新・内海新聞 38号

先日、タレントのタモリさんのカレーを自宅で作ってみました。バカにするなかれです。激旨でした。鶏モモ肉にターメリックとクミンを揉み込み、フライパンで両面軽く焼く。大鍋に水1リットルを入れ、さっきの鶏肉、マンゴチャツネ、赤ワイン、ミキサーしたホールトマトを入れ中火で煮込む。その間に、玉ねぎみじん切りに、おろしニンニク、生姜を入れて炒め、カレー粉、ターメリック、クミン、牛乳、ヨーグルトを混ぜる。これを先程の鍋に入れ、醤油、砂糖、塩、とろけるチーズを入れて2時間弱火で煮込む。最後に塩で味を調整し、15分強火で煮込んで完成!私は、これに焼肉のタレ大さじ1杯と豆板醤小さじ2杯を加えました。インターネットでも「プレーンタモリ」で紹介されていますので、興味のある方は是非お奨めです。料理長

立命の書「陰隲録」を読む (致知選書)

「陰隲録」(いんしつろく)という本があります。久しぶりに良い本に出会えたといえます。到知出版から出されています。「陰隲録」自身の著者は、「袁了凡(えんりょうぼん)」という人ですが、この日本語版は陽明学者の安岡正篤さんが書かれました。運命とは一体何なのだろうか?運命は既に決まっているものなのだろうか?その問いに答える本ともいえます。私の母は83歳ですが、四柱推命の鑑定士で人の運命論に関して私とよく激論を交わします。命式という(運命のスケジュール表のようなもの)4本の生年月日(生まれ年、生まれ月、生まれ日、生まれ時刻)によって、自分の人生は決まっていて、その大きな大河の中で生きてゆく。あなたは来年は年回りが悪いので、新しいことはしない方が良い。この人との相性は良くない・・・などなどいろいろと指示が飛んでくる。

そんな時、いつも疑問に思うのです。自分の人生は一体誰が決めるのか?どの道に進んでも自分は自分。すでに決められたスケジュール通りに生きてゆくことが正しいのか?

「そんなこと言うたって、こうなってんねんから、仕方ないのや。」と言われてしまいます。

そんな時、この「陰隲録」(いんしつろく)という本と出合いました。今から400年ほど昔の中国。当時は明という国でした。日本では豊臣秀吉や徳川家康が活躍した時代です。それはこの様なお話です。袁了凡がまだ袁学海と名乗っていた子供の頃、ある白髪の老人が尋ねてきます。

「私は南の国で、易の修行を積んだ孔というものだ。北の国に住む袁了凡という少年にその奥義を伝えよという天からのお告げでわざわざやって来た。」と言います。

驚いた袁学海少年は自宅に連れて行き母親に会わせます。白髪の老人はその晩、学海少年の家に泊めてもらうことになります。夕食後、その老人は学海少年の未来を話し始めます。

「お母さんは、この少年を医者にしようと思っていますね?」
「はい、この子の祖父も医者でした。早く亡くなった父親も医者でした。ですから、この子にも医者を継がせようと思っています。」
「そうですか・・・。しかしお母さん。この子は医者にはなりませんよ。科挙の試験を受けて高級官僚になります。」

そういうと白髪の老人は、学海少年の未来を予言し始めました。
「この子は数年後、郡の科挙の試験を受けて、何人中何番の何点で合格するでしょう。そしてその数年後、県の科挙の試験を受けて何人中何番の何点で合格するでしょう。そしてその数年後、さらにその上の試験を受けますが、残念ながらこの試験には落第するでしょう。しかし、その翌年再び試験を受けて何人中何番の何点で合格します。そして、北京で行われる中央の試験に何人中何番の何点で合格し、見事に若くして長官となられるでしょう。結婚はされますが残念ながら子供には恵まれないでしょう。そして53歳でこの世を去るであろう。」そう予言します。

学海少年は、突拍子もない話に驚きましたが、その後の学海少年の人生は、この白髪の老人が予言したとおりの人生を歩むことになります。老人が予言した歳に科挙の試験を受け、予言どおりの順位と点数で合格します。そして、中央北京の最後の試験も突破し、若くして長官となったのです。その後、四川省のある街の長官として着任します。この街には昔から由緒ある禅寺があり、そこには雲谷禅師という有名な高僧がいると聞いていた学海長官は、その寺を訪ねました。一方、雲谷禅師も、最近若くして有能な長官が赴任したことを聞いていたので、是非お会いしたいと歓迎されます。せっかくなので二人で座禅を組みましょうと向かい合わせではじめたのですが、それが3日3晩続きました。

雲谷禅師は、その学海長官の一切迷いのない座禅にたいそう驚き、
「いったいどこで修行を積まれたのか?どのようにすればそのような迷いのない座禅が組めるのかを教えて欲しい」と言われます。
学海長官は「いえいえ、私は座禅の修行などしたことはありませんが、心当たりがあるとすると、子供の頃、ある白髪の老人が尋ねてきて、私の未来を予言しました。この予言は科挙の試験の合格の点数から順位までピタリと言い当てたのです。結婚をしても子宝には恵まれない、そして53歳のときに寿命が来て亡くなるだろうとも言われました。私の人生は、その白髪の老人の予言通りの人生でした。結婚はしましたが子供はおりません。やがて53歳で亡くなるのでしょう。ですので、何かをしたいとか、あれが欲しいとかの欲は一切ありません。ただ、ひたすら与えられた運命を過ごしてゆくことだけが私の人生だと悟りました。だから禅師が迷いがないように感じられたのでしょう。」

そう学海長官が答えると、今まで穏やかな顔つきで聞いていた雲谷禅師の顔がみるみる険しくなって、「さぞ素晴らしい人物だろうと楽しみにしていたのに、あなたはなんという大馬鹿者なのだ。運命というものは変えられるのです。バカ正直に言われた予言通りの人生を歩む者がどこにおりましょうか?

