新・内海新聞 14号

朝、電車に乗っていると乗客10人のうち5、6人はケータイをいじっている。残りの人は何か読んでいるか寝ているか・・・そんな感じかなぁ・・・と思う今日この頃。ここまでケータイが普及するとは・・・!

昔、1970年の大阪万国博覧会の日本電信電話公社館で生まれて初めて移動式電話というのを使って祖母に電話したのを思い出しました。その時は、大きな網でできた温室のようなドームの中だけで通話が可能でした。電話機の大きさはカステラの箱位で30センチくらいのアンテナがついていました。音は良かったような記憶があります。そうそう、昔は電話器と書いていました。今は電話機、そしてケータイへ。「器」の時代は貴重な機械。「機」の時代は普通の家電。そして「ケータイ」は雑誌みたいなものなのでしょうか?

トランシューマーとコレクター

トランシューマーという造語があります。トランジットとコンシューマーをあわせて作られた言葉です。トランジットとは一過性という意味で、コンシューマーは消費者、生活者です。インターネットで調べると、

『日本語では「一過性消費者」と訳される。米国の「トレンドウォッチング・ドットコム」が命名したとされる。流行に敏感な消費者は、高価なブランドものを1点だけ購入し、やがてそれが流行遅れになってしまうよりも、興味のあるブランドの最新作を常に持ち続けたいと考える。こうした消費者心理によって、米国では最新作を月単位でレンタルするといった消費行動が見られるという。購入するほどの経済的余裕はなくても、常に新作のブランド品を身につけることで流行の最先端に立ち続けることができる。ここに価値を見出す消費者が、一過性消費者となり得る。』とあります。
(Wisdomより引用)

一方、コレクターと言われる人たちがいます。同一ブランドを買い集めてゆく人たちです。たとえば、銀座にルイヴィトンができたとき、オープン前にたくさんの方々が行列を作って並びました。この人たちは、初めてルイヴィトンを購入する・・・というルイヴィトン初心者は殆どいなかったのです。ルイヴィトンは3個持っているけれど、もう一個旅行鞄を買いに来たとか、 モノグラム・マルチカラーをもう一個新しく購入したい・・・とか、お気に入りを買い集める方々。どちらもこだわり種族ですが、前者は所有せずに機能を利用したい人たちで、後者は所有することに生きがいを感じる人たちです。

今回は、この前者の「トランシューマー」ということについて考えてみたいと思います。今、若者の間で自動車が売れないそうです。私の場合、自家用車を持つことが夢で、何が何でもカッコいい自動車を追い求めました。コレクターではないですが、所有することがステータスでした。特にスポーツタイプの自動車で、究極はカブリオレという、屋根が自動開閉型のオープンカーです。ところが、現在の若者は自動車購入に関してあまり興味がないらしい。デートといえばドライブだったのにどういうことでしょうか?そこで、急に女性にもて始めたのが中年のおじさんたちです。

「課長~、今度女の子たち4人で鎌倉に行こうということになったんですが、一緒に行きませんか~」と突然夢のようなお誘いが入る。相手は若い女性ばかりで男性は自分ひとり。「でぇ、お天気良さそうなので海岸をドライブしませんかぁー」突然の天使のささやきに舞い上がってしまいますが、しかし、何のことはない。単なる自動車の運転手です。課長のマイカー狙いの悪魔のささやきであります。では、自動車に必要性がないのか?というとそうでもなく、所有すること自体が億劫なのかも知れません。「わ」ナンバーの地味なレンタカーではなく、もう少しおしゃれなマイカーライフを求めるニーズは必ずあります。必要なときに必要なだけ利用したいトランシューマーという人たちです。

また、お年頃の女性は同僚の結婚式などのお呼ばれも多く、そのドレスも大変。パーティードレスや小物類を毎回購入なんてことになると破産してしまいます。また貸衣装屋さんで・・・といっても流行遅れのダサいデザインのものしかなくパッとしない。今流行の何十万円もする高級ブランドのドレスを必要な時間だけ借りることはできないか・・?というニーズは必ずあります。これもトランシューマーです。この二つはすでにサービス化され利用される方も多いと思います。一過性の消費者、トランシューマーは、国内にどんどん増殖中です。30年ほど前から始まった人材派遣サービスもトランシューマーかも知れません。この人材派遣の場合は、働くスタッフも一過性の労働者へのニーズでトランシューマー。契約する企業側も一過性の社員へのニーズで、これもトランシューマーであるともいえます。

自分なりの、ある目標を持っていて、その機能だけを利用する賢い消費者の誕生です。今後まだまだ、この分野のサービスメニューは拡大してゆくことになるでしょう。

名刺

昔、名刺は憧れの黄金のツールでした。名刺が持ちたい!名刺が持てるなんて、なんてカッコいいんだろう!私は32歳まで「名刺」というものを持ったことがありません。ちょっと遊びで作った事はあるのですが、配るところもなく結局意味なく止めてしまいました。21才から飲食店の世界に入り名刺を持ったり交換したりする機会はありませんでした。毎日同じ人たちと会うだけですから・・・。

ですので、名刺を使うことに何かすごいステータスを感じていたのだと思います。今でも、人の名刺にはすごく興味があります。その名刺にはその会社の方針やポリシーが現れていたり、個人の名刺にはその人の個性が強烈に現れていると思います。名刺は世界最小の履歴書であると考えています。名刺には、今現在の自分のことが記載されています。だから名刺は大事だとも思います。ただの連絡先のカードではありません。

