東州(旅順・大連)(ポーツマス条約で獲得、租借地。1950年代に中国へ返還)

【アメリカ】

朝鮮北緯38度線以南(日韓併合条約で獲得、外地)

沖縄(琉球処分、内地)

奄美(連合国は沖縄の一部と解釈)

旧十島村は、軍政下に置かれた島(現十島村)とそれ以外の島(現三島村)に分割された。

小笠原(明治に領有宣言)

委任統治領南洋群島(ヴェルサイユ条約で獲得)

【中華民国】

台湾(下関条約で獲得、外地)

これらは、1945年(昭和20年)の日本降伏後に速やかに実行されました。

しかし、本土決戦の回避により、上記以外の日本本土を構成する北海道・本州・四国・九州及び付属島嶼は、連合国軍最高司令官総司令部(通称GHQ、実質は米国)によって1952年(昭和27年)まで統一した占領統治下におかれ、分割されることはありませんでした。

この計画では、これらの本土地域も細かく分割することになっており、この項目で指す分割とは、この計画を指しています。

日本分割占領案については、早い段階から連合軍将兵にも伝わっており、中華民国軍の兵士の証言では、ルーズベルトが中国軍を日本占領統治に参加させることを決定したとの話が兵士たちの間に伝わると、多くの中国軍兵士がこれを喜び、日本に上陸した際にどのような行動をとるかについて話し合ったといいます。

この日本分割統治案からわが国を救ってくれた国があります。アジアの極貧小国のセイロン、現在のスリランカです。

 

1951年、第二次世界大戦における連合国の諸国と日本国との間の戦争状態を終結させるため、サンフランシスコ講和条約の席に、セイロン(現在のスリランカで当時まだ英連邦内自治領)の大蔵大臣だったJ.R.ジャヤワルダナ氏が代表として出席されました。

席上、米英以外の諸外国からは、「日本に今、この段階で平和を与えるのは、もってのほか。」「日本は南北に分割して統治すべき」「日本を独立させるのは時期尚早」などなど、厳しい制裁措置を求めるさまざまな議論・意見が出る中、J.R.ジャヤワルダナ氏は、仏陀の言葉ダンマパダを引用し、「憎悪は憎悪によって止むことなく、愛によって止む」と信じていると演説を行い、対日賠償請求権の放棄を明らかにするとともに、日本を国際社会の一員として受け入れるよう訴えたのです。
この演説が当時日本に厳しい制裁措置を求めていた一部の戦勝国をも動かしたといわれ、その後の日本の国際復帰への道につながる象徴的出来事となったのです。
サンフランシスコ講和条約締結後、世界で一番早く正式に日本と外交関係を結んだのもスリランカでした。

この演説を受けて、当時の吉田茂首相も「我が国、日本は後世まで、この大恩を忘れてはならない。」と言ったといわれています。

以下が、ジャヤワルダナ氏の演説です。

「賛同を勧誘されている平和条約草案について、セイロン国政府の見解を、この51か国の集会前に提出する機会をえられましたことを、私は大いなる特典と考えます。

私の声明は我国が本条約を受け入れる諸理由から成り立っていますが、本条約に対して向けられたいくらかの批判を反駁する企てもあります。もっとも私は、私の国の政府を代表してのみ話すことが出来るわけですが、しかし日本の将来に対して一般的態度の中でのアジアの諸国民の感情を、私は表明できると主張します。

私は現在、会議で考慮中の条約の最終草案の公式化にまで持って行った出来事について、語る必要はありません。アメリカ代表ダレス氏とイギリス代表ケンネス・ヤンガー氏は、1945年8月の日本の降伏文書協定から始めて、それらの出来事を詳細にかつ丁寧に我々に示されました。しかしながら、次の事柄は述べておいてもとよいと思います。

すなわち、本条約の草案を採用すべきであるという手続きに関しては、四大強国の間で深刻な意見の衝突があったことを述べておいてもよいと思うのです。

ソ連は、四大強国だけが、すなわちアメリカ、イギリス、中国及びソ連の外相会議だけが、それを引き受けるべきであると主張し、そしてもし条約草案作成のために他の国々が加入するのであれば、拒否権を保留されなければならないと主張しました。

イギリスは、自治領は相談を受けるべきであると主張し、アメリカはこれに賛同しました。両国はまた、対日戦争に参戦したすべての国々と相談することを支持しました。これらの諸国の間ではまた、違った考慮から、条約の実際の条件に関する意見の相違がありました。

ある国は新しい軍国主義的日本の台頭を恐れ、他の国は日本の侵略によって生じた災害と恐怖を忘れかねて、意見がわかれました。

あえて意見として述べますが、完全に独立した日本のための主張がはじめて提出され、考慮されたのは、1950年1月に開催された連邦外相のコロンボ会議においてでありました。

 

【日本の分割統治計画とスリランカ②】

このコロンボ会議は、日本を孤立させたケースとして考えるのではなく、南アジアおよび東南アジアとして知られている地域の一員として考えられました。世界の富と人口の大部分を含み、最近になってようやく自由を回復した国々からなる南アジアと東南アジア、それらの国々の諸国民は数世紀なおざりにされた結果、いまなお苦しんでいます。

