新・内海新聞 25号

ご存知、金子哲雄さん。いやぁー、有名になったものです。大体、モノを見る視点が違います。初めてお会いしたのは、彼がJOMOを退職して、独立したての頃でした。 全くの初対面。 お互い一緒にいた友人同士が友人だったという偶然からすれ違いざまに出会いました。

その時、ビビビっと来てそれ以来、いろいろと公私共にお世話になっています。そうそう、その金子さんが最近またまた本を出しました。「超三流主義」という本です。扶桑社から出ています。清く・貧しくゴージャスに! 年収200万円で600万円の暮らしを! が、キャッチコピー。 目からウロコの連続です。

流星哲学ふたたび

以前にも書きましたが、今回は詳しくご紹介します。流星哲学・・・聞きなれない名前です。私が命名しました。昭和63年2月に単身で上京し、会社を創業した頃の話です。会社は創ったけれど、何をするかは何も決まっていませんでした。とりあえずゆっくり考えて決めればいい・・・そんな呑気な創業でした。日に日に、500万円の資本金も無くなっていき、だんだん焦りが出始めた頃、大阪の知り合いのOさんから一本の電話が入りました。

「元気ですか?来週の月曜日に東京に行くので紹介したい人がいる。私の会社の上司です。時間を空けてください。」

仕事も無く、暇をもて余していたので「24時間、いつでもOKです。」と応えてしまいました。

当日、企業セミナーがあり、その講師として来られていたOさんの上司の方とお会いすることができました。西新宿のワシントンホテルの非常階段の踊り場でした。セミナー会場は人でごった返していたので、仕方なく踊り場に折りたたみの椅子を持ってきての自己紹介でした。お会いしたのは、船井総合研究所の常務取締役の泉田豊彦さんでした。自己紹介しなさい・・・と言うことで話し始めると、途中でいろいろ割り込んで質問してこられます。
①なぜそう思ったのか?
②どこでそれを確信したのか?
③その裏づけになる数字を持っているのか?
④今後どうなると思っているのか?
⑤その内容を一言でいえるのか?・・・
いままでされたことの無い質問の嵐に大変戸惑ってしまいました。結局、殆ど言いたいことも話せず、時間切れで解散となりました。

「何やってんだろう・・・・。」

セミナー会場の後ろの隅から講演を聞かせてもらいました。数百名の参加者です。おそらく、どこかの会社の社長や重役ばかりなんだろうな・・・そう思いつつ、セミナーパンフレットを見てみると、とても参加できるような費用ではありません。いつかこんなセミナーに参加できるようになりたい・・と思いました。数日後、私の小さな事務所に電話がありました。船井総合研究所の秘書室からでした。

「来月、泉田が上京しますので、その際お会いしたい。スケジュールの調整をしていただきたい。」という内容でした。「何の用だろう。」後日、再び電話がありました。今度は泉田さんご本人からでした。「芝パークホテルに泊まっているので、朝7時に一階のフロントから部屋に電話してくれる?モーニングコールしてください。一緒に朝食をとりましょう。ごちそうします。」お金が無くて、食事も抜いたりしていた私にはありがたい話でした。一緒に朝がゆセットを食べながらいろいろな話を聞かせてもらいました。

「さて、次回は再来週に来るので、また今日と同じように電話をお願いできますか?」それから、泉田さんが上京される時には必ず一緒にホテルで朝食をとるようになりました。その時にお話される内容が面白く、また大変勉強になる内容だったのです。やがて、それはマーケティング理論のマンツーマンの講義になってゆきました。コップに敷くコースターがホワイトボード代わりです。何枚も何枚もコースターが積み上がっていきました。「君には何か夢があるの?」「はい、あります!」「だったらその夢が必ず実現する方法を教えてあげよう。」 そんなうまい話があるのだろうか・・・

「それはね、夜、窓を開けて空を見上げるのです。そこには満天の星空。その時、一筋の流れ星が流れました。・・・その瞬間に君の願いを一気に言い切りなさい。それができたなら、君の願いはきっと叶うであろう。」
「・・・・・・・・それは御伽噺では・・・・・?」
「今君は、そんなバカな・・・っと思ったでしょう。では、質問しよう。流れ星がいつ流れるか言ってみなさい。どこで流れるか言ってみなさい。・・・言えないだろう! いつどこで流れるか判らない。しかも1秒しか流れない・・・そんないつやってくるか判らない瞬間に、自分の思いを言い切るには、24時間365日考え続けていないとできない芸当なんだよ。そこまで君は考えていますか?」

ショックでした。それまでは「いつかできればいいな。」そんな感じでした。それ以来私は、この話に「流星哲学」という名前を付けて自分自身を戒めるようになりました。

現代の帝王学

今から30年程前の話です。私は事情があって大学を中退し実家の商売を手伝っていました。ある時、大学時代の医学部の4年先輩の山本さんから電話がありました。「今からそっちに行く」と一言。神奈川県相模原市からは相当距離がありましたが、彼はやってきました。その用件は、私に一冊の本を届けるためでした。私が大学を中退して腐っているだろうと心配してやって来たのです。彼が私に渡した本が「現代の帝王学」という本の初版本でした。伊藤肇さんという方が書かれた本です。この本は、組織のトップに立つための心構えがかかれてあり、その内容は「人との出会いの大切さ」が書かれてあります。