司馬遼太郎の「竜馬が行く」の中で藩の武士が自分の身元を木札に墨で書いた名刺を出すシーンがあります。

確か、京都で竜馬と中岡慎太郎が暗殺されるときの場面です。十津川藩の藩士と名乗る一行が尋ねてきて、木札の名刺を使いのものに渡すシーンがあったように思います。昔から名刺を渡す慣わしがあったのですね。名刺を営業ツールとして活用している友人がいます。その名刺というのが二つ折りでできていて毎月更新されてゆきます。「今月の名刺」です。

毎月、近況報告であったり、新商品の説明であったり、会社紹介であったり、自分のプロフィールであったり・・・の情報が記載されています。客先に行って「今月の名刺です。」とお渡しする営業ツールになります。名刺は初めてお会いする時か、役職が変わった時に渡すくらいですから、これなら何度も相手に印象付けられます。ちなみに今は自宅でパソコンを使って自由にオリジナル名刺を作ることができます。無料の制作ソフトウェアがありますので簡単で綺麗にできます。自分で作ったほうが、通常の印刷屋さんに頼むよりも安く出来上がります。

適応放散

高校の生物の時間で習ったことがあります。「適応放散」生物学での学術用語です。

Wikipediaによると
「適応放散という現象は、様々な地方で個々に種分化が起きる異所的な種分化ではなく、同一地域において様々なニッチ(生態的地位)へと種分化が起きる同所的な種分化が起こっている場合に、このように呼ばれる。

単一の先祖が多様なニッチに適応して行くことで、それぞれが別の種に分かれて行ったことによるものと考えられる。したがって、このような現象が起きやすいのは、沢山のニッチが空きになっている環境である。

しかし、一般に長期にわたって安定した生物群集においては、ニッチはある程度一杯になっているものと考えられる。空きがあれば、そこを利用するものが出現するはずだからである。したがって、大きく空きがあるのは、何らかの理由で撹乱を受けたか、あるいは始めから埋められていなかった場所であると考えられる。」とあります。つまり、あるニッチが空席になると、他の生物がそのニッチを埋めようとして進化するのです。

何のこっちゃ?!と思われるかも知れないくらいに難解です。もっと簡単にしかも具体的に言うと、ガラパゴスにはキツツキという鳥がいません。キツツキは木に口ばしでコンコンつついて穴を開け、その中に巣食っている幼虫を餌にします。このキツツキがいることで森の木々は助けられ、共存共栄を図っています。ところが、このキツツキがいないことで森は虫に食い荒らされてしまします。ところがこの島の森は健在です。なぜなのでしょうか?それはアイアイというキツツキとはまったく違う種類の猿がいて、その指の爪は異常に長く、その爪を使って木の幹をコンコンとつついて穴を開け幹の中の虫を捕まえます。

まさにピンチヒッターです。このような生態上のピンチヒッターを「適応放散」といいます。別の例では、マダガスカルは野生のネコ科とイヌ科の肉食獣がいないため、マングースや ジャコウネコ類が繁栄しました。 これもピンチヒッターです。生物の体系とはうまくできていて、生態上の隙間ができると、必ずそれを埋める新たなヒーローが誕生します。それも予期せぬ方向から・・・。しかし、キツツキがいる間は適応放散は起こらないのです。自然界の不思議生態です。人間社会の中にも同様のことが起こっているのかも知れません。

新・内海新聞 13号

先月に引き続き、糸川英夫博士の話を少し。糸川博士の著書で「逆転の発想」という本があります。その中に「フラスコ産業を探せ」という話がありました。化学の実験で使うフラスコです。フラスコの市場もニーズも小さく新たな参入の余地は無く、・・・・といって既に淘汰されていてわずかなメーカーが生き残っている斜陽産業といえます。

しかし、別の見方をすると閉域な独占企業。それにフラスコの需要は大きくはならないが決してなくならない。このような業界を見つける、あるいは創り出すことができれば経営は安定する・・・というものでした。では、他にフラスコ産業のようなところは無いのか?・・・ありました。おみくじメーカーです。おみくじは全国の70%を山口県の「女子道社」というところで製造しています。まさに独占企業です。

おみくじの原価は1円!

冒頭でおみくじメーカーの女子道社(山口県)の話がでましたが、このおみくじを研究した人がいます。私の友人で金子哲雄さんです。

販売促進という言葉がありますが、これはどうしても売り手の発想からでてきた言葉。買い手の顧客側に立って考えたら「購買促進」となります。

そこで金子さんは自らを「購買促進コンサルタント」と自己紹介されています。そんな金子哲雄さんが出版された本「おみくじの原価は1円!」はとてもおもしろいです。タイトルも興味をそそりますが、書かれている数々のエピソードも引き込まれてしまいます。たとえば、最初に金子さんの子供の頃の面白いエピソードが書かれてあります。ある日、友人と神社で遊んでいたとき、無人のおみくじ売り場がありました。料金箱に100円を入れると、おみくじをひとつ引くことができます。友人はおみくじをひとつ引きました。そして中に書いてあることを読んでから、また売り場に戻したのです。金子さんは友人に聞きました。

「お金は払わないの?」
「うん払わないよ。戻したんだから払わない。」
「えー、それって万引きと一緒じゃないの?」
「関係ないよ。おみくじ自体は返したし・・・」

彼は、悩んでしまいました。おみくじの原価って一体何なんだろう?中に書いてある「大吉」とか「中吉」とか「待ち人来たらず」とか・・・そういう内容が原価ではないのか?でもこの言葉は一応神様が言われている言葉なので、それに原価が発生しているというのも変な話。この友人の言っていることは正しいかも・・・。

