新・内海新聞 18号

今回は内海新聞16号(2月号)からの続きです。
運命ということがあるのか?偶然と必然というのは、どこで境目があるのでしょうか。すべて心の持ちようなのかも知れません。ただ、言えることは、すべてが人との出会いによって運命の扉がもたらされたということになります。
人は必要な時に必要な人と出会う・・・昔、誰かが言ってましたが、まさにそんな出会いの連続が続いたのが私の30歳代です。今回は、飲食店のコックを辞めた後、不慣れなセールスの世界に飛び込み、その世界で様々な人たちと出会い、学習していけた大切な時代の話です。やはり、人と人の出会いに感謝です。

無理難題のミッション

私が、人材サービスのR社に転職したのが昭和60年9月1日(月曜日)。前日の8月31日(日曜日)まで中華料理屋でコックをしていたので、一日も無駄がありませんでした。大阪市北区にある高層ビルの4階に大阪本社がありました。そのころ、世の中は新規事業ブームの真っ只中。企業や学生や主婦までもがベンチャーブームでした。

私の配属先は、医療関係の人材会社。新規事業部門です。今まで、お店でお客様が来るのを待つだけの商売でしたので、何かを売り込みに行くなんて想像もできませんでした。在宅介護のヘルパーをご自宅に派遣したり、看護婦の派遣事業の開発です。しかし、当時は介護保険制度もありませんでしたので、ヘルパー派遣は高額で、一部のお金持ちしかできません。24時間の介護となると、一ヶ月100万円くらいの自己負担でした。また、看護婦の派遣は派遣法で認められておらず、違法行為でした。

そんな中での私へのミッションは「合法にしろ!黒字にしろ!」の2つだけです。パンフレットもない。人もいない。あるのは名刺一枚だけでした。与えられた営業方法は、「落下傘攻撃」と「じゅうたん爆撃」のふたつ。落下傘攻撃とは、ビルを見つけてエレベーターで最上階まで上がり、後は非常階段で降りてすべてのフロアを訪問する営業方法です。じゅうたん爆撃とは、地図を広げて落下傘攻撃が終わったビルを赤く塗りつぶし、地図全体を真っ赤にする営業です。要するにシラミつぶしです。私は、大阪の御堂筋を北から南まですべてのビルに営業しました。

しかし、企業に対してヘルパーや看護婦のニーズがあるはずもなく、全くの空振りでした。時間だけが無常に過ぎてゆきました。受注ゼロ!たった一人の営業マンである私へのプレッシャーは大変重かったです。やはり、転職は間違っていたのか?転職してP社に来た時、上司の方から「脱サラというのはあるけど、その逆とは珍しい!」と言われました。

時々名刺獲得キャンペーンというイベントがあり、一日の名刺獲得枚数は60枚が目標。これに達しないと帰社が許されません。夜になって、新宿駅や東京駅で酔っ払いと名刺交換して枚数を稼ぐという裏技までありました。何の手がかりもなくなったある日、大阪市北区の太融寺という歓楽街の公園で朝日新聞の求人欄を見ながら弁当を食べていました。もちろん自分の転職のために求人欄をみていたのではなくて、どこにニーズがあるのか調査のためです。毎日、病院医院で看護婦の募集広告はあるのですが、その殆どが夜勤の募集。当社のスタッフは夜勤できない主婦の看護婦ばかり。まったくニーズに合いません。殆ど諦めかけていた時、最後に「文部省管轄 財団法人A学術研究所、看護婦若干名募集」の求人広告を見つけました。

病院ではなさそうだ・・・文部省管轄って何だろう?そして、その住所を見てみました。「大阪市北区太融寺」なんと、今私がいる場所です。そして地図を広げて住所をたどると、このベンチのまん前のビルの9階でした。何か、不思議なめぐり合わせのようなものを感じて、急いで弁当を片付けて訪問することにしました。しかし、ビルはぼろぼろ、エレベーターも3人乗るのが精一杯という小さなポンコツです。廊下に出ると、なにやら薄暗く、人気もない不気味な雰囲気。

やっぱり、止めようかな・・・・しかし、他に営業にいく当てもなく、意を決して訪問することにしました。904号室、会社の看板も何もありません。深呼吸を3回して、思い切ってノックしました。そうしたら、女性の声で「ハーイ、どちら様ですか?」と声がしました。こういう時、女性の声はホッとします。女の人がいるんだ~少し安心して、ドアを押して開けました。それは、私にとって運命の扉でした。

初受注

思い切って開けたドアの先に、中年のおばさんが2人いました。
「どうしたん。なんか用?」
「いえ、営業に来ました。当社は看護婦専門の人材会社で、たまたま読んだ新聞の求人欄にこちらの求人が載っていたもので・・・・。」
「ああ、それは私らではわからんわ。もうじき担当のTさんが帰ってくるから、そこで待ってたら?」

