内海新聞 39号

会社を創業した時から、落ち込んだ時、自分自身の気力の補填をする場所があります。それが東京の西新宿の高層ビル街です。高層ビルを見ていると、なにかもりもり元気が出てきます。そんな新宿の高層ビルを一望できる良い場所があります。新宿ワシントンホテルの最上階にあるレストラン「ガスライト」という名前のお店です。

現在は「マンハッタンテーブル」という名前に変わっています。そのお店は全面ガラス張りになっていて、目の前に西新宿の都庁やNSビルや三井ビル、住友ビル、京王プラザホテルが広がります。何か幻想的になって、ビルとビルの間からゴジラやウルトラマンが登場してくるような錯覚を起こしてしまいます。最近はなかなか行けませんが、創業時には大変お世話になった場所でもあります。
マンハッタンテーブル: 03-3344ー6109

予見するということ

先日、知人とこんな話をしました。「倉庫にあるものは売れ残り」売れ残っているから倉庫にたまっているんだ・・・ということです。少々乱暴ですが、確かにそうかもしれません。

倉庫業って地味な仕事で、なんとなく暗いイメージがします。しかし、倉庫を制することが経営のコツということです。たとえば、ある倉庫に運動靴が沢山ストックされていたとします。しかし、運動靴は倉庫の奥に押し込まれて忘れ去られてしまいます。運動靴一足を倉庫に一日保管するといくらの費用がかかるか?計算すればすぐに数字がはじけます。この運動靴の原価がいくらかわかれば、後何日の保管で原価割れをするかがすぐわかります。何パーセントの利益を確保しなければならない・・・と決まっているのなら、何月何日にいくらで出荷しなければならないということも簡単な計算式でだせます。ここまで倉庫業者が数値をチェックしてコンサルティングをしてゆくと、情報によって荷主にリスクを予知予見してゆく情報産業として立派に進化させることができます。

私の古い友人で、現在インターネット関連の時刻表情報サービス株式会社という情報企業の社長をしている松本浩介さんという方がいます。私のとても大切な友人の一人です。彼は、列車の遅延情報をインターネットで配信する仕事をしています。そのサービスを「鉄道運行情報」といって、携帯電話などで提供されています。JRの列車が事故で遅延した場合、その情報を携帯電話のインターネットで教えてくれるものです。最初は、列車が遅れてなかなかホームに到着しなかったときに、携帯電話の「鉄道運行情報」を見ると、どの駅でどんな事故が起こって、到着予定時刻などが判るようになっています。しかし、遅延が起こってから判るのでは遅すぎるということになりました。そこで、自分がいつも使う路線を登録しておくと、その路線で遅延が発生した場合に、すぐにメールが届くように工夫しました。

私は、このサービスを利用していますが、最近は事故による列車遅延が大変多いので、とても役立っています。あらかじめ遅延が判れば、路線や列車を変更したりできますので、ストレスが大幅に軽減できました。さらに彼のサービスに対する「深堀り」は続きます。やっぱり、事故や遅延が起こってから知らせるのでは遅すぎる。事故が起こる前にお知らせできないものだろうか?その具体的なアイデアを聞いたときに、思わす私は嬉しくて膝をたたきました。まさに「予見」のサービスです。・・・とここまで書きましたが、これ以上はやめておきます。実際のサービスがまもなく登場することでしょう。さて、彼が考え付いた「事故が起こる前に遅延をお知らせするサービス」とは?そのアイデアとは何なのでしょうか?一度考えて見てください。24時間、ずっと遅延お知らせサービスのことを考え続ける彼だからこそ、思いついたのでしょう。今後の「鉄道運行情報」に注目です。

雑談:お笑い究極の本人確認法

とても、ばかばかしい話ですが・・・・。
インターネットだけでなく、商取引をするとき、もっとも大切なことは、その人が、本当にその人なのか?ということです。「なりすまし」というものを如何に防ぐか?

本人確認法とか本人認証とかいいます。暗証番号やパスワードを使うのが一般的ですが完璧ではありません。網膜や指紋照合、今は手の静脈の影を確認したりします。世界でその人しか保有しない究極のオリジナル情報で認証するわけです。これらは、測定する超精密機器が必要です。しかし、やっぱりこれらが高度になればなるほど、それを突破することに情熱を燃やす人が出現してくるので、まさにイタチごっこといえます。

先日友人たちとの飲み会で、酔った勢いで絶対突破できない本人認証の方法を考えようという事になりました。その中で「爆笑大賞」をとったものがあります。「人に言えない、私のとっても恥ずかしい話」を登録時の認証パスワードにするというのです。例えば、「私は小学校6年生の時の授業中にウンコを漏らしてしまいました。」とか「実は私は中学までオネショをしていました。」というような、死んでも人に言えない、自分しか知らない丸秘話をパスワードとして登録します。

きっとこの秘密パスワードは、誰も夢にも思わないだろうし、人に打ち明けたりしないから、絶対に突破されないだろうと大盛り上がりでした。でも、登録先には、一番はずかしい話がばれてしまいますが・・・楽屋話ですみません。

住所というのは大切なもの

昭和63年に、会社を起業するために東京に来ました。
何をする会社なのか?・・・さえも明確に決まっていないいい加減な船出でした。最初間借りのオフィスでしたが、やがて小さなマンションに事務所を移転しました。2DKのマンションです。

そこに事務机を持ち込み電話回線を敷き業務を開始しました。その頃には、テレマーケティングの会社に方向を決めがんばっている頃でした。営業責任者である私は、毎日飛び込み営業をしていました。その頃は、明確なお得意先というのがまだありませんでした。電話で訪問の約束を取ったりもしました。しかし、何十件電話をかけても、話も聞いてもらえません。でも、その中でもたまに訪問の約束が取れることもありました。

私は喜び勇んで訪問をするのですが、結局必要なしとお断りをされることがほとんどでした。こういことが何度も続くうちに、「あれ?」と思うことがありました。訪問して、応対いただいた担当の方の質問内容です。それがほとんど共通していたことでした。ーーー

「はじめまして。本日はお時間を頂戴いたしまして誠に有難うございます。弊社は、・・・・」
一方的に私はしゃべり続けます。担当者は一通り話しを聞いたあと、こう質問されました。

「御社のオフィスはどこにあるのですか?」
「ところで、今はどういうところが取引先ですか?」ーーーこの2点だったのです。

(1)どこにオフィスがあるのか?
(2)取引先はどこなのか?