本当はいくらなのか?を探求する旅にでます。そして、行き着いたところが山口県周防にある、「女子道社」というおみくじメーカーでした。この女子道社は全国のおみくじの約70%のシェアを持ち、ダントツのトップ企業です。結局、このおみくじの直接原価は紙代とインク代ということになり約1円だとわかりました。

最初はおみくじの販売価格も神社によってまちまちでしたが、大体100円と取り決めたのもこの会社。更におみくじをシステム化するために「おみくじの自動販売機」を発明したのもこの会社です。

金子さんはおみくじの原価を突き止めたことがきっかけで流通やモノの価格や値決めに興味をもち、徹底的に調べあげ「購買促進ジャーナリスト」としての地位を確立します。ハンバーガー屋の利益の構造はどうなっているのか?なぜセットメニューがあるのか?

コンビニエンスストアのレジ周りになぜ大福餅が置いてあるのか?マンションの製造原価はいったいいくらでどれくらい儲けているのか?

世の中、気がつかないうちに「暴利多売」の構造が出来上がっている。現在は日本テレビのみのもんたの「おもいっきりイイテレビ」のレギュラー講師をはじめマスコミで引っ張りだこです。ちなみに、コンビニエンスストアの一番儲かる商品は?・・・・それは、コピーらしいです。

不況のアメリカで好況業種とは?

なんと葬儀ビジネスらしい。確かに人は必ず死ぬことになるし葬儀も必要 。しかも、ベビーブーマー世代が予備軍でひかえているし・・・。故人の生きてきた証しを残したいとか、生前の名誉を讃えたいとか・・・。

会社を創業したころ、ある勉強会でハンカチ屋さんの社長と出会いました。ハンカチを作って販売しています。そしてその売上を聞いてびっくりしました。「年商200億円!」なんでハンカチで200億円も売れるの?!社長はニヤニヤして教えてくれました。

「供養品のハンカチですよ。葬儀の時に参列者へお渡しするお礼の品です。」
なるほどそうか!確かにハンカチとかお茶とかお礼状と一緒に頂くものがある。そして参列者の人数分必要。これを葬儀会社を通じて卸しているらしい。これで200億円!ほぼ独占企業なのではないか?その社長の話に聞き入ってしまった。参列された方は自分の住所名前を記入するが、それをコンピューターでデーターベース化するサービスも始められた。そして、言葉の表現は悪いが葬儀に来られる方々も同じような年齢の方が多く葬儀予備軍。

その方々に、自分の自叙伝を書いてゆけるようなキットを作ってお持ち帰りいただいていて、顧客データベース化している。更に会計士と組んで、遺産相続から税務相談までのアフターケアのサービスを始められた。遺産相続で一番多いのが不動産相続。

これが大変厄介で現金ではないので税金が支払えない。そこで、この対策は土地を売ることだろうと会計士と組んで不動産仲介会社も始められた。すごいシナジーです。とにかく、今アメリカで注目されているのが、この葬儀ビジネスということです。葬儀は人口の数だけマーケットは存在します。 葬儀だけではない、「袋」の出るライフイベントという見方をすると面白いです。

以前、私は「ご祝儀袋マーケティング」というのを 考えたことがある。人生のライフイベントのご祝儀が「出るタイミングを狙え!」である、ご祝儀袋が出るタイミングです。それは、「誕生」「進学」「就職」「結婚」「新居」「定年」「葬儀」という7回のタイミングがあると大きく決めました。そして、そのニーズは以下の通り。

「誕生・・・・健康で生まれて欲しい 」
「進学・・・・必ず合格したい 」
「就職・・・・第一志望の内定が欲しい 」
「結婚・・・・ステキな披露宴を見せたい 」
「新居・・・・家族構成を考えるタイミング 」
「定年・・・・第二の人生をどう生きるか」
「葬儀・・・・生きてきた記念、証しを考える」

ご祝儀に葬式はどうかとは思うが「袋」が出るには変わりはありません。 ご祝儀袋ビジネスはまだまだ伸びる余地があるはずです。

このご祝儀袋ビジネスの特徴は
1、値切らない
2、豪華志向
3、周囲も巻き込める
4、必ずある

景気不景気に関係なく、人の生活の中には必ずそれなりのニーズがあるものです。

好みの論理

「好みの論理」
人は好きなことを繰り返す…という法則。繰り返すから、癖になる。日頃美味しいと思っているものでも、今一度、なぜ美味しいと思うんだろう… と、考えてみました。

「そんなもん、美味しいから美味しいんだ!! 」

そう言われるかも知れませんが、本当にそうなのでしょうか?おいしいという感覚はとても曲者です。人によっても環境によっても、また体調によってもまちまちです。

「あそこのラーメン屋さんはすごく美味しいから!」といわれて行ってみて
「えっ?なんでこれが美味しいの?!」ということが良くある。

実は…
慣れた味だから、昔から食べているから、 そして、その慣れた味に近いか遠いかで美味しいまずいの感覚が支配されているかもしれません。初めて食べるものでも、 慣れている何かに似ているから美味しいと思うのではないでしょうか?

