新・内海新聞 24号

最近、蛍の養殖を手がけている方と出会いました。趣味で始めたのがだんだん本気になって、蛍養殖ではとても有名人です。蛍は幼虫時代と成虫時代は全く違う生き物といっても過言ではありません。お尻が光る成虫は、なんとなく優しい温厚な昆虫のようですが、幼虫はなんともグロテスクな凶暴な肉食昆虫です。

成虫は交尾し、1週間ほどで死んでしまいます。土の中に産まれた卵が秋に孵化し、土から這い出して水を求めて歩きます。既にその頃から尾が光っているそうです。7回ほど脱皮を繰り返し成虫になりますが、成虫は水しか飲まず何も食べません。幼虫の時に、カワニナという巻貝だけを食べつくし、体力をつけて成虫になるそうです。このカワニナもある種類のものしか食べない超偏食のようです。

パンとサーカス

「パンとサーカス」とは、聞き慣れない言葉ですが、古代ローマで人心掌握に使われた手法。古代ローマでは、食糧と娯楽は無償で配られました。生活の糧とレジャーで大盤振る舞いをすることで、国民を政治的無関心にしたと言います。パンとサーカスが与えられると、国民は骨抜きにできるととローマ時代の皇帝は考えたのです。

「パンとサーカス(ラテン語: panem et circenses)」は、詩人ユウェナリスが古代ローマ社会の世相を揶揄して詩篇中で使用した表現と言われています。権力者から無償で与えられる「パン(=食糧)」と「サーカス(=娯楽)」によって、ローマ市民が政治的盲目に置かれていることを指摘しています。ここではパンと見世物と表現しています。地中海世界を支配したローマ帝国は、広大な属州を従えていました。それらの属州から搾取した莫大な富はローマに集積し、ローマ市民は労働から解放されていったのです。そして、権力者は市民を政治的無関心の状態にとどめておけば、政権は安定すると考えました。

「パンとサーカス」を市民に無償で提供し始めたのです。 食糧に関しては、穀物の無償配給が行われていたうえ、さらに大地主や政治家たちは、大衆の支持を獲得するためにしばしば食糧の配布を行っていました。皇帝の中にも、処刑した富裕市民の没収財産を広く分配したネロ帝や、文字通り金貨をばら撒いたカリグラ帝の例があります。 食糧に困らなくなったローマ市民は、次に娯楽を求めたのです。

これに対して、権力者はキルクス(競馬場)、アンフィテアトルム(円形闘技場)、スタディウム(競技場)などを用意し、毎日のように競技や剣闘士試合といった見世物を開催することで市民に娯楽を提供し続けました。こうした娯楽の提供は、当時の民衆からは支配者たるものの当然の責務と考えられており、これをエヴェルジェティズムと呼びます。このような社会的堕落は、ローマ帝国の没落の一因となったとも言われています。

また、「パンとサーカス」に没頭して働くことを放棄した市民(これらの多くは土地を所有しない無産階級で proletariプロレタリーと呼ばれた、プロレタリアートの語源)と、富を求めて働く者と貧富の差が拡大したことも、ローマ社会に歪みをもたらすことになったと伝えられています。(出典:一部Wikipediaより引用)。

確かに、歴史を見ても、それに近いことが繰り返されてきたようにも思います。属州支配は、貢租という形でローマに多くの富をもたらすことになったが、その果実は,属州総督(官職貴族)や属州支配のための請負業務を担当した騎士層の手に集中することになった。他方、属州からもたらされる貢租としての穀物は、大都市近在の農民から重要な市場を奪った。

また、イタリア以外での戦争が長期化・大規模化する中で、軍隊の中核を構成していた農民層は疲弊し,その被害は甚大であった。にもかかわらず、元老院貴族や騎士層などの富裕な市民は、没落した中小農民の農地を購入したり、前述の公有地を占有したりすることによって所有地を拡大すると共に、ローマやイタリアに流入してくる戦争捕虜としての奴隷を入手することによって、一部で大土地所有に基づいた奴隷制大農場経営を形成していった。このように、一方で官職貴族や騎士層が富を集中させていき,他方で、農民が貧困化し、農地を手放してローマ市に流入することによって、ローマ市民の分解がさらに進行することとなったのである。この両極分解の象徴的な現象が、「パンとサーカス」に集約されているとも言える。
(引用:世界大百科事典、 株式会社日立システムアンドサービス文献より)
日本の中にこのような「パンとサーカス」が一般化されなければ良いのですが・・・。

