新・内海新聞 50号

TPPで国内大混乱ですが、少し視点を変えて見てみると違う姿が見えてくる。かつて日清戦争や日露戦争の時、陸軍はドイツ方式を採用し、海軍は英国を模範としました。海軍は船の中で食中毒や栄養の偏りから病人が出ては戦えないので、食料の自給や栄養管理を徹底しました。一方陸軍兵の中心は元農民たち。彼らはこれまでひえや粟といったものしか食べられず、軍人になれば白い米が食えると勧誘し、現地で米を強制調達して士気を高めました。結果、陸軍兵の2万人が脚気によって死にましたが、海軍での死者はゼロでした。現在、国内の食料自給率は世界で唯一カロリー計算しています。これであれば絶えず自給率は下がりっぱなし。

実際には日本は70%を越える自給率があります。しかし、この大半が米です。前述の海軍のように現在の日本は一隻の船に例えられます。そこに1億人以上の乗組員がいて自給できる米だけで生きた場合、栄養偏重になるのは当たり前で、海外から食料を調達しなければならないのは必至です。農林省こそ海外に食糧確保に出て行くべきですが、考えるのは国内保護だけです。人口ピラミッドといわれる人口分布曲線に併せて10年後20年後にはどの年齢層が中心になるとしたら、それに向けた生産計画や栄養計画を立ててこそ長期計画なのですがそんな戦略は現在見当たりません。TPPはそこからのスタートと思います。

 

友近忠至のシステム思考(7)「生命保険会社」

平凡社に転職した友近忠至さんは、日本図書信販という書籍を分割で販売する会社の取締役となられます。愛媛県の松山市で展開した月賦販売をもっと大々的に展開するためです。日本経済の力強い復興に伴って国民の学習意識の高まりから平凡社の国民百科事典は爆発的にその売上を伸ばしていきました。しかし、月賦販売には大きな問題がありました。商品としての百科事典は契約後すぐにお届けするのですが、料金の回収は月々分割での回収です。ですから、キャッシュフローが大変です。百科事典の製造のための資金が必要でした。友近さんは融資のお願いでいくつもの銀行に融資のお願いに行きましたがどこも引き受けてくれません。そもそも、当時は出版業というと水商売のような不安定な業界と見られていたために、どの銀行も引き受けてもらえなかったのです。資金が無ければ百科事典が作れません。このままでは事業が立ち行かなくなります。

そんなある日、故郷松山の旧制松山中学の同窓会が東京で行われることになりました。同窓会では旧友たちと懐かしい話で盛り上がりました。お開きとなって自宅への帰り道、A君と方向が同じということで京王線に向かって歩いていました。

「A君はM生命だったな。生命保険という業界の仕組みは良く判らんが、集まった生命保険の掛金は一体どういう扱いになっているんですか?」そう尋ねてみました。

A君は「保険金として支払われますが、大半は投資にまわして運用しています。ビルを建てたり、株式や国債を購入したり、企業に融資したり出資したりという具合にね。」

友近さんはその言葉に驚きました。「生命保険会社も銀行みたいに企業に融資するのですか?」「融資しますよ。でもその殆どはM財閥グループ内の企業が中心です。」

友近さんはあることを思いつきました。「Aさん。どうかね、私をM生命の幹部の方に紹介してもらえないだろうか?私のいる平凡社という出版社は百科事典で急成長しているが、資金繰りが厳しく資金が不足している。そこでM生命から平凡社に融資してもらうことはできないだろうか?」

その後、Aさんの手配で友近さんはM生命の役員と面談することになります。その場で資料を使いながら、事業の優位性や成長性を説明しました。熱心なその姿勢が通じたのか、M生命からなんと10億円というお金が融資されることになったのです。当時の10億円というとすごい金額です。友近さんはこの10億円を2億円ずつ5つの銀行に預金したのです。驚いたのは銀行です。

ついこの間まで融資のお願いに来ていた会社から今度は2億円もの預金です。一体どういうことかと大銀行の幹部が平凡社にやって来ました。そしてそれがM生命からもたらされたものであると判ると、今度はこの2億円を担保に融資枠を5億円つけますとか10億円つけますとか、申し入れが殺到しました。結局10億円の元手で35億円の融資枠を取り付けることになりました。

資金は調達できたのですが、新たな問題が発生していました。購入者は毎月千円ずつ月賦で振り込むのですが、やはり未入金が発生します。その未入金者を毎月迅速に発見し督促の葉書を送らなければなりません。毎月入金があると銀行から連絡があります。その情報を確認してコンピューターにパンチ入力します。その後、すでに入力された全購入者データから今月の入金者データを引き算すると、今月の未入金者が解ります。毎月未入金者は全体の2%なので、毎月ほぼ全数と同じ98%の契約者情報を入力することになります。

この入力量が新規契約の急増に伴って毎月どんどん増えていました。このままでは、人や設備を大幅に増やさなければもう間に合いません。友近さんはコンピューターメーカーにアイデアは無いか問い合わせました。その答えは、もっと高性能な大きなコンピューターに買い換えろ、というものばかりでした。そんなことをしたら、その経費で利益などなくなってしまう。壁に突き当たりました。

全体の契約者を(A)とし、今月の入金者を(B)としたら、今月の未入金者(C)は、(A)-(B)=(C)という計算式が成り立つ。
しかし、考え方を変えて(A)-(C)=(B)という式も成り立ちます。未入金者(C)はたった2%。この2%だけを入力したらもっと小さな設備でクリアえできるはず。
この話をコンピューターメーカーの担当者に話をすると、「それは素人発想です。その(C)が判らないから(B)を入力しているのでしょう。判らない(C)を先に入力するなど不可能です。」しかし、一ヵ月後、友近さんはその不可能を可能にしてしまいました。

サーチュイン遺伝子


カロリー制限は、研究されている全ての生物、酵母などの単細胞生物から虫、ハエ、ネズミあるいは霊長類などの多細胞生物において、寿命の延長と老化に関連する病気の減少をもたらすことが示されている。カロリー制限時に働く機構は、栄養、特に炭水化物の不足があるとき、細胞の代謝活性を変更する信号を受け取り、栄養に関係する多くの遺伝子と関連している。