このコロンボ会議から二つのアイディアが浮かびあがりました。一つは独立国日本のそれであり、他方は南アジア、東南アジア諸国民の経済的、社会的開発の必然性で、それを確保するためにコロンボ計画として現在知られている計画が着手されました。ケンネス・ヤンガー氏は、コロンボ会議の後に連邦諸国長官の運用委員会が条約草案の仕事にかかった経過を説明され、そしてそのあとにアメリカ代表ダレス氏と相談されたことを説明されました。今我々の前にある条約は、これらの協議と折衝の成果であります。

私の政府の見解のある部分がそこに主張されていますが、私の政府の見解でないものも主張されています。私は現時点において、日本と進んで和平を討議したいとする諸国の間で達成できる同意の最大の共通な尺度を告げていると、私は主張します。

日本に対する態度において、セイロン、インド、そしてパキスタン等のアジア諸国は日本は自由でなければならないという最大の考えによって動きました。本条約はその考えを完全に具現していると私は主張します。日本の自由という事柄について付帯的な他の問題があります。

すなわち自由は本州、北海道、九州、四国の主要の島々に限定されるべきか、あるいは近隣のいくつかの小さい島々まで広げるべきかであるか。もしそうすべきでないのなら、これらの島々はいかにすべきか。台湾は1943年のカイロ宣言に従って中国に返還されるべきか。もしそうすべきであるなら、中国のどちらの政府へ? 中国は平和条約会議へ招くべきか。もしそうであるなら、どちらの政府を?賠償は日本から強要すべきか。もしそうなら金額は?日本が自国の防衛を組織するまでは、どのようにして自らを防衛するのか。

日本の自由という中心問題について、我々は究極には同意することが出来ました。そして条約はその同意を具現しています。他の問題については際立った意見の相違がありましたが条約は大多数の見解を実現しました。もしこれらの諸問題のあるものが違った方法で解かれていたら、私の政府はその方を好んだでありましょう。

しかし大多数が我国に同意しないという事実は、自由と独立した日本の中心概念を含む本条約に、我国が調印するのを控える理由にはなりません。最初に私が言及しました関連のある事柄は、日本が自由になれば解決不可能ではありませんが、日本が自由にならなければ解決不可能であると我国は思います。

自由の日本は、例えば国連組織を通じてこれらの問題を世界のほかの自由諸国と討議することができ、はやめに満足すべき決議に到達できましょう。本条約に署名することにより、我々は日本をしてそうすることができるようにさせます。すなわち日本が中国を承認すると決定するならば、中国政府と友好条約を結ぶことができるようにと、そして日本をしてインドと平和友好条約を結ぶことができるようにさせると私が述べるのは、大変うれしいことであります。

 

 

【日本の分割統治計画とスリランカ③】

なぜアジアの諸国民は、日本は自由であるべきだと切望するのでしょうか。
それは我々の日本との永年にわたる関わり合いのゆえであり、またアジア諸国民が日本に対して持っていた高い尊敬のゆえであり、日本がアジア諸国民の中でただ一人強く自由であったとき、我々は日本を保護者としてまた友人として仰いでいたときに、日本に対して抱いていた高い尊敬のためでもあります。

私は、この前の戦争の最中に起きたことですが、アジアのための共存共栄のスローガンがいま問題となっている諸国民にアピールし、ビルマ、インド、インドネシアの指導者のある人達がそうすることによって自分達が愛している国が開放されるという希望から日本の仲間入りをした、という出来事が思い出されます。

セイロンにおける我々は幸い侵略を受けませんでしたが、空襲により引き起こされた損害は、損害賠償を要求する資格を我国に与えるものであります。しかし我国はそうしようとは思いません。なぜなら我々は釈迦の言葉を信じていますから。釈迦のメッセージ「憎しみは憎しみによっては止まず、ただ愛によって止む」はアジアの数えきれないほどの人々の生涯を高尚にしました。釈迦のメッセージこそが、人道の波を南アジア、ビルマ、ラオス、カンボジア、タイ、インドネシアそれからセイロン(スリランカ)に伝え、そしてまた北方へはヒマラヤを通ってチベットへ、支那(中国)へそして最後には日本へ伝えました。これが我々を数百年もの間、共通の文化と伝統でお互いに結びつけたものであります。

この共通の文化はいまだに存在しています。日本の指導者達から、大臣の方々からも、市井の人々からも、寺院の僧侶からも、日本の普通の人々はいまもなお、平和の釈迦の影の影響のもとにあり、それにしたがっていこうと願っているのを見いだしました。

我々は日本人に機会をあたえてあげねばなりません。そうであるから我々は、ソ連代表のいっている、日本の自由は制限されるべきであるという見解には賛同できないのです。
ソ連代表が加えようと欲する制約、例えば日本が自由の国であれば当然そうする資格のある国防軍を維持する権利に加える制限といったもの、そして、彼が提議するほかの制限は、現在ここの会場におられる代表の大多数の方々にとって受け入れ難いものにするばかりでなく、この会議に出席されなかった国々にとってさえも、受け入れることが出来ないものにします。
もし再びソ連がカイロとポッダム宣言に反して、日本へ返還した琉球諸島と小笠原諸島を欲しがるなら、それではなぜ南樺太は、千島列島もまた日本へ返還されないのか?

