内海新聞 19号

毎回毎回、徒然なるままに好きなことを書いておりますが、自分の目で見たもの、自分の耳で聞いたものをなるべく書こうと思っています。
何かご意見などがございましたら e-mailでお寄せ下さい。
→utsumi@jintec.com
ちなみに、YAHOO!で検索して出てくる内海新聞は偶然にも同名ですが、全く別のもので一切何の関係もございません。

スーパーマン型サラリーマンとインディージョーンズ型サラリーマン

作家の中谷彰宏http://www.an-web.com/さんの著書に「スーパーマン型サラリーマンとインディージョーンズ型サラリーマン」について書かれた一節があります。大変興味深い内容だったのでよく覚えています。これからのサラリーマンは二つの仕事をもって生きていっても良いのではないか?・・・という提言でした。そして、その形態には2つのタイプがあるそうです。
ひとつが「スーパーマン型サラリーマン」です。
主人公のクラークケントの本業は新聞記者です。そして、もうひとつ職業を持っています。それがスーパーマン。しかし、クラークケントが新聞記者だと言うことは誰もが知っていますが、スーパーマンだという事は誰も知りません。

一方、「インディージョーンズ型サラリーマン」とは、スピルバーグ監督でお馴染みのアドベンチャー映画のジョーンズ博士です。博士は考古学の学者ですが、もうひとつの職業は探検家でもあります。人々はジョーンズ博士が学者と探検家という二つの職業を持っている事を知っています。

いまサラリーマンが本業以外に職業を持てるのかどうかは、就業規則の関係もありますので、可能かどうかは不明ですが、就業時間以外に別の仕事を持つ事は別に悪いことではないとも思っています。ただ、就業時間以外の仕事をオープンにするか、極秘にするかということはあるかもしれません。電通の社員であり作家である新井満さんや第一勧業銀行の支店長でかつ歌手だった小椋佳さんはインディー型。これからはこういう二束のわらじ型のNewサラリーマンが沢山誕生するかもしれません。ただしスーパーマン型は、水面下にいるため、実態調査ができず計測不能。

1988年 社外ブレーンサービスと求人雑誌「職前職後」企画

私が、ジンテックを創業した時の当初の事業は、「スーパーマン型サラリーマン」を集めて企業に派遣してゆくものでした。1988年の企画です。当時は、「スーパーマン型サラリーマン」というような呼び方ではなく、私は「社外ブレーン」と名付けました。私は、学生アルバイトを雇って、新宿や渋谷や横浜の駅前でチラシを撒きました。

「社外ブレーン募集!就業時間外に自分の能力を試してみませんか?」そういう内容のチラシを何百枚と撒きました。どれくらいの反応があるかは、全く不明でした。驚くことに、あんなチラシでも一流企業の方々が数多く集まってきていただけたのです。この仕掛けは以下の通りです。アグレッシブな方々をあつめて登録してもらい、専門分野別にデータベースをつくります。企業では本業以外の新規事業分野での人材不足や、本業であっても人材のスキルの不足を補充したいとか、その必要なノウハウだけを利用したいという企業ニーズが結構あることに気付きました。

企業からあるプロジェクトに関する専門家のアドバイザーの依頼があるとデータベースから5名~10名人選します。彼らを「社外ブレーン」と呼びます。指定された日時(就業時間以外)に集合し、グループインタビューを行っていきます。そのインタビューのメンバーには社外ブレーンのほかに、その依頼の企業の担当社員も混じっています。専門的な立場、あるいは既に経験済みの体験談を交えて情報交換が行われます。「社外ブレーン」の方々は毎月数回のこのようなグループインタビューに参加していただきます。数回のインタビューに参加した後、そのままその依頼企業に転職していった方々もいらっしゃいますが、これは就業の自由で誰も阻止はできません。

本人にとっては、今の会社を辞めずにいろいろな会社の中を体験できるという事で非常に好評でした。また依頼企業も社内の会議では遠慮して出てこない様な忌憚のない意見も聞けるという事でこちらも好評でした。募集して判ったのは応募されてくる社外ブレーンの方々の年齢です。この年齢の殆どが27才だったことに大変驚きました。入社して5年目。既に会社の仕事も覚え、自分の将来も見え始め、やりたい仕事に就けないでストレスが溜まる時期です。自分は何なのだろう?と自問自答し始める年齢です。彼らの興味はもうすでに社内にはなく、社外の同じような年齢の方々も同様に悩んでいるのか?という事に最大の興味をもち始めます。しかもまだ独身者が多く、人材としての価値が高いことも知っている年齢です。彼らは、自ら転職活動はしません。人からの誘い以外に興味がありません。そんな特殊な年齢層だったのです。

その後、社外ブレーン求人情報誌「職前職後」というのを企画しました。各企業の社外ブレーンの募集広告を一冊にまとめ、葉書で応募するリクルート方式の雑誌です。しかし、丁度この頃から、別のテレマーケティング事業が忙しくなり、この事業はお蔵入りとなりました。

疑うことはコストがかかる

私は以前、ある方に「疑うという事はコストがかかるのですよ。」と教わったことがある。
旧ソビエト連邦では、計画経済を採用していました。計画を守らせる、約束を守らせるために、必ずそれを見張る見張り役という者がいるのだと・・・そして、その見張り役を見張るさらに見張り役という者がいる。さらにさらに、その見張り役を見張っている見張り役を見張る見張り役が存在する。だんだんややこしくなってきましたが、一言で言うと、しっかり仕事をしているかどうかを監視しなくてはならなくなり、永遠にそれを監視し続けるメビウスの輪のような連鎖ができあがってゆくのだといいます。つまり、疑う事はコストがかかるのです。

一方、自由経済ではどうでしょうか?本人の責任で自由に競争する事ができます。自由に競争するという事は、倒産する事もありますが、あくまでも本人の責任のもとで行われます。本人の責任のもとに競争する事は、コストをかけずに効率を目指すわけですから、社会全体でみてもコストはかからないのです。人間社会は信じあうことから成立するものなのかも知れません。

