内海新聞 14号

編集長より:「なぜこの新聞が送られてくるのだろう?!」と不思議に思われた方も多いと思います。お仕事の関係で以前名刺交換させていただいた方、まだ面識はないけれど弊社の誰かと名刺交換をさせていただいた方を中心に一方的に送らせて頂いております。もしもご迷惑な場合はどうそ送付停止とご連絡いただけますでしょうか?宜しくお願い致します。

学生起業家

以前の内海新聞に登場した学生起業家の再登場です。ある意味、彼は私にとって人生の節目に出会った大切な友人といえます。真田哲弥さんといいます。現在は世界一のモバイルコンテンツのサイバードの副社長であり、また別のシステム会社の社長もしています。もう今はいいおじさんになっていますが、出会った時はまだ大学生でした。私は毎日のように彼の大阪のオフィスにでかけて、話をしました。当時から真田節といわれるくらい話始めたら止まらない、一気に相手を納得させてしまう不思議な力を持っています。今回は私の話よりも彼の話の方が面白いので、すこし脱線しますが聞いてください。

彼は奈良県出身で高校時代は有名な進学校の生徒でした。すでにこの頃から事業に目覚めていたといいます。彼の高校は制服があるのですが、日常は私服で学校に通って良いことになっていたそうです。制服は始業式や終業式などの学校の行事の時しか着ません。彼は、「なんてもったいないのだろう・・・殆ど着ないのに新入生は強制的に高い制服を買わされる。」

彼はその時に思いつきました。「そうだ、卒業生から制服を全部もらおう。殆ど着ないのだから皆きれいはず。」たくさんの制服を卒業生からもらいました。これをサイズ毎に分類しました。入学式のあと、ある教室で制服の販売が行われます。彼はその手前の教室で待ち構え新入生を呼び込んで、定価の何分の一かの価格で売っていきました。生徒は制服代を全額親からもらってきているので、安く買えれば差額は自分のこづかいになると大喜び。仕入れはタダなので売った金額は全部利益で大儲けをしました。当然これは職員室で大問題となり禁止命令がでたそうです。しかし父兄からこんな良いシステムをなぜ禁止するのかと声があがり、結局制服のリサイクルを学校が始めるようになったそうです。

また、高校の頃、ある夏休みにゴルフ練習場でボール拾いのアルバイトに行ったそうです。そこには同じようにあと数名の学生アルバイトがいてボール拾いをしていました。みんなだらだらしますのでなかなかはかどりません。彼はそういう何も考えずにだらだらするのが大嫌いです。ある日、ゴルフ場の社長に直談判します。「明日から私が一人でボール拾いをします。だから他のアルバイトの学生を全員クビにして下さい。その代わり私の給料を3倍にして下さい。」社長は驚きました。彼は翌日、家から庭の花壇の植木に使う白いプラスチックのプランターという箱と、学校の運動場の土をならす「トンボ」というT字型の道具をもってきました。ゴルフ練習場の溝の所にプランターを入れて、上からトンボでゴルフボールを下へ掻き出し始めました。ボールはコロコロ転がって皆プランターの中に集まっていきます。ものの30分くらいで仕事は完了です。いままで数時間もかかっていた仕事です。その一部始終を見ていた社長はいたく感動して、正社員にならないかと思わず勧誘したそうです。天才といっても過言ではない人物と私は思っています。日本のIT革命は彼の存在なくしては語れないと考えるのはオーバーでしょうか?

でもこの天才の力が最大限発揮できているのは素晴らしい奥さんのサポートがあるからというのも私は知っています。

湯河原町

私は現在、湯河原町に住んでおります。転居して5年になります。この街は自然に恵まれて大変気に入っています。人口25000人で高齢化した街で地場産業は観光だけです。自慢は車のナンバープレートが「湘南」であることぐらいでしょうか?

6月にはゲンジホタルが群生し、川にはヤマメや鮎がいます。こんな自然の中にいると、きっと良いアイデアがどんどん生まれてくるに違いないと期待に胸膨らませていったのですが、結果として、家で生まれた良いアイデアというのは皆無です。やはりアイデアというのは人とのぶつかり合いで生まれるものという事を知りました。しかし、いったん生まれたアイデアを熟成するには大変良い場所です。東京で働いて田舎に住むというのは以外と良いアイデアかもしれません。

湯河原町の米岡幸男町長は大変やり手だと私は評価しています。湯河原町はご多分に漏れず財政難で税収アップがテーマです。ただ米岡町長はショッピングセンターなどの地域開発などは行いません。はっきり何もしないのです。ひたすら自然を守っています。そして実行している政策がユニーク。「有名人・著名人の転居作戦」です。収入の多い有名人・著名人が転入してくることは、大きな税収になります。最近は作家の西村京太郎さんが引つ越されて来られました。歌手の五月みどりさんも湯河原町民です。