私は興味をもって、次のことに注目します。

すなわちソ連の修正案は、日本国民に基本的表現の自由、新聞および宗教礼拝の出版の自由、政治上の見解の自由、および公開の集会の自由を保証しようと要求しています。
ソ連の国民自身でさえも享有したいと心から執着したいであろう自由をです。

(出典:スリランカ大使館資料)

 

新・内海新聞 60号

この新聞が発行される頃には、中国の反日デモは落ち着いているのだろうか?
先日中国のパナソニックの工場が襲撃されて火を放たれた。あれを見ていて一つの時代の終わりを感じた。

今から約40年近く前の1978年。松下幸之助翁と鄧小平が固く手を握り合った写真が大きく報道された。
技術的に遅れていた中国は、松下幸之助に支援を依頼した。
当時、国務院副総理の鄧小平氏がわざわざ来日し「教えを請うつもりで参りました。」と頭を下げ
「中国の近代化建設にお手伝いいただけますか?」と問うと松下翁は「何であれ全力で支援するつもりです。」と答えた。

翌年中国を訪問した松下翁は異例の国賓級で迎えられ、まもなく上海に松下のブラウン管工場が建設され、多くの中国人の雇用に貢献した。
中国のことわざに「井戸から水を汲んだ人よりも、その井戸を掘った人を末代まで忘れない。」というのがある。
今回のパナソニック工場の焼き討ちは鄧小平をも否定することになる。デモ隊は毛沢東の写真を掲げている。
中国の政策が大きく転換したことを意味するのかもしれない。

 

【記憶】

大脳の働きの中の重要な機能に記憶があります。記憶とはどういう構造になっているのだろうか?

私の友人に恐ろしいくらいの記憶力の持ち主がいます。
一年前に名刺交換した人の名前や住所や電話番号を正確に覚えています。すべてです。
語学の勉強はしたことが無くても辞書さえあれば、それを一冊丸暗記して日常会話や文章を書いたりすぐ出来てしまう。
頭が良いということなのだけれど、忘れっぽい人にとってはうらやましい限りです。
しかし、忘れっぽい人にとってすべてのことを記憶するのは難しいけれど、好きなことは、はっきり覚えていたり、ある特定のことに関しては、殆ど忘れないということがあります。

私は、すべてビジュアルで頭の中に映し出すようにしています。覚えるのではなくて、映し出すだけです。
カメラのスナップショットを撮るような感じです。
写したものを整理することにしています。
これなら、この絵を思い出せば、その見えたとおりに説明すればよいので記憶している必要がありません。
ただし、映像化できるものしか駄目です。文字とかは駄目なのです。

これに気付いたのは、俳句を始めてからです。
人に進められてへたくそ俳句を始めました。俳句と言っても写生のような俳句で見えたまま表現しているだけですが、それはそれなりに楽しい。
俳句とは、捨てる文化と言われ、五七五の17文字の中に季語を含めて表現しなければなりません。
至難の業です。
余計な言葉や表現を入れると文字数がオーバーします。言葉を削りながら、表現力をアップする。
誰がこんなコトを考えたのかとふと思ってしまいますが、ハマルと面白い。
たった一滴の朝露の中に季節感や世界観を見つけ出す作業です。

この俳句で発見したことがあります。
苦労して、作った俳句は絶対に忘れないのです。自分の作った俳句はずっと記憶しています。
とても不思議に思いました。
俳句集を暗記していっても、全く覚えていないのに、自分の作った俳句は覚えている。何故なんだろう?

俳句とは右脳と左脳の連係プレーと言われています。
目で見た感動は右脳の世界。この感動を左脳で言葉を探し出し、俳句に仕上げる。こんな連係です。
俳句は、目で見た感動をずっと覚えているのだと思います。
自分の俳句を思い出すとき、五七五の文字の前に、右脳で見た景色をまず思い出す。
この景色から繋がる言葉を次に思い出す。そんな流れだと思います。
脳は右脳の景色を見ながら言葉を捜しだしているのだと思います。

私が学生の頃、下宿のおじいさんが痴呆症で、いつも同じことばかり話します。
今日の晩ご飯も覚えていない。さっき食べたばかりなのに。
しかし、面白かったのは、そのおじいさんが18歳の頃のことははっきり覚えているのです。
18歳、19歳、20歳という年代は覚えていました。こちらから質問しても、ちゃんとその頃のことを答えてくれます。
とても不思議でした。
その頃のシーンが頭に焼き付いているようでした。

やはり、記憶と視覚というのはとても重要な関係にあるのかもしれません。
これは網膜に映像を写すという物理的なことではなく、脳の中に焼き付けるイメージです。
焼き付けるのに最も重要なのは「感動」では無いでしょうか?
感動することが、映像として脳に焼付け、その映像を自分が思い出すことで、そこに関わる言葉やシーンを思い出す。
そのような流れでは無いかと思います。そのおじいさんもちょうど青春真っ只中!毎日が感動の連続だったのでしょう。