細胞は、利用可能な炭水化物の減少を感知した場合、寿命に関連する遺伝子のDAF-2、AGE-1、およびSIR-2を発現させる。なぜ栄養の不足が、細胞中でのDNA修復の増加した状態を引き起こして寿命の延長を示す事と、進化において保存された細胞休眠の機構とに関連するのか、その理由は良く分からないが、本質的には、これらはいずれもより好ましい条件が訪れるまで細胞が休眠状態を維持することを可能にする。休眠状態の間、細胞は新陳代謝の標準とする速度を減少させ、同時に、ゲノムの不安定性を減少させなければならないが、ここに示された機構はこれらを可能にする方法の一つである。したがって、細胞の老化速度は変化しやすく、栄養の利用可能性といった環境要因もDNA修復速度を変更させることでこれに影響を与える。
(wikipediaより)

これをつかさどるのがサーチュイン遺伝子です。サーチュイン遺伝子は万人が持っているものの、普段は眠っていて働きませんが、アメリカ・ウィスコンシン大学が20年間にわたり行ったアカゲザルの実験で、エサを30%減らしてカロリー制限することが活性酸素の発生を抑え、サーチュイン遺伝子を働かせることが分かり、それにより寿命が20~30%延びることが確認され、人間でも、全米に会員約5000人がいるアメリカ・カロリー制限協会の実験で、カロリー制限により、血管が実年齢よりも若くなることが実証されています。

さて、前号のコラムにも書きましたが、私は年に数回ニンジンジュースだけで一週間断食します。数年前から始めていますが、伊東のヒポクラティックサナトリウムの石原結実医師の指導で始めました。ニンジン2本、リンゴ1/2個、レモン1/4個をジューサーで絞り、これを朝昼晩3回飲みます。10時に具のない味噌汁、3時にたっぷりの黒砂糖入りの生姜湯でカロリーと塩分を補給します。これだけで1100~1200kcalあり、成人で平均カロリーが1600kcalですのでほぼ摂取できます。ただ、蛋白質、脂肪、炭水化物が足りないので、体内の不要老廃物の中から探し出し燃焼し始めます。コレステロール・体脂肪・角質化した皮膚などです。

当時はサーチュイン遺伝子という理論はまだ発表されていませんでしたが、断食というのもサーチュイン遺伝子を活性化するための方法といえます。自然の中の動物たちも病気になると、食事を取らずじっとしています。これも生命維持の自然の本能なのかもしれません。

 

友近忠至のシステム思考(8)「集中から分散へ」

まず、契約者を本社で一括管理するのではなく、受注した支店単位で管理するように分散、支店ごとに顧客管理をするように変更しました。それからそれまで入金情報は本社にまとめて送られてきていたのですが、各支店ごとに分散して連絡してもらうように銀行に依頼しました。

そして驚くことに支店にはカステラの箱のようなものがいくつも配られたのです。この箱は2個並べて配置されました。各支店では、契約者情報は個別にコンピューターのパンチカードに保存されています。そのパンチカードを名前の「あいうえお順」に左の木箱の中に並べられていきました。毎月入金の締め日がくると入金者情報の連絡が入ってきます。そして入金があった契約者のパンチカードを左の箱から右の空箱に移動させるのです。これを繰返していくと最後に左の箱に残っている数枚が今月の未入金者ということになります。この数枚のパンチカードをコンピューターに通せば督促の葉書が印刷され郵送されるという仕掛けです。

大きなコンピューターの購入もぜず、キーパンチャーの大量雇用もせず、現状の環境の中でこの難題を解決してしまいました。コンピューターとは恐ろしく消化の早い胃袋のようなものです。大量の情報を瞬時に処理しています。

しかし、このコンピューターという奴は、極度の偏食です。ある決まった形のものしか一切受け付けない。この偏食に合わせて準備する作業はどうしても人手に頼ることになります。入力作業です。この入力という作業が一番の問題なのです。

人手に頼ることでミスが起こる、トラブルが起こる。またその作業量が増えることで労働環境が悪化する。いかにこの入力作業を減らすのかということに最大の関心を持っていたのが友近さんです。「入力至上主義」です。しかし、コンピューターを動かすためには入力を避けて通ることはできない。であれば、その入力作業を必要最低限に抑えることが必要になってくる。それにはワンライティングしかない。一回の入力ですべてが網羅されていることが理想。もしもそれが実現できれば、従業員たちが無駄な残業せずに済む、不要なミスで他に迷惑をかけることも無くなる。

友近さんがいつも言われることは、「システム化とは何でもコンピューター化することではない。また経費削減は結果的にもたらされるが、それだけの目的でもない。従業員の働きやすい労働環境をつくりだすことこそ、本来の目的である。」と。

新・内海新聞 49号

伊豆半島の伊東市ににんじんジュースだけの断食施設があります。私は20年近く前から時々通っています。断食道場というようなものではなく、天然温泉付リゾートホテルといったほうが良いかもしれません。朝昼晩の三食を絞りたてのにんじんジュースだけで過ごします。思ったほどお腹はすきません。このジュースだけで1100kcalほどあり、成人に必要な1600kcalとほぼ変わらず、ミネラル分も十分あるのです。

しかし、脂肪・蛋白質・炭水化物を摂らないので消化器官や脳が冬眠に近い状態になります。生きていくためには脂肪・蛋白質・炭水化物は必要なのですが食事をしないので、体内のどこからか摂取を始めます。体の中の不要なものから順番に燃焼し始めます、血管内のコレステロール、体内脂肪、また老化した細胞や皮膚、また腫瘍なども燃焼し始めます。一日に約1kgのペースで体重が減少していきます。基本は一週間がワンクールで、5日間にんじんジュース断食、2日間がおかゆなどの捕食です。最近は有名になり政財界や芸能界の方々も沢山来られるようになりました。

友近忠至のシステム思考(6)「鉄と酸素」

前回に引き続き、友近さんのお話の続編です。愛媛県松山市にある「明屋書店(はるやしょてん)」に、大きなチャンスがやってきました。平凡社という大手出版社が国民百科事典というものを発売することになったのです。1967年のことです。全7巻で1万円の価格。百科事典としては破格の安さではありますが、当時、一般大衆が1万円も出して買えるようなものではありません。当時の大卒初任給が2万6千円くらいの時代です。そう簡単には売れません。購入した人は、医者や弁護士といった収入の高い人だけなので数セットの販売が限界でした。そこで友近さんは、いろいろなアンケートを取りました。国民百科事典を見せると、皆素晴らしいし、購入したいという。しかし、実際には売れていかない。一体何が原因なのか?その原因は、2つありました。