昔なじみの味… つまり、子供の頃に刷り込まれた味が(それは6歳までに決定すると言われます) その後の人生の味覚を支配するという人もいます。たとえば、嫁と姑の争いの根もこんなところにあるのかもしれません。

おふくろの味…これが曲者。おふくろの味は、美味しいのではなく、ただ慣れた味なのです。嫁は、親しんでいないし、慣れてないので決して美味しいとは思わない。やっぱり実家の味がいいと思っています。でも、その味で育った旦那は「やっぱりお袋の味噌汁は旨い!」と褒める。何かとても根深い・・・。

もしも、6歳児までの味覚形成をコントロールできれば、 その後の食生活を支配できるかも知れない。

新・内海新聞 12号

糸川英夫博士。もう亡くなられましたが、博士の逆転の発想が大好きでした。中学生の頃、何度もファンレターを書き、お返事も頂いたことがあります。戦争中は戦闘機「隼」の開発。戦後は宇宙ロケットの開発と、航空工学の権威でした。私は、子供の頃、博士のその発想法に感銘し、博士のようになりたい!と思ったものでした。

最も感銘を受けた話が「ゴルフ」の話です。ゴルフは、老人が準備運動もせず、いきなりドライバーをブンブン振り回すから、ゴルフ場で脳溢血で倒れる人が多い。だったらルールを変えて最初はパターから始まり、徐々にボールを飛ばすようにして、最後にドライバーでホールインワンを狙う競技に変更すべきだ!!と真剣に訴えられていました。感動しました。これだったらタイガーウッズとも戦えるかも。

常識とは反対の血管塞栓術

先日、あるIT会社の副社長のY氏と食事をしました。その会社は医学用画像処理技術のパイオニアの会社です。そのときの話題が、放射線治療学。この放射線専門医をもっともっと増やさなければならないとい熱弁されていました。この分野の専門医は、現在国内に400名ほどしかいないそうです。欧米から見てもはるかに立ち遅れている。放射線というと、レントゲンとか、癌の放射線治療とか、医師の中では地味で、あまり知られていません。

先日知人の医師に聞いてみたら「放射線医というのは、患者と会うことも少なく感謝されないし、手術を支配する外科医のパシリみたいなもんだからね・・・つまらない職業だよ。」と一言。本当にそうなのだろうか・・・?なぜ、放射線治療に可能性があるかというと、この分野がIT技術と極めて親和性が高く、通信技術にも関係し、そしてものすごい速度で進化し続けているからです・・・とY氏。しかし、日本においてこの分野の人気が無いのは、恐らく、日本は世界で唯一の被爆国であり、この放射線とか核といういう言葉に対して非常に敏感で拒否反応が強いからかもしれません。

さて、放射線医療(Radiology)とは、放射線を用いた診断や治療等を中心とした医学の一分野である・・・とあります。そして、「放射線診断学」「放射線治療学」「IVR」の3つに分かれます。このIVRは、CTやMRIという断層写真技術や、画像技術を駆使してピンポイントで患部を特定します。そして、カテーテルを用いた手術を行います。更にIVRには、血管内治療というものがあり、「塞栓術・閉塞術」というのがあります。血管内にわざと塞栓剤というアロンアルファのような詰め物をし、血行を止める方法です。

癌細胞とは内蔵などに付着し血液を吸い上げて生存しています。つまり、自立生存できないのです。写真でみると癌細胞の周囲に血管がまきついています。そのがん細胞に伸びた血管の枝の一本一本にカテーテルを使って、アロンアルファのような化学物質を注入して塞栓し、血行を止める方法です。これによってがん細胞は死滅します。Y氏は鞄からイラストを取り出して詳しく説明してくれました。

一番上の絵が肝臓にできた癌です。新生血管という血管が巻き付いているのがわかります。次の絵が血管内にマイクロカテーテルを挿入したところです。3番目の絵がマイクロカテーテルの先端から塞栓用の化学物質を注入しているところです。

4枚目の絵は塞栓によって血流が止まり、癌細胞が死滅したところです。大きな特徴は、外科的切除手術を極力避けることができ、患者への負担が非常に軽い点です。もしもの時、外科医だけでなく、放射線専門医に相談することをお奨めしますとY氏。乳癌でも切除せずに治療が可能になります。

身近で私の友人が3人も乳腺癌になってしまいました。30代という若さです。どんどん若年齢化しています。食の欧米化や晩婚少子化が原因という報告もあります。もちろん、まだまだ始まったばかりの方法ですので、すべて万能ではありませんが、この治療を支えるIT技術は著しく進化し続けています。

重要なことは、画像処理技術やCTやMRIといった断層写真技術を使って正確に患部の位置を特定する必要があります。しかし、このMRIは予約待ちが多く、また機械自体が高価なため、なかなか簡単に病院に設置することができません。このMRIこそ24時間365日稼動体制で利用できるようにすることも必要かもしれません。

静かな時間

小田原ネタを二つご紹介します。
以前、小田原である会議に出席した時のことです。会議のレジュメの一番最後に「静かな時間」と書いてある。

「えっ!?」と思いました。静かな時間って何だろう?
私は、隣に座っている参加者の方に聞きました。
「この最後の静かな時間というのは何ですか?」すると、
「静かな時間というのは、字の如く静かな時間の事です。」
「???」 皆目意味が判りません。
仕方なく、その時刻まで待つことにしました。

やがて、すべての議案が終了し、いよいよ静かな時間です。わくわくして待っていると・・・すると議長が、
「では、皆さん。静かな時間です。宜しくお願いします。」・・・・・・・
「え、何???」
周囲を見ると、目をつむって瞑想している人、今の議事録を読み返している人、深呼吸している人。何か黙ってメモをしている人、それぞれめいめい違うことをしていますが、共通していることは誰も声も出さず物音もたてず、まさに静かな時間が流れています。「静かな時間ってこういうことなんだぁ」約2~3分経って「はい、時間です。皆さんお疲れ様でした。」

