内海新聞 35号

先日、小田原の若手経営者の方々や小田原財界の重鎮の方と飲み会がありました。そのときに出た話題が小田原の地名の話です。小田原の街作りは極めて優れていて、江戸を創る時に、その職人や知識人を招聘して指導させたそうです。そして、そこには小田原の古くからの地名が名付けられました。

「銀座」「新宿」「板橋」「荻窪」等々・・・・これらはすべて小田原の町名です。私は江戸の地名からきたものだと思っていましたが、それは全く逆だそうです。町並みを探索するといろいろ発見があります。

生活者と共に・・・

私は今から16年前に会社を創業しました。その前は10年間中華料理のコックでした。コックから全く違う分野への転身です。最初は「なんでもできる!」というような怖いものなしの意気込みでした。しかし、事業というものはそんなに甘いものではなく、やることなすこと皆失敗続きでした。当時は大学生の名簿をいろいろなところから集めてきて、それを企業の人事部に売るということをしていました。

つまり、企業の新卒採用のお手伝いです。大学生の採用に必要な名簿を集めるブローカーのような仕事です。しかし、これはすさまじい価格競争の中にあり、利益など出ませんでした。自分のユニークな商品を企業に売りにいくというよりも、企業に行って、なんでもいいから雑用の仕事を貰う・・というような毎日でした。ですから、いつも企業の人事部の顔色をみて、言われることは何でもするという姿勢でした。自分が何を目指して仕事をしているのかわからなくなっていきました。そんなある日、アルバイトに来ていた女子大生が私に言いました。

「あなたの考えは間違っています。企業がやっている採用の仕方は私たち大学生にとって非常に判りにくいし、不親切。そんな企業の言われるままの仕事をしていても学生はきっと喜びません。

本当にしなければいけないことは、学生が喜ぶ、学生にとってためになることだけを考えて仕事をすることだと思います。学生至上主義です。本当に学生の就職に役立つことを学生の身になって考え続けることなんです。」頭をガーンと一発殴られたような感じでした。

では、学生のためになるものって、一体何?私は素直にその女子大生に質問しました。

「例えば、自動車を購入するとき、新聞の宣伝を見て、すぐに注文しますか?テレビのコマーシャルを見てすぐに買いに行きますか?きっと、ショールームに見に行ったり、道路に止まっているその車の近くに行って眺めたり、誰か実際に乗っている人に、いろいろ聞いてみたりしますでしょう?

結局、自分の目で耳で確かめることが一番なんです。だから就職も同じです。自分の目と耳で確めたいんです。それは誰から確めますか?きっと、自分の大学の先輩OBです。その目指す企業にいる自分の先輩から直接話を聞きたいんです。だから、各企業にいるOBの電話帳を作ってください。その助言から「就職OBガイド」という就職イエローブックが誕生しました。学生の間でこの本は絶賛され、予想通り企業からのオーダーが続きました。

学んだことが「生活者と共に」ということでした。生活者に役立つもの、喜んでもらうものを考え続けることが、企業からの評価を受け、最終的に世の中に貢献するのだということでした。今、日本の企業が忘れかけている、とても重要なキーワードであると思っています

ニンジンジュース断食とサウナの効用

私は年に数回、伊豆高原にある「ニンジンジュース断食」で有名な「ヒポクラティックサナトリウム」(0557-44-0161)に行きます。
みのもんたさんや東京都知事、竹村健一さんなどがテレビなので、その絶大な効用を紹介されたことで更に有名になってしまいました。私は9年程前からお世話になっています。24時間入れる温泉があるのですが、私はそこにあるサウナと水風呂が楽しみです。石原結寶院長の話によると、体の冷えが病気の原因になることが多く、いかに体を温めるかが重要だということです。サウナというのはその点、非常に体を芯から温めてくれます。サウナに10分15分入っていると血管や毛穴が広がり、その後ゆっくり水風呂に手足からゆっくり入ってゆくと、今度は毛穴や血管が収縮して末端から血液が押し出され循環されるという、もう一つ心臓を持つのと同じ効果のようです。

ある方にこんなアドバイスを受けました。「水をほんの一口だけ含み、ゆっくり飲んでからサウナに入ると、汗の出がとても良くなるんだよ。もしも水を一気に沢山飲んでサウナに入っても汗は出ないものなんだよ。」試してみましたが、確かにおっしゃるとおり汗の出が全然違います。すると、もう一人の方が別のアドバイスをしていただきました。人間の体は体温に近い温度が一番吸収力が高まるらしいですよ。だから水を一気に飲むより、一口ずつゆっくり飲んだほうが、体温に近い温度になって吸収が良くなるんじゃないですか?だから汗となって出るのではないでしょうか?」妙に納得したサウナの密室での会話でした。

お茶の水博士は実在した!?

