新・内海新聞 43号

ビジョンは大切です。何か得体のない良くわからないものがビジョンです。しかし、ビジョンが決まれば、方向が決まります。方向が決まれば戦略が決まります。戦略が決まれば戦術が決まります。戦術が決まれば今日やることが決まります。ドミノ倒しのように決まっていきます。それほど大切な考え方の根っこに当るものかも知れません。果たしてビジョンとは何者なのでしょうか?きっと、それを実行する人の人生そのものなのかも知れません。

ニーチェやカントではありませんが、「一体、自分は何をするために生まれてきたのか?誰のために生まれてきたのか?」というところまで行き着くものなのかも知れません。人生観というものが、その中の核になっていて、すべてがここから動いていくものなのかもしれません。だから、人の生き方は大切なんだ・・・・と教わりました。

歌川国芳

歌川国芳は、江戸時代天保年間に活躍した版画家です。その歌川国芳の版画の中に写真のものが発見されました。江戸の街を版画にしたものですが、左中央にその当時としては不釣合いな建物があります。二本の塔があり、左は当時存在した火の見やぐらです。しかし、その右隣にあるものは、超近代的なデザインです。これは今建造中の東京スカイツリーではないか?と話題になっています。「東都三ツ股の図」という歌川国芳の天保2年(1831年)の作品です。この塔はおそらく国芳の創作のものだと思われますが。タイミング的に新聞ネタとなっています。この歌川国芳という版画家、調べれば調べるほど奇妙で変人で反骨精神旺盛でアイデアに富み、この国芳の半生を映画化すれば大変面白いものになるだろうと思いました。wikipediaで調べてみると、面白いことが書いてありました。

歌川 国芳(うたがわ くによし)1798年1月1日(寛政9年11月15日)
1861年4月14日(文久元年3月5日〉)は、江戸時代末期の浮世絵師。画号は一勇斎。江戸時代末期を代表する浮世絵師の一人である。 しかし国芳は、同時代に活動した葛飾北斎や歌川広重らの人気絵師に比べ、日本における知名度や評価は必ずしも高いとは言えなかった。 「幕末の奇想の絵師」として注目され、再評価されるようになるのは20世紀後半になってからである。そんな遅咲きの浮世絵氏である国芳45歳の時、運命は一変する。老中水野忠邦による天保の改革。質素倹約、風紀粛清の号令の元、浮世絵も役者絵や美人画が禁止になるなど大打撃。徳川幕府の理不尽な弾圧を黙ってはいられない江戸っ子国芳は、浮世絵で精一杯の皮肉をぶつけた。『源頼光公館土蜘作妖怪図』1843年(天保14年)で表向きは平安時代の武将源頼光による土蜘蛛退治を描いたものだが、本当は土蜘蛛を退治するどころか妖術に苦しめられているのは頼光と見せかけて実は、将軍徳川家慶。国家危急の時に惰眠をむさぼっていると批判がこめられている。

主君が危機だと言うのにソッポ向く卜部季武とみせかけ、天保の改革の中心人物、老中水野忠邦。そして奥にはユーモラスな妖怪たち。実は天保の改革の被害者たちである。富くじが禁止された富くじ妖怪、歯のないろくろ首には歯なし→噺など寄席の禁止を恨んだものなど、絵のいたるところに隠されている悪政に対する風刺。江戸の人々は謎を解いては溜飲を下げて大喜び。しかし、幕府はそんな国芳を要注意人物と徹底的にマークした。国芳は何度も奉行所に呼び出され、尋問を受け、時には罰金を取られたり、始末書を書かされたりした。それでも国芳の筆は止まらず、禁令の網をかいくぐりながら、幕府を風刺する国芳に江戸の人々は大喝采。国芳自身がヒーローとなり、その人気は最高潮に達した。国芳は当時なかなか手に入れることができなかった西洋の銅版画を集め、遠近法や陰影の付け方の研究に励んでいた。

国芳は「西洋画は真の画なり。世は常にこれに倣わんと欲すれども得ず嘆息の至りなり」と語っている。そんな国芳が56歳の時、新たなシリーズの製作に取り掛かった。それは47人の志士が揃う忠臣蔵。国芳はこの作品を新しく学んだ西洋画の技法で描いてみようと思い立った。この時代、公儀に逆らった赤穂浪士を称えることはご法度。あくまで戯曲化され、舞台で演じられる役柄として描くしかなかった。ところが西洋画を学んだ国芳はかつてな派手な見得を切る大石内蔵助ではなく、実在の人物としてリアルに描こうとした。国芳が生み出した迫真のヒーロー像。しかし、派手な浮世絵を見慣れている当時の人々にとって写実的な肖像画は受けいられず、すぐに打ち切りとなった・・・・・。

この様な国芳であったので、いつも先進の技術に興味を持ち、前例無きものを進んで取り入れる姿勢は、ある日突然、180年後の東京の風景を幻視したのかも知れません。

偶然の一致はなぜ起こるか

これは、本のタイトルです。ふと感じたことが未来を示唆していたり、たまたま寄り道したことで事故を免れたりなどという偶然の一致は、誰でもひとつやふたつあると思います。「たまたま偶然だよ」と思うことかもしれませんが、また、何かあるのかも知れないという期待があるのも事実です。今回のNZの地震でも、たまたまその時間に学生食堂ではなく、外に食事に行っていた人たちだけ無事で、大きな運命の違いが起きました。

