新・内海新聞 30号

先日、エクセルシオールでホットココアを飲んでいたら、隣の席に70歳代くらいのおばあさんが二人やってきました。
「よし子さんは6時に待ち合わせよね。わかってるのかしら?」 携帯電話を取り出し、 「あんた、このメールって知ってる?いいわよねー。スゴクいい!」 「あらそう?」 「うちの嫁に『お母さん、絶対便利だから始めたら?』って薦められてね。」 「最初はこんな小さなとこでチマチマやってられないって思ってたんだけどね」 「・・で?」 「そしたら、使ってみたらもう便利。 電話だと早いんだけど、私もよし子さんも耳遠いでしょ? 補聴器だと、ガーガーうるさいし・・・これ便利よー」 携帯メールもついに70代のおばあさん同士のコミュニケーションツールに昇格!のようです。

株式会社ダイヤルキューネットワーク 其の1

株式会社ダイヤルキューネットワークとは1989年~1991年に実在した情報通信会社です。この会社との関わりが私の通信事業進出へのきっかけとなったことは間違いありません。今から26年前の1984年、私は故郷の宝塚で中華料理店のコックをしていました。水曜日が定休日で、その休みの日に、阪急塚口という駅の近くにあるショッピングセンターの「つかしん」に遊びに行きました。食器売り場や家具売り場を見て歩きました。そのような場所に行くと時間を忘れて過ごしてしまします。あるコーナーで家具を見ていると、後ろから女性が声をかけてきました。

その人は50歳代前半のように見えました。
「こんにちは。こういう家具とかご興味ありますか?これは私が設計したんですよ。」彼女はそう言いました。
「へぇーそうなんですか?」その女性は八田玲子さんといわれる建築家であり、インテリアコーディネーターでした。1時間以上も話が盛り上がり、とても楽しいひとときでした。

別れるときに名刺をいただきました。その名刺の住所を見て驚きました。「兵庫県宝塚市湯本町」これは、今自分が住んでいるところです。さらに見ていくとその住所は、私のマンションの向かい側の建物でした。なんとお向かいにお住まい兼事務所があったのです。なにか不思議なご縁を感じました。こんどは宝塚でお会いしましょうと約束をして別れました。その後、何度か彼女のオフィスでアイデア会議のような雑談をしたり、知り合いを紹介してもらったりしました。そのご紹介いただいた方の中に、ボイスメールという会社の山田さんという方がいらっしゃいました。ボイスメールというのは、留守番電話のようなシステムで、自宅に装置を設置しなくても、ある電話番号に電話して、4桁の数字をプッシュすると自分宛のメッセージを聞いたり、録音したりできるサービスです。「こんなもの誰が使うのだろう・・・」そう思っていましたら、やはり需要はあまりなく、普及させるためにはどうすればよいのか?と八田玲子さんのところに相談に来られていたのでした。

八田さんは建築家ですが、このようなアイデアの相談にも乗られていて、毎日のように訪問者が絶えませんでした。私も一緒になっていろいろアイデアを出したりしましたが、商売に繋がるようなものは、なかなか見つかりません。

そんなことが続いた、1985年、私は縁あって人材派遣サービスの株式会社テンポラリーセンターに就職することになりました。そして、1988年2月に新規事業の関連会社として、東京千代田区に自分の考えたアイデアの人材会社を設立することになり、単身上京しました。会社を創ったものの、たいした仕事もなく毎日暇な時間を過ごしていました。そんなある日、私の事務所(といっても4畳半くらいの部屋に机が1個、電話が1台の倉庫のようなところ)に電話がかかってきました。それは、宝塚でアイデア会議をしていたボイスメールの山田さんという方からでした。

「やぁ、久しぶりです!どうしてます?元気ですか?今度食事でもしましょうか」
「それもいいけど、今日は大事な話で電話したんですよ。今度、NTTが、電話料金とは別に、その音声で流す情報料金も一緒に請求してくれる、情報料課金サービスというのをスタートさせます。これは公正な抽選で選ばれる利権で、東京03から始まる電話番号区域だけで開放されます。是非申し込んでおいたほうがいいですよ。受付は来週からです。」
私は、一体何を言っているのかさっぱり理解できませんでした。
「情報りょうかきんさーびす・・・???」
「もう、とにかく申し込みだけはして下さいね!!!」

それは電話で音声情報を流すと、それを聞いた人に対してNTTはその内容の費用を電話代と一緒に請求してくれる請求代行サービスらしいというのは解りました。近くのNTTに行けば申込み用紙をいただけるというので、私は翌週、九段にあるNTTに行ってみることにしました。

窓口に到着して「情報料課金サービスの申込用紙を1枚下さい。」と告げました。
窓口の男性は「はぁぁ????!」と怪訝な顔つき。
「いえ、情報料課金サービスです。」
「そんなサービスはありませんが・・・。」
「いえ、あるはずです。今日から申込が受付のはずです。よく調べてください。」
「無いですねぇ・・」私もだんだん自信がなくなってきました。

山田さんにからかわれたのか・・いや、あの真面目な山田さんがそんなことをするはずがない・・・。「もっと調べてください。」そうしたら、裏から別の職員の男性が「これじゃないの?」そう言って分厚い茶色の封筒を持ってきました。封も開いていません。