すべてにおいて感動は優先すると言えるかも知れません。
未知のものに対する発見は感動を呼び脳を活性化する。
恋愛も、新たな発見の作業であり、感動の連鎖ともいえます。
ヒトは、記憶したものは忘れないと考えています。忘れたのではなく思い出さないだけともいえます。
なぜなら、ある日突然何かのきっかけで昔のことを思い出すことがあります。
何かのシーンであったり、香りであったり、友人のふとした言葉であったり。
そのきっかけになるような刺激が、どこかにしまいこんでわからなくなっていた記憶を引っ張り出してくる。

記憶とは感動であり、脳の中での整理の仕方でどこにあるかが発見できる。そんな気がします。

 

【モノを持たない志向①】

貸衣装で面白い話がある。
私の友人でインターネット貸衣装ビジネスで大成功している女性がいる。
貸衣装店は昔から日本全国にあり、別に珍しいことではない。
その需要は着物やタキシード、モーニングなど婚礼のときのニーズに合わせたものが多い。だから結婚式場とタイアップして営業している店舗が多い。

貸衣装店にとって、結婚式は最大の需要となる。その結婚をする新婦に対して衣装を貸し出すわけなので、この新婦を探し出す必要があります。
しかし、これがなかなか難しい。どこにいるのか判らないからです。
結婚式場とタイアップすればよいかも知れませんが、それでは利益も薄くなるし、受注の数にも結婚式場の容量が限度と言うことになる。

名古屋に、A貸衣装店がある。
ここの営業戦略は非常にユニークです。これから花嫁になる女性を見つけ出す方法を独自に開発したのです。
それは、結婚する花嫁を見つけ出す前に、成人式に目をつけました。女性が振袖を着て成人式に出席する可能性が極めて高く、貸衣装に需要も高まります。
このA貸衣装店は、「成人式に振袖を借りてくださったお客様には、その後結婚されるまで何度でも無料で着物をお貸しいたします。」というキャンペーンを始めたのです。
つまり、成人式以降はタダで借りられるということで、より多くの成人女性のデーターベースを獲得し、彼女たちはいづれ将来結婚するので、それまでは無料でも結婚式の晴れ着で元が取れるという計算でした。
しかし、周囲の人たちは、そんなことをしたら、タダで借りようとする人が殺到してお店がつぶれてしまう!と呆れ顔でした。

その結果はどうだったのでしょうか。その後、数年間で成人式以降、無料の着物を借りに来た女性はたった一人でした。
成人式以降、自分の結婚式のタイミング以外の時に着物を着る機会は殆ど無いということだったのです。
結局このA貸衣装店はより多くの結婚予備軍の女性データベースを獲得することに成功し、結婚式の晴れ着のレンタルに成功しました。

ちょっと話を戻して、先ほどのインターネット貸衣装ビジネスですが、パーティードレス専用の貸衣装です。
ちょうど結婚式の披露宴に出席する女性たちのパーティードレスを貸し出します。
女性の心理として、お年頃の女性は何度もこの様なパーティーへの出席の機会があり、そこにいつも同じドレスを着ていくわけにもいきません。
新しいドレスを購入しても2~3回きればもうタンスの中で着られずに眠ることになります。
一方、これから新しいドレスを購入しようという女性も数多く存在します。
このビジネスは、家に眠っているドレスの委託を受け貸し出すというビジネスです。ネット上で申込みカード決裁されます。
在庫を持たず、女性のニーズを捉えた面白いビジネスです。

 

【モノを持たない志向②】

一方、ある男性はレンタカービジネスを始めました。
もともと大手企業に勤めていたのですが、決意してレンタカービジネスの世界に飛び込みました。
全くの素人ですが、彼はあることに疑問を持っていました。

あちこちにレンタカー屋さんは数多くあるけれど、どこも同じような自動車ばかり。
またナンバープレートも「わ」ナンバーでレンタカーであることがすぐに判ってしまう。
もっと格好いい、ポルシェとかベンツとかロールスロイスとか高級自動車に乗ってみたいと言うニーズは必ずあるはず、そう考えたのです。

しかし、そのような高級車を購入し揃えるには莫大な資金が必要です。
そんな時、あることを発見したのです。

東京都内には、高級車を何台も所有しているコレクターと言われる方々がたくさんいらっしゃいます。
そういう方々からお借りして、必要とする方々にお貸ししよう。
実際、高級車を沢山所有している方々は、車好きが多く、毎週エンジンをかけて走らないと車の調子が悪くなるので、それが面倒という声がありました。
だったら、車の状態を維持するために、レンタカーとして貸し出してはいかがでしょうか?ということになったのです。
お店はありません。
すべてインターネット上にあるバーチャル店舗です。
ネットで車を選び、予約しカード決裁します。

先ほどのパーティードレスのレンタル事業によく似ています。
最近のニーズとして、モノを所有する要求が下がっているように思います。
かつては所有することがステータスだったのに、今はその機能だけを求める新しい傾向が強くなっています。

かつて30年ほど前に人材派遣業というものが登場し、現在では当たり前の存在になりましたが「必要なときに必要な人材を必要なだけ」という、人材個人ではなく、その人材の持つスキルだけを時間当たりで購入するというビジネスが登場しました。
これは法人向けのビジネスでしたが、これが最近では個人にも広がってきていると言えます。

不況やデフレが長く続き、コスト意識がしっかり日本人の意識の中にも根付き、所有しても資産価値の期待できないものに投資せず、必要な時だけ借りるという必然のニーズが拡がり始めています。