企業競争の中では、相手の裏をかきながら競争を続けることになりますが、仲間同士では、信じあうことが一番大切であり、経営的にも一番コストがかからない方法です。一方、IT技術の発達やインターネット社会になって、非対面でのビジネスが急増しています。最初から最後までお客様の顔を見ずに取引が成立するという事が起こっています。通信販売がこれに近かったかも知れませんが、今は様々な分野での非対面化が進んでいます。

ネット銀行・ネット証券・ネット通販・・・・将来的にはお役所の住民票や婚姻届もネットで受け付けようという計画が進んでいます。ネット社会になって、これまで対面のビジネスの中でカバーしてきた認証というものが成立しなくなり、様々な何重ものチェックで本人かどうかを確定してゆく・・・・いわゆる「疑うシステム」が必要になってきました。そのためのコストが莫大となり、事業自体が採算が合わなくなっているともいいます。まさに「疑う事はコストがかかる」です。インターネット社会は「発信者責任」といって、自らを自らが証明しなければなりませんし、匿名というものは許されません。これを無視すると、信用というものが成立しなくなってしまうからです。

インターネットを利用する場合、主催企業は、この応募者が必ずその本人かを確かめることばかり考えがちですが、利用者からみれば、本当にそのサイトが存在するのか?とかを心配しています。お互いが疑いの目を持って相手を見てるのかもしれません。そうしたら、本当に良いものであっても、額面より低い印象でとられてしまうかも知れません。

フェデックスという国際宅配便会社は必ずアメリカのメンフィスに一旦集めて出荷されます。そして一番最後の送り先チェックは人間が一件一件、目で確認するそうです。これが一番確実で安いのだそうです。最後に信用できるかどうかは、どこかに人間の手が介在することなのかも知れません。ネットで飛行機のチケットを予約しても、受け取るまで心配です。でも予約の時、どこか途中で「担当の**が承りました。ありがとうございました。」と人間が登場すれば、結構安心できるものです。

あるホテルの風景

東京の赤坂プリンスホテルの新館から別館の渡り廊下を私は急いで歩いていました。前方の階段を高齢の老人が杖をついて一歩一歩ゆっくりと上がっているのが見えました。その横にその奥様と思われる方が見守るように一緒に歩いています。

丁度その時、二人の男性がすれ違いざまに立ち止まって老人に声をかけました。
「大丈夫ですか?大丈夫?」
老人は「だいじょうぶ」と言って頷きました。
私は、そのご夫婦に追いつきました。

その時、フロントにいたその息子さんらしい方が走って駆けつけました。
「おやじ、今なにか言われたの?」
「いいや、大丈夫か?って」
「それで?」
「大丈夫ですって・・言ったよ」
「だって、今の人はお客さんだろ?ホテルの人じゃないよね?」
「みんな、優しいねぇ」奥さんが呟きました。
私は、その言葉を聞いて「今日は良い日になりそうだ・・・」と思いました。人と人との関わりの美しい瞬間を垣間見たような気がしました。

内海新聞 18号

コンビニエンス旅館

私が住んでいる隣が熱海市です。日本でも有名な温泉地ですが、今はもう見る影もありません。観光業の不況で旅行客激減です。何故こうなってしまったんだろうか?不謹慎ですが、私は興味津々です。熱海のお宮の松があるメインストリート前には大きな旅館が並んでいますが、この半分が廃業しています。すでにゴーストタウンです。

私は門外漢ですが勝手にいろいろ分析し、何か地元貢献できるような事があればと考えたりもしています。熱海の旅館はサラリーマンで団体で社用族相手の構造なんだなぁ・・・と知りました。大きな宴会場があり、芸者さんがいて、風呂は男性用が大きく、女性用は申し訳ない程度の大きさ。外に出れば、マージャン、カラオケ、風俗、パチンコ・・・。しかもチェックインは午後2時でチェックアウトは午前10時。これでは土日が休みのサラリーマンの男性の団体だけを呼んでいるようにしか見えません。そのような観光客が激減し大変な状況になっています。今は若い女性や家族連れやアベックといった小人数が多いので、旅館は構造的にミスマッチを起こしています。しかも、料理も仕出しやさんからの画一メニューです。これではがっかりです。

熱海や湯河原に来られて、あまりにもコンビニエンスストアが多い事に気付かれた方もいらっしゃるかも知れません。湯河原でも人口2万人強なのに30軒以上あるのではないでしょうか?これは経営に窮した旅館が素泊まりを始めた結果、コンビにでおにぎりやビールを買いこんでお部屋に持ち込む若い旅行客が増えたためといわれています。これでは、大きな旅館はさらに大変だなぁ・・と思います。旅館は先ほどの構造上、土曜日曜で稼ぎます。だから割高になります。私は昔、商売をしていたので、平日に休みがありましたが、前日は夜遅くまで目一杯働いてますので、チェックインの2時には間に合いませんから旅行は諦めていました。このような方々は一杯いるのではないでしょうか?そこでこんなことを考えました。「コンビニエンス旅館」です。チェックインの時間を午前0時迄にします。チェックアウトを翌日の午後4時にします。夕食は付きません。ただ朝食は美味しい地鯵の干物とアサリのお味噌汁とご飯とお新香です。

一泊4000円。土日に休めない職業の方々は多く、百貨店・美容理容業・飲食業・商店街のお店等々。そして、この休みの日は業界毎にほぼ何曜日と決まっています。仕事が終わってから、友人達と夜に出発です。列車の中でのお弁当が夕食です。駅からタクシーで旅館へ直行です。それから温泉に浸かったり、夜遅くまで友人達とおしゃべりが続くでしょう。ビールやおつまみは自販機やコンビニがあります。翌日は、美味しい地元の魚で朝食です。そこから、お部屋はそのままで、散策しても良いし温泉も良いし、昼寝でもおしゃべりでもOKです。4時にチェックアウトでお土産を買って帰宅です。各業界の休みが判りますので、それに合わせてコースをつくり、東京で絞込みの販売促進が可能です。理容店に向けて「日曜夜からの月曜日コース」という具合です。旅行に行けない商売をしている方々はきっと喜ぶだろうと思います。土日は通常通りのシステムでもOKです。こんな事を考えています。