その内容の難しさに最初は全く意味がわかりませんでした。それでも何とか少しずつ読み進み3年かけて読み終えました。この本は、その後私のバイブルとなりました。もう30年間読み続けています。すでに7冊目です。ボロボロになって、何度も買い換えた結果7冊も買うことになりました。この本に書かれていることは、「人との出会いの極意」そして3つのことしか書かれていません。目次に従うと、

第一章が「原理原則を教えてもらう師を持つこと」
第二章が「直言してくれる側近を持つこと」
第三章が「よき幕賓(ばくひん)を持つこと」

この3つのことが順番に出てきます。幕賓とは、組織に属さず、でも付かず離れず傍にいて、いざという時に重要なアドバイスをしてくれる人です。イメージ的には、水戸黄門のような時代劇に登場する賭場の奥の隅に、徳利酒を飲んでいる用心棒の浪人侍といったところでしょうか?

出会いとは邂逅(かいこう)であると言っています。何か運命に基づいた出会いというのでしょうか?絶えず自分自身に「問い」を持ち続ける事。この「問い」の中に必要な邂逅が訪れる。「問い」があって初めて邂逅となり、「問い」の無い出会いは、単なる「社交」である・・・と書かれていました。自分にとっての「原理原則を教えてくれる師」とは誰なのだろう。「直言してくれる側近」を持つためにはどうすれば良いのだろう。自分にとっての「よき幕賓」とはどういう人物なのだろう。

この本の影響から絶えず考えるようになりました。それから、「人の出会い」ということが自分自身のテーマとなり、今の仕事に繋がっています。この中の「人生の原理原則を教えてもらう師をもつこと。」のところでこんなエピソードが書かれていました。日本信販の創業者で山田光成さんのご子息の結婚披露宴の時の話です。山田さんの原理原則を教えてくれる師というのが、臨済宗妙心寺の梶原管長です。その梶原管長が主賓として結婚披露宴にご出席されたときの話です。

窮すれば・・・

日本信販創業者の山田光成さんのご子息の結婚披露宴に出席された臨済宗妙心寺の梶原管長が主賓として祝辞のご挨拶に立たれました。その内容を聞いて、参列者は驚きました。参列者は政財界からの招待客ばかりです。穏やかな口調で、梶原管長が話し始めました。

「本日は大変おめでとうございます。今日のよき日にこのように祝辞を述べさせていただくのは大変光栄なことであります。新郎新婦に置かれましては今まさに幸せの絶頂。これからの幸せな人生を夢見ておられることと思います。

仏教の世界に、寸善尺魔という言葉がございます。簡単に申しますと、一寸先は闇ということでございます。今幸せの絶頂である新郎新婦ですが、明日にはどうなるかわかりません。二人の行く手に大きな災難が訪れるやもしれません。『窮すれば通ず』という言葉があります。ピンチが訪れた場合、それは考えようによってはチャンスとなり、道は通じるもの・・・といわれますが、これはとんでもない間違いです。窮したものが必ず通じるのであればこんな楽な話はございません。この言葉は、正しくは「窮すれば変ず、変ずれば通ず」ということです。窮した時、にっちもさっちもいかない状態になり、もうだめだ・・・と思ったとき、自分自身や周囲に何か変化が起こるものです。その変化に気付き、捕らえられたものだけが通じるのでございます。」会場は、静まり返りました。この梶原管長は未来が予知できるのかと思わせる事件がその翌日の1974年3月3日に発生したのです。

ヨーロッパツアーの飛行機がパリ上空で行方不明になりました。この事故で乗員12名、乗客334名の合わせて346名全員が犠牲になりました。また犠牲者のなかには48名の日本人が含まれていました。このツアーの代理店を日本信販の子会社が受け持っていました。海外の飛行機会社であったために情報が全く入らず、焦った乗客の家族は日本信販に押し寄せました。考えてみれば日本信販も被害者なのですが、旅行を企画したということでマスコミも一緒に非難し始めました。その旅行代理店の社長が山田光成さんでした。山田さんは、被害者でもあるはずなのに、意を決して記者会見を行い、その全面に立たれ、全力でその事故対策にあたられました。

普通なら、追い詰められた状態で大変な心労であると思うのですが、山田さんの心には変化がありました。この乗客の皆様方は、ひょっとして前世で大変お世話になった方々かも知れない。もしもそうであれば、今こそ自分はその方々に対して恩返しをしなくてはならない・・・そう感じられ誠心誠意対応に当たられたそうです。そのことが後日、日本信販への大きな評価となったのはいうまでもありません。まさに原理原則の師、梶原管長の教え通りでした。