また別の領域では、BookOFF のようなリサイクルビジネスも拡がったり、修理サービスなども同様です。
機能にお金を払うか、所有してしまったものを転売するか、或は修理して大切に使うか・・・・といった非購入型志向に意識が向くなか、メーカーにとっては益々苦難の時代が続くともいえます。

新・内海新聞 59号

消費税が上がるかもしれない。消費税は家計に直撃するのであまり嬉しいことではないが、税制上公平で脱税できないシステムでもある。

この消費税アップを待っている人たちもいる。住宅業界もその一つ。前回の消費税アップのときも住宅購入の駆け込み需要があって大いに稼がれた。しかし、消費税分は住宅ローンに組み込めるので月々1000~2000円態度の負担増で納まるので慌てることはないかもしれない。

もう一つは投資家。特に金を扱う方々は待ちに待ったチャンスかもしれない。金を売った時、消費税をつけて支払われるが、個人の場合この消費税の納付義務は無い。5%の消費税の時に金を購入し、消費税が上がった後に売却すれば8%から10%の消費税なので黙っていても3%~5%の利益を得られる。

更に欧州と米国の景気が不安定なので量的緩和策をとれば益々資金は金に流れていく。特に消費税がらみで日本の金に流れていくことも予想できる。来年は金を中心にしたバブル再燃になるかもしれない。

 【死後硬直と信仰心】

今回は、宗教的な話題を二本ご紹介します。

ある宗教の熱心な信者は死後硬直しないと聞いたことがある。これは事実らしい。

まず、死後硬直の説明から。

動物の最も重要な代謝は呼吸です。呼吸は単純に空気を吸っているだけのようではありますが、非常に複雑な作業をしています。

複雑な有機物を分解することで単純な無機物を作り出す仕組みです。生物学的には「異化」といいます。

簡単に言えば、ブドウ糖に酸素と水を加えることで、二酸化炭素と水を作ります。その時に生まれるエネルギーがATPという物質で、命の素であり、何にでも使われることからエネルギーの通貨とも言われる物質です。

このATPとはアデノシン三リン酸といわれるものです。

このATPが命そのものといえるかもしえません。

人間は、呼吸によって毎日せっせとATPを自己生産していますが、体内のあちこちで使われるためにすぐ無くなってしまいます。

特に筋肉で消費されるのです。

このATPが死後硬直と大きく関係があります。

生物が死亡すると、その死骸を大地に戻そうとします。すると細胞内にあるリソソームという仁丹のような物質のスイッチが入って細胞を腐敗させて行きます。

この時に使われるエネルギーがATPです。

筋肉内のATPを使って腐敗していくのですが、このATPが足りなくなると、筋肉内に乳酸が大量にでき酸性に傾きます。酸性になると筋肉は強く収縮する傾向があり、これが死後硬直です。死後2時間から始まり、20時間程度続きます。

つまり、死後硬直が始まる時間はATPの残存量に大きく影響する訳です。

ATPが足りなければ、すぐに死後硬直は始まり、ATPが沢山有れば、死後硬直は遅れ、軽微なものでとどまります。

特に、ジョギング中に心臓麻痺でなくなった方などは、その運動でATPを消費してしまっているので、すぐに死後硬直が始まります。

さて、ある宗教で毎日毎日同じお題目を繰返し唱えるところがあります。

一度大きく息を吸い込んで、お題目を唱えながらゆっくり吐き出すのです。一分間に30回から40回のお題目に従って細かくゆっくり息をはく作業です。

武道でいう長息という呼吸法に近いものです。

大きく吸ってゆっくり吐く。これを毎日1時間も2時間もつづけるとどんどん体内にATPが蓄積されます。その結果、死後硬直が遅れるという結果になるわけで、信仰心の強い人は死後硬直しないというのは科学的裏づけがあるようにも思えます。

鎌倉時代、日蓮は日本中を歩き、当時の貧しい農民たちにお題目を唱えれば幸せになれると説きました。教養のない人たちはそれを信じてひたすらお題目を唱えたことでしょう。

人々は苦しみから逃れるためにお題目を唱え続けます。その苦しみの一番は病気といえます。病気から逃れたい。苦しみから逃れたい、そういう願望をなんとか救ってあげたいと日蓮は考えたのでしょう。

何も難しいことを考える必要は無い。ただひたすらお題目を唱えなさい。朝晩ひたすらお題目を唱えなさい。そして沢山のお水を飲ませました。すなわちこれは深呼吸を教えて言ったとも言えます。

ブドウ糖は、食物に多く含まれます。

そのブドウ糖に6個の酸素と6個の水を加えることで、6個の二酸化炭素と12個の水と38個のATPが生まれます。

大量の水が必要なのです。

現在でも健康診断のときに血圧が高いと、先生は「一度深呼吸してみてください。それからもう一度測りましょう。」と指導します。そうすると不思議に血圧は下がります。これもATPの働きです。当時の人々を苦しめたのは塩分の摂りすぎからの高血圧だったのではないでしょうか。

その高血圧を緩和するために呼吸法を教えていったとも考えられます。しっかり食物を摂り、沢山の酸素と沢山の水によってATPが作られ健康になりますよ、とは言えず、お題目を唱えなさい・・・とだけ伝えていったと考えられます。