こんな質問が多かったのを覚えています。当然、この質問から期待する答えは、一流かどうかでした。「そのような会社は聞いたことがありませんなぁ・・・」「また不便なところに事務所がありますね・・・」その時私は気づきました。この二つを一流にしなければ、東京ではやっていけない。

何もノウハウのない私は、真剣にそう考えてしまいました。それから直ちに、オフィスを探し、当時、都内でも高いと言われた東京都千代田区五番町の裏通りの片隅にある一番小さな事務所の一部だけを借りて、住所を一流にしました。次に、一部上場企業の取引先を増やすことでした。どんな仕事でも請負いました。ある一部上場の鉄鋼メーカーの郵便の切手貼りの仕事を受注しました。そして、その鉄鋼メーカーの社名を会社案内の取引先一覧に掲載し、一流の社名を少しずつ増やしていきました。。

なんとも姑息な方法でしたが、当時としては、生きてゆくためには何でもするという悲壮感に溢れていました。しかし、どうでしょう。この作戦は見事に当たったのです。創業から憧れていた電子メーカーからの受注も得ることが出来ました。「そうか・・・東京では形から入ことも大事なんだ。何をしているか?も大切ですが、どこに事務所があるのか?とか、どこと契約しているか?・・・ということも大切なのだ・・・そう確信しました。それは、それだけの家賃を払えているのかであったり、一流企業と取引するだけの信用力をもっているのか?ということを、何も情報のない初対面の企業レベルを判断する一つのモノサシだったのかもしれません。

銀座のホステスさんの内緒話

ここは銀座でも有名なお店です。
仲良くなったホステスさんが教えてくれました。

「仕事柄、複数のお客様を同時に、お相手しなければいけないことがあります。たとえば、お二人のお客様の真ん中に自分がいて、両方をお相手しなければいけない時、どうしてもどちらかの方としかお話が出来ません。まんべんなく両側の方とお話できればよいのですが、それはなかな難しいこと。もしも、片側の方とお話が盛り上がったとしたら、それはそれで楽しいのですが、もう片側の方はきっと面白くないでしょう。

私が気を使って、話を途中で終えて、もう一人のお客様と話し始めたら、最初に話していたお客様は興ざめでしょうし、もう片側のお客様も、戸惑ってしまうことでしょう。一所懸命話して盛り上がっているお話に水をさしたりしてはいけません。しっかり、盛り上がったお話には付き合ってあげないといけません。そんな時は、ちゃんとしたコツがあるのです。」

彼女は私のひざのうえに片手をそっとのせました。片方のお客様のお話を聞いてあげながら、こんな風に、私の手は反対側のお客様のひざの上に、そっと置いて差し上げるのです。」なるほどねぇ。確かに、ひざに手を置いてもらっていると、「忘れてないよ。」という感じで、ちょっと優越感もあります。これも、経験から学ばれたノウハウなんだろうと思いました。お客様をがっかりさせない方法・・・そして効率的に接客する方法。プロにはプロのノウハウがあるものです。

内海新聞 38号

神戸市にあるJR神戸駅から浜側に歩くと「神戸ハーバーランド」があります。その一番南側に「モザイク」というエリアがあります。そこに、私のお気に入りの日本一美味しいお好み焼き屋さんがあります。「やきものや・どんどん」(078-360-0125)です。昭和34年創業です。阪神大震災後、三宮からこのモザイクに移転しました。

マスターの伊勢護朗さんはアイデアマンでここでしか食べられないお料理がいっぱいです。もちろん味は最高です。チーズ入りの「どんどん焼き」、「みやこそば」という日本そばのそば焼きはレモンを絞って召し上がってください。蛸のマリネも美味。ドイツピーロート社の白ワインを片手に美味しいお好み焼きはいかがでしょう?

http://www.mainichi.co.jp/osaka/oiside/200204/04.html

緊張と緩和

私は落語が大好きです。もっと詳しく言うと落語というより落語家が好きなのかも知れません。大好きな落語家は桂枝雀さんと笑福亭鶴瓶さんです。最近は桂小枝さんもランクアップしてきました。ちなみに小枝さんは私の高校の1年後輩です。お笑い系俳優の生瀬勝久さんも高校の後輩です。(余談)桂枝雀さんは自殺してしまいましたが、彼の落語理論は大変共鳴するところがあります。彼は神戸大学の経済学部を出られた秀才です。生前こう言われました。

落語は「緊張と緩和」の繰り返しです。さわりでは、ボソボソと小さな声で話しています。観客は何を言ってるのだろう?緊張して耳を澄まして聞いています。そこに突然、奇声を発したり、オーバーな仕草をしたり、オチをつけたりして観客は大爆笑です。この大爆笑が「緩和」なんだそうです。緊張がないと緩和はありません。緊張ばかりでもだめだし、緩和ばかりでもだめ。すごく良い勉強になったのを覚えています。我々の仕事も同じかも知れません。また人使いのところも、この緊張と緩和の使い分けが奥義なのかも知れません。

もう一人好きな落語家が笑福亭鶴瓶さんです。関西では落語のできない落語家として有名です。(失礼)彼がまだ新人の時、あるネタを思いつきました。「小話その一」「小話その二」といって、いくつも小ネタを続けて話してゆく話法です。これで結構人気が出ました。

ところがある日、兄弟子の笑福亭鶴光さんも同じように、小ネタを自分のラジオ番組の「オールナイト日本」で披露し、大受けしました。当時は、圧倒的に鶴光さんの方が有名です。そうすると世間は、無名の鶴瓶が兄弟子の鶴光のネタを真似したと言いました。自分が考えた事なのに、人気がないだけで理解されないことに大変悔しい思いをしたそうです。しかし、ここからが彼の偉いところです。では、絶対に他人に盗まれないようなネタを作ろう!いろいろ考えて彼は「自分の体験した事だけを話そう。」そう決心しました。

