新・内海新聞 26号

この内海新聞を書き始めて何年になるだろうか?最初は社内の人たちへのメッセージ(社内報)としてスタートしました。営業の人たちがお客様にお見せしたところ、「こちらにも送ってほしい。」という声が多くなり、拡大版として再スタートしています。一時は、ご自宅や会社に郵送させていただき、発送数は、毎月3500通に達しました。

その後、個人情報保護法の関係で直接営業担当がお客様にお届けするというスタイルで継続させていただいております。以前、この内海新聞をご覧になったサンマーク出版の編集者からの依頼で単行本として出版もされました。「出会う人みな仕事の先生」です。すでに絶版となっておりますが、Amazonでは、いまだにプレミアがつく価格で販売されているのは、とても有難く思っております。

感動は経験の二乗に反比例する

難しい公式ですが、マーケティング戦略に使われています。簡単にいうと、人は感動を求めて生きています。たとえば、生まれて初めて東京ディズニーランドに遊びに行った時の事を想像してみましょう。入場ゲートの左側前方にある「カリブの海賊」。私は昔初めて入った時感動しました。ただ舟にのって流されていくだけですが、リアルに作られていて、本当に海賊の横を通過しているようです。海賊船同士が大砲で射ち合い、水しぶきが上がる様には、思わず首をすくめるほどです。とても驚いたのを覚えています。

何年かして、再び「カリブの海賊」の舟に乗る機会がありました。やはり、わくわくして感動したのですが、以前ほどの驚きはありません。もちろん、ストーリーが判っているから、次はこうなるだろうと予測しているからかも知れません。おそらく、三回目に乗ったときには、もう驚きよりも落ち着き払ってゆったりと見ていられるのだと思います。感動しなくなった・・・というのか慣れたというのか、カリブの海賊に行くたびに、その興奮は冷めてきます。

これを、「感動は経験の二乗に反比例する」といいます。マーケティングという言葉の翻訳で、日本語にもっともふさわしい言葉はない・・・とよく言われれます。ただ、自己流に訳すと「マーケティングとは、人の行動を分析し、次の行動を予測する」とでも言いましょうか、行動予測の学問がマーケティングともいえます。そのマーケティングで、お客様に感動を与えるために刺激策をとった場合、すぐにその刺激に慣れてしまい、次なるより強力な刺激を用意しないと感動してもらえません。このように、刺激の経験を積めば積むほどそれに慣れてしまい、感動しなくなります。感動を求める戦略ばかりとっていると、それはどんどんエスカレートしてコストのかかる、成果の少ない戦略になる可能性があります。感動追求ではなく、人の習性に即した方法とはないものでしょうか?

その習性を利用した法則があります。
「好みの管理」というものです。

好みの管理とは、一言で言うと「人は好きなことを繰り返す」です。たとえば、腕時計を1個持っていて、いつも装着しているのは同じ時計のAさん。おそらくAさんは、その時計を壊れるまで使い続けると思います。たとえ、友人から別の時計を貰っても、いつもの同じ時計を使います。そして、自分の腕時計を3個以上持っているBさんは、その時計を使い分けて装着するでしょうし、次に買うなら、どの時計という具合に決めている人だと思います。この違いはどこから来るのでしょうか?

それは、Aさんと違ってBさんは、腕時計が好きなんです。Bさんはこれからも腕時計を購入し続けるでしょうし、貰い続けることでしょう。「人は好きなことを繰り返す」この「好みの管理」で人の行動を分析をすると面白いかもしれません。ある百貨店で、顧客データベースを作っていました。そのリストを使って大量のダイレクトメールを送付する計画が持ち上がりました。しかし、その効果は見えません。その会社に大きなコンピュータは導入されていましたが、その利用はローン利用者の債権管理のためだけに使われていました。ローンがあと何ヶ月残っているのか?入金確認や遅延情報などです。マーケティングには使われていないのです。しかし、この債権管理のコンピューターには、どこの誰が、いつ何を購入したのか、という記録が残っていました。

この購入履歴で、たとえば時計を過去3個以上購入した人とか、3万円以上の靴をこの数年で何足も購入した人とかを抽出し、セグメントした商品の特集DMをつくり、繰り返し購入する人に向けて絞り込んだダイレクトメールを送付しました。

「人は好きなことを繰り返す」

予想通り、大きな反応を得ることができました。この繰り返しを見つけ、その前後にある行動を分析することは重要であると再認識できます。このダイレクトメールの話は、私のマーケティングの師匠の体験談ですが、この体験からこの「好みの管理」という考え方が作られました。

美味しい料理は心を癒してくれる

最近、立ち寄った美味しいお店をご紹介します。
1軒目は、スペイン料理の「RICO(リコ)」

神戸の六甲アイランドの中のリバーモールイーストの中にある小さなお店です。野口真一郎シェフが一人で切り盛りしています。スペイン料理とイタリア料理の区別がつかない私にも、これは美味しいと唸らせる料理とワインを出してくれます。先日は、大阪内海塾の塾生の方々とお邪魔したのですが、食べ始めると、賑やかな話し声が止み黙々と食べてしまいました。もしも、お近くにいらっしゃる方にはお勧めです。