ケータイ文化

「ケータイ」すなわち「携帯電話」のことです。異常なぐらいまでの加熱で携帯電話が普及しています。しかも、i-modeとかのインターネット接続型携帯電話というものです。なぜ、これほどまで日本の社会に普及していったのでしょうか?さまざまな方々が携帯電話の利便性や優れたコンテンツとか言われていますが、わたしは別の観点でこの流れを見ています。あまのじゃくなので (^_^;)

「携帯(けいたい)」・・・本当に奇妙な漢字だと思います。帯に携えると書きます。今時、帯に携えている人など見たことがありません。恐らく江戸時代の言葉なのだと思います。国土や住居が狭いからか、日本人は何でも小さくコンパクトにまとめます。「扇子」もそうです。「キセル」や「印籠」。水戸黄門様も持たれてました。食器でも箸でも何でも小さくしたり、折りたたんだりして持ち運び易く工夫しました。携帯電話の折りたたみ式が人気があるのは、やはり、このような歴史的遺伝子がまだ脈々と生きているのかも知れません。あんな小さな画面でインターネットやメールなんてやれるはずがない。最初は皆そう思いました。しかし、現在インターネットを利用している人は、ケータイ電話派の方が多いのではないでしょうか?

小さな画面に要領良く文字を打ち込む才能は、日本人は相当なものだと思います。それは、日本には少しの文字で沢山のことを言い表す文化があったからです。「俳句」や「短歌」や「川柳」がそうです。ケータイ文化が俳句とつながっていると考えると、なるほどとうなずけるものがあります。それに日本人は言葉を略すのが得意なようです。かつて女子高校生達が携帯電話が出る前にコミュニケーションツールとして使っていたものが、ポケベルです。(どうですか?これも略語ですね)公衆電話のテンキーだけで略語をどんどん作りだし、相手に意思を伝えていました。この彼女達も成人して、すんなりこのケータイ文化に乗り換えたともいえるのではないでしょうか?日本の伝統文化に基づいたケータイ文化は全世界に大きな影響を与えつつあります。逆に江戸時代の文化や流行を研究したほうが、携帯電話の未来が見えてくるかもしれません。

1991年3月「ふるさとコールカード企画」

平成3年頃、大変な人材不足で新卒大学生は各企業の争奪戦でした。東京でこういう状況ですので、地方はさらに深刻でした。地方の人でも都会の大学に進学することが多く、卒業するとそのまま都会の企業に就職してしまい、田舎に帰るという事は殆どありません。

またせっかく立派な企業に就職しても、1年2年で退職してしまう人達も数多くでました。就職活動の時にしっかり考えて選ばなかったために入社してからその勘違いに気付くということだったのかも知れません。この人達を当時は「第二新卒」と呼びました。この第二新卒の人達をふるさとの企業に呼び戻そうというのが、この「ふるさとコールカード」企画でした。

多分退職した時、再就職先の中には、故郷に戻るという選択枝もあるに違いないと思いました。しかし、東京にいては故郷の企業の情報など手に入りません。結局、就職情報誌などから選んでゆく事になります。この「ふるさとコールカード」は、公衆電話でつかうテレフォンカードです。しかし、普通のテレカと違うのはリバーシブル、つまり公衆電話に差し込む方向が前からと後ろからとの2ヶ所有る事。

つまり、この「ふるさとコールカード」は差込む方向によって2ヶ所の電話番号に自動コールできる仕掛けになっていました。しかもフリーダイヤルですので電話代は不用です。この「ふるさとコールカード」は各都道府県別に制作する事を考えました。この仕組みはこうです。「ふるさとコールカード」のAの方向から差し込むと「ふるさとダイヤル」につながります。ここでは、ふるさとの最新ニュースがテープで流れています。次に反対のBの方向に差し込むと「地元企業情報」といって求人している地元企業の情報を照会するセンターにつながります。ここは女性オペレーターが対応します。このカードにはさらに交通事故傷害保険もついています。

このカードを大学4年生で卒業間近の学生の自宅に郵送します。きっと財布などに入れておくだろうし、もし会社を辞めたくなったら、このカードを思い出すだろう。そして、公衆電話に差し込むと懐かしいふるさとの情報を聞く事ができます。

多分、会社を辞めようと決める時というのは、ある日突然だと思います。そんな時、ふるさとに帰るというのも選択枝のひとつに入っている人もいると思います。近くの公衆電話でこの「ふるさとコールカード」を使ってくれるに違いない・・・そう考えました。職業安定法の関係から地元企業照会に入った方々の情報をすべての協賛企業にお知らせし、直接アプローチしていただく流れになっていました。このカードに地元企業の協賛を得て、各社の年会費が運営費用となりました。第1号は北海道版に決定し、北海道出身で関東の大学に進学した大学卒業予定者を対象にしました。今から10年前の企画でした。しかし、今の時代は当時とは正反対、大失業時代です。

蜻蛉(トンボ)とヤゴ

トンボは大好きな昆虫のひとつです。
ぎょろ眼とスマートなカラダにダイナミックで大きな羽根。器用に空中で獲物を捕獲します。別に人間には危害を加えませんので安心です。トンボは空中で交尾をして水の中に産卵します。水草や水中の石に生みつけていきます。やがて卵は孵化し幼生となり脱皮を繰り返してヤゴになります。トンボの幼虫がヤゴです。