一つは、一万円もの大金を払えないこと。そして、もうひとつは大きな本を7巻も置く場所がないことでした。そこで、考え出されたのが本の月賦販売です。百科事典は最初に全巻お渡ししますが、お支払いは12回分割となります。これは、当時日本で初めての試みでした。毎月集金に行くのは手間ですが、売上がどんどん上がっていきました。また百科事典の置き場所がないという方には、押入れを改造して簡易本棚を作ることまでしていきました。これらの努力で日本一の販売数を記録することになります。

これが、大きな噂となって大手出版社の幹部が友近さんをスカウトしに来るようになったのです。友近さんご自身は転職の意思はなく、明屋書店を日本一の本屋にするという夢を安藤社長と約束したのですから聞く耳を持ちません。しかし、旺文社や新潮社や大手出版社の幹部が、破格の条件を持って何人も何回も訪問してくることになります。さすがの友近さんも悩み始めます。このことを安藤社長に相談する訳にもいかず毎日悶々としていたのです。そんな時、主婦と生活社という出版社の常務がやって来ます。女性の方でした。彼女もまたスカウトのミッションを持ってやって来たのでした。友近さんの余りに悩んでいる姿を見て、その方は自分のノートに、鉛筆で大きな○を書きました。

「ここに一個の砲丸投げの球があったとします。そしてその周囲には酸素で満たされていると思ってください。一体どうなると思いますか?」

「そうですね・・・・・。何も起こらないと思います。」

「そう、きっと何も起こらないわね。」

「では、今度は・・・」

と言ってハンドバックから自分の口紅を取り出したのです。次のページに口紅で同じように大きな○を書きました。そしてその丸の中を口紅がだめになるくらいグルグルと塗りつぶしました。

「さて、今度は同じ砲丸投げの球でも、まさに今溶鉱炉から出てきた真っ赤に燃えた鉄の球だとします。そして、そこに一粒の酸素がゆらゆらと飛んできました。さて、今度はどうなると思いますか?」

「そうですね。たぶんガスをひねってマッチを近づけた時と同じように、ボッと燃えるに違いありません。」

「そうそう。私もそう思います。」

実は、この鉄の球は、あなたの心なんです。そして酸素はあなたにとってのチャンスです。もしもあなたの心が真っ赤に燃えていたならば、向こうから反応して燃え始めるに違いありません。もしも、あなたの心が冷えた黒い鉄の球なら、いくらチャンスがやって来てもきっと何も起こらない。今は、そんなに悩まなくてもいいのです。今やっているお仕事で思いっきり頑張って燃えることです。そうすれば、きっとチャンスは向こうからやって来ます。私は、あなたをスカウトに来たのですが、諦めて帰ります。どうぞ、もっともっと燃えるようなお仕事をして下さいね。」そう言われて帰られました。

しかし、この方の言葉がご自身にとっての大きな励みとなり、悩みも消え、日々のお仕事に力が入るようになったそうです。今後、もしも東京に行くことになるにせよ、そのチャンスは向こうからやってくる。自分の与えられた人生に逆らわず、前向きに生きてゆこう。そう決心されたのです。私は、この話を「鉄と酸素」と名づけ、機会あるごとに話しています。友近さんご自身も、自分の生き方を決定付けた示唆のある言葉であったと言われています。

限定要因の引き上げ

高校時代に学んだ生物Ⅰに光合成というものがありました。植物が葉緑素によって光合成する仕組みのことです。この光合成には、重要な要素が3つあって、一つが光量。光の強さです。次が二酸化炭素の濃度、そして最後が温度です。

この3つが揃わないと十分機能しません。これらの条件を「限定要因」といいます。限定要因とは「今、一番足を引っ張っている要因」という意味です。たとえば、温暖な地域では、光量も十分であり、温度も十分。しかし、二酸化炭素が不足する可能性が高く、この二酸化炭素不足が光合成を妨げることになり、この場合、二酸化炭素が限定要因ということになります。あるいは、寒冷地では、不足する温度が限定要因となります。この様に不足することで機能が低下してしまいます。

この対策としては、不足するものを補填することです。不足するものを補填することで、全体の光合成量が増加します。図にあるように、一方が欠けたコップのイメージです。

左のa側の高さと、右のb側の高さのコップに水を入れてゆくと、b側に達した段階で水は溢れ出します。a側から溢れることはありません。

今度はb側の高さをcまで高くした場合、bを超えてcの高さまで水を一杯にできます。もともとbまでが限界だったものが、cまで水の量が増えることになります。

この限定要因の例えは、様々な分野で使われます。前号に、ある会社の女子社員の能力を引き上げた例を書きましたが、限定要因の引き上げが関係しています。

どのようなところにも限定要因は存在します。この限定要因の能力を引き上げることは全体の組織の能力の底上げになるということがいえるかも知れません。ところで、光合成とは不思議な機能です。水と二酸化炭素と光だけでアミノ酸やグルコースやでんぷんまで製造してしまいます。

確かに、その元素はC(炭素)とH(水素)とO(酸素)の3つだけですが、この3つは空気中に無限に存在し、この3つの組合せで糖やでんぷんを作り出します。子供の頃、植物に水しか与えないのにどうして生きているのだろう?お腹はすかないのだろうか?ずっと疑問でしたが、謎が解けました。

黄金比

いろいろなものに黄金比というものがあります。人間にとって最も安定し、美しい比率といわれる配分です。それは様々なところに存在します。例えば縦と横の長さの比の値が黄金比の近似値1:1.618である長方形。理由は判らないのですが妙に美しく安定感があります。

また、パルテノン宮殿は、建物の横幅と高さの比が1.6:1という黄金比だそうです。良く言われる瞳の黄金比は、(白目)対(黒目)対(白目)の比率が1:2:1といわれています。

一般的日本人の瞳は1:1.5:1で、やや黒目が小さい。たぶんその理由で、黒目の部分を少し大きくして黄金比に近づけるためのカラーコンタクトレンズが出来たのかもしれません。また美顔の黄金比というのもあります。

(1)唇の端から端の幅を測る。
(2)鼻の膨らみの端から端の幅を測る。
(3)(1)の口の長さ÷(2)の鼻の長さが

1.618に近いほど、モテ顔ということです。黄金比というのは、形のあるものだけではありません。飲食の中にもあります。たとえば、豚のしょうが焼きのタレなども、醤油:みりん:酒は、1:1:1が基本ですが、この比率はすき焼きのタレも、めんつゆも同じです。茶碗蒸しの黄金比は料亭の場合、溶き卵:だしの比率は1:4です。この比率で作るととてもやわらかい味になりますが、火加減が難しいので、家庭では1:3で作るのが一般的です。

さて、今、この黄金比で話題になっているお店があります。ウィスキーのハイボールが抜群に美味しいという銀座のお店です。このお店のハイボールは謎の黄金比で作られ、絶品の味になっています。カウンターと小さなテーブルだけの5坪ほどのお店ですが、客が殺到してしまい、Barなのに早々と23時頃には閉めてしまいます。日曜日などは20時に閉店です。この黄金比を探るべく通う人が後を絶ちません。価格は立ち飲みで700円。ご興味のある方は試されてはいかがでしょうか?