それぞれは、帰り支度をしています。私は再び質問しました。
「今の静かな時間というのは何ですか?」すると、こんな答えが返ってきたのです。
「静かな時間というのは、じっとして興奮している気持ちを心落ちつかせてすごす時間の事です。スポーツで言うクールダウンと同じです。ゆっくりと情景を愉しむように会議の場面を創造してください。脳は、まさに興奮して充血した状態です。これを冷やすことで、よりしっかり記憶でき、整理できるものなのです。この静かな時間は、もう60年も続いているのですよ。」へぇー。

驚きました。確かに、この喧騒の世の中で、静かに数分間心落ち着かせてじっと静かにしているというのは至難の技かもしれません。テレビをつけても、大音量のコマーシャルと怒鳴り声ばかりのお笑い番組ばかり・・・。最近は神経を研ぎ澄ます行動が無くなり、繊細な心が失われつつあります。この静かな時間は、それ以来、私の中で取り入れて、できる限り余韻を楽しむようにしています。

小田原銘菓ういろう

小田原の市内にひときわ目立つお城のような建物があります。小田原城とは違います。初めて見たとき、なぜお城が二つもあるのだろう・・・と思ったくらい本物のお城そっくりの建物です。

それが、「ういろう」というお菓子の本社ビルです。「ういろう」といえば名古屋のお菓子で、青柳ういろうが有名です。その名古屋の会社がなぜ小田原にあるのだろう?・・・そんな風に思っていました。しかし、このういろうというのは人の苗字であり、この小田原から誕生したものであることを知り驚きました。私も知りませんでした。「ういろう」というのは、本来お菓子屋ではなく、もともとは薬屋さんでした。旅人が常備薬として持ち歩いた仁丹のような薬をつくっていました。実は、今も製造していて販売していますが、すぐに売切れてしまいます。漢字で書くと「外郎(ういろう)」。調べてみると、こんな説明がありました。

「外郎(ういろう)は、仁丹と良く似た形状・原料であり、現在では口中清涼・消臭等に使用するといわれる。正しくは透頂香(とんちんこう)と言う。中国において王の被る冠にまとわりつく汗臭さを打ち消すためにこの薬が用いられたからという。」もともと中国の元朝に使えていた陳延祐という人が日本に帰化して、中国での官職名「礼部員外郎(れいぶいんがいろう)」の「外郎」をとって官職名と間違えられないように唐音の「ういろう」と名乗りました。以後、600年以上、今日まで外郎は直系しか名乗れない苗字として続いています。

この仁丹のような薬を作る中で、練り菓子も考案し、現在の菓子の外郎が出来上がっています。もともと九州の博多にいたようですが、子の代で京都の足利義満に医者として仕え、ひ孫の代で北条早雲に召抱えられ小田原に移り住み、現在もお菓子と薬の「ういろう」を作り続けています。

しかし、小田原という街は不思議な町です。城下町であり東海道の重要な宿場町でもあります。かつて、豊臣秀吉や徳川家康が憧れたといわれ、特に家康は小田原のような街を江戸に作りたいと、いろいろ小田原の模倣をしました。有名なのが地名で、小田原の町の地名をそのまま使っています。たとえば、銀座や板橋、荻窪などなど。驚かれましたか?実は、銀座も小田原から江戸に伝わり、全国に広がったそうです。

新・内海新聞 11号

東京大学の惑星科学者である松井孝典先生の学説は非常に面白いです。数多くの著書もあり、いま最もノーベル賞に近いといわれている物理学者でもあります。その先生の学説で「おばあさん進化説」があります。(月刊『自然と人間』2003年2月号)。

人類のおばあさんだけが生殖年齢を超えても生存し、しかも現役。そのおばあさんが集団の記憶装置の役割を果たすというものです。「おばあちゃんの知恵袋」です。そして、おばあさんから危険を回避するノウハウが集団に伝授され、生存率が高まり、人口が増え文明を築くことができたというものです。サルも生殖後も生存しますが、既に群れから離れ、その経験は集団の中に活かされることはありません。人類のおばあちゃんは偉大なハードディスクといえます。

西澤潤一教授の教育現場視察

先日、友人たちと食事をしていて、教育に関する話題になりました。日本がこれから頭脳立国をめざすのであれば、これからの教育システムは本当に重要になってきます。そんな時、7年前のあるテレビ番組を思い出しました。以前に一度書いたのですが、後日談も含めてもう一度書くことにしました。

2001年の春にNHK-BS1で3日間連続で教育現場の取材番組がありました。現在岩手県立大学学長の工学博士である西澤潤一先生が、アメリカや中国の教育現場の様々な人々の取材をしてゆく番組でした。私は、この番組を偶然見ましたが、大変考えさせられる内容で今も考え続けるテーマを与えてくれました。西澤先生は、アメリカの田舎にある高等学校を視察に行きます。

この高校は全寮制です。そして生徒だけではなく、先生もその校舎とつながっている宿舎に家族で住んでいます。ある人に聞きますと、かつての日本の旧制中学校もこれと同じ全寮制で、先生もその敷地内に住み、校庭の横に畑を耕したりしていたそうです。このアメリカの高校は9クラスあって、毎週金曜日に試験が行われ、成績が悪いと、特別クラスに変わらなければなりません。そこで、さらに成績が悪いと退学です。毎日毎日、猛勉強しなければなりません。

