新・内海新聞 10号

今、私は外食の時、自分専用の「My箸」を持ち歩いています。以前から購入して持っていたのですが、今回あることがあって、常備するようになりました。特に「輸入割り箸」の危険性について盛んに報道されるようになってからは安心のための自己防衛策として持ち歩いています。

以前報道番組で、輸入割り箸を金魚の入った水槽にしばらく入れておくと、その水が真っ黒になり金魚が全滅したシーンがありました。防腐剤と漂白剤のかたまりの輸入割り箸は、食品衛生などの基準が無く、検査なしでドンドン国内に流入してくるらしいです。確かに今、レストランなどでは割り箸を使わないお店が増えていますが、これは別の理由でしょうか?

戦場からの遺言

以前、友人とアメリカの研修について話しました。アメリカ人は意思の「言語化」というところでは 素晴らしい能力を発揮します。しかし、日本人はそういう部分は苦手かも知れませんが、精神世界というか、より高次元での理解力ははるかに優れている・・・という結論になりました。

以下は、以前NHKの人間講座で紹介された 「収容所から来た遺言」の抜粋です。 これは、シベリアで抑留され拷問や氷点下40度での強制労働、一日黒パン一切れという飢餓との戦い。そして、帰国を直前に癌を発病し、現地で落命された方の遺言です。彼は死の淵で日本にいる家族にあてて、自分の思いをノートに書き残したそうです。しかし当時のソ連では文章の持ち出しが許されなかったので、彼の文章に感動した戦友たちがそれぞれのたばこの箱などにメモをとり、あるいは暗記して秘かに日本に持ちかえったものだそうです。

・・・・・子供達へ、山本顕一、厚生、誠之、はるか、君たちに会えずに死ぬことが一番悲しい。成長した姿が、写真ではなく、 実際に一目みたかった。

お母さんよりも、モジミよりも、私の夢には君たちの姿が多く現れた。 それも幼かった日の姿で・・・ああ何という可愛い子供の時代!

君たちを幸福にするために、一日も早く帰国したいと思っていたが、 とうとう永久に別れなければいけなくなったことはとても残念だ。第一、君たちに対してとてもすまないと思う。

さて、君たちはこれから人生の荒波と闘って生きていくのだが、 君たちはどんなつらい日があろうとも光輝ある日本民族の一人として生まれたことに感謝することを忘れてはならぬ。日本民族こそは将来、東洋、西洋の文化を融合する唯一の媒介者、東洋のすぐれたる道義の文化、人道主義をもって世界文化再建に寄与しえる唯一の民族である。この歴史的使命を片時もわすれてはならぬ。

また君たちはどんなに辛い日があろうとも、人類の文化創造に参加し、人類の幸福を増進するという進歩的な思想を忘れてはならぬ。偏頗(へんぱ)で、矯激な思想に迷ってはならぬ。どこまでも真面目な、人道に基づく自由、博愛、幸福、正義の道を 進んでくれ。

最後に勝つものは道義であり、真であり、真心である。友達と交際する場合でも、社会的に活動する場合にも、生活のあらゆる場面において、この言葉を忘れてはならぬぞ。人の世話にはつとめてならず、人に対する世話は進んでせよ。但し、無意味な虚栄はよせ。

人間は結局、自分一人の他に頼るべきものがない、という覚悟で、強い能力のある人間になれ。自分を鍛えてゆけ。精神も肉体も鍛えて、健康にすることだ。強くなれ。自覚ある立派な人間になれ。四人の子供たちよ。お互いに団結し、協力せよ。特に顕一は、一番才能に恵まれているから、長男であるし、三人の弟妹をよく指導してくれよ。自分の才能にうぬぼれてはいけない。学と真理の道においては、徹頭徹尾、敬虔でなくてはならぬ。立身出世など、どうでもいい。

自分で自分を偉くすれば、君たちが博士や大臣を求めなくても、博士や大臣の方が君達の方へやってくることは必定だ。要は自己完成!