こう考えると、日蓮とは宗教家ではなく立派なお医者様だったのかも知れません。

 

【放てば手に満てり】

「仏陀といかだ」

これは、自分が一番好きな、心の支柱としている言葉です。

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かつて、仏陀が語ったと伝えられる話です。

進むべき道は大きな河に阻まれ、こちらの岸は崩れかかって危険で恐ろしく、対岸に行くのに橋も船もない。泳いで渡ろうとした者は、溺れ流されて命を失った。

そこで人々は苦労していかだを作り、安全に河を渡った。 渡り終わって人々は云った。

「このいかだは、実に役にたった。このいかだが無ければ死んでいたかも知れない。せっかく苦労して作ったのだから、肩に担いで持っていこう」

一行は重いいかだを担いで旅を続けた。いかに役立つ知識も経験も、捨てなければならない時がある。

大切だと思い込んで手放さずにいると、逆に悩みや苦しみの原因に変わることがある。いかだを担いで行く事は、そのいかだに対して有り難かったと思っているのだろうけれども、本当にそうすべき事なのだろうか。

真に有り難いと思うのならば、いかだは捨てるべきである。

実は、執着しないことが大切。

多くの人は無意識に「こだわり」の中に生きてしまっている。

勿論、「違いが判る」とむしろ「こだわる」ことにシッカリとした価値観を見出し、その「こだわり」に幸せを感じる人は良いかもしれない。しかし、その「こだわり」に振り回され、苦しみの原因となるのであれば、それを捨て去ることが苦しみからの開放なのかもしれない。

「放てば手に満てり」という言葉があります。

後生大事とこだわり握りしめている掌を開けば、全てのものに触れる事ができる。

道元禅師のこの一句も、真実を求めるうえでこだわりを捨てる事の大事さを説いたもの。

今、目の前に金の砂が天から地に流れ落ちているとしたら、

人は手を出し、握りしめる。欲があるからです。

しかし、その掌の中にはごく僅かな汗にまみれた金が残っているだけ。

もしも、その時勇気を出して手のひらを広げて、流れ落ちる金の砂の下にかざすとどうだろうか。

手の指の先まで山のように盛り上がって積み上がる金がある。掴むことより、放すことのほうがより多くのものを得ることが出来る。

これは、中学二年生の時、兵庫県の丹波笹山にある永澤寺という禅寺で夜通し座禅を組んだ時に、その住職に聞いた話です。

 

【新規事業の見つけ方】

考えてみれば、自分の人生はずっと新規事業開発に明け暮れたともいえます。

とにかく天邪鬼、とにかく新し物好き、とにかく横着、とにかく目立ちたがり、とにかく凝り性、とりあげたらきりがない。

私は、兄と妹のいる次男です。

兄も妹も典型的な秀才。小学校の時は、その兄と妹にはさまれて、いつも比較されていました。好きなこと以外に時間を使うことが嫌。上から命令されることが嫌。自分だけの世界があって、立ち入られるのが嫌。手に負えません。でも自分では、心の中ではいつか追い越してやりたいと虎視眈々と狙っていたのかも知れません。勉強ではとてもじゃないが追いつくことも追い越すこともできない。だったら、全く違う分野、違う世界で自分だけのワールドを作っていこう、そう思っていたのかも知れません。

昆虫採集で全国でも有名になったり、中学校から少林寺拳法に熱中したり、高校時代は一人で全国をヒッチハイクで旅行したり、18歳で実家を飛び出して一人住まいを始めたり、なるべく実家から遠いところに住めるように東北を選んだり、まぁ天邪鬼。そんな中から生まれた考え方が「日本発で世界初のものをつくろう?」でした。そしてたまたまのご縁で働き始めたのが、新規事業好きな株式会社パソナという人材会社。もう水を得た魚のように毎日が楽しくて楽しくて、こんなことで良いのだろうかと思う日々でした。それから25年余り。新規事業の世界で生きてきました。そんな中で気付いた「新規事業の見つけ方 5つのポイント」

(1)日本に昔からあるもの

(2)アメリカにも同じようにあるもの

(3)市場規模が2~300億円程度

(4)IT化が遅れている

(5)個人事業主が多い業界

です。日本の風土から生まれるものは、あの人しか作れないというような職人芸の世界。一方、多民族国家アメリカは、誰でも結果が出せるようにシステム化に注力します。

この二つを合わせると、職人芸をマニュアル化して誰でも出来る高度なものができるということです。大企業が進出するきっかけは市場が2~300億円。この規模だと優秀で高給な人材を投入しても採算が合いません。 次にIT化が遅れているとは無駄が多いこと。つまり経費削減から侵食していけるということ。

個人事業主が多いのは、チームワークが弱く総合力が無い業界。つまり攻められることに弱い業界、ということになります。

この5つのポイントに符号する業界を見つけることが第一。

とにかく、コストを安く独占状態に持っていけるブルーオーシャンはこの世界にあると気付きました。

 

 

