内海新聞 26号

内海新聞23号でご紹介いたしました、アメリカのサンフランシスコにある奇妙なBar「ブレインウォッシュ」というお店ですがホームページがわかりましたのでお知らせ致します。Barのようなコインランドリーのお店です。先月アメリカ出張の折にも見てきましたがやはり満員でした。
→ http://www.brainwash.com/

エルトゥールル号の遭難

http://www.makuya.or.jp/teatime/douwa/ertug/ertugP1.htm

先日、一橋大学の先生をしている友人の田口さんと食事に行ったとき、彼からとても良い話を聞きました。それが「エルトゥールル号の遭難」という話です。私は、この話を生まれて初めて聞きました。

—和歌山県の南端に「大島」という島があります。この島には日本で一番古い石造りの灯台があるそうです。そして、その灯台は今もあるそうです。

明治23年9月16日、和歌山を台風が襲いました。午後9時頃、大島の沖合いで大きな爆発音がしました。灯台守は、嫌な予感を感じました。波は、海岸の岩場に打ち付けます。その時、台風で舵の効かなくなった木造軍艦が灯台に向けて押し流されてきたのです。全長76メートルあったといわれる大型船です。しかも、板切れが流されるように、風と波でどんどん近づいてきました。やがて、船は海岸の岩場に打ち付けられて真っ二つに裂けました。エンジンにも水が入り、大爆発を起こしたのです。乗組員は海に放り出され波にさらわれました。真っ暗で荒れ狂う海にどうすることもできなかったといいます。一人の水兵が岩に打ち付けられ傷だらけになりながらも岩場に打ち上げられました。かすかな意識の中で、灯台の明かりが見えました。
「あそこにいけば助かる!」
急に力が湧いてきました。40メートルもある崖をよじ登り、ようやく灯台にたどり着きました。

水兵は服はもぎ取られ、裸同然でした。全身傷だらけで真っ黒に腫れあがっていました。灯台守はその水兵を見つけましたが外国人で言葉が通じませんでした。灯台守は「バンコク信号書」を見せて、この水兵がトルコ人であることがわかりました。そして船はトルコ海軍の軍艦であることもわかりました。灯台守は応急手当をしましたが、他の水兵の救助のための村人を呼びに戻りました。電灯もない真っ暗な夜道、人一人がやっと通れる道をひたすら走りました。村人たちと灯台に戻ってくると、10人ほどのトルコ人がいました。全員傷だらけです。

この村は50軒くらいしかない貧しい村でした。村人は総出で崖を降り救助をしました。遠い国からやってきて、見知らぬ日本で死んでゆく水兵を見て、村の男たちは泣いたそうです。「一人でも多く救ってあげたい!」「死ぬな、元気を出せ!」そして助かった人は69名でした。

この船の名を「エルトゥールル号」といいました。救助された人は寺と小学校に収容されましたが、村には電気、水道、ガス、電話などありません。井戸もなく、水は雨水を貯めて使っていました。サツマイモとみかんを栽培していました。これを串本でお米と交換して生活する貧しい村でした。各家庭にニワトリを非常食として飼っていました。このような村に69名の外国人が収容されたのです。生まれて初めて見る外国人をどうしても助けたいと村人は思いました。台風で漁ができず、食料はすぐに底をつきました。

「もう食べさせてあげるものがない」「どうしよう」一人の婦人が言いました。「ニワトリが残っている!」もうこれを食べてしまったら何もなくなる・・・「大丈夫、お天とう様が見守ってくださる。」最後に残ったニワトリを料理して水兵たちに与えました。こうして、トルコ人は一命を取り留めたのです。

村人は遺体を引き上げ丁重に埋葬しました。この遭難の報は和歌山県知事に伝えられ、そして明治天皇にまで言上されました。明治天皇は直ちに医者、看護婦の派遣を指示し、さらに礼を尽くし生存者全員を軍艦「比叡」「金剛」に乗せてトルコに送還なされました。日本全国から弔慰金が寄せられトルコの遭難者家族に届けられました。この話には後日談があります。その事件から100年近く経った1985年3月17日の出来事です。イラン・イラク戦争でサダム・フセインが48時間後にイラン上空を飛ぶすべての飛行機を打ち落とす命令を下します。

イランにいる日本企業の人たちやその家族はあわててテヘラン空港に向かいましたがすべて満席で乗れない。日本政府の対応も遅くパニック状態になったのです。その時、2機のトルコ航空機が到着し、日本人215名全員を乗せて成田に向けて飛び立ちました。タイムリミット1時間15分前でした。なぜトルコ航空機が来てくれたのか?日本政府もマスコミも知りませんでした。前駐日トルコ大使、ネジアティ・ウトカン氏は「エルトゥールル号の事故に際し、日本人の献身的な救助活動を、今もトルコ人は忘れない。そのご恩返しです。私も小学生のときに歴史教科書で学びました。トルコでは子供たちでさえエルトゥールル号の話を知っていますよ。」