「ロックフィッシュ」
東京都中央区銀座7-2-14 第26ポールスタービル 2F
15時から営業中

新・内海新聞 48号

昔、大学のとき下宿していました。そこには80歳くらいのおじいさんがいて、残念なことに痴呆症になっていました。私たちは、賄いつきで契約していたので晩ご飯は母屋で大家さん家族と一緒に晩ご飯を頂きます。その時、下宿人たちにはテレビが無かったので母屋で見せてもらうのが楽しみで賄いにしてもらっていました。ある日テレビを見ていると、そのおじいさんが来て勝手にしゃべり始めました。

「私は今日の晩ご飯も覚えていません。今日のお昼ご飯も覚えていません。昨日の晩ご飯も覚えていません。18歳の村祭りは覚えています。15のお正月は覚えています。17の花火は覚えています。君たちはいいなぁ~」皆、その言葉に興味を持ちました。聞いてみると30歳や40歳や60歳や70歳の区別が付きません。でも10代の頃の話は毎年のことを明確に話してくれました。22歳位までのことは覚えているようでした。なるほど、思春期から22歳くらいまでの記憶は生涯を通じて残り影響を与えるのだということを学びました。だからこそ悔いの無いように生きなければと皆で確認したのでした。

友近忠至のシステム思考(4)

前回に引き続き、友近忠至さんのエピソードです。愛媛県松山市に本店を置く明屋書店の番頭に転職した友近さんの仕事は、雑用に追われて毎日大忙しです。社長の安藤明さんからは毎日無理難題が持ち込まれ、それらをすべて逃げないで解決すると決めた友近さんは休みなど有りません。しかし、今になってその頃のことを振り返ると、あの時があったから今の自分があると目を細められます。そんな友近忠至さんのエピソードの中で有名な話ですが「駐輪場事件」というのがあります。この駐輪場事件がきっかけで、システムというものを真剣に考え始めたということです。最も当時はシステムなどという言葉も無く、うまく物事が流れる仕組みとでも言えば良いのでしょうか?

それは次のようなお話です。銀天街というアーケードの真ん中辺りにあった明屋書店には、毎日のように夕方になると、中学生たちが自転車で慌ててやってきます。それは新発売の週刊漫画雑誌を立ち読みするためです。学校が終わると自転車で駆けつけ、書店の前にある空きスペースに留めていきます。最初は良いのですが、どんどん自転車が増えて、後からやって来た中学生は自分の自転車を、間に押し込むので、「ガッシャーン」と全部の自転車が横倒しになってしまいます。そうすると両隣のお店から、邪魔になるとか、危険だとかクレームを言われ、仕方なく友近さんが出て行って、その自転車を整理しています。それが毎日何回もあります。

とうとう友近さんは、安藤明社長に直訴します。「安藤さん、このままでは仕事になりません。私は自転車整理のために銀行を辞めてきたわけではありません。定年退職したような方でよいので、自転車の整理係を雇ってもらえないでしょうか?」しかし、返事はNO!でした。「そんなことのためのお金は使えない。君が何とかしたまえ。」結局、友近さんは毎日夕方になると自転車の整理をしていました。そんな時、あることを思いつきました。この銀天街は月に一回だけ全店が休業になる日があります。友近さんは、その日に商店会長を訪ねあるお願いをしました。そして商店会長の承諾を得て、ある行動にでました。

書店の前の公道に白いペンキで斜めに線を引き始めたのです。線を引き終わるとその両側に看板を立てました。そこにはこう書いてあります。「自転車は白線に沿って留めてください。ここが一杯の時は、裏にも駐輪場があります。」と書いてあります。書店の裏にも白線が何本も引いてありました。さて翌日の夕方、予想通り中学生たちがやってきました。するとどうでしょう。皆、白線に沿って留めています。割り込んだり、無茶な駐輪は誰もしていませんでした。友近さんは、結局その日から、自転車の整理から開放されたのです。

友近さんは、この時のことを振り返って「この時になんとなく気付いたのかも知れない。当時はシステムなんていう言葉は無かったけれども、誰もが何も考えずに同じ結果を生み出す仕掛けづくりというのだろうか、後にこれをシステムと呼ぶようになるのだけれど、何か手応えがあったような気がする。私は中学生には何も教えていない。でも彼らは勝手に動き始めた。システムというのは、何もコンピュータを使うことではないのだよ。まず、誰でも自然に出来る仕掛けが大切。なんだ。」これがシステム思考に目覚めた瞬間かも知れません。

その後、友近さんはコンピューターと戦い続けることになります。これは、コンピューターを否定しているのではなく、一番うまく使うにはどうすればよいのかという考え方の戦いです。「コンピュータとはえらく消化の早い機械らしい。恐ろしいスピードで情報を消化してしまう。しかし、それ以上に偏食が激しく、コンピュータが食べやすいように調理してやらないと全く受け付けない。この調理の仕方がミソなんだ。この調理の仕方をシステム化することで、コンピューターはどんどん消化してくれるはず。」そういう考えに至ります。

友近忠至のシステム思考(5)

明屋書店の業績も順調に伸び、新卒の社員を採用することになりました。地元の商業高校から推薦で面接にやってきます。今年も数名の高卒の新入社員が入社しました。入社してしばらく経ったころ、友近さんはあることに気付きます。

お昼休みに経理で入社したA子さんだけは同期の人たちとは離れて一人でお弁当を食べています。「はて、何故だろう。」と不思議に思った友近さんは、もう一人の同期の女子社員に聞きました。他の人たちと一緒に楽しそうにお弁当を食べていたからです。彼女はこう言いました。

「A子さんは、しゃべらないし暗いから一緒にいたくないんです。彼女は高校のときからあんな感じでした。」今度はA子さんに声をかけました。「君は皆と一緒にお弁当は食べないの?」「私は一人でいるのが好きなんです。」とA子さん。再びさっきの社員たちのところに戻り、こんな質問をしました。「A子さんって高校の時はどんな人だったの?何か得意なものとか無かったの?」「算盤は早かったね。そうそう卓球も上手です。高校の卓球部のキャプテンもしてましたから。」「卓球ねぇ・・・。」友近さんはあることを考えました。早速ある出版社に電話をしました。