しかし浮世の生活のためには、致し方なしで、ある程度打算や功利もやむえない。度を越してはいかぬぞ。最後に勝つものは道義だぞ。君たちが立派に成長していくであろう事を思いつつ、私は満足して死んでいく。どうか健康に幸福にいきてくれ。長生きしておくれ。

最後に自作の戒名 久遠院智光日慈信士
1954年7月2日 山本幡男

・・・・・・当時、この遺書を戦友たちが命がけで持ち帰ったのは、実は祖国の日本人たちすべてに向けた大切なメッセージだと考えたからかも知れません。

祖父から引き継いだもの

私の祖父は発明家でしたが、その曽祖父もさらに発明家!しかも商売上手のベンチャー経営者でした。写真は穴を開ける旋盤という機械と、ドリルを固定する「チャック」という金具です。

曽祖父は「チャック」と呼ばれる工具を発明しました。そして、このチャックの構造で特許を持っていました。写真は現代のもので、当時のものとは違いますが、旋盤(写真上)という木材などに穴を開ける機械の先端にドリルを固定する部品が「チャック」(写真下)です。

発明するまでは、穴の中にドリルの芯を入れ、数箇所からボルトやねじで固定して使いました。しかし、どうしても曲がってしまうのでドリルの先が折れたりしていました。曽祖父はそれを改良して、横のバーを回すことで先のからす口が閉まり、全体を均一に締め付けてまっすぐにドリルを固定できるようにしました。

これを特許出願し「キングチャック」「キタカタチャック」という製品名で莫大な利益を得たそうです。大阪の近鉄電車の河内天美(かわちあまみ)という駅の近くに広大な敷地に豪邸がありました。庭には、自分で創立した中学校と運動場、体育館がありました。戦争当時は軍需産業として隆盛を誇ったそうです。

しかし、戦後、軍需産業はなくなり倒産。一家は一転して貧乏のどん底。祖父は、そんな中でもアイデアへの情熱は失っていなかったようです。自分の子供たちは誰も聞いてくれない特許やアイデアの話を祖父は、孫である幼い私にしょっちゅう話をしてくれました。。 そんな私にとって、子供の頃から特許にはとても身近な存在でした。

長屋経済学

私が子供の頃、母は私たち兄妹三人を呼んでこんな話をよくしていました。
「今度、美容師の学校に行こうと思う」
「びようし?なんで?」
「美容師になるんや。これから景気が上がってくるから女の人も身なりを綺麗にする。そやからパーマが流行るはず」
「だから、美容院をしようと思うんや。」
「いまから?」
「そうや、いまからや。そやけど今からやったら不利やから、他とは違う美容院を考えてるんや」
「どんな?」
「髪の毛を切るだけの美容院や」
「切るだけ?」
「そうや。パーマは今は高い。そやからしょっちゅうは行かれへん。そやけど、髪の毛は黙っても伸びるやろ?自分では切られへんから、切るだけにやってくる。それを安くしてあげて、髪の毛を切るだけの美容院にするんや!」
「ふーん。なんや難しくて判れへんわ~」

今から45年前の話です。 いまでこそカット専門の理容はありますが、当時としては凄いこだと思います。実際は、いろいろ事情があってできませんでした。 今、その時の話をしてみると母はこう言います。

「考えるのは誰でもできるでー。大事なのは実行することや!」・・・と。

そんな母と、今の経済について話をしました。
「今は、いろいろ格差の問題があって生活が大変やね。」
「そやけど、昔は貧乏人は貧乏人の生活があって、決して高望みはしなかったよ。自分たちの幸せが一番大事で、身分相応ということを解かっていた。 より多くのお金を追いかけず、高望みもせず、自分の与えられた中で努力していったもんや。 もちろん勉強して偉くなる人もいたよ。 それは選ばれた人や。でも貧乏と金持ちはちゃんと住み分けていてそれぞれの世界があったなぁ。」
「そうか。今は何でもかんでもお金を求めて高望みの世界やからね。」
「そうやね。格差社会は昔からあったし、それが当たり前やった。」
「そやけど、今と昔で一個だけ違うところがあるねん。それはな、長屋や。昔は住まいに長屋というものがあって、安く皆で生活が出来た。 結構しっかり造ってあって頑丈やったんやで。 あんたの子供の頃に住んでいた家も長屋やったやんか。 隙間から隣の家の晩御飯のおかずが見えたりしたやろ?」
「そうやな、うなぎの寝床みたいな長屋やったね。」
「貧乏人は、長屋に住んで少ない収入でも十分生活できたもんや。 でも今は画一的になってしもうていかんな。住むとこが一番大事やねんけどな。」私は、なるほどね・・・と思いました。

母のいうセーフティーネットは住居であり、長屋のように皆で協力して生活してゆける環境が、助け合いの精神や地域貢献や、子供の教育などに役にたち、安く生活できて楽しかったのだと言っています。地域社会の交流が一番の基本であるといっているようにも思いました。