クレームの定義と深イイ話

先日、勉強会で「クレームの定義」という話をしました。「約束と結果の差分の要求」というのがクレームの定義です。これだけ実行することを約束します!と契約したにも関わらず、結果がそれに満たなかったことに関して、その差額を要求しているのだ・・・というものです。何も作業全体にクレームが出ているのではなく、その足りない差分を補ってくれという声だと思っています。

では、クレーム処理は、その足りない部分を直ちに補わなければならないのですが、もしも、補えたところで相手の憤りはなかなか収まりません。そんな時、不足分以上の何かをプラスアルファしてお返しして初めて相手の方は納得されるという場合があります。クレームというのは、予定外のアクシデントですのでその問題点について、お客様もこちらもずっと考え続けます。この「考え続ける」という行動こそ大切であり、ビジネスチャンスだと思っています。

本日、営業で訪問したことを、そのお客様は明日どれくらいの時間思い出してくれるだろうか?おそらく、数秒も思い出さないだろうと思います。他に考えることも多い訳ですから、いつまでも考え続けてくれる筈もありません。しかし、マーケティングでは「お客様に考え続けてもらう」ということをしてもらうために、広告代理店という会社に多額のお金を払って様々な活動をしている訳で、考え続けてもらうというのは、とても困難なことなのだということが理解できます。

しかし、クレーム発生時には、黙っていてもお客様は、ずっとその対応や当社のことを考え続けていただいている訳ですので、その対応次第で、数億円という広告効果があるといえます。さて、この話をしていると、友人のSさんが、こんな話をしてくれました。

「実は、先日家内と一緒に用賀のKマートに買い物に言ったんですよ。晩ご飯の買い物をして、自宅に帰ってから、レシートをチェックしていたら、1個80円のレタスが2個と打ち込まれていました。買ったものを調べてもレタスは1個だけです。翌週の週末、再びKマートに行ってこのことを話したんです。うちは夫婦二人なのでレタス2個も買うはずがないし、実際1個しか袋には入ってなかった・・・と伝え、レシートを渡したんです。店員さんは、少しお待ち下さい・・・といって急いでバックヤードに入って相談に行きました。そしてすぐに戻ってきて、失礼いたしました。これは返金させて戴きます。とお金を渡されたのですが、それが125円返されたのです。前回は80円でしたから多いですよ、とお伝えしたら『いいえ、本日のレタスの値段は125円ですのでこのお値段で返金させて戴きます』・・と言われました。

それから、家内が感動してしまって、もうこれから毎日Kマートに買い物に行くって言っています。これも約束と結果の差分の要求プラスアルファ・・・ですよね。」そんな、体験談をされていました。確かに、そうなんですよね。

客道(きゃくどう)

「客道(きゃくどう)」とは?
若い頃、飲食業に携わっていた頃からいつも考えていたことがあります。よく「お客様は神様です。」と三波春夫さんではないですが、お店側のお客様に対する姿勢を喩えていう場合があります。でも、その頃の私には、とてもそんな風に考える余裕はありませんでした。毎日のように、色々な要求をしてくるお客様との戦いの中で「お客は敵」みたいなことを考えていたものでした。いかに、お客様の無理難題に負けないようにするかの連続です。その後、飲食業を辞め、今度はお店に食べに行く立場になった時、全く違う風景がそこにはありました。「なんだ!この店は?!」みたいに目線の位置が全く変わってしまったのです。その時、初めてお客様の気持ちというものも判るようになりました。両方の気持ちが判った時にこんなことを考えたのです。

立場が変われば、それぞれどちらにも言い分があり、きりが無い。結局のところ、お互い喜んで気持ちよく食事ができればよいことなので、そこだけを考えれば、自分は一体何ができるのだろう・・・?そんな中で出てきたのが「客道」という考え方です。「客として、いかにお店の方々に気に入っていただける客になるにはどうしたらよいのか?」そういうことを常に考えることです。通常、会社で営業活動をする場合、黙っていてもこの「客道」は行われています。「いかにお客様である取引先に気に入られるか?」絶えず考えていると思います。ところが、一旦お店に行くと妙に威張って無礼な態度の人もいます。「お金を払っているのだから・・・」という理屈でしょうが、もう少しうまく対応すれば、お店の方々に気に入られ、色々な情報が寄せられます。

お店をしていたとき、そのようなお客様が何人かいらっしゃいました。忙しくカリカリしている時に、そんなお客様のお一人のAさんがいらっしゃると、何かホッとして疲れも吹き飛ぶ気持ちになります。お店に気に入られる客というのは、別にお店の従業員にお世辞を言ったりチップをあげたりするのではありません。お店の方々と同じ目線で、日頃からいろいろ話を聞いてあげることです。また様々な相談ごとにも乗ってあげたり、情報交換を行ったりして親睦を図ること・・・といっても良いかもしれません。