新・内海新聞 8号

昔、ある方に教わった事業家論。事業は天才ではできない。「シュウサイ」でないとできない。「シュウサイ」とは「秀才」ではない。「集才」という集める才能である。

「人」、「モノ」、「金」、「情報」を集めてくる才能。集まってくる才能ともいえるかもしれない。なかなか含蓄のあることばです。その話を聞いたのは、まだ事業を始めるなんて、思いもしなかったアルバイトの時代でした。その頃は、この言葉の意味がよく理解できなかったのですが、その後、自分が創業し年月が経つにつれ痛感することになります。

お詫び券

今から30年前に、現在の仕事の原点があります。今、手がけている仕事はデータベースマーケティング。顧客情報をいかに有効に活用して、リスクを減らし効率的なマーケティングができるか・・・を提案する仕事です。

私が20代前半の頃、中華料理のコックとして朝から晩まで小さな厨房の中で悪戦苦闘の毎日でした。そんな頃、近所にロイヤルホストという福岡から来たレストランができました。ファミリーレストランと言いました。大きな駐車場がある巨大なレストランです。

当時、ファミリーレストラン業界は急成長。新聞では、外食産業が製鉄業を超える・・・とまで言われていました。 私は、水曜日の休日に行ってみました。すると、数多くの人が並んでいます。 30分待ちと書いてあります。 お店で並んで待つというのは、関西では珍しいことです。 仕方なく私も並んでお店に入ってみました。そこは別世界でした。 広くて清潔で、カラー写真のメニュー。 安くて美味しそうな洋食の写真が並んでいます。私は、ハンバーグステーキ定食を頼みました。
「美味しい!」
「すごく美味しい!」私は気に入ってしまって毎週通いました。
そんな時、ある出来事がありました。私が注文したハンバーグがなかなか出てこないのです。きっと忘れているに違いない・・・。 私はウェイトレスに「まだ来ないのですが・・・」と伝えたのです。ウェイトレスは、何も言わずにキッチンの方に行きました。 しばらくして、私のメニューを持ってきて黙ってポンッと置いて行ってしまいました。

私は、その態度にカチンと来て、「何か謝罪があってもいいだろう。」と思い、ウェイトレスを呼び止めようとしたその時、私は「ハッ!」と気づきました。 これって、今自分が自分の店でお客様にしていることと同じではないか?

初めて、クレームをいうお客様の気持ちに気づきました。そうしたら、今までの自分の行動は時間を無駄にしてきたように思ったのです。なんとかしなければ・・・ でも、美味しい料理をつくれる訳ではありません。 良いサービスができる訳でもありません。 実は、自分は何も出来なかったことに気付きました。私は、考えて考えて考それは、「謝ること」でした。

でもここは関西。ただ謝るだけでは許してもらえないと思いました。 そして、考え付いたのが「お詫び券」でした。それは、はがき大の大きさの紙でできた券です。真ん中に切り取り線があり、下にはクレームを言ってこられたお客様のお名前とクレームの内容を書きます。 そして、上半分にはお詫びが書いてあるのです。
「本日は申し訳ございませんでした。今回の件は次回お越しになるまでに改善しておきます。 今回のお詫びのしるしとして、この券をお持ちいただければ、何人でお越しになっても、いくらお召し上がりになっても一切お代はいただきません。店主」 と書きました。

もしも、クレームを言われると、お名前だけを聞きクレームの内容を後で書き込みます。そして、切り取り線で切り取って、上のお詫び券の部分をお客様にお渡しし、下半分をストックしてゆきました。クレーム客はこの券をみて驚きました。
「お前、店潰すことになるぞ!」でも私にはこれしか方法がありませんでした。
配り始めて、やはりお詫び券を持った客がやってきました。お詫び券には通し番号がついているので、控えを見て前回のクレームが判りました。
「〇〇さん。前回は大変失礼致しました。今回は注意して頑張りますので宜しくお願いします!」とホールに出て行ってお声がけをしました。
その時、気づいたのは、お客様のお名前を覚えているとほとんどが許してもらえたことです。(本当は控えに名前を記録していたのですが・・・・)数ヶ月経ってから判ったことですが、
「あの店は俺が注意してやったから良くなったんだ!」とか「あのメニューは俺が作り方を教えてやったんだ!」とか「面白いお店があるから連れて行ってやろう!」とか、クレーム客が自分のお店の営業マンになったように宣伝してくれていたのです。

私の手元に残ったお詫び券の控えは、大切な商品開発の情報であり、販売促進の情報であり、顧客満足の情報であることに気づきました。データベースマーケティングを気づかずに実践していたのかも知れません。