義理再生の法則 立命の書「陰隲録」を読むの続き

雲谷禅師は、学海長官に話します。
「確かにその孔という白髪の老人の予言は、ことごとく当たったのかもしれない。しかし、そん当たった予言はもうすでに過去のことである。過去のことはいまさらどうすることもできない。だから、あなたは昨日死んだと思いなさい。そして今日から生まれ変わるのです。義理再生の法則というものがあります。義とは実践という意味です。理とは真理という意味です。つまりこれは、長官自身の魂のことなのです。肉体はいつか滅びますが、魂は滅びない。前世から引き継いだ魂を持って現世で生きている。この生きている間に、その魂を磨き、さらに輝かせて次の世代に引き継ぐという大きな役割があります。だから魂を再生してゆくのです。いわば、運命とは織物の縦糸のようなもの。しかし、人生には「因果の法則」という横糸があるのです。この縦糸と横糸が織り成すものが人生なのです。この因果の法則を立命といいます。良いことをすれば良い結果が導かれ、悪いことを考えれば悪い結果が導かれる。すべて原因と結果の関係、つまり因果の法則なのです。良いことを考え、良いことを聞き、良いことを言って、良いことをする。この様なことを心がけて生活をすれば、必ずその運命というものはやがて変わっていくものなのです。」

雲谷禅師にそう説教された学海長官は、納得して寺を後にします。家に帰り、妻にその日のことを話します。
妻も聡明であったとみえて「判りました。私も一緒に良いことを考えるように努めます。」そうして二人で良いことを実践するように生活を改めたのです。
「息子よ。これがお父さんの歩んできた人生なのだよ。良いことを実践した結果、あの白髪の老人からは絶対に生まれないと予言されたお前さんが生まれてきたのだよ。53歳で死ぬと言われていた私は、既に70歳を越えても元気に暮らしている。良いことを考えるようになってからというもの、白髪の老人の予言はことごとくはずれたのだよ。」

現代社会では、科学で証明されないことは、迷信といわれ片付けられてしまいますが、この本を読んだ時にいろいろ考えさせられました。安岡正篤先生がこの本を発見し、研究されて、人生とはこのようにして出来上がっているのではないか?といわれた名著です。

この本の中に興味深いことが書かれてありました。毎日、良いことを考え、良いことを聞き、良いことを言って、良いことをするために、一つでも良いことがあったら、日記に「○」をつけます。もしも悪いことを聞いたり考えたりしたら「×」をつけるのです。そして○が「+1点」、×が「ー1点」として毎日集計を取ります。そして、その日の合計点数が+1以上になるように努力して、良いことを考え、良いことを聞き、良いことを言って、良いことをするのです。これを続けていくことで、自分の人生は変わっていくであろうと。私は、愛用のi-Phoneに瞬間日記という無料アプリをダウンロードして、毎日○×をつける○×日記を付けています。マイナスの日もあればプラスの日もあるのですが、気持ちが前向きになります。

素粒子と元素と分子

高校の化学の授業は、受験のためだけに勉強していたかも知れません。受験の時、私は化学と生物を選択したのですが、生物は化学の知識がないと難しいし、化学は物理の知識がないと解けない問題があります。

たとえば、生物の浸透圧の問題は、PV=nRTという公式ですが、これは物理の気圧の公式です。さらに化学のモル計算もこのPV=nRTからn=PV/RTになり結局、全部勉強しなければならなくなったのを思い出しました。

宇宙は、今から137億年前にビッグバンという大爆発があったことが始まりとされています。そのころ、宇宙は一握りの素粒子の塊で、その素粒子が、大核融合を起こしビックバンが始まったというのが学者の説です。この素粒子がぶつかり合い、原子が誕生します。この原子は、中性子、陽子、中間子という3つに分かれます。そしてそのそれぞれは、いくつかの素粒子で出来上がっているのです。そして、この原子がぶつかり合って元素が生まれました。一番小さな元素が「H」(水素)元素です。原子番号は1番です。その水素の具体的な構造は、現在科学でもまだすべて解明されていないそうです。そしての水素元素の二倍の重量をもった「He」(ヘリウム)が誕生します。そして順次、リチウム、ベリリウム、ホウ素、炭素、窒素、酸素、フッ素、ネオンと続きます。高校のときに覚えた周期律表です。

やがて、これら元素が化学反応を起こし、アミノ酸が出来上がります。このアミノ酸が重合や縮重合を起こし、たんぱく質が誕生します。このアミノ酸の生成が生命の起源とも言われます。先日、電子顕微鏡によって、たんぱく質が二本足で歩いている姿の撮影に成功したと報道があり、その映像も公開されていました。漫画のように二本足で歩きます。しかし、生命自体の発見はまだされていません。新鮮な内臓や新鮮な骨格、新鮮な血液を用意して、優秀な外科医が縫合し、すべてが元の人間と同じ状態に戻したとしても、それはただの死体に過ぎず、決して生き返ることはありません。全く同じ条件なのに、片方は生きていて片方は死んでいる。以前何かの本で読んだのですが、病院で臨終になった患者の体重を正確に測り続けたとき、死んだ直後に4グラム体重が軽くなったそうです。命とは4グラムなのでしょうか?現代では、科学で証明できないことはすべて迷信とか錯覚とかの部類にいれてしまいがちですが、はたしてそうなのでしょうか?

前述の、陰隲録の話も、著名な陽明学者、安岡正篤氏が生涯をかけて研究したテーマと聞きました。まだまだ、科学で解明されていないことが多すぎます。