新・内海新聞 20号

新型インフルエンザが猛威を振るっていますが、インフルエンザの原因はインフルエンザウィルス。このウィルスって何?昔、大学で病原微生物学や免疫学、組織解剖学などを勉強していたので、この分野はとても興味があります。大きく分けてバクテリアとウィルスで考えると、バクテリアは細菌。菌という字は草カンムリから推察できるように植物に近い生物といえます。細菌は、自立型生命体で自ら繁殖増殖する能力があるので、どこでも付着して生き続けます。

一方、ウィルスはDNAを持った蛋白質で、単独では生きていけません。何か生きた細胞や水分に付着してエネルギーの供給を受けて生きることができます。ウィルスは、自分のDNAを変化させて生き延びる対応力があります。だから、厄介な存在でもあります。

南部靖之氏

前回の転職博覧会の開催は、所属する会社には内緒で開催してしまいました。私が所属していた会社は、オーナーの南部靖之氏が大学生の時に始めた私塾が母体となってできた、最大手の人材派遣会社でした。思い立ったらすぐに行動したいタイプなので、手続きが面倒くさかったのです。

いよいよ開催当日、私の不審な行動は会社に知れることとなり、人事部から電話がかかってきました。
「南部代表は大変怒っている。本日予定していた海外出張を取りやめ、急遽大阪に移動するので待機するように・・・」という内容でした。しかし、もう開催準備は整っていたので強行しました。ほとんど広告もしていなかったのですが、そこそこの見学者が来られまずまずの成果がありました。南部代表が大阪に到着した時には、開催が終了し撤去するころでした。

本社の役員会議室で、「勝手に好きなことしてええと思ってんのかー!!」開口一番怒鳴られました。
「お前も、一応うちの社員や。ルールがあるやろ。それなりの処分があるから覚悟しとけ!」

私が、驚いたのはその後です。
「ところでこの企画は面白いな。どこで思いついた?結果はどうやった?」と、今まで怒っていたのに表情が変わり、企画の成果についての質問がどんどん出てきました。
秘書に電話して、「今すぐ社内の取締役と部長を集めてくれ。」と指示し、「お前はここにいろ。」と端に座らされ臨時役員会が始まりました。

それは、私が強行した「転職博覧会」をグループ会社全体で企画開催するにはどうするか?という内容でした。そして、たちまち、6ヵ月後の3月に大阪と東京で「ワーキングEXPO」という名前で開催することが決定したのです。ルールを破った私に対して叱責しましたが、企画に対してはしっかり評価してくれたのです。

「さて、お前この企画でいくら使った?」と質問されました。
「約300万円くらいのお金を使いました。」と答えると、
「自分でそんな大きな金は払えるか?」と聞き返されました。
「いえ、お金は50万円しか持ってません・・・そこまで考えていませんでした。」
「お前はアホやろ!これから、どうすんねん!」

実際、始めることしか頭に無く、業者への発注も後払いでしたので、気楽にどんどん注文を出していました。結局、私は自己資金50万円、資本金500万円で新会社を設立することになりました。450万円は会社が出資してくれました。私が34歳の頃です。

「この資本金が手切れ金や。使い切ったら終わりやで。」
厳しい言葉でしたが、その目は優しく笑っていたのを今でも覚えています。そうして、昭和63年2月27日に登記は完了し、東京都千代田区に机ひとつの小さな会社が誕生しました。

関西の田舎町から、東京に身ひとつで上京してきました。さて、会社は設立しましたが商品がありません。何をどうしたらよいのかさっぱりわからず、時間だけがいたずらに過ぎていきました。ただ、何か新しいことが始まるという期待感で胸が一杯で、毎日が楽しくて仕方ありませんでした。しかし、だんだんお金もなくなっていき、そろそろ何かを始めないといけないという焦りが出始めました。当時、地下鉄有楽町線の市ヶ谷駅を歩くと何人かのホームレスのおじさんたちが寝ていました。
いつか自分もこうなるかも知れない・・・・はじめて、大変なことになったと実感したのです。

市ヶ谷のホームレスのニュービジネス

練馬区に住んでいた私は通勤として地下鉄有楽町線を使っていました。最寄り駅が市ヶ谷。毎日、駅を降りて通路を歩くのですが、そこには決まってホームレスのおじさんが新聞紙を敷いて寝ていました。会社は創ったものの、仕事が全く無かった私は「いつかこんな風になってしまうのではないか・・・・。」という恐怖心が襲ってきました。

