新・内海新聞 16号

以前こんなものを見つけました。最近、鉛筆は殆ど使わなくなったのですが、こんな鉛筆の削り方をしたら勿体なくてきっと使えないでしょう。一体、どういう風にしたらこんなに器用に鉛筆の芯を削れるのでしょうか?子供の頃どこで見たか忘れましたが、米粒に字が書いてあったり、2センチ四方くらいの豆本に詩が書いてるのを見て驚いたことを思い出しました。そういえば最近、日本の学者が化学元素に字を書くことに成功したと聞きました。これじゃ電子顕微鏡でしか見られないです。 編集長

転機というものがあるのか・・・

今から24年前の話です。昭和60年、日航機が群馬県の山中に墜落するという大事故があった年です。その頃、私は兵庫県のある田舎町で中華料理のコックをしていました。ちょうどコックを始めて10年目でした。そこそこ店も繁盛していました。私はその頃、猛烈に働いていた時期で、多分人生の中で一番働いていた時だったと思います。

それは、こんな具合です。お店は11時過ぎにオープンし、夜の9時過ぎまで営業しています。店を開けるとすぐにお客様が入ってきてそのまま途切れません。食事も立って食べる、トイレもダッシュです。私は少しでも儲けを多くするために早朝から卸売市場に仕入れに行っていましたが、どうせならと遂に卸売市場の八百屋で働きはじめました。毎朝4時過ぎに入店し、9時まで八百屋で運搬のアルバイトをし、合間に店の仕入れをして、猛スピードで帰って来て仕込みを始めます。あっという間に11時頃になり、店はそのままオープンです。

店が9時過ぎに終わると後片付けをして、隣町にある県立の定時制高校の体育の授業の代わりに少林寺拳法を教えに行っていました。私は中学生から少林寺拳法をはじめ、師範の資格を持っていたので県の教育委員会から定時制高校の授業の代わりにするので教えに行ってほしいと依頼があり、店の閉店後に通っていたのです。これが大体10時頃から11時30分までで、家に帰るとクタクタでそのまま就寝。12時過ぎです。結局、睡眠時間は毎日3時間半位でした。

そんなある日、ある出来事があったのです。昭和59年の春頃だと思います。棚の上に置いてあった古新聞がバサっと床に落ちてきて開きました。その真ん中のある記事が目にとまったのです。「素人のあなたを社長にします!アイデア募集」読売新聞だったと思います。

大手人材派遣会社P社の取材記事でした。そこには、どんなアイデアでも応募してよく、審査に合格すれば資金や人材の提供を受けることができると書かれてありました。その記事を切り抜き、食器棚に貼り付けてその日は帰りました。翌日、卸売市場から仕入れをして帰ってくると、その記事が目に留まりました。すっかり忘れていた私は、電話をかけてどういうことか聞いてみようと思い、夕方、書いてあった連絡先に問い合わせたのです。担当の女性が電話に出てこられ、応募は自由、何の制限もないとのこと。ただし、応募の締め切りは明日の消印まで!ということでした。もう既に夕方、「今から考えていたのでは間に合わない!」

日頃から考えついたアイデアを折込みチラシの裏に書き留めていたので、その中の一つを取り出し、サントリーオールドの空き箱に詰め込んで、翌日必着でクロネコヤマトの宅急便で送りました。「きっと自分の企画は合格している!」そう思い込んでいました。別に、今のコックに不満があった訳ではなかったのですが、何か未知なものに挑戦したかったのだと思います。しかし、そんなことで企画が合格するはずもありません。「きっと合格している!」と思い込んでいた私は、そのP社に通いました。「自分の企画が合格しないはずがない。」と談判しに何度も通いました。糖尿病などの病人食の調理材料を自宅まで宅配するという企画です。

あまりのしつこさが東京の本社の事業開発部に伝わって、再審の機会を得ることになり、ある大手製薬メーカーがスポンサーとして名のりをあげました。結局、これがきっかけで中華料理店を翌年の昭和60年に閉店し、この人材派遣会社P社の新規事業部へアルバイトとして就職することになりました。31歳の転機でした。

価格と価値観の再構築

昭和60年の5月頃に、人材派遣会社P社から「うちに来ないか?」というお誘いを受け、両親とも相談し、一番忙しい8月末まではお店をやらせて頂き、9月から出社ということでご了解を頂きました。

