新・内海新聞 6号

先日、ある講演に出かけました。日本語の文化に関する講演で、毎月一回開催されます。そのときに講師の先生が話された内容がとても印象深い。「ありがとう」という日本語の本当の意味についての内容でした。

「ありがとう」を漢字で書くと「有難う」。「有り難い」とは、決して有り得ないことが、今まさに目の前で展開されている・・・という意味になります。それは、まさに奇跡そのもの。自分の目の前に奇跡が起こっている。この奇跡を感謝してゆこうと言うことです。だから、「有り難い」であり「有難う」になるそうです。言葉の重みを感じました。

小学五年生とトンボとヤゴ

作家重松清氏の著書に「小学五年生」というのがあります。17編の短編エッセイが収められています。私は、この小学五年生という時代に大変興味があります。この小学五年生の頃のことは、鮮明に記憶に残っています。自由でのびのび、でも異常なる好奇心と正義感が充満しています。

男性でなく女性でもない、唯一の中性の時代と言えるかも知れません。クラスでは「男子」とか「女子」とか呼び合い、何か暗黙の境界線が敷かれるも、お互い男性という性を意識するのでもなく、女性という性を意識するのでもない。特に男子は面白いです。女子に比べれば、本当に幼い。この小学五年生は、母親離れが始まり、まだ初恋の実感も感じない時代、つまり「母親以上、初恋未満」の中性の時代です。ほんの数ヶ月経つと、おそらく女子の胸のふくらみを意識し始める時期に差し掛かるのでしょうが、今はまだその直前。

映画の「スタンドバイミー」そのものの世界です。小学校の友人たちと死体を見たという噂を信じて探しに行く映画ですが、まさにこの登場人物たちは小学五年生くらいの年頃。最近では、日本映画の「三丁目の夕日」がそうです。鈴木オートの一人息子の鈴木一平君もまさにそのゾーンに入っています。さて、自分自身の母親以上初恋未満の時代はどうだったのだろう。

しょっちゅう、吉本新喜劇の岡八郎さんとか花紀京さんや財津一郎さんの物まねを、休み時間にみんなの前で教壇に上がって、すべりながらも笑いをとったり、変な顔しておどけたり、能勢の妙見さんに、一人登ってミヤマクワガタを採集にいったり、自分が国際救助隊の隊長になったような錯覚をおこしていたような気がします。しかし、その頃の感覚は、その後の人生に多大な影響を与えるような気がしてなりません。

私は、小学五年生の頃、放課後になると近くにあったひょうたん池にアメリカザリガニを採りに行ったり、水生昆虫を見つけに行ったりしていました。その頃の、アメリカザリガニの採り方は最初の一匹目と二匹目が違います。最初の一匹目はタコ糸に布団綿を団子にしたものをくくりつけて、池の縁にそーっと降ろします。そうすると、ザリガニが我慢できずに大きなハサミで綿を掴んでしまいます。そのタイミングでタコ糸を引き上げるのです。一匹目が採れれば後は簡単です。一匹目のザリガニの腹の部分から半分にちぎり、殻をむいて、腹の肉だけにしてタコ糸でくくり、あとは最初と一緒です。綿と肉では、ヒット率が全然違います。こうなれば大漁です。

水生昆虫は、ゲンゴロウ、タイコウチ、コオイムシ、ミズカマキリなどなど、まるで宇宙生物です。そんななかで、トンボの幼虫のヤゴも水生昆虫です。下あごがググッと伸びて小魚をゲット、その体液を吸い尽くします。宇宙吸血生物です。このヤゴですが、元気な時は水中を我が物顔で暴れまわっていたのに、時期が来ると、水草の枝を水面まで登ってゆき、やがて背中が割れて、トンボとして空中高く飛び立っていきます。トンボとなったら二度と水中には戻ってきません。

私は子供心に考えました。人が死ぬってこういうことなんじゃないのか・・・?!ちょうどそのころ、大好きなおばあちゃんが亡くなり、落ち込んでいた時でした。

ヤゴたちは、いつか自分がトンボになるなんて思いもしない。そしてトンボの住む地上の世界なんて創造もできないかもしれません。彼女たちは水中がすべて!でも、いつか順番に仲間たちが草の枝の先につかまって動かなくなってしまう。そこには抜け殻だけが残されているだけ。ヤゴはきっと、仲間は死んだ・・・と思っているのかも知れません。しかし、ヤゴの魂はトンボとなって大空を大きく雄大に飛び回っている。

死ぬことって、こういうことなんだぁ・・・・!!小学五年生の頃に考えていたことです。そんな頃に考えたことを、大切にしてゆきたいといつも思います。

五番町の事務所

東京都千代田区五番町2-10
東京に来て3年目で借りたオフィスです。無謀にも一棟借りでした。地下一階地上四階の、ペンシルビルでした。市ヶ谷駅から徒歩2分の好立地。しかし、このビルを借りられたのは奇跡かもしれません。それまでは、東五反田の2DKのマンションを借りて事務所にしていました。当時、私の会社は、テレマーケティングという電話をかける仕事でした。