自分の体験したことは、すべてオリジナル。これは誰も真似ができません。鶴瓶さんの番組を注意深く聞いてみて下さい。必ず「最近、こんなおもろいコト、ありましてん。」から話が始まります。「体験したことには力がある。」と感じた、私の大切な話です。

親切な大工さん

ある小さな建設会社の話です。この会社は注文建築の会社です。この会社はさりげないのですが依頼主やご近所の方々が大満足され、記憶に残る素晴らしい対応をしてくれます。

あるお宅の建設中に近所からクレームが出ました。その建築現場の周辺にかんな屑や、釘が落ちていて近所の子供がひろって怪我でもしたら大変。また、建築業者の車が付近に違法駐車をして大変迷惑・・などなど。

建築会社は当然緊急対応をしました。現場の整理整頓、職人へのマナー教育の徹底。ただ、この会社はこれだけではありませんでした。週に一回、いつもよりも職人が早く帰れる日を作ったのです。但し、早く仕事は上がれるのですが、一つだけしなければならないことがあります。大工さんが、建設現場の周辺のお宅を毎回一軒ずつまわってご挨拶をする事でした。「向かいの注文建築をしています大工です。ご迷惑をおかけします。そのお詫びで、お宅の包丁を今研がせていただきます。」そういって近所のご家庭の包丁をプロの腕で研いでいきました。それがご近所で評判になり、建築会社の評判が上がってゆきました。

さらにその後、依頼主が引っ越してきてご近所にご挨拶に行くと、その話がでて、逆に感謝されるようになり、依頼主も大満足。ほんの小さなことなのですが、コミュニティーの中に溶の中に溶け込む顧客サービスというものの重要性を強く感じた話です。

二十一世紀の読み方──二つの先例

地球の歴史で人口が減少しているのにもかかわらずGNPが上昇した国家があります。それが日本だ・・・と。しかもそれは江戸中期。興味深い論文を見つけましたので、以下に引用します。—-

—人口減少社会とはどんな社会になるのか。参考にすべき先例が二つある。一つは、享保から化政期に至る、わが国の江戸中期。当時の人口は室町期以来の急速な増加が1730年ころに終了し、その後は約百年間停滞・減少が続いた。農業生産の伸びもほぼ飽和化したうえ、経済的にも元禄バブルの後遺症でインフレと財政悪化が同時進行し、社会・経済構造も停滞に陥ったからだ。にもかからず、この時代には、歌舞伎、浮世絵などの大衆文化、寺子屋、貸し本屋などの情報文化、蕎麦、うどんなどの生活文化まで、数多くの日本型文化が育まれた。つまり、人口が停滞し社会が安定していたが故に、文化や生活が爛熟し、農業文明に見合う成熟化社会が実現された時代だった。

もう一つは、20年も前から人口停滞を経験している欧州の先進諸国。例えばスウェーデン、ノルウェー、ベルギーなどの北欧諸国では1970年代から、またイギリスや旧西ドイツなどでは80年代から、人口が停滞している。いずれも西欧文明の主導国であり、産業構造や社会保障の進んだ国々だ。とすれば、人口停滞は先進国家に共通する現象として、社会の成熟度を示しているともいえる。これらの国々でも、人口停滞に伴って少子化と高齢化が進行し、産業の国際競争力の低下、経済の破綻、財政の悪化などに陥った。

だが、生活環境や社会福祉の面では、途上国が比較できないほど、成熟した社会が出現した。生活面でも、やみくもに働き、がむしゃらに消費する生活を卒業し、物質的な制約が強まる中でも、ゆとりと生き甲斐を見出す生活様式が作り出されている。二つの先例が示唆するのは、人口減少社会では、物量的には制約の多くなるものの、それが故にむしろ生活文化や情報文化が成熟する可能性が強いということだ。

(『調査農林統計』農林統計協会,2000,2月号より)

ーーーー江戸時代の日本型文化といえば、こんなことを空想しました。今、日本ではおよそ一人が一台の携帯電話を持っています。でも、この携帯という漢字はよく考えてみると、なんとも時代錯誤な文字です。「帯に携える」という環境は現在ではほとんどありません。おそらく着物を着ていた時代の漢字だと思います。

あの小さな画面に、自分の気持ちを表すために文字を駆使する姿は、俳句や川柳、短歌の文化に通じているように思えてなりません。メールにも言葉を略したり、絵文字を使ったりと創意工夫が見られます。ここは日本人の天才的な言葉遊びのDNAが息づいているのかもしれません。携帯電話は、世界最先端のIT技術だと思っていたものが、実は、意外と日本人にとって伝統的な古典技術の集大成なのかも知れません。

街を歩いていて携帯電話で話をしている人を見かけるのは少なくなりました。皆、携帯電話を前に構えてメールを読んでいます。最近の若いもんは言葉が乱れている・・・という話をよく聞きますが、ずっと昔から言われつづけている台詞です。俳句の歳時記でも毎年毎年更新され続けていますし、略語だって昔から溢れています。最近の女子高校生が「超感激!」とか「キモイっ!」などと言うのを、眉間にしわを入れて聞いている方でも「超特急ひかり号」とか、サラリーマン川柳を「サラ川」とかいうのはどうでしょう。

しかも、これらの日本人のDNAに刷り込まれた文化が発展したのも、前述の人口が減少しGNPが上昇した時代に重なるかもしれません。日本人特有のオリジナリティーを発揮し、独創国家を目指すチャンスなのかも知れません。

行きと帰りがある

今から20年以上も昔の昭和53年のことです。ある会社の社長のお話です。その会社はある新商品を開発しました。その商品とは紙パックに入った自然水です。今でこそ水は買うものとしてその地位を確立していますが、当時は日本で初めての商品でした。私は当時その自然水の開発にかかわり、様々な経験をさせていただきました。