この高校に、ある一人の日本人の女子生徒を発見します。
「あなたは日本人ですね。」
聞いてみると彼女は昨年一年間AFS(アメリカンフィールドサービス)という交換留学生制度を使って、この高校に留学していました。一年間がすぎ、帰国しましたが、彼女は日本の高校を退学し、再びこの高校に留学してきます。西澤教授は不思議に思いました。
「あなたは、なぜ、日本の高校をやめてまで、アメリカのこんなに厳しい学校に編入する気になったのですか?」
彼女は話し始めました。
「私が日本にいたとき、皆、私がどんな女の子かイメージを持っていて、私もその期待に応えるような話しかしなかった・・・。先生が喜ぶような答え・・・両親が気に入るような答えを選んで話していました。そうしたら、いつか私は『私は一体誰?本当の私はこんなじゃない。もっともっと違うことを考えている自分がいるのに・・・』そんなことに気付きはじめたんです。そんな時アメリカのこの高校に留学することになりました。ここで勉強して感じたことは、相手の事を知るために徹底的にみんなで話します。そして、私もみんなの意見を一生懸命に聞きます。そういう時間がたっぷりあります。だから毎日がとても楽しい。毎日の勉強はとっても厳しいけれど、私はこの高校で勉強できることを大変光栄に思います。」と彼女は言いました。

私は、この「光栄に思う」という言葉に大変驚きました。一体、今の日本の中で、自分の高校で学べることを光栄に思っている高校生は何人いるだろうか?西澤先生は質問を続けました。
「あなたは、何のためにこんな猛勉強をするのですか?」
「社会にでて、恥ずかしくない教養を身につけるためです。」
西澤先生は、ためしに他の高校生にも同じ質問をして見ました。するとみんな「教養を身につけるためです。」と応えます。誰一人、一流大学にいくためとか、医者になるためとか、豊かな生活をするためとか言いませんでした。日本に生まれ、17年間日本の教育を受けて育った少女が、たった1年間アメリカに留学しただけで、こんなに生き生きしたキラキラした目に変わっている。ものの考え方とは国民性とか民族性とかに支配されているのではなく、しっかりした教育システムで変わるのかもしれない・・・という事を感じました。

西澤先生は、今度はニューヨークに飛びました。そこでドリアン助川さんというロックミュージシャンに会うためです。彼のアパートを訪ねました。ドリアン助川さんは、日本にいたときは、ミュージシャンでありながらラジオの深夜放送で中学生、高校生たちの人生相談をしていました。
「人生もっと前向きに生きていこうぜ!」
「自分が納得できる人生を歩もう!」
「世の中、そんなに捨てたもんじゃないよ・・・」
彼は、マイクに向って答えていました。でも、ある日気付いちゃったんです。ココでこんなことしている場合じゃないって・・・ドリアン助川さんは話します。
「人生もっと前向きに生きようぜ・・・って言ってる俺は本当に前向きなのか?自分の人生に本当に納得しているのか?世の中そんな捨てたもんじゃないって・・・。今本当に思えるのか?」人を輝かすには、もっともっと自分自身が輝いていなければならない。なぜなら子供達はみんな、先をいく大人の背中を見て育ってゆくものだからです。それで、私は日本での仕事を全部やめて、昔から夢だったこのニューヨークに住んで、英会話学校に通って、英語でロックを歌うバンドを作っています。まず、自分が納得できる人生を選び、自分自身が輝き続けること。それが、今一番しなければいけないことなんだって気がついたんです。」(つづく)

中国の天才少女

(つづき)
もっともっと輝き続けること・・・・・。
さきほどの、女子高校生もこのドリアン助川さんも、自分自身が納得できるように挑戦しています。自分の人生を最初から型にはめたり、妥協したり、無気力になったり・・・そんな人生より、もっともっと一所懸命生きてゆこうとする姿に感銘しました。

西澤教授は、中国に飛びます。中国である少女に会うためです。この少女は、中国全国の中でプログラムコンテストで優勝しました。会ってみると、とても素朴な少女です。

西澤教授は質問しました。素晴らしいプログラムを作られたそうですね?コンピューターは、学校で勉強したのですか?
「はい。学校で習いました。それと・・・父にもらったノートパソコンで家でも一生懸命勉強しました。このパソコンは父の手作りなんです。」
お父さんはエンジニアなのですか?
「いえ、小さなお店のコックをしています。」
西澤教授は、良く理解できない様子です。

そして、差し出されたそのノートパソコンを見て驚きました。段ボールとガムテープでできていたのです。二つ折りの段ボール。画面やキーボードはマジックで書いてあります。彼女は毎日、この段ボールパソコンに指を置いてパソコンを打つ練習をしていたのです。その段ボールパソコンの画面には何も表示されませんが、彼女の頭の中のパソコンの画面には、何千行というプログラムが映し出されているのだと思います。私も心底驚いたのを覚えています。
「これで、やっと優勝商品の本物のノートパソコンがもらえます!」
目をキラキラ輝かせていました。

とにかくお父さんは得体の知れない理解できない人

西澤先生の視察番組は、非常に考えさせられるものがありました。私の友人で、コラムニストの相米周二君がいます。彼は、私がジンテックを創業したころに、日経流通新聞の記者として取材にきたのがきっかけで親しくなりました。