新・内海新聞 58号

生物学上、海老は脱皮して成長していく。脱皮というと体が成長して大きくなって、その体に合わなくなった殻を脱ぐというイメージですが、海老はいささか違うようです。

海老の脱皮は殻を突き破るそうです。現状突破です。なんとも壮絶です。また仏陀の言葉に「スッタニバータの蛇」というのがあります。蛇も脱皮します。しかし、成長のために執着無く現状を脱ぎ捨てることが大事と説いています。

「放てば手に満てり」とは仏教の言葉です。
旅をしていた人たちが、道を横切る大河に遮られます。その河を渡ろうと人々は飛び込んで泳ぎますが、力尽きて溺れていきます。

その時、ある人が筏を作って渡ろうと提案し筏が作られます。皆その筏で無事に大河を渡り終えます。「この筏のおかげだ、ありがたいありがたい」と、人々はその筏を担いで旅を続けます。しかし、もうその筏は必要ないのです。仏陀は言います。本当にありがたいと思うのであればその筏は捨てよ。こだわりを持ってはいけない。執着を捨てよ・・・と。握り締める手を広げたときに、すべてのものに触れることができると。

Fifty over,Over fifty

あるマーケティングルールがある。
それは、「今年20歳の人は来年必ず21歳になる。」というルールです。もちろん生きていればという前提ですが。人は必ず一歳ずつ年齢を重ねている。その同年代の方々の人数を現したのが「人口分布図」です。この人口分布ははっきり未来を予測しています。
「Fifty over,Over fifty」です。

これは、日本の成人人口の50%以上が50歳以上の人が
占めているという意味です。これは既に5年以上前に達成し、この比率がどんどん上がっています。

日本の全人口の中で見ても50歳以上の人の分布は48%に達し、こちらも50%超えは時間の問題です。50歳以上の人たちが、圧倒的多数となり、もう無視できない存在になってきました。政治的にも、経済的にもです。今後、高速で高齢化が進む中華人民共和国や、アメリカ合衆国、欧州などが高齢化の同じ道を進むことになります。

日本の高齢化は世界最先端をいっており、この分野では日本が世界に先駆けて大実験をしているともいえます。かつて、シルバーブームというのがありましたが、これは見事に失敗しました。高齢者の捉え方に失敗したといえます。
現在は、シルバーとは言わずシニアといわれます。このシニア層をそう捉えていけば良いのでしょうか?数年前に、山梨県清里にあるSという美味しいお蕎麦屋さんに行ったときこんな話になりました。「ここはリタイアされた方々の憧れの地で、定年退職後、東京の自宅を売って、このあたりに土地を買い小さな家を建て、庭に畑を作って晴耕雨読のような生活をしたいと来られます。最初は、このアイデアはうまくいくのですが、知り合いもいない、毎日単調な生活に疲れてきます。奥さんは新しい友達をどんどん作って楽しく過ごされるのですが、ご主人はそうはいかない。土地にも人にも馴染めず、結局自殺する人が多いのです。皮肉な話です。」そのお蕎麦屋さんは、お蕎麦屋の二階を開放して、孤独なご主人達を集めて、蕎麦打ちを教えたり、ろくろを回して陶器作りを指導したり、あるいは飲み会を開いたりされています。男性は不器用な人が多いのでこの様なことが必要なのだそうだ。

「シニア」とはどういう人のことを言うのでしょうか?50歳以上の人のことでしょうか?あるいは60歳以上の定年退職した人のことを言うのでしょうか?以前のシルバーブームでは、この様に年齢で分けたために失敗したといわれています。「シニアとは、義務的生活から解放された方々をいう」という見方もできます。朝起きて会社に行く。毎日食事を家族に作る。町内会の行事を手伝いに行く・・・などなど、毎日毎日義務的に行われる労働や行動の中では開放がありません。

ある日、子供が大学を卒業して就職した、結婚して独立した。ご主人が定年した。などは、奥様の義務的生活からの解放に繋がります。そして自分のアイデアで毎日外出行動がはじまります。義務的行動が無ければ、非常にアグレッシブであり、好奇心も旺盛になり、新しい情報がどんどん入ってきます。この様に女性が義務的生活から開放されると、一気に活動的になり情報収集能力が高まります。

一方、男性は働いているときは確かに毎日外出して出勤していましたが、これはきまった範囲の中での行動であり、義務的行動といえます。定年退職しても、毎日スーツを着て、会社の近くの公園で過ごしたり、人に会ったりします。一見、自由で開放されているように見えますが、これも義務的生活の範囲です。男性はなかなか、呪縛があって義務からの解放へは時間がかかります。
いずれにしても、この様な「義務」から早く解放されたいという願望があり、ここに次のビジネスのヒントが潜んでいます。

例えば、40代までは、病気になった時に飲む薬も「良薬口に苦し」というように我慢して飲みますが、50代以降の義務から解放された人たちは「美味しくなければ駄目!」という発想に変わります。これは、40代までは、まだまだ働かなければならず、健康のためには何かを犠牲にしても構わないという考えであり、義務から解放されたシニアは、健康は大事だけれど、何かを犠牲にする必要は無い。楽しんでじっくり過ごしたい。」という考え方に変わります。

 

離乳食と治療食

最近、スーパーやドラッグストアのベビーコーナーの離乳食売り場が充実しています。

そのメニューはバリエーションに富んでいますし、その数も豊富です。しかし、よく考えてみると少子化が叫ばれ乳児の数がどんどん減っているのにも関わらず、離乳食は増えている。どうもおかしい。ある人がこう言いました。