2003年4月7日は鉄腕アトムの誕生日です。鉄腕アトムは私にとって大変思い入れの深い漫画です。私の実家は兵庫県宝塚市です。今では新興住宅地ですが、私の生まれた頃は蛍の飛ぶ田舎町でした。森と川の昆虫王国でもありました。私の父は獣医師で、宝塚市にお住まいだった手塚治虫さんの愛犬の主治医でもありました。当時、手塚治虫先生は大阪大学医学部の大学院の学生でした。父は手塚さんのことを「なんと絵の上手な学生なんだ・・・」と思っていました。

沢山の色紙を貰っていました。マントを着た少年の漫画の色紙を私はよく覚えています。しかし、それが鉄腕アトムだったのか、ブラックジャックの原型だったのかはわかりません。いただいた色紙や初版本は全部私が落書きしたり、破って捨ててしまいました。大変勿体無い事をしたものです。手塚先生は昆虫好きで、名前まで「虫」を付けてしまいました。私も昆虫好きで小学生の頃は昆虫と一緒に生活していたようなものです。考えてみれば、私が子供の頃、宝塚には自称昆虫博士というような少年が沢山いました。

当時、宝塚に昆虫少年が数多く出現したのには理由があります。それは「昆虫の神様」と呼ばれる方が宝塚にいらっしゃったからなのです。もちろん手塚治虫さんもこの大先生に育てられたのです。それが福貴正三先生です。私の昆虫の師匠でもあります。福貴先生!あの時は本当にお世話になりました。

神戸新聞にこの福貴先生の紹介記事を見つけましたので引用します。
宝塚昆虫館(1939年開館~1968年閉館)
宝塚市で育った漫画家手塚治虫が少年時代に描いた昆虫の細密画五枚がこのほど、親交のあった同市内の男性宅から見つかった。ペンネームの由来となったオサムシなどがていねいに描かれ、少年時代の“虫博士”ぶりがうかがえる作品。「生涯愛し続けた宝塚とのかかわりを示す貴重な資料」と関係者も注目している。保管していたのは、かつての宝塚遊園地内にあった昆虫館の学芸員で、手塚作品のキャラクターのモデルにもなった福貴正三さん(87)。

治虫少年は「ひまさえあれば訪ねてきた」といい、家では図鑑や標本を熱心に模写して見つかった絵は縦約十八センチ、横約十三センチの紙の両面に、オサムシやセミの仲間のハゴロモなど七十二匹を絵の具で描写。絵を包んだ和紙には「日本産ヲサムシ図録。福貴さんへ」と書かれている。同市の手塚治虫記念館は、手塚が旧制中学三年ごろに印画紙の裏に描いたカブトムシとチョウの絵二枚を所蔵しているが、これも福貴さんが直接もらったもの。今回の昆虫図も同時期の作品とみられ、長く所在がわからなかったが、レコード箱の中から偶然見つかった。

「ある日、大学生の手塚君が『これあげます』と昆虫館に持ってきたんです」と福貴さん。いつも熱心に相手をしてくれた「昆虫の師」へ記念に贈ったものと思われる。
===また別の記事でもこう書かれています。
===現在の宝塚ファミリーランド内にあったこの宝塚昆虫館に、手塚は小学生の頃足しげく通っていた。昆虫館の学芸員をしていた福貴正三氏のところに毎日のように昆虫の話を聞きに行ったという。昆虫館には、月ごとに虫のスタンプが用意されていて、それをノートに押してくれるのも楽しみだった。

実は、「新・虫マップ」の原稿を書いている丁度そのときに、幸運にもその福貴正三さんにお会いする機会にめぐまれた。あつかましくも突然ご自宅をお訪ねしたわけだが、福貴さんは本当に気さくに話をしてくださった。いろいろたくさん貴重な資料を見せていただくことができた。なんと手塚先生が描かれた昆虫の原画も見せてくださり、写真を撮らせていただいた。

福貴さんのお話の中で印象的だったのは手塚治虫のペンネームの由来となったオサムシについてである。(ちなみに当時、手塚本人は”治虫”をペンネームと言わず「雅号」と呼んでいたそうだ。)オサムシの種類の中に”マイマイカブリ”といって、日本にしか生息しない種類がいるそうなのだが、そのマイマイカブリが自分に似ている、ということで手塚は非常に興味をもった。メガネをかけたような顔、肉食であること、そして夜行性。そんなわけで治は自分のペンネームを「治虫」と書くようになった。(神戸新聞 2002年2月9日)

====そんな手塚治虫さんが描いた鉄腕アトムの誕生日が2003年の4月7日でした。手塚作品というのは人間社会をリアルに描いているなぁと思います。人が死ぬシーンや、お酒やタバコといったものから、暴力や戦争など人間のどろどろした部分まで忠実に描かれていました。子供が読む漫画だからこそ、目をそむけないでリアルに描いて、逆に愛情や思いやりや自然を思う心を伝えたかったのではないのか・・・と思います。

今、ソニーの動物ロボットの「アイボ」やホンダの「アシモ」など実用化されたロボットたちが活躍を始めました。アトムの中の2003年は、ロボットと人間の対立が描かれていましたが、現代のこのロボットたちは、人間と調和してゆけるのでしょうか?ところで、この福貴先生。どうみても「お茶の水博士」でしょう。