株式会社ダイヤルキューネットワーク 其の2

その封筒を3人で開けてみました。その中には「情報料課金サービス申込書」と書いた黄色い申込用紙の束が入っていました。「これですよ。ほぅら!」「ほんとだ・・。」「これ1枚下さい。」「いや、1枚じゃなくてこれ全部持って行きなよ。」もう、まるで仕事が増えるのはまっぴら、という感じです。「有難うございます!」そういって、その束を抱えて事務所に帰りました。

早速、大学生のアルバイトたちを集めてアイデア会議のスタートです。お金を出してでも聞きたいと思うものにはどんなものがあるのだろうか?」大学の休講情報、スキーの積雪情報、アルバイト情報、プロレスの勝敗結果、野球の試合結果・・・そんなのが20個位出たところでアイデアは尽きました。学生たちも飽きてしまって、ひとまず解散。明日また集まろうということになりました。その晩、私は事務所に一人残り、その黄色い申込用紙の束を眺めていました。「何かいいアイデアはないものか?」しかし、その時気づいたのです。「確か電話には通信法という法律があって、電話会社はその電話の通話の中身を聞いてはいけないし、口外してもならない。一切、会話の中身には介在できない法律があったはず・・・だったらなぜ、この申し込みにサービスの概要を詳しく書かなければならないのか?きっとNTTはこんなところは見ていない。どこの誰が何回線申し込んでいるのかという部分だけに興味があるはず。もう、アイデアなんて考えなくていい。実現不可能な嘘っぱちでもいいから、とにかく申込みをすること自体が重要なんだ!!!」私は作戦を切り替えました。

明日から、学生を総動員して、東京中のNTTの支店にいって、申込用紙をかき集め、他の人が申し込めないようにしてしまおう!計画通り十数名の大学生のアルバイトを使って、NTTの支店から申し込み用紙を集め始めました。申し込みのアイデアは適当です。占いシリーズだったら、時計占い、野菜占い、占星術、四柱推命、犬占い、猫占い、きりん占い・・・・・内容なんてありません。兎に角、数を申し込むこと。私の机の上には、申込用紙が山のように積まれていきました。アイデアを書くよりも、申込用紙が集まるスピードのほうが速いのです。もう戦争状態です。そんな時、大阪にいたときから付き合いのあった、関西では有名人の学生企業家の真田哲弥さんがふらっと私を訪ねてきました。彼は大阪で学生ベンチャーの株式会社リョーマというマーケティング会社を創業していましたが、それを後進に譲り、別のアイデアを探しに単身東京に来ていたのです。彼はまだ22歳でした。私は彼に言いました。「真田さん、これからは電話ですよ。電話のビジネスが面白いことになるよ。」彼に今やっているプロジェクトを説明し、同じように申込用紙を独占すれば、大きな利権を獲得できると話しました。

株式会社ダイヤルキューネットワーク 其の3

真田さんも友人の大学生を総動員して東京中の申込用紙を集め始めました。そして、まもなく締め切り。もう何枚の応募をしたことでしょう。おそらく数百枚の申し込みをしたと思いますが、開放されるのはたった180回線だけ。この抽選会は、とある公会堂で行われました。林尚司君という神奈川大学の大学生にその様子を見に行かせました。私は事務所に残り、その結果を待ちました。

しばらくして、林君から電話が入りました。「す・す・スゴイです!今、11番目ですが、これがうちの番号です。1番からずっとです。すべて当選です。」電話の声は興奮していました。結局、ほとんどの電話回線の権利を、私と真田さんが獲得してしまったのです。

さて、当選の連絡はがきが何枚も送られてきて、私の机の上に高く積まれました。しかし、権利をとってしまったら、もう興味は半減。この権利をどうしたものか?そのころからあちこちから噂を聞きつけて、私を訪ねてくる方々が多くありました。この回線の権利を譲ってほしいというものでした。興味も無いので、何回線かを譲りましたが、残りをどうするか・・・。そうだ、残りはすべて、真田さんに譲ろう。彼ならしっかり事業として創り上げてくれるに違いない。

真田さんが残してきた大阪の会社、株式会社リョーマは、パートナーだった神戸大学の学生で西山裕之さんが大きく育て、すでに年商5億円を超えていました。真田さんは、その西山さんを東京に呼び寄せ、新会社をスタートさせました。社長には、当時東京大学法学部の女子大生だった玉置真理さんが就任しました。事務所は代々木駅前からスタートし、まもなく東五反田のマンションの一室に引越しました。会社名が株式会社ダイヤルキューネットワークです。私の会社も、その部屋の隣に引越し、隣同士変な会社が24時間体制で不夜城のようにスタートしました。

真田さんが、また何か面白いことを始めた・・・その噂は瞬く間に広がっていきました。そして多くの優秀な若者たちが集まり始めました。やがて、10年後ここに集まった20代の若者たちが中心となり、世界に冠たるITモバイル産業が誕生することになります。・・・が、当時の我々にはまだそんな自分たちの未来を知る由も無く、不眠不休で、システムやサービスの開発に取り組み始めたところでした。(来月に続く)