「こちらは松山の明屋書店の友近でございます。誠にお世話になっております。今回、販売コンクールで当店が一番になりまして懸賞をいただけるとお伺いしたのですが、つきましては頂きたいものがありましてご検討いただきたくお電話を差し上げた次第です。はい、それは卓球台なんです。卓球台を一台頂戴できればと思いまして・・・」こんな交渉を出版社と行い、卓球台をもらうことになったのです。

「A子さん。実はね、書店の販売コンクールで一位になった懸賞で卓球台をもらえることになったのよ。あんた高校で卓球部のキャプテンやってたらしいやないか。どうや、明屋書店で卓球部をつくってくれへんか?」A子さんは大喜びで快諾しました。当時は卓球ブーム。A子さんが裏の倉庫で一人で練習していると、毎日何人か見学に来て少しずつ部員が増えてきました。週に何日か練習日を決めて、みんなA子さんの指導で腕を上げ始めました。何ヶ月かしたころ、銀天街で卓球大会が行われることになりました。もちろんA子さんのチームも出場します。A子さんの大活躍で数多くの強豪チームを打ち破り、遂に明屋書店チームが優勝したのです。その日から明屋書店の中でA子さんは人気者になり、性格も明るく振舞えるようになったそうです。

「人って不思議なもんだなぁ。人っていうのはね、良い時もあれば悪い時もある。出来のいい奴もいれば悪い奴もいる。出来の悪い奴がいれば、皆あいつが悪い、足を引っ張っていると言う。でもそんな出来の悪い奴を出来が良いようにできたとしたら、その人だけではない、店全体の底上げに繋がるもんなんだ。好き好んで出来が悪いわけじゃない。周囲も「悪いなぁ」と思いながら非難している。もしも自分があの立場なら会社は何をしてくれるのだろう?と考えている。その時の対応次第で、その当事者も周囲も蘇るものなんだ。」そう言って目を細めていました。

 

戦略家 空海

現在、上野の東京国立博物館で「空海と密教美術展」が開催されています。にわかに密教ブーム。以前、長崎県にある長瀧山霊源院(通称滝の観音)に行ったことがあります。空海が唐への留学を終えて帰国し九州の地を放浪している時に建立したと伝えられます。この空海という人は、とても興味深い。空海は平安時代初期の774年に生まれといわれています。804年に遣唐使の20年間の留学生として大陸に渡ります。当時の留学は命がけでした。船で日本海を渡るのですが、大概、荒波にのまれて難破します。その時の遣唐使には最澄も乗船していました。四艘の船はやはり難破。しかし、空海は何とか陸にたどり着いたが、そこは名も無き港町。外国人の空海には文化も違うし言葉も通じませんでした。海賊の嫌疑がかけられその港に拘留されてしまいます。そこで空海は、長官宛に筆で嘆願書を書きます。その余りの達筆さに地方の役人も一目見てこの人物がただ者ではないことを悟り直ちに中央に伝令を走らせます。そして嫌疑が晴れて長安に入ります。空海はもうその頃には言葉をマスターし、流暢に喋ることができるようになっていたそうです。

そして、数ヶ月かけて、持っていったお金をすべて使って、多くの弟子と各地に残る中国密教の経典の書写を始めます。師の恵果和尚からは阿闍梨付嘱物や仏舎利、刻白壇仏菩薩金剛尊像などを与えられます。そして遂に中国密教の大きな二つの流れ「大日経」系と「金剛頂経」系をの継承後継者として認められます。その後、中国密教は途絶え、日本だけにその正統は生き残ります。10年以上の滞在を義務付けられる留学をたった一年ほどで帰国してしまった空海は都に戻れず、九州の地を放浪していました。見つかれば死罪です。

空海は、一策を考え唐で得た経典や宝物の目録を都に送り続けます。日本ではとうてい手に入れることの出来ない密教の奥義に遂に天皇からの許しが出されたのです。そして空海は高野山に真言宗の法灯を掲げます。空海とは、きわめて戦略家である印象を持ちました。写真は空海が建立した滝の観音の滝です。滝の中腹に観音像が掘られているのですが、水流が多くその像が見えない時は、その横にある大きな岩盤に観音像が現れます。この観音像は肉眼では見えず、写真だけに現れるという不思議な像です。○印がその観音像です。

新・内海新聞 47号

「バイネームサービス」というものがあります。お客様の名前を覚えるということです。人にとって最も心地よい言葉は自分自身の名前です。自分の名前で呼ばれた時、警戒感が薄れ親しみを持つ。これと同じことを、かつて経験したことがあります。飲食店をしていた頃クレームが出るとお客様に「お詫び券」という無料飲食券を渡していました。そして控えに、そのお客様のお名前とクレームの内容をメモしていました。やがて、再来店された時、そのお客様のお名前でお呼びすると、ほとんどの方がクレームのこと許してくれたものでした。

名前を覚えておくというのは大切なことです。東京の表参道の「カシータ」というイタリアンのお店があります。お客様のお名前を決して忘れないという徹底した「バイネームサービス」を提供してくれます。ご興味のある方は、一度体験されてみてはいかがでしょう。久しぶりに訪れても、ちゃんと名前を覚えていてくれる。どのようにして名前を覚えているのかは、企業秘密だそうです。一度、試されてみてはいかがでしょうか?

友近忠至のシステム思考(2)

ある出版社で世界文学全集が発行されることになりました。毎月一巻ずつ発売されて、すべて購入すると立派な世界文学全集になります。今日も明屋書店に本を買いに来た友近さんに安藤明さんは声をかけました。

「あんた毎日一冊本を購入して、たいそうな読書家ですな。実は今度こんな世界文学全集というのが発売されます。毎月一巻づつ発売されるのですよ。どうです。これも購入いただければありがたいのですが・・・。」

そういってパンフレットを手渡しました。友近さんはこのパンフレットをみてあることを思いつきました。
「すみません。このパンフレットをもう4~50枚いただけませんか?私の会社の同僚にも聞いてみます。」

「それはありがたい!どんどん持っていって下さい。」

友近さんは銀行に帰ると、頭取をはじめ読書倶楽部の行員の机の上に、このパンフレットを置いていきました。本来、読書好きが集まった読書倶楽部の面々は、すぐにこの世界文学全集に興味を持ちました。そして20数件の定期申し込みがあったのです。この申し込み用紙をもって、友近さんは明屋書店に向かいました。