商品は出来上がったのですが、苦労していくつかのスーパーマーケットを開拓し、店頭においていただくこととなりました。しかし、大きな問題がありました。運搬です。実は運搬が一番大変でお金がかかるのです。自分で各お店に運んでいくわけには行かず、運送会社と契約するのですが、これがお金がかかり、利益がなくなってしまいます。社長は一生懸命考えました。スーパーの前に立って、なにか良いアイデアが無いかを一生懸命考えたのです。

ある日、一台のトラックがスーパーの荷捌場に入ってゆくのを見つけました。そのトラックは不思議なことに、荷物を一切積んでいません。「荷物も積まずにこのトラックは何をしにきたのだろう?」 運転手に聞きました。「ああ、うちは空ビン屋(くうびんや)ですよ。」空ビン屋???そのトラックはお店に回収された空き瓶を回収して持ち帰る会社のトラックだったのです。だからトラックは空(から)でやってきて、空ビンを満載にして帰っていきます。社長はピンときました。

「よし!ここと契約しよう。この空ビン屋さんの行きの空っぽのトラックに自分の水パックを積んでもらって運んでもらおう。もともと空で行くのだから安く運んでくれるにちがいない。」そのアイデアは当たり、格安で運送に成功します。物事には行きと帰りがあり、どちらかに偏りがあるもので、この偏りを補ってあげることで共存共栄できるものなんだ・・・良い勉強させていただきました。

内海新聞 37号

近所に「ヴァージンシネマズ」という英国のヴァージン航空が経営する映画館ができました。座席もすべてインターネットで予約ができます。当日上演の少し前に行って、自動切符券売機でチケットを取り出せばOK。座席も床が工夫されていて、前の列の人の頭が邪魔になることもありませんし、足元も余裕があって疲れません。

8つの映画館があり、なかでもプレミアシートはリクライニングシートで、バーカウンターやロッカールーム、座席には食事のできるテーブルがついています。いままで、外で並んで早い者勝ちで見に行っていた映画館は閑古鳥です。ゆったりと映画を見る工夫が満載です。最近は携帯電話のインターネットでも座席の予約ができるようになりました。一度行かれてみてはどうでしょう?

自転車置き場から教えられること

私の師匠の友近忠至さんは、サンリオ創業に尽力された方ですが、若い頃は地方銀行員、そしてその後は愛媛県松山市にある「明屋書店(はるやしょてん)」で店長をされていました。松山市の商店街に「銀天街」というアーケードがあります。その銀店街に「明屋書店」があります。さて、今から40数年前の松山にタイムスリップして、その現場を覗いてみましょう。

===この明屋書店は、いろいろなアイデアで繁盛していました。友近さんは、多忙な毎日を送られていました。もっかの友近さんの悩みの種は自転車です。それは、夕方になるとやって来る中高生達の自転車です。漫画の立ち読みにやって来るのです。立ち読みも大変問題なのですが、もっと大問題が彼らの自転車を停める時のマナーの悪さでした。自転車をお店の前にどんどん押し込んで停めて行きます。無理に押し込むと、自転車は将棋倒しになります。両隣のお店の店主はカンカンです。「店の前まで自転車が倒れてきて、邪魔になってしようがない!なんとかしろ!」仕方なく、友近さんは自転車の整理をしなくてはなりません。これが一日に何度もあります。これでは、仕事ができません。友近さんは、社長にお願いしました。「どなたか定年退職したような方を雇っていただけないか?その方に自転車の整理をお願いしないと、自分の仕事ができません。」でもその願いは聞き入れられませんでした。

「あんたは大学まで出ているんだから、私よりもずっと学歴もあり頭がいいんだから、こんなこと解決するなんて簡単な話だろう!」これがいつもの台詞です。友近さんは仕方なく考え続けました。そしてある閃きがありました。町内会長を訪問して、あるお願いをし、それが許可されました。月に一回「銀天街」の公休日があります。その公休日に白いペンキと木材を持って友近さんは出かけて行ったのです。そして、書店の前の歩道に白いペンキで一本一本斜めに線を引いていきました。その両側に立て看板があり、こう書かれています。「自転車は、この白線に沿って停めてください。もしもここが一杯になったら、裏にも同じ駐輪場がありますのでご利用下さい。」その翌日、友近さんはお店のドアの隅から中高生がやってくるのを待って見ていました。

やってきました。思った通り、彼らは道路に引かれた白線に沿って、きっちり停めています。そして、その自転車は割り込みされることもないので、横倒しにもなりませんでした。人の心理として、白線があると無意識にきっちり停めたくなるもの・・・。後日、友近さんは私に言われました。「人が何も考えなくても、何も教えなくても自然にできるようにする仕掛けをつくること・・・これがシステム化というものなんだと、この時に学んだ・・。」と。

景気が良いとか悪いとか判らないんです・・・

世の中、な~んとなく元気がないですが、それは元気だった頃の事を知っているからでしょうね。先日、大阪に行って、レディーバードという会社の柘植さんという社長と阿部さんという役員に会いました。

二人とも20歳台の若者です。
高校を卒業して大学進学しようにも、どこも合格する見込みがないので、専門学校に行きましたが、なんとなくぱっとしないので自分達で会社を創ってしまったのです。

そして、就職活動をしたこともないのに、人事部に採用コンサルティングをし、会社員経験や組織を経験したことも無いのに、一流企業の社員研修をする会社をして大繁盛。なんとも愉快です。そして好評なのです。最近は本まで出版してしまいました。

その柘植さんがポツリと言いました。
「内海さん。景気がいいって、いったいどんな状態の事を言うんですか?今は皆、不景気や不景気や言うけど、僕ら仕事始めてからずっとこんな中で暮らしてきたし、今が普通なんです。景気のいいというやつを経験したこと無いし、不景気というのもよう判らんからね。僕ら今が一番調子いいんですよ。」まさに「知らないと言うのは強い武器である!」という証明です。彼らは、今、絶好調です。二人ともとっても良い顔つきです。

さぁ、今日は一度素っ裸になって表に出て、タオルで全身を乾布摩擦してみよう!