ある日、気が付くといつものホームレスのおじさんはいなくなっていました。通路といえども、地下鉄駅構内ですから、駅員さんに追い出されたのだろう・・・そう思っていました。何週間かして、またいつものホームレスのおじさんが戻ってきていました。しかし、以前とは少し様子が違います。いつも寝ていたところに青いビニールを敷いて、漫画本を積み上げて売っています。

「どれでも100円」とダンボールにマジックで書いてありました。よく見ると、今日発売の最新の漫画本です。すぐ横のキオスクでは定価で売っているのに・・・。若いサラリーマン風の男性が、たまに買っているのを見かけるようになりました。日に日に、積み上げた漫画本の数が多くなっていきます。仕事が無かった私は、凄く興味を持ちました。この漫画本はどこで仕入れているんだろう?

ある日、私は勇気を出して聞いてみました。「ああ、ゴミ箱だよ・・・」なんとゴミ箱から拾ってきて、100円で売っていたのです。確かに、通勤通学の時、駅で漫画本を買い、電車の中で読んでしまい、降りる市ヶ谷駅のゴミ箱に捨てていく。まだまだ新品。これにホームレスのおじさんは目をつけたようです。もちろん仕入れはタダ。きれいに拭いて、きっちり並べておけば売れてゆく。面白いことを考えたものだ。路上なので家賃もなし、仕入れもタダ、税金も無し・・・

私は、これで一体いくらの儲けがあるのか、凄く気になってきました。夜、会社を出て帰宅する頃には既に完売。「おじさん・・・これで一日いくら位の売上げになるの?」でも最初は教えてくれませんでした。仕方なく、私は客となり、毎日漫画本を買って顔なじみになることから始めました。そして、ようやく私の顔も覚えてくれ、親しくなってきた頃に、もう一度聞きました。

「いくら位毎日売れてるの?」
「誰にも言っちゃだめよ・・・・毎日2万5千円位・・・」
「ええええええええええ!!」月75万円以上ある計算になります。
しかも、全部儲けです。自分より遥かにすばらしいビジネスをしている。今、全国にある路上の漫画本リサイクルの発祥の瞬間でした。大きな勇気をもらった大切な経験です。

二階のぼた餅論

さて、真剣に自分のビジネスを考えるようにはなったのですが、そう簡単にアイデアが生まれるはずもなく、時間は過ぎてゆきました。

当時は、ベンチャーブーム。すばらしいアイデアや商品企画をもって、颯爽とデビューし、マスコミに引っ張りだこの若者が沢山出現しました。彼らの業績も急成長。テレビからも毎日のように出演依頼があり、タレントのように有名人になっていきました。

一方、私はというと相変わらずその日暮らしのような状態。親会社に紹介してもらって、人事部を訪問し、何かの雑用のお仕事をもらってくるのが精一杯でした。

「どうしたら、あんな素晴らしいアイデアが生まれるのだろう?」
「自分は一体何をしたいのだろう?」全く判らなくなっていました。

それから5 年経ってみた時、当時、一世風靡したベンチャー経営者の殆どは、跡形も無く消えていました。その時に、本当に大切なことは「商品」や「アイデア」や「資金」や「コネ」でもなく、別のものなのかも知れない・・・・。そう思うようになりました。

それを最初に考えたのは、どういう理由からなのだろう?なぜそう思ったのだろうか?この最初の気付きが一番大切にしなければならないものなのだと思いました。人に自分のアイデアを相談すると、たいがい、責任を負うのが嫌なので「やめておいたほうが良い」とか「君には無理だ」とか「すでにやってるよ」とか否定的な答えが返ってくることがとても多かったのです。

でもその反対を振り切って実行した場合、2つの道に分かれます。「失敗する場合」と「うまくいく場合」です。強行して、結果失敗したら、きっと人は「それ見たことか!だからあれ程反対したのに!」と言うでしょう。強行して、結果うまくいった場合には、「君は先見の明がある。たいしたものだ」と言うでしょう。結局、反対するというのはどちらでも開き直れる都合のいい言葉なんだと思いました。

そんな時、心から応援してくれる人が生涯の友人になってゆくのだと思っています。自分が目指したいものから決して目を離さないこと。「絶対に、あの二階に上がってぼた餅を食べてやる!!と思うところに「はしご」というアイデアが生まれます。あの富士山の頂上に登ると決めて指差したら、そこを変えないこと。その時に登り方がいくつも見つかります。これを「発想の原点」と名づけました。そして、いつも大切にしている行動鉄則です。