安藤明さんに
「社内で案内をしたら、こんなに申し込みがありました。」
安藤さんは、書店で売ってもそれほど売れないのに、こんな沢山の申し込みを取ってきてくれたことに驚きました。その時、友近さんはポケットに隠していた銀行のバッチを襟につけました。

「安藤さん。実は私は○○銀行のものです。」さらに安藤さんは目を丸くしました。

「実はお願いがあります。文学全集の発売日は毎月22日です。行員の給料日は毎月25日です。できれば支払いを25日にずらして欲しいのです。本のお届けは25日以降で結構です。毎月の代金の集金は私がやります。しかし、回収した代金を私が明屋書店に持ってくるのは大変無用心。そこで、明屋書店さんの口座を当行内に作っていただけないでしょうか?そうしていただけると、25日に回収した代金をそのまま、口座のほうに振り込ませていただきます。これでいかがでしょうか?」

安藤明さんにとっても悪くない条件。この条件をのみました。これで、誰も攻略できなかった明屋書店の新規口座獲得に成功したのです。やがて、友近さんは、金融公庫の融資担当に異動します。融資担当というのは銀行内でもエリートコース。大出世です。様々な融資案件が営業部から回ってきます。これを一件一件審査して、上席たちの決裁を仰ぎ、融資の決裁をします。一件の融資案件が決まるまでにいくつもの印鑑が押されていきます。10個以上の印鑑です。その都度、その書類を担当上席に回します。従って大変な時間が掛かります。非効率なこの時間を何とかならないものか?友近さんは、あることを考えました。

融資の審査をするとき、決まったチェックポイントがあります。必要書類はそろっているか?それぞれ基準をクリアしているか?当行での融資実績はあるかなどなど、いくつものチェックポイントです。そのチェックごとに上席が決まっていて印鑑をもらわなくてはなりません。もしも、各段階の書類がそろっていて内容が正確であれば、融資部の担当の印鑑で通用するようにできればもっと早く審査ができる。友近さんはチェックすべき項目をすべて書き出しました。そのチェック項目を確認する作業表を作ったのです。この作業表をもって頭取に交渉しました。この作業表どおりに審査を進めれば、通常の場合今よりももっと早く審査が完了します。今までのように、一個一個印鑑をもらわなくても、担当者だけの印鑑で作業が完了するはずです。この考えが採用され、審査の工数が大幅に短縮されました。この時に友近さんは感じたそうです。権限委譲という言葉があるが、これは何でも人に任せてしまうことではない。誰がやっても同じような結果を導ける仕掛けがあるということなんだ。権限委譲とは誰でもできる仕掛けができてこそ完成するものなんだ。後に、この仕掛けは、マニュアル化、システム化という言葉になっていきます。

行員生活も10年を越え、ベテランの領域になってきたとき、明屋書店の安藤明さんから相談があると呼び出されました。何事かと言ってみると安藤明さんはこう切り出しました。

「私と一緒にこの明屋書店をやっていかんか?この明屋書店を日本一の本屋にするんや!」

しかし、自分は銀行員で本屋の経営など全く経験がありません。大変悩まれたそうですが、安藤明社長の熱心な勧誘にその申し出を引き受け、長く勤めた銀行を退職し、街の小さな書店の番頭として転職をします。

友近忠至のシステム思考(3)

そうして明屋書店の番頭として転職した友近さんは元銀行員らしく財務のチェックから始めました。ある日、帳簿を見ていて気付いたことがあります。火災保険のところです。書店の本の在庫に比べて、余りにも火災保険が小さいのです。このままでは、もしも火災でもおきたら大変なことになります。友近さんは、安藤明社長に相談しました。

火災保険をもっと大きな額のものに変更したい。しかし、安藤明社長はOKは出しません。いつあるか判らない火事のために、こんな大きな保険の掛金は払えないというのです。しかし、熱心に説得した結果、ようやく了解がでました。それから数ヶ月してからのことです。銀天街で火災が発生したのです。友近さんがあわてて、出先から急いで戻ってみると、明屋書店が火元で燃えています。大火事です。何台もの消防車が放水しましたが明屋書店は全焼、近所も類焼してしまいました。

数日して焼けた後の始末をしていると、パトカーがやってきました。愛媛県警です。聞きたいことがあるので警察署まで同行してほしいということです。警察署に行ってみると、

「放火をしたのはお前だな!」といいます。
「つい最近、火災保険を大型に切り替えたろう。その直後に火が出るというのは、あまりにも偶然過ぎると思わないか?」
結局、その夜は、警察署に拘置されることになります。

翌日、その疑いは晴れることになります。数日前から明屋書店はじめアーケードの照明が消えたり灯いたりするので、四国電力に何度も検査に来てもらっていたのです。現場検証の結果、明屋書店の屋根裏の漏電であることがわかり、晴れて釈放されたそうです。しかし、これからが大変です。書店の本というのは委託販売なので、一定期間に返品できなければその費用の請求がきます。本が焼けてしまったということを証明しなければなりません。友近さんは、近所から何十枚もの雨戸を借りてきて立てかけました。そして従業員と手分けして、焼けた本の残った表紙の部分をその雨戸に貼り付けていったのです。確かに本は焼けたことを証明するためです。やがて、本の販売会社や出版社から担当者が明屋書店に確認にやってきました。焼け野原の中で、雨戸に焼け残った表紙を貼っている姿をみて、すべて焼却されたということで認めてもらうことができ、支払いが免除されました。しかも、多額の保険金が支払われ、明屋書店は大きな鉄筋のビルとなって立て直されたそうです。なぜ保険を最初に確認したかは、自分でもわからない。もしあの見直しが無ければ明屋書店はあのときになくなっていただろう。そう言われました。

不老不死の生物

人類の長年の夢、不老不死。本当にそのようなことがあるのだろうか?生物は必ず老齢化していき、いつかは滅びる。これがあるから、死があるから宗教が生まれ医学が発展した。人類にとって死から免れることはできない。しかし、地球上にはこれを克服し、不老不死の生物が存在する。それは、「ベニクラゲ」。学名をTurritopsis nutricula といい、このクラゲは死なない。

wikipediaによると、「ヒドロ虫綱に属する、いわゆるクラゲの一種である。性的に成熟した(有性生殖が可能な)個体がポリプ期へ退行可能という特徴的な生活環を持つことで知られる。世界中の温帯から熱帯にかけての海域に分布する。クラゲが再びポリプに戻ることが発見され、不老不死のクラゲとして知られるようになった。」簡単に言うと、普通のクラゲでは生殖活動の後死ぬが、このベニクラゲは、再び幼生の時代に退化してゆく。このような細胞の再分化を「分化転換」といいます。厳密に言うと不老ではなくて、生殖時期までは老化してゆくのだけれど、その後、若返りという逆回転を始める仕掛けを体内に持っていることになる。