私が18歳の時、初めての一人暮らしで神奈川県相模大野に引っ越しました。上鶴間というトウモロコシ畑の中にある6畳一間の下宿でした。大学はそこから神奈川中央バスで15分ほどのところにある、麻溝台というところにありました。入学早々、私は中学生の頃から続けていた少林寺拳法部に入部を志願しました。当時、執行部を仕切っていた医学部の3年生は二段をとったばかり。一方私は、既に二段を取って2年以上経ち、三段直前でしたので、たいそうやりにくかっただろうと思います。ちょうどその頃はブルース・リーの大ブームで入部希望が殺到し、総勢100名近くになっていました。そんな中にある先輩がいました。獣医学部の一年上級の先輩でした。その先輩と出会ってから、人の運命のいたずらや偶然の一致というものが存在するのだということを実感したのです。

この先輩,Sさんといいます。S先輩は、人の未来を見ることができました。それもはっきりその未来のシーンが映像で見えたのです。それは、人の頭の上にこれから始まる事件のシーンが見えるのだそうです。こどもの頃からその才能が開花し、ご両親は心配して病院に入院させようとまでしたそうです。それから、自分でも訓練して、その予知の精度を高めました。3月は、部員全員で香川県にある少林寺拳法の本部に一週間の合宿に行くことが恒例になっています。その合宿が終了し、解散というときに、医学部の先輩のMさんが、S先輩にこう言いました。

「これから四国を横断して列車の旅をして帰る。その間何かあったら困るので、S君未来を見てくれ。」

みんなはS先輩の能力を知っているので興味津々で二人の回りを取り囲み、聞き耳を立てました。
「判りました。」そういってM先輩の顔見て言いました。

「M先輩、とっても良いことがありますよ。見えた景色は、山と山の間に大きな鉄橋が架かっています。その鉄橋の真ん中に列車が達したときに素晴らしく良いことがあります。」
みんなは全員推理作家のようにああでもない、こうでもないと無責任な予想を立てましたが、ご本人はそのまま出立されました。

春休みも終わって、新学期が始まり、部員達は学生食堂で溜まっていると、噂のM先輩がやってきました。
「M先輩、いかがでした?どんな素晴らしいことがあったのか教えてくださいよ。」

そう皆がいうと「なんにもなかったよ。Sの予知も大したことないよな。」そう言ったのです。

するとS先輩が口を開きました。
「M先輩、まだあの時の景色が見えていますよ。これからですね。」
これからって、相模原にそんな渓谷も陸橋もあるはずも無く、皆首を傾げるだけでした。

M先輩が「ところで今日の練習は休むぞ。父が学会に出るために札幌から出てくるので、今から羽田まで迎えに行ってくる。」そういって出て行きました。

事件はその直後に起こりました。羽田まで愛車のフォルクスワーゲンで迎えに行き、そのまま首都高を順調に走っていました。大変混んでいましたが、順調に流れていたので渋滞も無く走っていました。その時、突然前輪のタイヤが2本とも同時に破裂したのです。ハンドルを持ったままで、後ろから走ってくるトラックが2回見えたとM先輩は言われていたので、車は2回転したのだと思います。偶然に中央分離帯に停止したので九死に一生を得たのでした。そして、気持ちを落ち着かせて周りの景色を見たとき、新宿の高層ビルの間を首都高速が陸橋のように走っている場所だったのです。九死に一生を得たことがS先輩の言われた素晴らしいことだったのです。

また、こんなこともありました。空手部の先輩が夏休みに飛行機で実家に帰る前に、S先輩に相談に来られました。

「事故があったら嫌なので見てくれ。」後輩たちが大勢いる前でS先輩はその空手部の方を見たのですが、その瞬間目をそらせました。

そして「大丈夫!安心して帰省して下さい。」そう言いました。

我々は、おかしいとすぐに感じました。「S先輩、今変でしたよね。何か見えたのではないですか?」と問い詰めたところ

「実は、真っ赤に燃えた雲が見えたんだ。たぶん奴は、真っ赤な雲の中で死ぬ。」

「じゃ、なぜ言ってあげなかったのですか?」

「黙っていれば奴は飛行機に乗る。そして死ぬ。そしたら、明確に初めて人の死を予言できることが証明できるんだ。だから黙ってた。」えっ、それは・・・。

結局、S先輩はたまらなくなって本人に白状しました。当然、飛行機はキャンセル。その搭乗する予定であった飛行機がどうなるか、その当日皆でニュースを聞いていました。

しかし、何の事故も無かったのです。
「なーんだ、結局S先輩の予知も外れることがあるんだ!」そんな感想を持ちました。

その時、S先輩はこう言いました。「おそらく彼が飛行機に搭乗していたら大事故が起こっていたと思う。彼があの飛行機に乗らなかったから事故が起こらなかった。そう確信できた。人にはそれぞれ大きな運命を持っていて、人に影響を与え合って存在している。良い運勢も悪い運勢も同様にね。彼が搭乗しなかったことで、彼の持つ不運は他人に伝播しなかっただけの話しです。だから、人は選ばないといけないということです。この様なS先輩事件は、私が在籍していた間だけでも十数件ありました。偶然の一致というものは、偶然ではなく必然なのかも知れないと思うようになった体験談です。