そう言って椅子を出してもらいました。営業に行ってこんなに親切にしてもらったのは初めてなので感激しました。
「いったいここはどういうお仕事の会社なのですか?」
「あんた、そんなことも知らんと来たんかいな?呆れるわ」
「ここはね、会社の健康診断を請け負うところなんよ。結核予防法という法律があって、会社は年に一回社員の健康診断をしなあかんねん。そこで、うちらがレントゲン車を出して会社の横に駐車して体重や身長、視力を測ったりして検査したりするのよ。それを手伝う看護婦が人手不足で、絶えず募集してるのよ。」「なるほど、そういうお仕事があるのですか。しかし、なぜ絶えず募集するのですか?」「それは、この仕事が退屈な仕事だからよ。給料も安いし、朝も早いし、全国にバスで移動するので、何日も家に帰られない。採用してもすぐに辞めてしまうのよ。」
「そういうことだったんですか?」
「ところで、アンタの会社はどんな会社なん?」
「はい、ウチは、看護婦を時間単位で貸し出す会社・・です。ただ、法律があるので、できる仕事は限られてますが・・。」
「ほんまかいな、それはちょうどエエわぁ。もうじきTさんというおじさんが帰ってくるから、そのことを話してごらん。仕事になるかもしらんよ。」

やがて、営業のTさんが帰社されて、自分の会社の説明を30分程しましたが、ただ、聞くだけで、何の反応もなし。興味あるのか無いのか?さっぱり判りません。私は説明が終わって会社に帰りました。そうしたら、翌日の夕方、そのTさんから電話がありました。
「来月、看護婦を一人、4時間だけ来てもらえるかな?ただ朝は早いで。6時にJR大阪駅前やけど、いけるか?」これが、私の初受注。7200円の受注金額でした。

アレンジ

私は、すぐに研究所に行き、詳細な打ち合わせをしました。
「どこの検診ですか?」
「今回は、大手広告代理店大阪本社や。」
たった一人の受注でしたが、私は作戦を練りました。相手は広告代理店。その広告代理店の社員さんに喜んでもらえることを第一に考えよう。すぐに会社に戻って、登録の看護婦を調べました。求人と人材を調整することをアレンジといいます。このアレンジが重要です。

数少ない登録スタッフの中から選ぶ条件を決めました。
(1)独身の女性であること
(2)美人であること
(3)長身でスタイルが良いこと

今ならセクハラで訴えられるかもしれませんが、そんなことは言ってられません。一人、B子さんに目星をつけ、頼みこんでようやく行ってもらえる事になりました。当日、私も早朝一緒に出かけ、現場に立ち会いました。いつも健康診断にやってくる看護婦さんは、おばあちゃん看護婦で、検診先の社員さんからは不人気でした。しかし、今回は違います。モデルさんのような若い看護婦さん。私は何もお手伝いができないので、横に立って見ているだけでした。そうしたら、看護婦のB子さんの所だけ、どんどん行列ができるのです。

「いつもはこんなに社員は集中しないんだけど・・・」人事部の方も言われるほど殺到したのです。やがて、13時で約束の契約時間が終了しました。

そうしたら、「申し訳ないけど17時まで契約延長してくれないかな?頼むわ。」とTさんが手を合わせています。研究所のTさんに頼み込まれて結局、フルタイムの7時間となりました。延長は、25%アップなので合計1万3950円の初受注となりました。

翌日、研究所のTさんから電話があり、「すごいねぇ、いい看護婦さんがいるのねぇ。仕事もできるし、愛想も良いし・・。広告代理店からも大好評で、次回もお願いしたいと契約が継続になったよ。」と嬉しい電話でした。その後、このA研究所からの受注が増え続け、1ヶ月に100名を超える規模になりました。この噂が大阪や奈良や京都の同業の健康診断会社に伝わり、あちこちからの受注も少しずつですが入りはじめました。健康診断とは、健康な人を調べて病気を発見する仕事。つまり、病人を診るわけではありません。

また、健康診断とは、結核予防法に基づく定期健診であり、厚生省管轄です。当時、厚生省と労働省は仲があまりよくありませんでした。それは、労働省管轄の人材斡旋事業と厚生省管轄の家政婦や看護婦紹介事業がかぶっていたためと思われます。当時、厚生省の管轄事業としての立場で健康診断支援事業を拡大しました。最初のミッションである「合法にしろ!黒字にしろ!」というのは、合法にはなりませんでしたが、法的にはグレーになり、3年後、黒字を達成しました。ちょっとごまかしもありましたが、ニーズのあるところには、必ずビジネスは存在するということを実感しました。