神戸市東灘区向洋町中1-1-18 リバーモールイースト1F
078-939-6278 「RICO」

 

もう一件は、初めてお邪魔したお店です。中国料理の「同源」という店です。
オーナーシェフの銭明健さんはイタリアン・フレンチの修行をし、中華料理の世界に入った人。1990年代、関西初の本格ヌーベルシノワの店として有名だったTAO「須磨リゾート」「磯上通り本店」「北野店」で8年間にわたり料理長部長を務め、中国料理界に影響を与え、東京「ゴールド香港グループ」に総料理長として招かれ、その後「同源」のオーナーシェフに。18席だけの小さなお店ですが、医食同源からきた屋号のとおり、漢方もアレンジした落ち着いた味付けになっています。

特に、「くらげ」と「えびのチリソース」は絶品でした。普通、中華料理のくらげは太目の千切りにして、きゅうりと酢で合えるのですが、ここのは大きな花が開いたような塊で出てきます。きゅうりとミニトマトをあしらって上品ですが、そのコリコリした歯ごたえは絶品です。これで900円。えびのチリソースは、私も得意料理の一つですが、えびが大きく、長ネギと松の実の使い方が絶品。1300円。締めは、特製味噌で絡めた「マーラータンメン」。少し辛いですが細麺に絡まってこれも絶品。

神戸市灘区岩屋北町4-4-8 丸山ハイツ1 F
078-871-7761 「同源」

 

最後の一軒は、小田原です。くるくる寿司「禅」です。
ここのオーナーの西尾明さんは、もともと武道家。空手で世界を武者修行で回っていたとき、食べるためにカナダの寿司店にアルバイトをしたことがきっかけ。そこで料理に目覚め、空手でみんなを幸せにしたいという思いが、料理で人を幸せにすることに変わり、海外で修行して寿司職人になった変り種。お店に入ってみれば回転寿司ですが、雰囲気がまるで違う。イベリコ豚の大きな足がおいてあったり、世界のビールが100種類以上。ワインも日本酒も焼酎もその数は半端ではない。寿司は地元小田原の地魚を中心に黒板にメニューがぎっしり、またフレンチのお店か?!と思わせるようなフォアグラやエスカルゴなど洋食メニューもずらり。「寿司ビストロ」と呼んでください!と西尾オーナー。店内は常時お祭り状態です。

小田原市東町2-1-29
0465-32-7001 あじわい回転寿司 「禅」

 

ありがとう

「ありがとう」という言葉は素晴らしいです。普段、何気なく使っているこの「ありがとう」ですが、その由来を調べてみると非常に興味深いものがあります。

「ありがとう」は「有り難し」から派生しています。

「有ることが難しい」「非常に稀である」という意味です。有り得ないこと・・・とも読みとれます。今、まさに有り得ない事が繰り広げられている・・・つまり、今まさに目の前で奇跡が起こっているという意味に通じます。相手への感謝の言葉ですが、その感謝は「こんなことは有り得ないくらい感動的で、奇跡に値する驚きと感謝の念と同様の気持ちでおります。」という深い意味にもつながります。一方で、渡来したポルトガルの宣教師が「オブリガード」と言っていたことに由来するという説もありますが、これ以前にも「有難う」は使われていたという記録があるので、日本固有の言葉なのだと思います。

また、その説の正反対のことをポルトガルでは学校で伝えられているそうです。ポルトガル語の “obrigado” オブリガードは日本語の「ありがとう」から来た言葉ですと教えているとも聞きました。

昔、日本に渡ってきたポルトガル人が日本人と接触。当時の日本人の礼儀正しさと感謝ぶりに大いに関心し、「有難う」の語源をポルトガルに伝え、”obrigado” オブリガードになったという説です。その真相は、定かではありませんが、もしもそうだとしたら、とても誇らしいことでもあります。

私は、関西出身ですので、「有難う」とは言わずに「おおきに」と言うことが多いのです。これも「おおきに有難う。」⇒「おおいに有難う。」から来ていて、下の有難うが省略されたものです。そういえば、東京丸の内にあるお好み焼きの「きじ」さんは、大変おいしいのと、並ばないと入れないことで有名なお店ですが、ここのお好み焼きを焼いている職人さんは、全員大阪から連れてきた方々です。ですから、店内は「おおきにー」「おおきにー」「おおきにー」と大きな声が飛び交います。

そうか、このお店でこういう風に美味しいお好み焼きを食べられるのも、ここに来られている方々と出会うのも、いつものようにお店の方々と冗談言い合えるのも、ひょっとすると本当は、有り得ない(関西弁では「ありえへん」)ことなのかも知れません。まさに、このお好み焼き屋さんの中に奇跡が繰り広げられているのです。そう考えると、目の前のお好み焼きも愛おしく感謝の気持ちでいただけます。日本人の心と日本語の心は、奥深く素晴らしいものだと再認識してしまいます。