小判鮫マーケティング

私が20代の頃、西宮にある地方卸売市場に早朝アルバイトに行っていました。それには理由がありました。私の中華料理店の利益が出なかったのです。その時に読んだある本に、原価を下げる事が大切・・とありました。要は仕入れです。

そうしてようやく思いついたのが、私が問屋で仕入れる事でした。どうせなら買い物だけではなく、その問屋で働けば一石二鳥ということを思いつきました。そうしてある作戦に出ました。荷物があまり動かない一番寒い2月に一番忙しいお店を探し、そこにアルバイトで潜り込むというものでした。

市場が暇なときに忙しいのは、夏や年末の本当に忙しい時には、もう絶対に人手が足りなくなると思いました。その予想はズバリ当たり採用されました。朝4時から9時までの契約です。買い物に来た街の八百屋さんのトラックに荷物を台車で運んであげるアルバイトです。ここから始めてノウハウを貯めれば、問屋のように安く仕入ができる・・・そう思いました。その青果の卸売店が山田青果でした。山田さんという50歳位のがっちりした社長がいらっしゃいました。仕事は大変過酷でした。体力だけの世界です。

結局私はこの店に7年間勤める事になります。私は、この社長が寝ているのを見たことがありません。私が朝4時前にいくともう働いていました。店は朝の9時までです。それから帳簿を付けて、産地にトラックで仕入に出かけます。夜の8時頃帰宅して、夕食をして、今度は10時に、農協からのトラックを待ち受けで荷を下ろします。これが終わるのが深夜12時頃です。そして3時にはもう店に出勤していました。いつ寝ているのでしょう、私の平均的睡眠時間は毎日4時間弱でしたが、もうはるかに上手です。

ここの山田社長の元で働いた経験から、睡眠時間を削って働くことで、売上は上がってゆく・・・・という経営学を学んでしまいました。まさに労働集約型です。毎日毎日、街の八百屋さんや流れてゆく荷をみていると色々なことが判ってきました。流行っている八百屋と流行らない八百屋があることでした。そして流行っている八百屋には、ある共通点を発見しました。その八百屋のお店の隣には、必ずモーレツに流行っている魚屋があったのです。

尼崎にあったある八尾鶴さんという八百屋さんもその隣には地元では有名な魚屋がありました。毎日朝からごった返していました。勿論、その八百屋も同じようにごった返し、みんな大声で話さないと聞き取れません。その山田社長も私に言われました。「内海さん。あんた解るか?もしあんたが八百屋を始めるんやったら絶対に流行ってる魚屋の隣に店をだすんやで!だから、街に配達に行ってもし流行ってる魚屋を見つけたら、ちゃんとチェックしときや!」肉屋ではなく魚屋さんです。そこが不思議ですね。また、後日、別の方に「オリジン弁当」という人気店はいつも、流行っているコンビニエンスストアのすぐ近くに出店を重ねているとも聞きました。そういえば、アメリカのバーガーキングはいつもマクドナルドの隣にあります。

女性と男性の年齢差を計算してみると・・・

今から20年前、八田玲子さんという女性起業家にお会いしました。その八田さんは「アトリエミセス」という会社を経営されていました。そこでは、様々な女性の視点で見た商品開発やマーケティング調査をしていました。この八田さんは有名な発明家で、様々なアイデア商品を開発されていたのです。事務所に展示されたアイデア商品に私は興味津々でした。

ある日、お茶を飲みながら八田さんと雑談をしていたとき、大変興味深い話をして下さいました。「内海さん、算数はお強いですか?ちょっと暗算してみて下さい。女性の平均寿命は78歳、男性が72歳です。その年齢差は6歳。結婚の年齢差の平均4歳を考慮して、この両方の年齢差を加えると約10年になります。つまり、世の中の女性は平均的に必ず10年以上は一人で生活しなければならない期間が存在するという事がもう宿命なんです。10年間の後家生活ですよ。」と言われました。。

私の母を見ていても判るのですが、70歳を超えても前向きで何かにチャレンジしています。歳が歳ですから、いろいろと体のあちこちに不具合は出てはいますが、そんなことにはお構いなしです。この様な高齢の女性達は元気に生活して、更なる生き甲斐を探し回っているようにも思います。考えてみると、このような女性の10年間に向けての商品やサービスを充実させてゆくことも大切です。

高齢化対策というと介護とか寝たきり対策とか言われますが、大半は元気でバリバリ生きている方々です。なにか社会参加できるような窓口や環境がこれから、大いに求められるようになってゆくと思います。

内海新聞 36号

「ういろう」これは名古屋の有名なお菓子です。しかし、そのルーツは小田原の漢方薬屋さんです。その昔、中国からやって来た漢方医「外郎(ういろう)」が始めた漢方薬店で作り始めたのが最初です。お菓子よりも「仁丹」のような漢方丸薬が有名で、今では小田原市民でもなかなか手に入りません。お菓子の「ういろう」も週に何回かしかお店が開店しないので、入手は困難なのです。

高齢化+少子化は日本をブロードバンド先進国にする!

毎日のように新聞には「IP電話」の記事が載っています。具体的にIP電話って判りますでしょうか?まだまだこれからのものですが、一言で言うと、とっても安い電話といえます。電話といえば、自宅にある黒い電話か公衆電話しかなかったのですが、最近は携帯電話がそれを追い抜き、さらにIP電話が登場します。しかし、結局・・・形は今と同じ電話のようなもので、皆は気付かないでIP電話を使うことになってゆくのだと思います。

固定電話は最近どんどん安くなっていますが、便利さで携帯電話が追い越しました。でもこの通話料は非常に高いモノになります。いつでもどこでも誰とでも・・・というマーケティングコンセプトにぴったり当てはまったものが携帯電話なのです。では、タダと言われるIP電話が登場したらどうなってゆくのでしょうか?