現在、確認されただけでも9回の若返りが確認されていて、さらにその回数は更新中らしい。この様に不死のクラゲだと、その個体数が途方も無く増えて、海が埋め尽くされてしまいそうですが、食物連鎖があるので、多数が他の生物の餌となってしまい、均衡が保たれている。現在、この仕掛けを究明して、若返りの新薬を研究中らしいが、生殖後に赤ちゃん返りしてしまうような人類が誕生したらどうなるのでしょう。若返りした後の第二の人生は一体どうなんでしょう。また同じ人生を繰り返すのか?まるで仏教で言う「無間地獄」の世界のようです。これまで、営々と作られてきた社会の仕組みも変わってしまいます。法律はまず使えない。犯罪を犯した年齢よりさかのぼって子供に若返りした人を裁けるのか?婚姻はどうなるのか?ひょっとして、途中から子供のほうが親より大人みたいな珍現象が起こってしまう。若返りしたときに、これまでの記憶が消えるのか、あるいは残るのかによっても違いが出てくる。記憶が残れば、通算年齢で数えても良く、多くのノウハウは確実に蓄積されてゆく。兎に角、不老不死というのは、良いことばかりではなさそうな感じです。

新・内海新聞 46号

相当昔の話なのですが、私が兵庫県の田舎町で飲食業をしていた時、全く売れないメニューがいくつかあったのです。昭和60年の8月にこの店を売却することになり、「もうどうせ終わるのだから。」と思い切ったトライアルを考えました。最後の3ヶ月の間にこの売れないメニューを売れるようにしてみよう。この中で最も人気の無かったのが「八宝菜」でした。一皿600円。まずこのメニューから始めよう。そう考えて一策を講じました。

それは(1)値段を大幅に上げること。(2)名前を変えること。(3)売れなかったメニューをはずすこと。(4)素材を二品だけ高級にすること。以上でした。

まず値段は3倍強の2千円に、名前は「上八宝菜」。素材の二品は、貝柱を大きいサイズで2個、海老も大型のブラックタイガー1匹にしました。すると売れ始めたのです。ランチにはほとんど出なかった八宝菜が5皿以上売れることもありました。数は少ないかもしれませんが利益が違います。これだけの大幅値上げだと、値上げしたという感覚より、違うメニューと受け取られ、客層が変わったのかもしれません。

タモリさんのプレーンカレー・改

タレントのタモリさんの料理には一目を置いています。どれも個性的で美味しい。今回は、その中でも特にお気に入りの「タモリカレー」をご紹介します。ある人に言わせると「地上最強のカレー」とも。お料理には好みがあるので、どれが一番と限定することはできないけれど、私が作った中でも、このカレーは上位にランキングされます。暑い日が続きます。暑い日にはカレーがいいです。ビールとの相性もぴったりです。兎に角、簡単!味も上質。このレシピは、インターネットで公開されていますが、この通り作るといろいろ失敗の可能性もあるので、新たに私がアレンジした「タモリカレー・改」のレシピを公開します。
まず、材料
①鶏のもも肉500グラム ②玉ねぎ中4個
③ニンニク2片  ④生姜1片
⑤赤ワイン75cc  ⑥ホールトマト缶(汁ごと)1缶
⑦マンゴーチャツネ大さじ1/2  ⑧カレー粉
⑨ターメリック(ウコン) ⑩クミン
⑪牛乳1/4カップ  ⑫プレーンヨーグルト
⑬とろけるチーズ ⑭焼肉のタレ
⑮塩 ⑯砂糖
⑰醤油 以上。
では、作り方
(1)鶏肉をゴルフボール大に切って大き目のボールにいれます。そこに、カレー粉大さじ1、ターメリック小さじ1、クミン小さじ1を入れて手で揉み込みます。
(2)フライパンに油を敷き、よく揉んだ鶏肉を敷き詰め、表面にやや焦げ目が付く位、ひっくり返しながら炒めます。油が飛ぶので気をつけて下さい。
(3)大きな深い鍋を用意します。この鍋に、水を1リットル入れます。ここに先ほどのスパイスを揉み込んだ鶏肉を入れます。さらに、マンゴーチャツネ大さじ1/2を、赤ワイン75cc、ホールトマト1缶を(汁ごと)入れて下さい。
(4)先ほど鶏肉を炒めたフライパンに、ニンニクと生姜のみじん切りを入れます。そこに、玉ねぎ4個をスライスしてこのフライパンできつね色になるまで炒めます。途中で、カレー粉大さじ1、ターメリック小さじ1、クミン小さじ1を入れて炒めます。玉ねぎがしんなりしてくると、すぐにきつね色になるので、火加減に注意して下さい。きつね色になったら、火を止めて、牛乳を1/4カップ、プレーンヨーグルトを大さじ1入れて混ぜ込みます。
(5)鍋に、この炒め玉ねぎをドンと入れてしまいます。続けて鍋に、醤油小さじ1、塩小さじ1、砂糖ひとつまみ、そしてここがポイント!焼肉のタレを大さじ1入れます。このまま弱火で約3時間煮込みます。時々かき混ぜて下さい。もしも、放置して鍋が焦げ付いてしまったら、決して混ぜないで、火を消して別の鍋に焦げていない部分だけ入れ替えて続けて下さい。
(6)水分が飛んで半分くらいになるまで、ゆっくり煮込んで下さい。
(7)途中で味見をしてみて、おそらく味が薄く感じるかも知れませんが、決して味を調節して濃くしないで下さい。煮込んでいくとちょうど良い味になります。
(8)とろみが出てくれば、一旦火を止めます。
(9)火を止めたら、とろけるチーズをいれて、良くかき混ぜて下さい。
これで出来上がりです。チーズは、先に入れると鍋底に溜まって焦げるので、最後に入れて下さい。カレーは、体を冷やすスパイスが沢山入っているので、暑い夏には最適です。材料の入れる順番を変えたり、省いたりしましたが、この中の焼肉のタレが重要です。よくインスタントコーヒーやソースを入れる場合がありますが、今回は焼肉のタレです。焼肉のタレは、名前通り、焼肉に使うのですが調味料としても大変優れものです。焼肉のタレの成分のところを見ると、各種アミノ酸や野菜や果物が入っています。そういう意味では様々なエキスの濃縮液が焼肉のタレといえます。実際に沢山の野菜や果物を買ってきて鍋に入れるよりも、はるかに安上がりで美味しいのです。ちなみに、焼肉のタレは、味噌汁に少し入れても味が引き立ちます。今回、実際に調理している時間は30分くらいで、あとは、弱火で3時間くらい煮込んでいるだけなので、大変簡単に作ることができます。休日などに一度お試しを!