5月から8月までの4ヶ月間、最後の仕事として、しっかりやろうと決め、ある計画を立てたのです。店のメニューは、全部で80種ほどありました。しかし、この中で人気のないメニューがいくつかあったのです。別に味が悪いという訳ではないのですが、ほかのメニューに比べて注文が極端に少ないのです。「ようし、この売れないメニューを売れるようにする!」ということをテーマにして残りの4ヶ月間を働こうと決めたのです。なぜ、注文が来ないのだろう・・・理由が分かりません。

きっかけがあればきっと売れ始める。このきっかけをどう作るか・・・?が課題でした。そうだ!値段を変えよう。売れないものに関して価格を変えることにしたのです。ただ、価格を変えるにしても、できれば逆転の発想でいきたいと考え、通常なら値引きするところを一気に値上げをしたのです。しかも、中途半端な値上げではなく3倍の価格に急遽変更しました。一番売れないメニューが八宝菜600円でした。これを一気に1800円に変更しました。ただ値上げだけしたのではなく、以下の3つの変更も同時に行いました。

①材料の2品だけ品質のグレードを上げる、
②名前を変える、
③今まで出していたメニューは撤去する、

でした。八宝菜は1800円にする変わりに、えびを13×15という大きいサイズのブラックタイガーに変更、貝柱を小粒から超大つぶ一個に変更です。そして名前を八宝菜から「上八宝菜」に変更しました。600円が700円や800円に変更したら、お客様はきっと値上げしたと思われるでしょう。しかし、600円が1800円に変わったら誰も値上げしたとは思わないのです。別のメニューができたと思います。そして、その証拠として一部の材料のグレードを上げ、名前を変え、旧商品は撤去しました。思惑通り、この上八宝菜は売れ始めました。一日に5個とか6個の範囲ですが、全く利益率が違います。大きな利益拡大に貢献してくれました。

気を良くして、続けて売れ行きの悪いメニューを3種、同じように価格を変えました。これを、値上げではなく「価格と価値観の再構築」と名前をつけました。

定業能転(じょうごうのうてん)

偶然と必然という言葉があります。目の前に起こることすべてに意味がある・・・と 。私は、時間があると渋谷の桜ヶ丘にある乗泉寺に行きます。忙しくてなかなかいけないのですが、行ってみると気分が良い。1時間くらい本堂に座って瞑想をする。ピンッと張り詰めた空気がいい。

その寺に私の師匠がいらっしゃいます。もともと大手メーカーのコンピュータ技師で、人工知能の研究と開発をされていましたが、科学ではどうしても人間社会の矛盾を解決できないと仏教の世界に飛び込まれました。非常にお話がお上手で、仏教についての説明も、システムのフローチャートを作るように丁寧に漏れなくお話頂けるので素晴らしい。

そんな師匠から、「定業能転(じょうごうのうてん)」という言葉を教わりました。自分自身には両親が必ずいます。そして、その父にも両親がいます。そして、母にも両親がいます。その父方の祖父母にも両親がいて、同じく母方の祖父母にも両親がいます。既にこれだけで15名。私から見れば、両親とその先の祖父母までは近く感じますが、さらにその先となると、もう全く分からない遠い存在です。

しかし、その血のつながりは延々と続いていることだけは理解できます。その中のどこかが欠落しても、今の自分自身は存在しなくなってしまうのですから・・・。自分をスタートにして、その上に逆三角形▽のような形で系図が作られていきます。この逆三角形を代々遡っていくと30世代前まで遡ったところで、その総数は1億人を超えるそうです。ほぼ、日本の人口と同数の人間が、自分の30世代前までに存在する。

日本のほぼ同数の人口ということになれば、その中にはノーベル賞を受賞するような天才的な人もいれば、総理大臣になるような人もいたでしょうし、また、秋葉原で無差別殺人を起こすような凶悪人もいれば、詐欺事件を起こすような人もいたかもしれない。財布を拾って正直に交番に届ける人もいれば、優先座席ですすんでお年寄りに席を譲る人もいるでしょう。日本の縮図が、そこにあると考えてもいいかも知れません。すべての人が30世代遡ったところで、日本全体を背負った状態になります。親の顔に似た子供が生まれるのと同じように、必ずそのような因子形質は代々引き継がれます。今の自分には、必ず過去の1億人の形質の一部が引き継がれています。だから、今の自分は紙一重なのかもしれない。

定業能転(じょうごうのうてん)とは、それらを「業(ごう)」と呼んで 良いほうに転じるように努力すること・・・という意味になります。今、運良く生きているのは、先祖からの大切なお土産を頂いているのかもしれません。