すべてIP電話になって、他はつぶれてしまうのでしょうか?そうではないと思っています。電話それぞれの特性と利用方法があるからです。ここからの話はフィクションです。絵空事として聞いて下さい。

さて、こうなると女子高校生などは、IP電話に走るかもしれません。何時間でもダラダラ話していて電話代がかからないのですから、こんな便利なモノはありません。携帯は、メールチェックの端末となって、会話は家でIP電話。親も「携帯なんか使わずに、友達とはIP電話にしなさい!」なんてお説教しはじめるかも知れません。そうなると、女子高生は外出する機会が減って、自宅の部屋に引きこもることになるかも知れません。家の中でIP電話をしながら遊べるものが流行り出します。渋谷のセンター街から忽然と消えた女子高生!現代の七不思議とマスコミは騒ぐでしょう!「集団誘拐か?大移動か?!」な~んのことはない、皆、自宅でIP電話です。

メーカーは、女子高校生に携帯電話を売ることは諦め、引きこもり用のパソコン周辺装置を売り始めるでしょう。一方田舎のおじいちゃんおばあちゃんは孫の顔見たさに、ブロードバンド回線とパソコンを購入し、CCDカメラを付けて四六時中、嫁や娘の家にアクセスしてきます。「孫の顔見せろ~」攻撃です。

我が社の新規事業を担当している鈴木さんは、最近宮崎県のご実家とブロードバンドの回線を契約されて、毎日常時接続を楽しんでいるということです。ご近所の電気屋さんに接続工事を一切お任せして、念願の「孫の顔ネット」が開通しました。

その結果、宮崎との会話はもっぱらパソコンで、しかもしょっちゅう「孫見せろ信号」「ピッ!」という信号が送られてくるそうです。そこで、孫ができたら、「田舎のご実家にCCDカメラをプレゼントします!」・・・というキャンペーンを全国電気店網を抱える家電メーカーさんがすればいいのにな・・・と思います。それは、孫ができたら田舎の祖父母のところにCCDカメラがプレゼントされてゆきます。キャッチコピーには、「これでいつでもお孫さんの顔が無料で見れます!」です。そしてそのCCDカメラには、適合するパソコンとADSLや光の回線の説明が書いてあり、「今すぐご購入下さい。」とあります。でも年寄りは何のことかさっぱり判りません。それを待っていたように、近くの電気屋から電話がかかってきます。

勿論メーカーと電気屋は打ち合わせ済みです。「すべてパッケージにして電気工事から出張指導まで一切オールインワンで○○万円です。これで今日からお孫さんの顔が見られます!」です。これが嫁の実家と旦那の実家の2セット販売完了の二倍二倍キャンペーンです。IP電話のもたらす影響はすさまじいものがあるようです。なぜなら、コミュニケーションというのは、いくらやりすぎても満腹にならないから、この市場は底なしなのです。日本はどんどん世界一の高齢化と少子国家に向かって進んでいます。おそらく、両家の祖父母からみれば、数少ない貴重な初孫には最大の愛情を注ぐでしょう。供給が少ない分、需要が高まり、価格が上昇してゆくのは、経済学の基本的論理です。

「子供の少子化」+「高齢化」=「日本のIP市場の飛躍的拡大」という日本発世界初の新たなマーケティング理論が展開されるのは時間の問題です。なんともこれからの日本はコミュニケーションの分野でにぎやかで忙しい時代に突入してゆくような・・・夢物語でした。

表の使い方もあれば裏の使い方もある

あるリゾート開発の会社の話です。全国のあちこちにリゾートマンションを建てて、それを各企業に格安で使って頂く、福利厚生サービスをされています。企業は入会金や月会費を支払う代わりに、その従業員は格安で全国のリゾート施設を使えるというサービスです。最近は不景気で企業自体が保養施設を売却してしまって、こういう福利厚生会社と契約するケースが増えているそうです。さて、この会社は順調に業績を伸ばしてきました。業績があがるということは、法人契約の企業がどんどん増えるという事でもあります。

そして企業数が増えると、その社員の利用者数も増えるという事になります。順調だった業績に、ある問題が発生しました。お客様からクレームが発生しはじめたのです。利用者は殆どがサラリーマンなので、土日が休みで、長期の休暇もゴールデンウィークや夏休み、冬休みと限られてきます。当然、休みの前になると予約や問い合わせの電話は殺到する事になります。利用者が増えた事で電話のかかる量も増え、話し中が増えてきたのです。

「高い会員費を払って入会したのに、いつ電話をしても話し中で問い合わせすらできない。」そういうお怒りのお電話が増えてきました。

社内では重要な案件として会議が繰り返されました。対応としては、話し中をなくすようにしなければならない。結果、コールセンターの規模を拡張し、オペレーターの数をふやして対応する以外にアイデアは見つかりませんでした。

そうすると、莫大なコストがかかり、その維持も大変です。その時、社長がこう言いました。
「とんでもない。コールセンターを拡大するのではなく、今の半分にしなさい。」皆は驚きました。今でも話し中が多いのに、設備を縮小したらさらに話し中が増えて、もっと大きなクレームになります。
社長は続けました。
「電話というのはかかってくるだけじゃなく、かけてゆくという機能もあるのですよ。お客様には逆にこちらから電話をかけてゆきなさい。」実は社長はこういうことを考えていたのです。今の利用者を良くご利用いただく順に並べ変えます。そして大きなお休みの数ヶ月前から、ヘビーユーザの順番にご案内のお電話をしていったのです。

「いつもお世話になります。少し早いのですが、次回のゴールデンウィークにご旅行のご計画があるようでしたら、今から仮予約が可能です。もちろんそのための費用はいりませんし、直前のキャンセルもOKです。今ご予約頂けると、次のような特典もついております。」この様に利用の多いお客様や、最近入会されたお客様から順番に電話をし始めました。そうすると、最近とてもサービスが良くなったと評判があがってゆき、事前に良く利用するお客様から予約をとってゆくので、直前の予約問い合わせの電話は緩和されてゆきました。