トンボは見たことがあるけれど、ヤゴは見たことが無い方が殆どだと思います。成虫のトンボとは似ても似つかない醜い格好をしています。ずっと水中で暮らします。そして、このヤゴは大きくて強いあごを持っています。しかも折りたたみ式でぐぐっと前にせり出す構造になっています。

別の何かを想像された方もいるかも知れません。そうです。映画にでてきた「エイリアン」そのものなのです。水中で獲物に近づきすばやいスピードであごを伸ばし、魚を捕獲します。

水中の昆虫は非常に獰猛なものが多いのです。ホタルの幼虫も成虫のカヨワイ姿からは想像もできない肉食昆虫で「カワニナ」という巻貝を食べ尽くします。「タイコウチ」という水中昆虫はカマキリのような前足で魚を捕獲し、体液を吸血する昆虫界の吸血鬼です。ちなみに昆虫ではありませんが、海にいる妖精といわれる「クリオネ」も恐ろしい肉食生物なのです。

話をもどして・・・ヤゴはやがてサナギになり水面まで這い上がり、成虫のトンボとなって空中に舞い上がります。トンボになれば二度と水中には戻ってきません。ヤゴ達は、多分水中が「この世」であり、空は「あの世」と思っているかも知れません。ヤゴの生活がすべてであり、人生(?)を終えて天国に昇ってゆく。サナギの背中が割れて魂が天国に昇ってゆく・・そういう気もします。人間もひょっとして、今の姿は幼虫で、死んだと思っているのが、実はただの脱皮で、成虫となって次の世界に行くのだとしたら、なんだか楽しみになってきます。

内海新聞 17号

私が料理店を辞めた理由(続)

前回は大変失礼いたしました。スペースの関係で2回にわたっての文章になってしまいました。・・・・・
私は昭和60年8月31日の日曜日で中華料理店を閉めて、翌日の9月1日の月曜日から、人材会社に勤める事になりました。なぜ、お店を辞める事にしたのか?いろいろ理由はありますが、もっとダイナミックに自分のアイデアで勝負してみたかったのかもしれません。第11号でも少し書きましたが、当時、私は宝塚市にある駅前のショッピングセンターの1階で飲食店をしていました。当時ではよく流行っている方だったと思います。しかし、隣の駅にもおなじようなショッピングセンターができ、反対側の駅にも同様に大型ショッピングセンターができる計画でした。しかもバスターミナルが隣の駅なのでさらに、客の流れは変わってきます。ビルの管理会社が販売促進をしていましたが、出てくるアイデアはいつもバーゲンばかり。

年2回が3回になり、4回になり・・・安売りをすると、もうお客はその時にしか財布を開けません。バーゲンのときには、各店舗は協力金として毎回何万円も拠出しなければなりません。私は管理組合にひとつの企画書を送りました。それは、安売りではなく、どうしてもこのビルに足を運ばなければならないような仕掛けづくりをすることでした。提出した企画は「コンシェルジュサービス」でした。当時私のお店の入っていたビルは、阪急電車の駅前でとても便利な場所でした。

しかし、市役所というのが、隣の駅からバスにのって15分位先にあって非常に不便です。バスも時間どうりに来ませんし、働いている人が市役所を利用するのは大変でした。私のお店でお客様がこのような話をしているのが耳に入ってきました。「住民票や印鑑証明を取りに行くためにバスに乗っていくのは大変やね。ここのビルの受付カウンターで手続きできれば便利やのに、なんでしないのかな?だって、ここは9時すぎまで開いてるわけでしょう?」確かにそうです。この辺りは新興住宅地と昔のお屋敷街があって、片方のマンションは共働きが多く、もう一方の住宅街はお年寄りが多くなかなか外出しません。

いずれも、バスに乗って遠くまで出かけるのはおっくうです。時間的に合わなくてサービスを受けられないことが結構あるようです。確かに役所関係の手続きは大変です。印鑑証明、住民票、転出転入届、戸籍抄本などなど。もちろんクリーニングの取次ぎから各種手続き。キャッシュディスペンサーからATM。このようなサービスの窓口を全部1ヶ所のまとめた「コンシェルジュサービス」があれば、皆必要に迫られてビルに訪れるにちがいない。ホテルのフロントのようなカウンターサービスです。そんなに大きな投資もいらないし、何かの用事でこのビルを訪れていただければ、きっと買い物をする人もいるでしょうし、食事をする人もいるでしょう。生活の中の必需品です。・・・というような内容の企画書だったと思います。顧客が求めるものは、数字の大小ではなく、一個一個の「バリュー(価値)」だと思っています。

美人コールセンター

以前、テレマーケティングのコールセンターをしていた頃の話です。業務は、アウトバウンドという電話をかける仕事と、インバウンドという電話を受ける仕事がありました。いずれも、女性オペレーターが対応するわけですが、その人員確保がいつもの悩みの種でした。なかなか募集をしても集まりません。当時テレマーケティングといっても馴染みがなく、皆、電話セールスだと思いこんで敬遠するのです。運良く新聞広告で確保できても、電話の対応には不向きであったり、使える方は少ないのです。

これは、どこのテレマ-ケティング会社でも共通の悩みです。なんとかここを解決しようと、無い智恵を絞りました。そして考えついたのが、女優や声優、あるいはアナウンサーや歌手の方々を雇ってオペレーターになってもらう事でした。プロになりたて、あるいはプロを目指しているタマゴたちです。彼女達は、発声の基礎トレーニングができていています。電話の仕事にはピッタリです。電話口の声が心地良いのです。

そして、仕事は穴を明けない。彼女達の仕事はわがままが言えず、来た仕事を断ると、次から仕事がもらえないのだそうです。したがって、通常の定期のお仕事に就くことができず、時間が自由なアルバイトを選びます。しかも時間帯に条件がなく、深夜でも早朝でも文句もいわす、快く受けてくれた事は大変助かりました。私はそのような方々を数多く採用してゆきました。誰か見つかると紹介紹介で芋づるのように応募してきます。特に美人の方々が多く、社内がとても明るくなり、男性従業員が活気づきました。さらに来客もなぜか増えていきました。ただ、舞台やコンサートがあるたびに、チケットを大量に購入してあげないといけない事や、CDが発売されたりすると協力して何枚も購入してあげたりといった援助は必要です。(笑)