「あれは、乳児用に作られてはいますが、実は購買層は老人なんです。歯が無くなってやわらかいものしか食べられない、量もそんなに必要ないという老人にぴったりの食品といえます。」

なるほどそういわれてみれば、老人人口はどんどん増えていて成長マーケットと言えるかも知れません。離乳食と同様、治療食というものがあります。
年老いて持病を持つと、だいたい食事制限が始まります。

カロリー制限、たんぱく制限、脂肪制限、塩分制限などなど。家族の方も、一人だけに制限食を用意するのは大変です。これこそ義務的生活、義務的労働です。
この義務的労働のショートカットというニーズがあります。

一人だけの治療食は大変。だったらこの分だけ宅配してもらえないか?というニーズです。

これは、既にサービス業として実現しています。今後はこの分野は、もっともっと拡充していくものと予想できます。

毎日の食事を、このような制限の中で用意するのは不可能に近いからです。

現行サービスは、管理栄養士による指導のもとメニューが開発されますが、しかし、この栄養士の方も、板前修業を10年したとか、フランスに料理の修業に留学したとかいうような料理の腕はありません。

5訂といわれる素材の栄養価のプロですが料理のプロではありません。
一方、この道数十年という料理の鉄人も沢山おられます。確かに素晴らしい芸術品のような料理を作ってはくれますが、栄養価や成分に関することはプロではありません。

例えば、蛋白質6gで料理を作るといっても無理です。

もしも、この両者がタッグを組んで、更に医師の監修があれば、全く違った素晴らしいメニューが完成するのでは無いでしょうか?

現在のような肩身の狭い治療食ではなく、豪華なディナーとしての健康食への変貌は、また新しい市場を作り出すかも知れません。

病院においても、赤字のところが多い訳ですから、この食事の分野で利益を稼ぎ出す仕組みもあっていいのではとも思います。高齢化社会に向けて益々この分野の充実が求められています。

生物学上、海老は脱皮して成長していく。脱皮というと体が成長して大きくなって、その体に合わなくなった殻を脱ぐというイメージですが、海老はいささか違うようです。

海老の脱皮は殻を突き破るそうです。現状突破です。なんとも壮絶です。また仏陀の言葉に「スッタニバータの蛇」というのがあります。蛇も脱皮します。しかし、成長のために執着無く現状を脱ぎ捨てることが大事と説いています。

「放てば手に満てり」とは仏教の言葉です。
旅をしていた人たちが、道を横切る大河に遮られます。その河を渡ろうと人々は飛び込んで泳ぎますが、力尽きて溺れていきます。

その時、ある人が筏を作って渡ろうと提案し筏が作られます。皆その筏で無事に大河を渡り終えます。「この筏のおかげだ、ありがたいありがたい」と、人々はその筏を担いで旅を続けます。

しかし、もうその筏は必要ないのです。仏陀は言います。本当にありがたいと思うのであればその筏は捨てよ。こだわりを持ってはいけない。執着を捨てよ・・・と。握り締める手を広げたときに、すべてのものに触れることができると。

新規事業

かつての前職であった人材派遣会社は、盛んに新規事業を繰り返していました。

毎月のように新会社が誕生していました。その創造力と営業力はすさまじいものがありました。本業は人材派遣業ですが、そのクライアントや登録スタッフが不便に思うことを解決するという大義名分のもと、自由な発想で事業が開発されていきました。

私も、事業開発にかかわり、様々な勉強をすることが出来ました。そんな新規事業の原動力となったのが、創業者でオーナーのN氏です。N氏は、「世の中の不便を解決する。」ということだけを唱え全力投球でした。

また周囲のスタッフもついていきました。部下たちも、前例の無いことに全力投球できたのは理由があります。それは、計画したことは必ず実行されるのです。途中で止めたり変更したりということはありません。

もし計画が途中で変更されると、全力投球してきた部下たちは混乱します。そういう混乱が続く癖が付くと、最初から全力を出さず実力を発揮できません。ですので、一度決めたことは必ず実行されるとなると、全員が安心して全力投球していけるのです。そんなパワフルな会社でしたが、N氏に新規事業開発のコツを聞いたことがあります。「そんなもんあれへんで!」と最初はとぼけていましたが、ある日こんな事を話していただきました。

「新規事業にコツなんかない。ただ、見ておかないといけない方向がある。それは、

  1. 日本に昔からあるもの
  2. アメリカにも同様のものがあること

この二点を注意深く観察すること。」

と教えてもらいました。意外と単純明快でした。たしかに多民族国家であるアメリカは、文化の違いからシステム化という考え方が浸透し、言葉が通じなくても文化が違っても仕事が正確に迅速にできるようにするシステムがあります。

一方、日本は単一民族で、アメリカのようなことは無いのですが、情報の伝達力ははやく、絶えず新しいものを要求する、また競争の激しい国でもあります。

競争の厳しい日本にも存在し、システム化のアメリカにも存在することは、日本のアイデアを誰にでも出来るアメリカのシステム思想を加えることができるということでもあり、きっと全世界に向けて市場は広がる可能性が大きいともいえます。