さらに突然予約のキャンセルがあっても、事前に予約の入るホテルは当然人気ホテルなので、キャンセルになってもすぐにキャンセル待ちで埋まってゆきます。逆転の発想ではありますが、今後はこの様な既存客の利用頻度アップのための、攻めの営業というものが主流になってゆくような気がしています。

安らぎの空間「そば処 三城(さんじろ)」

私の会社の近くのダイヤモンドホテルの向かいに「三城(さんじろ)」(03-3263-6762)という手打ちそばのお店があります。11時30分~15時までの営業で、ランチタイムだけのお店です。 メニューはひとつのコースだけです。

席に着くと美味しい地酒と茸と大根おろしの肴が出てきます。その後、手打ちのざるそばがでて、大きなお皿に盛られたお漬けもの、信州の花豆のデザート・・・というコースです。いつも満員で、先日、私は時間をはずして2時頃の遅いランチで行きました。

ここのお店は、中にはいると昼なのか夜なのか全く判りません。 またBGMも無いので時間が止まっている感覚です。 静かにゆっくりできる、とても居心地の良いお店です。 私はここの女将の大ファンです。 30年近くもお店をされていて、来られるお客さまも政財界のトップクラスの方々ばかり。 さまざまな業界の方々が数多くこのお店を訪れ、女将には本音で語ってゆきます。そんな体験から培われた女将の時代を見抜く目は相当なモノだと、私は一目を置いています。

昨日、遅くお店に行ったので、お客は私一人でした。 久しぶりに女将と二人でゆっくりお話が出来ました。

「今の時代は、これまでの中で一番過ごしやすい良い時代だと思うよ。」
女将はそう言いました。

「でも今の時代は不況で大変だよね・・・・」
私は言いました。

「そうね。でもやはり本物というのか、正しいものかどうかがふるいにかけられる、まじめな時代になったと思うの。だから良い時代なのよ。」
「お店を流行らせるコツって一体何?・・」
再び私は質問しました。

「それはね・・・大切なお客様に何を売るのか?ではなくて、何を売ってはいけないのか?を考え続けることね。」
「参った!」・・・そう思ってしまいました。

内海新聞 35号

先日、小田原の若手経営者の方々や小田原財界の重鎮の方と飲み会がありました。そのときに出た話題が小田原の地名の話です。小田原の街作りは極めて優れていて、江戸を創る時に、その職人や知識人を招聘して指導させたそうです。そして、そこには小田原の古くからの地名が名付けられました。

「銀座」「新宿」「板橋」「荻窪」等々・・・・これらはすべて小田原の町名です。私は江戸の地名からきたものだと思っていましたが、それは全く逆だそうです。町並みを探索するといろいろ発見があります。

生活者と共に・・・

私は今から16年前に会社を創業しました。その前は10年間中華料理のコックでした。コックから全く違う分野への転身です。最初は「なんでもできる!」というような怖いものなしの意気込みでした。しかし、事業というものはそんなに甘いものではなく、やることなすこと皆失敗続きでした。当時は大学生の名簿をいろいろなところから集めてきて、それを企業の人事部に売るということをしていました。

つまり、企業の新卒採用のお手伝いです。大学生の採用に必要な名簿を集めるブローカーのような仕事です。しかし、これはすさまじい価格競争の中にあり、利益など出ませんでした。自分のユニークな商品を企業に売りにいくというよりも、企業に行って、なんでもいいから雑用の仕事を貰う・・というような毎日でした。ですから、いつも企業の人事部の顔色をみて、言われることは何でもするという姿勢でした。自分が何を目指して仕事をしているのかわからなくなっていきました。そんなある日、アルバイトに来ていた女子大生が私に言いました。

「あなたの考えは間違っています。企業がやっている採用の仕方は私たち大学生にとって非常に判りにくいし、不親切。そんな企業の言われるままの仕事をしていても学生はきっと喜びません。

本当にしなければいけないことは、学生が喜ぶ、学生にとってためになることだけを考えて仕事をすることだと思います。学生至上主義です。本当に学生の就職に役立つことを学生の身になって考え続けることなんです。」頭をガーンと一発殴られたような感じでした。

では、学生のためになるものって、一体何?私は素直にその女子大生に質問しました。

「例えば、自動車を購入するとき、新聞の宣伝を見て、すぐに注文しますか?テレビのコマーシャルを見てすぐに買いに行きますか?きっと、ショールームに見に行ったり、道路に止まっているその車の近くに行って眺めたり、誰か実際に乗っている人に、いろいろ聞いてみたりしますでしょう?

結局、自分の目で耳で確かめることが一番なんです。だから就職も同じです。自分の目と耳で確めたいんです。それは誰から確めますか?きっと、自分の大学の先輩OBです。その目指す企業にいる自分の先輩から直接話を聞きたいんです。だから、各企業にいるOBの電話帳を作ってください。その助言から「就職OBガイド」という就職イエローブックが誕生しました。学生の間でこの本は絶賛され、予想通り企業からのオーダーが続きました。

学んだことが「生活者と共に」ということでした。生活者に役立つもの、喜んでもらうものを考え続けることが、企業からの評価を受け、最終的に世の中に貢献するのだということでした。今、日本の企業が忘れかけている、とても重要なキーワードであると思っています

ニンジンジュース断食とサウナの効用

私は年に数回、伊豆高原にある「ニンジンジュース断食」で有名な「ヒポクラティックサナトリウム」(0557-44-0161)に行きます。
みのもんたさんや東京都知事、竹村健一さんなどがテレビなので、その絶大な効用を紹介されたことで更に有名になってしまいました。私は9年程前からお世話になっています。24時間入れる温泉があるのですが、私はそこにあるサウナと水風呂が楽しみです。石原結寶院長の話によると、体の冷えが病気の原因になることが多く、いかに体を温めるかが重要だということです。サウナというのはその点、非常に体を芯から温めてくれます。サウナに10分15分入っていると血管や毛穴が広がり、その後ゆっくり水風呂に手足からゆっくり入ってゆくと、今度は毛穴や血管が収縮して末端から血液が押し出され循環されるという、もう一つ心臓を持つのと同じ効果のようです。

ある方にこんなアドバイスを受けました。「水をほんの一口だけ含み、ゆっくり飲んでからサウナに入ると、汗の出がとても良くなるんだよ。もしも水を一気に沢山飲んでサウナに入っても汗は出ないものなんだよ。」試してみましたが、確かにおっしゃるとおり汗の出が全然違います。すると、もう一人の方が別のアドバイスをしていただきました。人間の体は体温に近い温度が一番吸収力が高まるらしいですよ。だから水を一気に飲むより、一口ずつゆっくり飲んだほうが、体温に近い温度になって吸収が良くなるんじゃないですか?だから汗となって出るのではないでしょうか?」妙に納得したサウナの密室での会話でした。

お茶の水博士は実在した!?