安心して生まれ、安心して死ねる国家へ

最近、内海新聞の原稿は差し替えばかりです。11月号まで完成しているのに今回も差し替えです。
私は、今、名古屋からの出張の帰りの新幹線の中。2001年8月28日火曜日17時40分。目の前にある日経新聞夕刊の一面には、「失業率最悪、初の5%」統計では20人に一人が失業と書かれています。大半は世帯主の方々なのでしょう。なぜか、私は今、涙が止まりません。これから大企業の大リストラが始まるというのに、すでにもうこの数字に達しています。

仕事柄、飯田橋の職業安定所や人材銀行に足を運びますが、元気のない中高年の方々で溢れています。これが、いつか日本が通らなければならない道なのだとしても、なんとかならないのでしょうか?私は、たまたま自分の事業で食べていけてはいますが、自分に何かもっとできる事はないのか?自問自答の連続です。私は子供のころ、「人が元気になる仕事がしたい」というのが将来の夢でした。今もそうです。私が以前、自分の会社が潰れそうになった時、ある人にこんなアドバイスをいただきました。

人の運というものは、皆に公平にあるものなんだよ。人間の寿命が80歳だとしたら、一日長生きすれば一日寿命が減るんだよ。ひょっとして、人間の運の総量は一定なのかもしれない。量には違いはあるかもしれないけれど・・・。だから、差し引きゼロなんだ。だから右に振れることがあれば、必ずまた左に振れる。ついていないことがあれば、ついてることもまたやってくる。だから元気出してやっていこう・・・・と。「自分の目の前の起こるすべての出来事、出会いには意味がある。」いつの頃からか、私は物事をこう考えるようになっていきました。そんな自分の一つ一つの宿命を大事に生きなければいけない・・と。仏教でいう感応道交(かんのうどうきょう)です。

私の20代は中華のコックと八百屋の問屋の卸の仕事の二毛作でした。その卸売り市場でアルバイトで働いている時、失業された方や夜逃げしてきた方や沢山の厳しい境遇の方々がいました。昭和55年ころです。そこは労働者に寛大でした。朝早くから重労働のこの仕事を続けられる人は少なく、いつも人手不足だったからなのかもしれません。私はそこで、10年近く働きました。そして働いて得たものは、そんな境遇の方々との友情でした。共通するのは皆本当に一生懸命働いていた事です。火鉢で餅を焼いて月何十万円も売り上げていたおばあちゃん。ごみ箱から魚を拾ってきてかまぼこをつくっていたおじちゃん。段ボール箱を自分の身長の3倍くらい積んで台車で回収しているおじいちゃん。みんな私の商売の師匠でした。

中高年の先輩の方々が一生懸命働いて、今のこの日本がある・・・と思っています。だから、何か皆のためにしなければいけない。いまこそ皆が一丸になれるチャンスなのかもしれません。「安心して生まれ、安心して死ねる国家」を目指して・・・生意気な事を書きました。お許しください。もう東京に到着です。

かまやつひろし さん

例によって半蔵門にある「三城(さんじろ)」というおそば屋さんで遅めのランチをとっていました。2時をまわっていたので客は私一人でした。おかみが私に話し掛けてきました。「今、井上さんという古くからのお客さんから電話があったの。井上さんというのは、大きな会社の重役をされていたのだけれど、引退されてご実家のある北陸に引き込まれたの。でもやっぱり人が恋しくて毎月2回くらいは上京されて人に会われているらしいの。そのたびこのお店に寄っていかれるのよ。今も電話があって、行っていいかい?だって」

急に田舎にいっても知り合いもいないだろうから、東京に出てきたい気持ちもわかるなぁ。まもなく、その井上さんという老人がやってきました。おかみと何か楽しそうに話しをしています。しばらくして、もう一人お客さんが入ってきました。店の中は暗く、その日はとてもよい天気だったので、そのお客さんの後ろからの日差しが照明をあてたようにまぶしく、人影だけが見えます。長髪なので何か獅子舞のように見えました。店の中に入って来られてその人が歌手の「かまやつひろし」さんであることが判りました。

かまやつひろしさんは、井上さんの座っている大きなテーブルの斜め前に座りました。二人は、静かに言葉もなくお蕎麦を食べています。お店の中はBGMもなく、し~んと静まり返って、まるで時間が止まっているようです。私はお店の隅からこのお二人を見ていて面白いと思いました。片方の井上さんは人恋しくてわざわざ毎月北陸から東京に出てこられ、人に会うことを楽しみにされています。一方、かまやつさんは、多分、人の関わりを逃れて、マネージャーも付けずに、一人静かにここでお蕎麦を食べておられる。人と人の関わり方というのは、人それぞれ色々あって、わがままなものなんだなぁと思ったりしながらのランチでした。

内海新聞 16号

新起業家時代 失敗のすすめ

先日、友人がこんな話をしてくれました。
数年前に上映された「アマデウス」という映画の話です。天才作曲家「モーツァルト」の生涯を描いたものです。当時ヨーロッパの音楽家は宮廷音楽家といって、国王や女王や教会のお抱え作曲家でした。国王や司教からこんな曲をつくれと命ぜられて、言われるまま作曲するという縛られた音楽活動だったといいます。そんな頃、自分の考えで自由に作曲したいというベンチャーが登場します。それが「ベートーベン」です。古典派からロマン派への足がかりをつくりました。多くの新進作曲家たちは、街の酒場に集まり、既成概念にとらわれない発想で、これからの音楽の夢を語り合いました。天才バッハの影響を受けたモーツァルトやベートーベンをはじめ、ショパン、シューマン、ブラームスなど、数えきれないほどの大作曲家たちが誕生してゆきます。