彼は、現在、様々ところでコラムを書いていますが、新幹線でしか買えない「WEDGE(ウェッジ)」という雑誌の中にもコラムを書いています。その「WEDGE(ウェッジ)」に「拝啓オヤジ殿」というコラムを書いています。登場するのは父48歳アパレルメーカー部長。娘17歳高校2年生です。
「お父さんは矛盾だらけの人です。しばらく私はお父さんを無視します。私の意見にちゃんと答えたら態度を改めてもいいっすよ。」からはじまります。
「お父さんは言います。モノは大事にしろ。粗末にするな。まだ使えるだろう。もったいない・・・その通りです。私は簡単に捨てたり買い換えたりしてきたし、貧しい人たちから見たらなんと大バカモノって映るでしょう。
でもお父さん、あなたはモノを大切にしていますか?
そして、あなたの会社ではモノを大切に扱っていますか?
色・デザイン素材・機能の異なる服をつくってるけれど、それって毎年出す必要がありますか?
「もう時代遅れです」調の広告を大々的にPR。洋服って何年も着れるじゃないですか?
時代遅れの服はどうしているの?
貧しい国々の人に送っているという話も聞いた事ないし、リサイクルしているって話も聞いた事がない。そのあたりどうなってんの?
そして、この「時代遅れ」っていう言葉・・・時代に乗り遅れるな、時代に遅れたら損をする。泣きを見る奴は時代に乗り遅れた奴ばかり。勝つ奴は時代に敏感なんだってっていう言い方、気に入らないよな・・・。

お父さんが言う、その「時代」というのは単なる比較だけなんだよ。他人と比較してどうとか、同僚と比較してどうとか、他の会社と比較してどうとか・・・お父さんが部長に昇進した時も、時代を見抜いているからと自慢してたけど、昇進できなかったら時代遅れなわけ?熱心に読んでる本や雑誌は勝ち組がどうの、あの会社のボーナスがどうのと比較した奴ばっかりじゃん。もうお父さんが敷いたレールの上を歩くのはまっぴらご免。お母さんとの結婚もまさか、いろんな女性たちと比較して選んだんじゃないだろうね。愛情とかは二の次三の次で・・・、それが本当だとしたら私は何なの?とにかくお父さんは得体の知れない理解できない人。私の疑問にちゃんと答えてください。」
(ウェッジ2002.02より抜粋)

【西澤潤一教授の教育現場視察】の中にもでてきました。子供達は皆、大人の背中を見て育っていく。自分自身が思いっきり輝いていないと、人を輝かすことなんてできやしない・・・まず四の五の言う前に自分自身が輝く人生を送ること。それが教育の基本であり、スタートなのかもしれません。その言葉が何度も何度も頭の中で響いています・・・・・。

新・内海新聞 10号

今、私は外食の時、自分専用の「My箸」を持ち歩いています。以前から購入して持っていたのですが、今回あることがあって、常備するようになりました。特に「輸入割り箸」の危険性について盛んに報道されるようになってからは安心のための自己防衛策として持ち歩いています。

以前報道番組で、輸入割り箸を金魚の入った水槽にしばらく入れておくと、その水が真っ黒になり金魚が全滅したシーンがありました。防腐剤と漂白剤のかたまりの輸入割り箸は、食品衛生などの基準が無く、検査なしでドンドン国内に流入してくるらしいです。確かに今、レストランなどでは割り箸を使わないお店が増えていますが、これは別の理由でしょうか?

戦場からの遺言

以前、友人とアメリカの研修について話しました。アメリカ人は意思の「言語化」というところでは 素晴らしい能力を発揮します。しかし、日本人はそういう部分は苦手かも知れませんが、精神世界というか、より高次元での理解力ははるかに優れている・・・という結論になりました。

以下は、以前NHKの人間講座で紹介された 「収容所から来た遺言」の抜粋です。 これは、シベリアで抑留され拷問や氷点下40度での強制労働、一日黒パン一切れという飢餓との戦い。そして、帰国を直前に癌を発病し、現地で落命された方の遺言です。彼は死の淵で日本にいる家族にあてて、自分の思いをノートに書き残したそうです。しかし当時のソ連では文章の持ち出しが許されなかったので、彼の文章に感動した戦友たちがそれぞれのたばこの箱などにメモをとり、あるいは暗記して秘かに日本に持ちかえったものだそうです。

・・・・・子供達へ、山本顕一、厚生、誠之、はるか、君たちに会えずに死ぬことが一番悲しい。成長した姿が、写真ではなく、 実際に一目みたかった。

お母さんよりも、モジミよりも、私の夢には君たちの姿が多く現れた。 それも幼かった日の姿で・・・ああ何という可愛い子供の時代!

君たちを幸福にするために、一日も早く帰国したいと思っていたが、 とうとう永久に別れなければいけなくなったことはとても残念だ。第一、君たちに対してとてもすまないと思う。

さて、君たちはこれから人生の荒波と闘って生きていくのだが、 君たちはどんなつらい日があろうとも光輝ある日本民族の一人として生まれたことに感謝することを忘れてはならぬ。日本民族こそは将来、東洋、西洋の文化を融合する唯一の媒介者、東洋のすぐれたる道義の文化、人道主義をもって世界文化再建に寄与しえる唯一の民族である。この歴史的使命を片時もわすれてはならぬ。

また君たちはどんなに辛い日があろうとも、人類の文化創造に参加し、人類の幸福を増進するという進歩的な思想を忘れてはならぬ。偏頗(へんぱ)で、矯激な思想に迷ってはならぬ。どこまでも真面目な、人道に基づく自由、博愛、幸福、正義の道を 進んでくれ。

最後に勝つものは道義であり、真であり、真心である。友達と交際する場合でも、社会的に活動する場合にも、生活のあらゆる場面において、この言葉を忘れてはならぬぞ。人の世話にはつとめてならず、人に対する世話は進んでせよ。但し、無意味な虚栄はよせ。

人間は結局、自分一人の他に頼るべきものがない、という覚悟で、強い能力のある人間になれ。自分を鍛えてゆけ。精神も肉体も鍛えて、健康にすることだ。強くなれ。自覚ある立派な人間になれ。四人の子供たちよ。お互いに団結し、協力せよ。特に顕一は、一番才能に恵まれているから、長男であるし、三人の弟妹をよく指導してくれよ。自分の才能にうぬぼれてはいけない。学と真理の道においては、徹頭徹尾、敬虔でなくてはならぬ。立身出世など、どうでもいい。

自分で自分を偉くすれば、君たちが博士や大臣を求めなくても、博士や大臣の方が君達の方へやってくることは必定だ。要は自己完成!