2003年4月7日は鉄腕アトムの誕生日です。鉄腕アトムは私にとって大変思い入れの深い漫画です。私の実家は兵庫県宝塚市です。今では新興住宅地ですが、私の生まれた頃は蛍の飛ぶ田舎町でした。森と川の昆虫王国でもありました。私の父は獣医師で、宝塚市にお住まいだった手塚治虫さんの愛犬の主治医でもありました。当時、手塚治虫先生は大阪大学医学部の大学院の学生でした。父は手塚さんのことを「なんと絵の上手な学生なんだ・・・」と思っていました。

沢山の色紙を貰っていました。マントを着た少年の漫画の色紙を私はよく覚えています。しかし、それが鉄腕アトムだったのか、ブラックジャックの原型だったのかはわかりません。いただいた色紙や初版本は全部私が落書きしたり、破って捨ててしまいました。大変勿体無い事をしたものです。手塚先生は昆虫好きで、名前まで「虫」を付けてしまいました。私も昆虫好きで小学生の頃は昆虫と一緒に生活していたようなものです。考えてみれば、私が子供の頃、宝塚には自称昆虫博士というような少年が沢山いました。

当時、宝塚に昆虫少年が数多く出現したのには理由があります。それは「昆虫の神様」と呼ばれる方が宝塚にいらっしゃったからなのです。もちろん手塚治虫さんもこの大先生に育てられたのです。それが福貴正三先生です。私の昆虫の師匠でもあります。福貴先生!あの時は本当にお世話になりました。

神戸新聞にこの福貴先生の紹介記事を見つけましたので引用します。
宝塚昆虫館(1939年開館~1968年閉館)
宝塚市で育った漫画家手塚治虫が少年時代に描いた昆虫の細密画五枚がこのほど、親交のあった同市内の男性宅から見つかった。ペンネームの由来となったオサムシなどがていねいに描かれ、少年時代の“虫博士”ぶりがうかがえる作品。「生涯愛し続けた宝塚とのかかわりを示す貴重な資料」と関係者も注目している。保管していたのは、かつての宝塚遊園地内にあった昆虫館の学芸員で、手塚作品のキャラクターのモデルにもなった福貴正三さん(87)。

治虫少年は「ひまさえあれば訪ねてきた」といい、家では図鑑や標本を熱心に模写して見つかった絵は縦約十八センチ、横約十三センチの紙の両面に、オサムシやセミの仲間のハゴロモなど七十二匹を絵の具で描写。絵を包んだ和紙には「日本産ヲサムシ図録。福貴さんへ」と書かれている。同市の手塚治虫記念館は、手塚が旧制中学三年ごろに印画紙の裏に描いたカブトムシとチョウの絵二枚を所蔵しているが、これも福貴さんが直接もらったもの。今回の昆虫図も同時期の作品とみられ、長く所在がわからなかったが、レコード箱の中から偶然見つかった。

「ある日、大学生の手塚君が『これあげます』と昆虫館に持ってきたんです」と福貴さん。いつも熱心に相手をしてくれた「昆虫の師」へ記念に贈ったものと思われる。
===また別の記事でもこう書かれています。
===現在の宝塚ファミリーランド内にあったこの宝塚昆虫館に、手塚は小学生の頃足しげく通っていた。昆虫館の学芸員をしていた福貴正三氏のところに毎日のように昆虫の話を聞きに行ったという。昆虫館には、月ごとに虫のスタンプが用意されていて、それをノートに押してくれるのも楽しみだった。

実は、「新・虫マップ」の原稿を書いている丁度そのときに、幸運にもその福貴正三さんにお会いする機会にめぐまれた。あつかましくも突然ご自宅をお訪ねしたわけだが、福貴さんは本当に気さくに話をしてくださった。いろいろたくさん貴重な資料を見せていただくことができた。なんと手塚先生が描かれた昆虫の原画も見せてくださり、写真を撮らせていただいた。

福貴さんのお話の中で印象的だったのは手塚治虫のペンネームの由来となったオサムシについてである。(ちなみに当時、手塚本人は”治虫”をペンネームと言わず「雅号」と呼んでいたそうだ。)オサムシの種類の中に”マイマイカブリ”といって、日本にしか生息しない種類がいるそうなのだが、そのマイマイカブリが自分に似ている、ということで手塚は非常に興味をもった。メガネをかけたような顔、肉食であること、そして夜行性。そんなわけで治は自分のペンネームを「治虫」と書くようになった。(神戸新聞 2002年2月9日)

====そんな手塚治虫さんが描いた鉄腕アトムの誕生日が2003年の4月7日でした。手塚作品というのは人間社会をリアルに描いているなぁと思います。人が死ぬシーンや、お酒やタバコといったものから、暴力や戦争など人間のどろどろした部分まで忠実に描かれていました。子供が読む漫画だからこそ、目をそむけないでリアルに描いて、逆に愛情や思いやりや自然を思う心を伝えたかったのではないのか・・・と思います。

今、ソニーの動物ロボットの「アイボ」やホンダの「アシモ」など実用化されたロボットたちが活躍を始めました。アトムの中の2003年は、ロボットと人間の対立が描かれていましたが、現代のこのロボットたちは、人間と調和してゆけるのでしょうか?ところで、この福貴先生。どうみても「お茶の水博士」でしょう。