今度、ぜひこの灯台を見に和歌山に行ってみようと思いました。

神は細部に宿る

よく言われる言葉ですが、「神は細部に宿る」
私はこの言葉が好きです。 “Details pays dividends”

最近、世の中の様々な出来事や現象を見ていて、ついこの言葉を思い出してしまうのです。

Detailsは、「細部」という意味ですが、いろいろな意味があります。小さくて気付かないもの、日常の些細なこと・・・の意味が近いかも知れません。私はこの言葉の意味を、「日々の生活のなかで、ごく普通に、当たり前のことが当たり前のように進んでゆくといったことこそ、大切であり、その部分にすべてのヒントが隠されている。」そう意訳しました。私は時々、ふと、「今すぐコレをしておいた方が良いのではないか!」と思うことがあります。

それは、本当に些細なことです。ここに電話をしておいたほうが良い・・・とか、もう一度確認しておいたほうが良いのではないか?とかです。気がついて、ちゃんとしておけばそれは、何事も無く平穏に終わるのですが、それを忘れて飛ばしてしまうと、必ずと言ってよいほど何か問題が起こります。それは、ただの「気のせい?」かも知れませんが、本当に些細なことなのですが、何か行動すれば何も無く、何も行動しなければ、何かが起こる。なんとも不思議です。ホントに小さなことなのですが、そこには何かの真実や問題が隠されているような気がしてなりません。

今から35年も昔の話です。私は13才中学2年生の時から少林寺拳法を習っていました。その道場の先生は毎日一番最初に来て、たった一人で黙々と雑巾がけをしていました。先生に負けじと私も早く来て、雑巾がけに挑戦しました。二人で競争しながらの雑巾がけでしたが、それが二人っきりで話ができる良い機会になりました。

「先生がなんで雑巾がけやねん?偉い人やから、もっと威張ってええのに・・・」
「そうか、これが俺流の威張り方や。」
「なんで俺流なんや?」
「・・・・・・・・」
「練習はキツイか?」
「うん。キツイ!。痛いし・・・でもおもろい!」
「なんで、キツイし痛いのに・・・おもろいのや?」
「みんな一緒にキツイからや。だれもサボってる人がおれへん。そやからおもろい!」
「内海・・この雑巾がけもおんなじや。『人十度、我百度(ひとじゅうど、われひゃくど)という言葉があるから、覚えとくんや。人に十の事をさせるのには、自分はその十倍の百くらいのことができなあかん・・・という意味や。それだけ自分が努力して、力をつけなあかん・・・いう意味や。これは、普通の日常生活でもそうや。率先して自分がしてゆく姿勢が一番大切なんや。人は、言葉だけでは動かへん。態度で示さなあかん。弟子は師匠の背中を見て強くなるんや。まず、とにかく自分が動け。しかもそれは、人に見てもらうためやない。すべて自分のためや。」

ずっとずっと昔の私の子供の頃の1シーンです。このときに、私はこの先生から、小さな魂の雫をもらったような気がします。これから生きてゆくための何かの指針のようなものです。当時は、そんなことは考えもしませんでしたが・・・。これからの社会も政治も経営も教育も・・・・すべてこの「神は細部に宿る」ということであるようにも思います。

誰かのせいにするのではない、当たり前のことが当たり前のように自然に流れてゆく安心できるスタイル。今の社会の中ですべての理屈を通すことは難しいことなのかもしれません。しかし、小さな花の上についた一粒の水滴のようなものでも、そこに真実が隠されているような気がします。これからも気を引き締めてやってゆこうと思います。
“Details pays dividends”

高校の授業を思い出しました「無用の用」

高校の時の授業で一番きらいなものは古文でした。古文といっても漢文です。レ点というのをつけて読んでいくのがどうも苦手でした。でもそんな中で記憶に残っている話があります。「無用の用」という話でした。中国の荘子の言葉です。

「人みな有用の用を知りて,無用の用を知るなきなり。」

人間が歩くのには、自分の足の裏の面積の土地さえあれば事が足りる。それ以外の土地は生涯使うことはないだろう。そうであるとしたら、いっそのこと、自分の足の裏の面積の土地だけが歩幅に合わせて残っていて、それ以外は断崖絶壁、地獄の底まで切り立っていたとしたら、はたして人間は安心して歩くことが出来るであろうか?おそらく恐怖のあまり歩くことは出来ないであろう。使わない土地であっても、それは安心して歩くために用を成している。

世の中で、無駄であると思うようなことであっても、それは必ずある部分で必要なものなのだ・・・というような意味だったように覚えています。デフレ、リストラ、ダウンサイジングのニュースを読んでいてふと思い出しました。