今、日本においても、ネットベンチャーやITベンチャーといわれる若くて夢いっぱいの起業家が数多く誕生し、様々なところに結集し夢を語り合っています。ソフトバンクの孫社長はバッハなのかもしれません。彼の影響を受けて、そこに続けとどんどん集まります。構造改革真っ只中の日本で、渋谷のビットバレーの起業家と、200年以上も昔のヨーロッパの新進作曲家達がオーバーラップするのは、まんざら突飛な発想でもないような気がします。100年後200年後の小学校の教科書に名を連ねるような偉大な経営者達がこの中から続々登場するのかもしれません。

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新起業家時代というテーマで、原稿を書き始めたのですが、ふとこんなことを考えました。起業家というのは成功することを望んで日々頑張っています。でも失敗する事の可能性も高いわけです。だからベンチャーといえるのですが、逆に失敗を積み上げて創ってゆくビジネスモデルがあってもいいのではないのか?なんて思ったりもしています。「新起業家時代・失敗の勧め」です。手前味噌な話ですが、私の創業も失敗の連続でした。打つ手打つ手が裏目にでてしまう。負け癖がつくというのでしょうか?だんだん臆病になっていく自分がいました。今この仕事をやるべきかどうかの判断基準がないのです。経営理念が固まっていないのです。困ったときに一体どの方向に進めば良いのかという指針がありませんでした。GOかSTOPかの「ものさし」がないといえば良いのでしょうか?

しかし、会社の創業期は皆そうなのだと思います。闇雲に着手して、予定通り進まなかったり、クレームになったりして、自信喪失になっていきました。その時、私は失敗しないようにどうすれば良いのか?とか、お客様に喜んでもらうにはどのようにすれば良いのか?という事ばかり考えていました。そして、クレームは一番の恐怖でした。ところがある日、このクレームというのはどういう事なのだろうと考えました。昔いつも考えていたテーマでした。「約束したことが、一部守られていない事への救難援助の声」という事だと思い出しました。実は、このクレームの中に顧客の本音が隠されているという事でした。

顧客の「不満」を一個一個つぶしてゆき、「安心」に転換してゆくことが、最も的確な顧客満足であり、商品開発でありマーケティングなのだという事を知りました。失敗した時に発生するクレームを裏返していくと、それは顧客のニーズとなり、どこにも真似のできないビジネスモデルを創れるのではないかと思ったのです。おかしな話ですが、私の会社では、クレームを起こした社員には「報奨金」が支給されます。「えっ!?」と思われるかも知れません。顧客ニーズの種を発見したという事で報奨金が出ます。

それまでは、クレームが発生しても担当者レベルで示談にしたり、放置されたりと、闇から闇に葬られていました。報奨金を出すことでオープンにされ、ピンチがチャンスに変換できます。そして、逃げないでチャレンジするという行動を生み出します。現代は、様々な歪みや矛盾が噴出しています。

世の中は変革の嵐です。いうなれば社会全体がクレームの嵐という事になりますが、これは街中にビジネスニーズが溢れ出していると言えます。「こうしてほしい!」という救難援助の声です。まさにビジネスチャンスは目の前に転がっている訳であり、すなわち、これは「新起業家時代の幕開け」といえるのではないでしょうか?

時間を売る

昔、飲食のお店をしていたとき、休みの日にときどき近所の喫茶店にコーヒーを飲みに行きました。
280円のブレンドコーヒーを飲みました。たまの休みですので、ゆっくり雑誌を読むのが唯一の楽しみでした。雑誌も読み終わり、暇なので周りをきょろきょろしていると様々なお客様がいることに気付きました。私のように雑誌や新聞を読んでいる客、誰かと待ち合わせをしているような客、商談している客、友人とおしゃべりしている客・・・皆それぞれのシーンがあります。でも・・・私も含めて何か変です。ここは喫茶店です。おいしいコーヒーを出すお店なのですがコーヒーの味を楽しんでいるようなお客はいないようです。実はこの私もそうです。私はここに何をしに来たのだろう?確かにコーヒーを飲みには来たのですが、本当はここにいる時間を買いに来たのかもしれない・・・・・そう思いました。他の人もそうなのではないか?

ここで人と待ち合わせるために来店したとか、おしゃべりするために来店したとか、そういう利用は確かに多いです。喫茶店というのはコーヒーを売るふりをして、実は時間を売っているのかも知れない・・・そう思ったものです。

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お店をして10年位したころ、知り会いから大阪で喫茶店の売り物件があるので買わないかとお誘いがありました。場所は大阪の北浜という、証券会社が立ち並ぶ兜町のようなところです。30席くらいのカウンターと小さなテーブルがある喫茶店です。立地はとても良いのです。お昼どきには大変混雑しますが、それを過ぎるとほとんど客は来ません。お昼が稼ぎ時ということです。ところが、お昼の客は昼食後のコーヒーなので、回転がとても悪いのです。なかなか帰ってくれません。

お店の売上を上げるには、客席を増やすか、商品の価格を上げるかしかありません。客席を増やすといっても、お店の大きさは決まっているので、店を拡張することになります。家賃や経費がその分増えてしまいます。商品の値段を上げると、大阪の客は敏感に反応して、逃げてしまいます。さて困りました。そこで、あるアイデアを考えたのです。

コーヒーを全部無料にするとどうだろう。そして、その店の中にいた滞在時間に対して課金するのです。入場に150円あとは1分毎に20円という具合です。そうです。このお店の時間を売る仕掛けにするのです。だからコーヒーは無料です。入口にタイムレコーダーを何台かおいて、タイムカードを150円で買ってもらいます。席が空くとガチャンとタイムスタンプを押して入場していただき、出るときにもう一回ガチャンとタイムスタンプを押してもらいます。1分単価の計算式を機械に仕込んでおけば、総時間の料金が自動計算されます。こうすると、計算高い大阪の人は、いかに一杯のコーヒーを安く飲むかを競いますのでさらに回転が早まります。