しかし浮世の生活のためには、致し方なしで、ある程度打算や功利もやむえない。度を越してはいかぬぞ。最後に勝つものは道義だぞ。君たちが立派に成長していくであろう事を思いつつ、私は満足して死んでいく。どうか健康に幸福にいきてくれ。長生きしておくれ。

最後に自作の戒名 久遠院智光日慈信士
1954年7月2日 山本幡男

・・・・・・当時、この遺書を戦友たちが命がけで持ち帰ったのは、実は祖国の日本人たちすべてに向けた大切なメッセージだと考えたからかも知れません。

祖父から引き継いだもの

私の祖父は発明家でしたが、その曽祖父もさらに発明家!しかも商売上手のベンチャー経営者でした。写真は穴を開ける旋盤という機械と、ドリルを固定する「チャック」という金具です。

曽祖父は「チャック」と呼ばれる工具を発明しました。そして、このチャックの構造で特許を持っていました。写真は現代のもので、当時のものとは違いますが、旋盤(写真上)という木材などに穴を開ける機械の先端にドリルを固定する部品が「チャック」(写真下)です。

発明するまでは、穴の中にドリルの芯を入れ、数箇所からボルトやねじで固定して使いました。しかし、どうしても曲がってしまうのでドリルの先が折れたりしていました。曽祖父はそれを改良して、横のバーを回すことで先のからす口が閉まり、全体を均一に締め付けてまっすぐにドリルを固定できるようにしました。

これを特許出願し「キングチャック」「キタカタチャック」という製品名で莫大な利益を得たそうです。大阪の近鉄電車の河内天美(かわちあまみ)という駅の近くに広大な敷地に豪邸がありました。庭には、自分で創立した中学校と運動場、体育館がありました。戦争当時は軍需産業として隆盛を誇ったそうです。

しかし、戦後、軍需産業はなくなり倒産。一家は一転して貧乏のどん底。祖父は、そんな中でもアイデアへの情熱は失っていなかったようです。自分の子供たちは誰も聞いてくれない特許やアイデアの話を祖父は、孫である幼い私にしょっちゅう話をしてくれました。。 そんな私にとって、子供の頃から特許にはとても身近な存在でした。

長屋経済学

私が子供の頃、母は私たち兄妹三人を呼んでこんな話をよくしていました。
「今度、美容師の学校に行こうと思う」
「びようし?なんで?」
「美容師になるんや。これから景気が上がってくるから女の人も身なりを綺麗にする。そやからパーマが流行るはず」
「だから、美容院をしようと思うんや。」
「いまから?」
「そうや、いまからや。そやけど今からやったら不利やから、他とは違う美容院を考えてるんや」
「どんな?」
「髪の毛を切るだけの美容院や」
「切るだけ?」
「そうや。パーマは今は高い。そやからしょっちゅうは行かれへん。そやけど、髪の毛は黙っても伸びるやろ?自分では切られへんから、切るだけにやってくる。それを安くしてあげて、髪の毛を切るだけの美容院にするんや!」
「ふーん。なんや難しくて判れへんわ~」

今から45年前の話です。 いまでこそカット専門の理容はありますが、当時としては凄いこだと思います。実際は、いろいろ事情があってできませんでした。 今、その時の話をしてみると母はこう言います。

「考えるのは誰でもできるでー。大事なのは実行することや!」・・・と。

そんな母と、今の経済について話をしました。
「今は、いろいろ格差の問題があって生活が大変やね。」
「そやけど、昔は貧乏人は貧乏人の生活があって、決して高望みはしなかったよ。自分たちの幸せが一番大事で、身分相応ということを解かっていた。 より多くのお金を追いかけず、高望みもせず、自分の与えられた中で努力していったもんや。 もちろん勉強して偉くなる人もいたよ。 それは選ばれた人や。でも貧乏と金持ちはちゃんと住み分けていてそれぞれの世界があったなぁ。」
「そうか。今は何でもかんでもお金を求めて高望みの世界やからね。」
「そうやね。格差社会は昔からあったし、それが当たり前やった。」
「そやけど、今と昔で一個だけ違うところがあるねん。それはな、長屋や。昔は住まいに長屋というものがあって、安く皆で生活が出来た。 結構しっかり造ってあって頑丈やったんやで。 あんたの子供の頃に住んでいた家も長屋やったやんか。 隙間から隣の家の晩御飯のおかずが見えたりしたやろ?」
「そうやな、うなぎの寝床みたいな長屋やったね。」
「貧乏人は、長屋に住んで少ない収入でも十分生活できたもんや。 でも今は画一的になってしもうていかんな。住むとこが一番大事やねんけどな。」私は、なるほどね・・・と思いました。

母のいうセーフティーネットは住居であり、長屋のように皆で協力して生活してゆける環境が、助け合いの精神や地域貢献や、子供の教育などに役にたち、安く生活できて楽しかったのだと言っています。地域社会の交流が一番の基本であるといっているようにも思いました。