創業の心得・クラスター戦略

私が、コックを辞めて人材派遣会社の営業をしていた頃の話です。京都市内を飛び込み営業していました。そんな中で、あるベンチャー企業経営者に大変気に入られ、よくお邪魔してお話を伺う機会を得ました。

その会社は、もう既にベンチャー企業を脱し、大企業となっていましたが、その創業者の心は純粋にベンチャーでした。ある日、こんなことをおっしゃいました。

「君は将来必ず事業を創業することになると思います。」
「いえいえとんでもないです。自分はそんな事業なんて今は考えていないです。」
「そうかなぁ・・・、私にはそんな予感がするのだけれどね。」
「とにかく、教養のためだと思って聞いてください。もしも、将来事業を始めるのだったら絶対に成功して欲しい。そのための心得をお話しましょう。」
「そんな心得があるのですか?」
「はい、あるのですよ。」
「ひとつは、真っ向から大企業と勝負しないこと!大企業が進出してこない、あるいは、大企業が進出できない分野を狙うこと。」
「なるほど・・・、でも具体的にいうとどういうことですか?」
「売上げが200億円を超えないようにすること。」
「それってどういうことですか?」
「これはあくまでたとえ話ではあるが、売上げ200億円というと、大企業の年収2000万円クラスの優秀な人間を数十人投入できる規模となる。こんな連中と勝負できますか?まず、そんな優秀な人たちを採用することすら困難です。」
「確かにそうです。では200億円以下の規模の事業をしていろと・・・」
「そうは言っていない。500億円1000億円の規模は目指さなければならない。これはあくまで創業時期の話をしている。200億円の規模を目指すのではなく、20億円の企業を10社作りなさい。20億円規模の企業同士はシナジー効果があって相乗していることが大事です。20億円規模だと、大企業では恐らく採算が合わない。大企業を撤退させる方法は簡単なんだよ。赤字にさせること。多くの株主にさらされている大企業は、主力以外で赤字事業を続けることは不可能。しかもトップはサラリーマン社長。多分耐えられない。判るだろう?」
「20億円企業のグループを作って企業の基礎を固める。これができれば後は単独でもドンドン売上げを伸ばしてゆけばいいのだ。これをクラスター戦略という。葡萄の房をクラスターというのですよ。葡萄の房の実のように20億円企業が実ってゆく。20億円企業同士は経営理念という枝で繋がっている。そんなイメージをもつことなんだ。」
「良くわかりました。」
何か、経験から来る大切なノウハウを教わった。クラスター戦略・・・忘れないでおこうと思いました。

羨ましいやら、怖いやら・・・

先日、会社の近くのお蕎麦屋さんに行ったときの話です。私の座っている斜め前の席で二人の老人が話をしている声が耳に入ってきました。 そのお蕎麦屋さんは、とても静かで常連のお客様ばかりのお店です。

その老人は、80歳は超えているようにも見えましたが、話し方はしっかりしていて、多分一流企業の重役であったのではないかという雰囲気です。 その老人の話は次のようなものでした。
「・・・息子が慶応大学の4年生の就職活動の時、日立製作所を受験したのです。 その時、同じように日立製作所に就職試験を受けに来ていた、女子大生と知り合い、そして恋に落ちたんです。

息子は、そのまま日立製作所に就職が決まりましたが、彼女は日本航空の国際線の客室乗務員になったのです。それから、付き合いつつ、時は流れ17年が経ちます。 お互い39歳になり、彼女は日本航空を退職し、二人は結婚しました。 息子も良く待ち続けました。

その後、息子の転勤に伴って仙台に移りました。一人子供ができ、その子供も高校生になりました。息子は、55歳になった時、日立製作所を早期退職しました。 そして、仙台に家を買いました。それから、息子は何を思ったのか料理学校に通い、調理師の資格を取ったのです。 これから、3年間の板前修業に出ると言っています。

その後に、自分の料理店を開くことを夫婦で計画しています。 いったい、何を考えているのやら・・・・。」老人は少し困った顔をしておられました。しばらく考え事をしているような顔つきでしたが、ニコッと笑って一言漏らしました。
「でもね・・・私から見たら、羨ましいやら怖いやら・・・。」
私は、この「羨ましいやら、怖いやら・・・」という言葉が妙に耳に残ってしまいました。
きっと自慢の息子さんなのでしょう。この老人も、若い頃、何かし残した心残りなものがあったのかも知れません。

自分の夢に向かう息子さんが、少し羨ましくもあり、自分のできなかったことを思い出し、頑張りなさいよ・・・という応援の気持ちと、もう歳なんだから無理はしないでほしい・・・という不思議な心模様が織り交ざっているように思いました。何か、ホッとする人間模様をみたように、ほほえましい気持ちになりました。