最初の150円に原価プラスαが含まれますので、いくら回転が上がっても損はしません。流行れば流行るほど回転率が上がります。この北浜のお店は条件が合わなかったのと、私が中華料理店を閉めて人材会社に行くことになったのでこの話は流れました。この企画は、お蔵入りになりましたが、東京のオフィス街のレストランのお昼のイベントとしてやればきっと大当たりするだろうと、今でも思っています。バイキング方式にして料理はすべて無料。そこにいる滞在時間に対して支払う勘定です。一度にお店に入れる人数を制限しておけば安定して回転してゆきます。またいつかチャンスがあれば・・・なんて。

私が料理店を辞めた理由(1)

私は昭和60年8月31日の日曜日で中華料理店を閉めて、翌日の9月1日の月曜日から、人材会社に勤める事になりました。

なぜ、お店を閉める事にしたのか?いろいろ理由はありますが、もっとダイナミックに自分のアイデアで勝負してみたかったのかもしれません。第11号でも少し書きましたが、当時、私は宝塚市にある駅前のショッピングセンターの1階で飲食店をしていました。当時ではよく流行っている方だったと思います。しかし、隣の駅にもおなじようなショッピングセンターができ、反対側の駅にも同様に大型ショッピングセンターができる計画でした。しかもバスターミナルが隣の駅なのでさらに、客の流れは変わってきます。

ビルの管理会社が販売促進をしていましたが、でてくるアイデアはいつもバーゲンばかり。年2回が3回になり、4回になり・・・安売りをすると、もうお客はその時にしか財布を開けません。バーゲンのときには、各店舗は協力金として毎回何万円も拠出しなければなりません。私は管理組合にひとつの企画書を送りました。それは、安売りではなく、どうしてもこのビルに足を運ばなければならないような仕掛けづくりをすることでした。その秘策とは・・・・すみません。スペースの関係で続きは17号で。

内海新聞 15号

編集長より:最近、悲惨な事件が続きます。何があったか知りませんが、他人を巻き添えにするのはやめて欲しいものです。東京にいると、JRや地下鉄が人身事故でよく止まります。人間生きている限り、必ずチャンスがあります。明石家さんまさんのお子さんのお名前は「いまる」ちゃんです。これは「生きてるだけで、まる儲け」の略だそうです。まさしく人間生きていること自体に意味があると思いますが・・・

糸川英夫博士と逆転の発想

私が尊敬するお一人に糸川英夫博士がいます。
「逆転の発想」という本で有名でした。ラーメン屋さんのコック時代この本を読み大ファンになりました。今まで常識と思っていたことが、見る角度を変えれば全く違うものになるということを言われています。昔、博士が所長をされていた組織工学研究所にお手紙を書いて送りました。その後、ご丁寧に自筆でお返事を頂きました。今では私の大切な宝物です。隼や零戦を超える至上最強の戦闘機「錘馗(しょうき)」を開発されたことでも有名です。「逆転の発想」の中で、びっくりした逸話があります。

「ゴルフほど体に悪いスポーツはない。だって準備運動もせずにいきなりドライバーをぶんぶん振り回すんだから.体に良いはずがない。本来はパタから順番にはじめて最後にドライバーでホールインワンを狙うのが一番良い。」なんてまじめに書いてあるのをみて本当に驚いてしまいました。戦闘機からロケット、そして大脳生理学から音楽の世界に興味の範囲を広げテレビでよくチェロを弾かれているお姿を拝見しました。どんな困難にもへこたれない、そして常識にとらわれない発想はとても愉快で大胆!こんな天才が日本にいた事を誇りに思いました。

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1912年7月20日東京に生まれる。リンドバーグの大西洋横断成功に影響を受け、飛行機製作を目指し東京帝国大学工学部航空工学科に入学。
1935年卒業後、中島飛行機に入社。そこでは日本陸軍が採用した「九七」「隼」「鐘馗」「疾風」等の戦闘機の設計製作に携わった。
1945年8月15日敗戦。ポツダム条約には「日本の航空宇宙に関する研究、製作、業務の一切を禁じる」条項があった。”ヒコーキ屋”としての自分の存在意義を失い自殺まで考えていたという糸川氏は、死ぬ前に一挺のバイオリンの製作に取り掛かる。200年前のストラディバリウスに負けない音色を奏でるバイオリンの設計。糸川氏が最初に取り組んだことは、ベートーベンやモーツアルト等の楽譜を調べることだった。曲に使われている音譜の頻度と長さの統計をとり、作曲家たちがもっとも聴衆に聴いてほしい四つの音を割り出す。そしてストラディバリウスでさえ出にくいA4、E4という高音を”太く力強く遠くまで届く”バイオリンの製作にとりかかる。

1992年、名匠といわれる職人達が練り上げて来たバイオリン作りとは無縁の難解な波動方程式で解かれた”ヒデオ・イトカワ号”が完成した。糸川氏は日本の宇宙開発の基礎を築いた「ペンシルロケット」の生みの親でもあり、他にも脳波測定器の開発や組織工学の研究と、取り扱う対象が幅広かった。しかし糸川氏が作ったもののなかで何より得難いものは、糸川氏の命を繋いだこのバイオリンだった。1999年2月21日死去、享年86才。/日本テレビ「知ってるつもり」から/また日本の大きな財産がひとつ消えました。

電子手帳で在庫管理

会社をしていると、書類がどんどん増えて管理に困ってしまいます。せっかく整理整頓しても、今度はどこにしまったのかがわからなかなって、大変なことになることが多いのです。