新卒大学生の就職活動応援会社で、各企業の企業説明会や面接にピンポイントで動員する電話サービスの専業会社でした。各家の電話回線の余った枠を事務所に引き込んで20回線も契約していました。2DKの部屋に20回線ですから、20名のオペレーターがいるわけです。しかし、20名分の机や椅子を置けるスペースもなく、床に座って思い思いに電話をしていました。全員女子大生のアルバイトなので、それはもう賑やかでした。でも、もうこんな状態では仕事にならないと引越しすることにしたのです。当時、通帳の残額は100万円もありません。でも、なんとかなるさ!と不動産会社に物件を探してもらいました。時代はバブル。家賃も急上昇で五反田付近でも坪3~4万円していました。しかも、敷金保証金が何千万円か必要です。お金もなく借りれるはずもないのに、なぜか探していたのです。5件、10件と物件を見せてもらっても、高嶺の花でいろいろ理由をつけて断っていました。そうして、不動産業者もついに
「もうこれ以上物件はないです。あと一件あるのですが、多分これは無理ですね。ビル一棟借りですし、高いですから・・・」
「へー、念のために見せて下さい。」
それが、五番町のビルでした。敷金2500万円家賃だけでも2数百万円します。なぜか、一目で気に入ってしまい、
「契約します」二つ返事でした。
それから不思議なことが起こり始めました。突然住友銀行の方が飛び込み営業でこられました。事業内容を聞いて
「当行ではお貸しできません。でもこれもご縁なので、一緒に国民金融公庫に行きましょう。」
そして融資の申し込みをしました。公庫から担当の方が会社の視察にこられ、
「一千万円ご融資します。」
「ええ!!」
驚きました。初めてです。当時の取引銀行はM銀行室町支店。私は、その一千万円を室町支店に移して貯金しました。支店長室に通され丁重に扱われ、事業内容を根掘り葉掘り聞かれたのです。一週間ほどして、事務所移転の保証金を借りなければならないので、再び支店長を訪ねました。
「事業拡大で引っ越さなければなりません。その事務所費用が足りないのです」そういうと、支店長はしばらく考えて、
「今、当行に一千万円預金いただいていますので、今度の事務所の敷金を担保にしてその敷金分の2500万円お貸ししましょう。」
質権設定です。敷金を担保にその敷金分を融資してくれるなんて、まるでメビウスの輪。訳もわからず、その融資は実行され、めでたくそのオフィスに入居できたのです。そのビルのおかげで信用が付き、受注が大幅に増えるおまけもつきました。時代はバブル真っ只中でした。

さばく

出張のために大阪駅にいました。行きつけの梅田スカイビルの地下にあるお好み焼き屋さんの「きじ」さんに行きました。 ここのオーナーが「木地」という苗字なので、きじというお店になりました。私は、東京にいる時は、丸の内のきじ東京店に行きます。

私のような関西人はお好み焼きが主食なのでこのペースです。 話を戻して・・・11時30分のオープンと同時に満席になりましたが、私は運良くカウンター席の左端を確保。 木地さんといろいろお話が出来ました。 こんな内容でした。
「さばく」っていうこと判るか? 東京の店は毎日毎日大勢のお客様が来てくださる。 ありがたいことや・・・・ そやけどな、客をさばいたらあかんのや。 目の前に注文の伝票が山のように溜まってるやろ? 待ってる客の注文をこなすことばっかり考えるんや。 これが「さばく」ということなんや。 作ってるほうは、ノルマをこなすように機械的にこなしてしまうんやけど、客はそうは思わん。さばかれた!と思うんや。
「ああ、きじさん? 美味しかったよ。 美味しかったけどねぇ・・・・」このけどねぇ・・・が付くんや。 店長は、一人一人の客に声をかけて、日々感謝や。

うーん スゴク勉強になった。 これは、お好み焼きだけの話ではない。 全てに通じることかも知れない。 私は、カウンターで木地さんのサービスをじっくり観察することに決め込んだ。
「はい、いらっしゃい。何人や、2人か?まあお入り。」
「映画かなんかか?映画かなんかか?」
「ん?違う? ほんなら時間はあるなぁ。30分待てるか?よっしゃ、まあお入り。」
「そこの僕、ちょっと詰めたってんか。」
私の座る席の隣に二人の女子大生が着席しました。
「はい、おいでやす。」
「何しよか?」
「モダン焼き二つか?!」
「しょうもない。おんなじもん食べてどうすんねや?」
「一個まで許す」
「お前らネギは好きか?」
「おっちゃんに任せる勇気あるか?」
「よし、ええ度胸や!」
「世界一のネギ焼きつくったろ。」
あー気持ちよかった! 関西のあきん道。また一杯充電できた!