友近忠至のシステム思考(1)

昭和二年生まれの今年84歳。今でもお元気に過ごされています。キティちゃんなどのキャラクタービジネスを定着させたサンリオの創業メンバーのお一人です。友近さんとの出会いは昭和54年頃になります。と言っても実際に会ったのではなく、ある本の中で知ったというのが実際です。それはPHP出版から出された「サンリオの奇跡」(上前潤一郎著)です。私の友人にもらった本がこのサンリオの奇跡でした。最初は興味も無く放置していました。当時、私は中華料理店のコックをしていましたが、あまり儲けも無くどうしたものかと思案していた時期でした。ビルの三階にあるキリン堂という本屋に行って、ビジネス書を立ち読みするのですが、どれにも具体的な儲け方を書いたものはありませんでした。そんな時、このサンリオの奇跡を本棚から取り出して、何気なく読み始めました。そうすると、このサンリオの奇跡の中にどうすれば儲かるのかということが具体的に書かれてあったのです。とても感動したことを覚えています。

そのサンリオの奇跡の中に登場する3人の人物が、辻信太郎社長、荻洲照之専務、友近忠至常務です。この友近忠至さんの部分のその儲け方のヒントが数多く書かれてありました。それから12年、何度も何度もこのサンリオの奇跡を読み返し、様々な方の縁を頼り、遂にお会いすることができました。それから、このサンリオの奇跡に書かれる以前のお話も聞くことができ、多くのことを学ばせていただきました。今回、数回に分けて、友近忠至さんの半生を数回にわたってまとめることで、「システムとは何か?」を考えてみたいと思います。今まで断片的にいくつかご紹介した話もありますがご容赦下さい。

友近忠至さんは、愛媛県松山市ご出身です。生まれたのは満州。お父様が満州鉄道の重役で、当時は裕福な生活だったようです。しかし、終戦後、着の身着のままで大陸から帰国、お父様も亡くなり母親との貧乏暮らしが始まります。成績は優秀で、地元の名門松山中学に進学しましたが、毎日アルバイトに明け暮れる毎日だったそうです。松山市内にある球場でアイスキャンディー売りのアルバイトをしていた時のことです。

遠くから女性が呼んでいます。「キャンディー屋さ~ん」友近少年は声のするほうに向かいました。

「あなた、松山中学の学生さんね。」女性は友近少年が松山中学の帽子をかぶっているのをみてそう言いました。

「あなたは、こんなアルバイトをしていてはだめです。私がもっと良いお仕事を考えてあげる。あとで私の事務所に来なさい。」そういって名刺を差し出しました。それは戦後初の女性議員の名前でした。

アルバイトが終わってから女性議員の事務所に出向きました。「待ってたわよ。いまから一緒に行きましょう。」

そういって連れて行かれたのが、市内にある医院でした。女性は院長にこういいました、
「この少年は、私の親しい友人のこどもですが、どうか先生の医院で働くことはできませんか?確か先生は、ご子息の家庭教師をお探しでしたね。彼は、松山中学に通っていて学力も優秀なはずです。」そんな強引なお願いで、この医院のご子息の家庭教師になります。

友近忠至さんの人生で、人との出会いに恵まれた方だということが良く判ります。その後、友近少年は新制大学を卒業し、地元の銀行に就職が決まります。銀行員となった友近さんの趣味は読書です。大の本好きで給料から毎月一冊本を買い、読み終わると支店の書棚に並べています。他の行員がまたその読み終わった本を読んでまわすという流れができ、それがいつの間にか読書倶楽部になりました。しかし、その本を買っているのは友近さん個人というのはおかしいという話になり、皆で毎月少しずつお金を出して、本の購入資金を作ることにしました。銀行もそれではということで、いくらかの図書購入費用を負担してもらえることとなり、全支店を巻き込んだ読書倶楽部になりました。

ある日、支店長からある課題を与えられます。
「友近君、実は市内に明屋書店(はるや)というのがあるのだけれど、なかなか口座開設の営業ができていない。他の銀行ががっちりガードしているんだ。確か君は本好きだったね。ここは君に明屋書店攻略を任せたいと思う。」

友近さんは、これは自分にふさわしい仕事だと大喜びで明屋書店に営業に行きました。そこは銀天街というアーケード街にあります。友近さんはさっそくレジに座っている店主らしい男性に名刺を差し出しました。その男性は安藤明さんという明屋書店創業者でした。

「初めまして。私は、○○銀行の友近と申します。本日は是非当行に口座開設をお願いしたく伺いました。」

安藤さんは、友近さんの顔も見ずに「帰った帰った。うちはもう別の銀行と取引してるので必要ない!」

そういうと奥に引っ込んでしまいました。あっけに取られてしまった友近さんはこのまま帰るのは悔しいので、書店の中を観察して回りました。そうしたらある一冊の本が目に飛び込んできたのです。

「セールスは断られたときから始まる」という本でした。書いたのはアメリカ人。アメリカでヒットした本の翻訳本のようです。「今まさに自分はこの本のタイトルと同じだ。」そう思い、その本を買い求めて帰りました。帰社して、いろいろ思案しました。そうだ!とあることを思いつきました。読書倶楽部では毎月何冊かの本を買い求めますが、その図書購入は友近さんに任されていました。ある信念をもとに、次の日再び明屋書店に向かいました。そして1冊の本を購入しました。レジには安藤明さんが座っています。でも、顔も見ていないので昨日きた銀行員だとは気付きません。翌日もその次の日も毎日1冊ずつ本を買いました。1ヶ月間毎日本を買いに来るのですから、さすがに安藤明さんも、覚えてしまいます。まさかあの銀行員とは夢にも思いません。そして遂に顔なじみになります。ある時、K出版社から世界文学全集が出版されることになりました。それは毎月1冊ずつ発行され、定期購読するものでした。この世界文学全集が運命を変えることになります。