今回ご紹介するのは、そんな不便を解決するIT技術です。ITといっても、これで何でも解決できると思ったら大きな間違いです。今回のITの主役は「電子手帳」です。しかも文房具店で1000円くらいで売っている電子電話帳です。名前とその人の電話番号を登録できるものです。これがあれば面白い事ができます。問題は、ITではなく、システム以前に問題があるのです。書類をどこに片付けるか?の「どこに?」が問題なのです。多分、限られたスペースなので、利用できる場所には限界があります。その限界あるスペースをすべて整理して番号をつけていきます。二つ目のブロックの上から3番目だとすると「002-003」という具合です。そこには会社案内を収納すると決めたとします。それを電子手帳に登録します。

登録名は「会社案内」。電話番号のところに「002-003」と登録します。そしてもう1枚、事務所の平面図をつくって「002-003」がどこにあるかを記載します。これは下敷きのようなクリアケースに入れておきます。このクリアケースと電子手帳をセットで皆が判るところにぶら下げておきます。何か必要があれば、皆勝手にこの電子手帳をプッシュしてどこにあるかを知ることが出来ます。そして会社案内が最後の10部くらいになれば、そこに台紙が挟んであり、「部数が残りすくなくなりました。この台紙を総務に届けてください。」とあります。たまたまその台紙に遭遇した人は総務にこれを届けます。そうすると、誰も何も考えずに全自動で在庫管理ができるようになるのではないでしょうか?

丸の内OL倶楽部

今から7年位前の企画です。ある大手旅行代理店からこんな依頼が舞い込んで着ました。
「女性向けの海外旅行の企画をしたいのだけれど協力してほしい。」

何回かの打合せのあと次のような企画を私はまとめました。その企画名が「丸の内OL倶楽部プロジェクト」
簡単にいうとOLの方に旅行計画のお世話係になっていただき旅行ニーズを吸い上げようというものです。まず次のような仮説を立てました。学校を卒業してから海外旅行に行けるチャンスは女性の方が格段に多い。男性は多分新婚旅行くらいしか長期に海外に行く機会はないだろう。一方女性は独身時代にも何度も海外旅行に出かけることができる。

そこで新人OLをターゲットに会員サークルを作ることにしました。これが「丸の内OL倶楽部」です。丸の内というのは全国の城下町の県庁所在地などには必ずといっていいほどある地名で一般的であり都会っぽいのでこの名称にしました。短大や女子大の大学4年生名簿を元にダイレクトメールを送りました。丁度、卒業式直前の1月~2月に彼女たちの実家宛に送付します。

「就職おめでとうございます。こちらは**旅行です。このたび新人OLのための旅行情報サークルを作りました。」といった内容の入会案内です。入会は無料です。入会すると会員証が送られてきます。その会員証はテレホンカードです。そして、そのテレホンカードにはフリーダイヤル番号が記憶されていて、公衆電話に差し込むと自動的に指定のフリーダイヤル番号に掛かります。フリーダイヤルですので電話料は掛かりませんので、そのテレホンカードはいつまででも使えます。

まず、新人OLが入社すると、一般職の場合、総務やアシスタント部門に配属されます。女性の場合、自ら休暇をとって旅行に行くチャンスが増えます。また友人の結婚等の新婚旅行も身近に起こります。総務の場合、社員旅行も手伝ったりします。また家族や友人が旅行に行く場合もあります。生活のまわりに旅行との接点が増えてきます。そんな時、「丸の内OL倶楽部」の会員を通じて申し込むと割り引きや様々な特典が付くようになっています。つまり、この「丸の内OL倶楽部」の会員さんは旅行会社のお世話係ということです。

彼女たちが社内での自分の身の回りにある旅行話をとりまとめて報告してくれるという仕組みです。もちろん旅行会社からは彼女たちに特典があります。紹介するたびにポイントが蓄積されます。規定のポイントがたまると特典として最高でサイパン旅行がプレゼントされます。当時の計算では1年に1回サイパンに無料で行けるような計算方法になっていました。また、旅行会社では、団体旅行などで、空席がでた場合、それを埋めるために格安でチケットを売り出すことがありますが、これはあまりオープンにできません。この情報を優先的に「丸の内OL倶楽部」の会員にお知らせします。たとえば「明後日出発のニューヨーク往復35000円2名限り!」とか「韓国往復8000円」です。これらはすべて会員証であるフリーダイヤルテレフォンカードで連絡が取り合えるようになっています。

利用方法は、会社の公衆電話にこの会員証であるフリーダイヤルテレフォンカードを差し込むと、自動的に「丸の内OL倶楽部事務局」に接続されます。そして、#1を押すと旅行受付センターという、会員OLが身近で収集した旅行計画を連絡する窓口につながります。ここは会員OLがポイントをためてゆくための窓口になります。また#2をプッシュすると、団体旅行の空席情報が録音テープで案内されています。会員はそれを聞いてすぐに申し込むことができるようになっています。

新入社員から3年目くらいまでのOLさんを対象として300名の会員組織で始めました。このプロジェクトは今はもう終了していますが、みんなでワイワイガヤガヤ言いながら進めていった、とても楽しい企画でした。

お恥ずかしい話

私が子供のころのバナナは、大変貴重なくだものでした。
フィリピンバナナと台湾バナナがあって、台湾バナナの方が甘くて美味しいのですが、すこし小さいのです。当時は大変高価で、今のほうが値段は安いのではないでしょうか?私はこのバナナが大好物でしたが、年に数回しか食べられません。遠足の時がそのチャンスです。金持ちの子は1本もってきますが貧乏な家の子は半分か1/3本です。バナナの大きさで家庭事情がわかるというものです。

私は3人兄弟でしたのでいつも1/3本でした。遠足の時は、おやつの金額や量に対して学校が規制をかけていたので、バナナは「おかず」か「おやつ」のどちらか?という論争が毎回のように学級会で問題になりました。いつも答えは学校側の論理が通って「おやつ」で落ち着きます。あのころの私の将来の夢は「大人になって大金持ちになって、おなか一杯バナナを食べられるくらい成功すること!」でした。同じ頃、メロンも高価な果物でしたが、母親は「あれは見て楽しむくだものだ」と言っていたのを覚えています。