故伊丹十三さんや、元首相の細川さん梅宮辰夫さんのお家もあります。町民ではないですが、SMAPの木村拓哉さんや俳優の竹之内豊さんも湯河原大好きサーファーです。よく湯河原海岸で浮いているらしいです。以前、常盤貴子さんと木村拓哉さんのTBSドラマで最終回に登場したサーファーの美容室のモデル店が湯河原の海岸の前にあります。

鬼塚喜八郎さんとキリもみ戦略

運動靴メーカーで「アシックス」という会社があります。昔は「オニツカタイガー」といっていました。この創業者が鬼塚さんです。私の実家の隣町の芦屋市にお住まいで、鬼塚さんの娘さんと私の妹とは神戸女学院で同級生でした。それでよく存じ上げる事になります。鬼塚会長のお話は私の経営に大きな影響を与えました。すこしそのお話に耳を傾けて下さい。

・・・・私はね、終戦直後ズックの運動靴の行商をしてんたんや。自転車の荷台にみかん箱をくくりつけて、その中に運動靴を一杯いれて売りにいった。その時から「いつか日本一の運動靴メーカーになってやる!」そう思ってペダルをこいでいた。少し会社が大きくなった頃、全社員を集めてある指示を出したんです。「日本で一番人気のない運動靴を探してこい!」当時社員は驚いたと思います。みんな手分けして探し出されたのがバスケットボールシューズでした。当時は野球が中心でバスケットなんてやっている人は少なかった。そして、このバスケットシューズの研究開発に全社員を投入したんです。当時、いかに大手の運動靴メーカーでも、人気のないバッシュに何十人も投入することはしない。その結果、とても優れたバッシュが完成しました。

私は次に2回目の命令を出しました。それは「全国の高校の中で、バスケットに強いチームを上位から10校探して来い。」というものでした。社員をその高校のチームに派遣をしてレギュラー選手の足型をとってぴったりのバッシュを作って寄付していったのです。するとどうでしょうか。その後、優勝するチームは皆オニツカタイガーの3本ラインの入った派手なバッシュを履いています。それは、優勝するチームは皆オニツカのバッシュを履いているという噂になり、やがて、オニツカのバッシュを履けば優勝できるというジンクスになっていきました。そして人気のないバッシュではありましたが、日本一のシェアを確保することができました。

当時、学校に通うにもみんなバッシュを履いていたと思います。漫画家のちばてつやの作品で「ハリスの旋風」という漫画がありました。その主人公石田国松はいつもバッシュを履いていたのを覚えています。鬼塚さんがその次にターゲットにしたのがマラソンシューズでした。全世界の優秀なマラソン選手の所に社員を派遣し、同じ戦略をとっていったと聞きました。優勝した選手がオニツカの靴を掲げてグラウンドを一周します。「この靴のおかげで英雄になれた。」と・・・・。

その後も同じようにバレーボール、野球・・・・どんどん拡げていきました。この作戦を鬼塚さんは「キリもみ戦略」と名付けました。なんでもいい。何かひとつに特化する事。「事業にはいつも必ず大きな壁が立ちふさがる。その壁にまず一本のキリを押し当てて小さな穴をあける事。これがウチではバッシュだった訳です。この穴は我々にとっては安全地帯であり橋頭堡といえます。次にこの同じ穴にもう少し大きいキリをあててぐるぐる回しさらに穴を大きくします。これがウチの場合、マラソンシューズです。同様に、これを何度も何度も繰り返してゆけば、どんな大きな壁でもいつか必ず突破することができるのです。これを「キリもみ戦術」と名付けました。これは、好況不況に関係なく弱者が強者に勝つための決定的ルールであり必勝の戦略です。

自分が何に向いているのか、今流行っているものは何なのか・・・・などではなく、とにかく今、目の前にあるものに特化し、そしてそのプロになること。それを土台にどんどん横に拡張してゆく事がもっとも大事だと思っています。」このお話は私に強烈な衝撃を与えました。自分はいったい何に向いているのだろうか?とかこれから何をしてゆけばいいのだろう?・・・・悩んでいた時でした。好き嫌いではなく今の足元をひたすら深く掘り続ける事・・・これが私の事業ポリシーになっていきました。

「脚下照顧(きゃっかしょうこ)」
よく禅寺の玄関に張ってる言葉です。自分の履物を揃えなさいという意味で書いてありますが、実際には自分の足元をしっかり見つめ直しなさい・・・という意味らしいです。今のジンテックの戦略はまさにこの「脚下照顧」です。鬼塚さんは大切な恩人のお一人です。そして、この新聞のマスコットの穴掘りウサギはその象徴かもしれません。

ジンテックのホームページがリニューアルしました

長い間工事中でしたジンテックのホームページがようやくリニューアル致しました。一部まだ未整備の部分もございますが順次開通させてゆく予定です。

内海新聞のバックナンバーも掲載致しました。何かご意見ご要望ご質問がございましたら、ホームページ上の「お問合せ」コーナーからmail@jintec.com宛お寄せ下さい。直接ご質問にお答えしたいと思っております。今後ともどうぞ宜しくお願い申し上げます。

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