内海新聞 7号

スコップを持ったウサギがいますが、これを「穴堀りうさぎ」といいまして、私のキャラクターです。私の経営理念が「脚下照顧」です。よく禅寺の下駄箱に書いてある言葉です。自分の履物はちゃんとそろえなさい・・・という意味でかかれていますが、実際は違います。自分の足もとを掘るということで私は理解しています。自分の足もとにはたくさんの宝物があるように思います。

他にも灯台元暗しという言葉もあります。足もとに隙があるという事でしょうか?とにかく、自分のひとつの才能を研ぎすますために一点集中でひたすら極めるという意味で理解し、私にとっては大切な言葉です。この話をイラストレーターの平松尚樹先生に話したら、「う~ん、それは穴堀りうさぎだな!」といって、このイラストを作っていただきました。もしも著名な物理学者と、この道50年という下駄職人がばったりどこかで出会ったら、この二人はきっと話が合うだろう、と平松さんは言います。

「お互いの話は専門的で判らないかも知れないけれども、それぞれの場面でいろいろな決心を繰り返して生きてきたに違いない。一つのことを極めた人には、それぞれの決心につかう共通のものさしをもっているものだ。そのものさしはどんな時にもつかえる万能のルール。だから、このふたりはそういうところで話が合うものなんだよ。」・・・と。

心のふるさと(1)

私は中学のときは、よくいじめられていました。
理由はないのです。いじめやすいタイプなのでしょう。何も抵抗しなかったですから。

ある日、いつもと同じように下校していました。毎日通っている道なのにその日だけ、ある看板が目に飛び込んできました。
「金剛禅総本山少林寺」
「・・・・・??」「なんだあ?これは」
そのまま家に帰りました。家に帰るといつもどおりテレビを見ていました。
「明日は君たちのもの」NHKで毎週放映している全国の取材番組です。「少年黒帯拳士」その日のテーマでした。中学校3年生で武道の初段の黒帯になった少年の取材番組でした。
「金剛禅総本山少林寺」
これは、今日見つけた看板と同じじゃないか。またしてもシンクロニシティー。僕と同じ中学生が黒帯になっている。けんかに強くなりたい!毎日いじめられてたまるか?私は、その看板のお家を訪問しました。そのお家の方は先生ではなく、新たに道場を紹介してもらいました。そして見学に行くことにしました。

学校が終わって、公民館にある道場に行きました。早く着いたので3~4人しかいませんでした。全員黒帯です。剣道の胴をつけて、それをおもいっきり蹴っています。もの凄い音が響いています。そしてその胴が2つに割れたのです。私は恐ろしくてここに来たことを後悔しました。

しかし、一人だけひたすら道場の床を雑巾がけをしている坊主頭の人がいます。この人も黒帯ですが、まだ高校生くらいです。もの凄い勢いで端から端まで雑巾がけをしていました。
「黒帯でも歳下の者はやはり雑巾がけなんだ。・・・・・」7時になるといつのまにか大勢の弟子たち集まり道場がいっぱいになりました。
「ドーン!ドーン!」大きな太鼓が鳴りました。舞台に向かって全員整列して先生を待っています。

私は、びっくりしました。さっきまで一生懸命雑巾がけしていた高校生が舞台に駆け上がったのです。全員がその人に向かって合掌礼をしています。彼がこの道場長であり、当時日本最年少の師範だったのです。練習が終わるまで後ろで椅子にすわって見学しました。人が宙に投げ飛ばされ、女性が腕1本で大男をねじ伏せる。先生が手とり足とり教えて回ります。練習が終わって、先生が走ってやってきました。先生はひざまづき、同じ目線で私の目をじっと見ました。1分くらいじっと見据えました。

そして、私に言いました。
「お前は絶対強くなる。」・・・と一言。
そして「一緒にやるか?」
「はい!」短い会話でした。

梛木正男(なぎ まさお)。その時21才5段。私の生涯の師匠となる人との出会いの瞬間でした。私が13才中学2年生の時でした。私は其の日から30才まで少林寺への道が続きました。

師匠は、私に自信と勇気を与えてくれました。私は入門から5年後、大学に進み関東学生医歯薬連合大会で団体総合優勝。そして支部長として道場を興し弟子の育成のためプロとしての活動がはじまったのです。この少林寺の修行時代が私にとっての「心のふるさと」となりました。いくつになっても忘れえぬ自己探求の時期、そして人生の不変のものさし・ルールを見つけた時代を「心のふるさと」といいます。

困難な事にぶつかった時、目を閉じてこの「心のふるさと」にたち帰ったとき、その答は必ず見つかるものと私は学びました。しかし、その恩師も31才の歳でこの世を去りました。

金儲けのコツの伝授(1)

私は、ラーメン店とは別に、朝の3時30分から卸し売り市場の八百屋で働いていました。20代のころです。卸しに勤めだして1 年くらいたったころ、高尾商店というネギ専門の八百屋のおばあさんから声をかけられたのです。その人は60才くらいだったでしょうか?
「兄ちゃん。感心やなぁ。よう続くなぁ。眠いやろ。毎日あんたのことを見てるけど1日も休まんと来てるな。早起きできて偉いで。普通は1 週間ももたんけどなぁ。」
「ご褒美に金儲けのコツを教えてあげよう。」
金儲けのコツ?そんなものあるのかなあ??

「兄ちゃん・・・何やと思う?」
そりゃぁ早起きは三文の得!・・・というから、やっぱり早起きでしょう。
「早起きは、アホでもできるんじゃい。子供でも遠足の日は、目ざまし時計が鳴る前に目を覚ます。おとうさんでもゴルフの日は、一人で勝手に起きて出かけて行くやろ?早起きは精神力でできるもんや。」

・・・今、早起きして偉いで・・・って言うてたやないか!
「それはな・・・早く寝る事がヒントや!」
「これは精神力では不可能や。いつも12時に寝る人が8時に布団に入っても、結局目が冴えて12時まで眠れない。早く寝る事は習慣なんや。毎日毎日、早く布団に入るようにして習慣にしていかなできん。」
「早く寝たら、お金がかからんやろ。金儲けのコツはお金を使わんことや。」
「それから、午後6時から後のお金は無駄な金なんや。それは使わなくてもても生きて行ける。午後6時から後は、お金を使わんようにすることが金儲けの近道や。よう覚えとけ!」

「・・・・・」もうこてんぱんです。でも、この高尾のおばあちゃんの言葉は教訓として今だに良く覚えています。ちなみにこのおばあちゃん、いつも自分の腹巻きに数百万円位巻いていました。「銀行は信用できん。」・・・・と。

金儲けのコツの伝授(2)

この高尾のおばあちゃんの店から15m位離れたところに畳半畳程のスペースに七厘で餅を焼いて商売をしているおばあちゃんがいました。メニューは餅のいそべ焼きと牛乳だけです。

当時焼き餅と牛乳で200円位だったと思います。でも、市場に来るお客は皆ここで餅と牛乳を買って、片手に持ちながら買い物をしています。もう毎日大忙しです。毎日3~400個は売っていたと思います。大きな牛乳瓶のケースや餅の箱がどんどん空になっていきます。

「おにいちゃん。商売いうもんは畳半分あったら十分できるもんやで。私を見てたらよう判るやろぅ。」いつもそういって自慢していました。私の、この卸売市場の生活は大変つらいものでしたが、商売のヒントや営業のヒントを数多く私に与えてくれました。1分おきに値段が下がってゆくすさまじい世界です。このなかで商売をしてゆきます。スピードの商売です。その場その場で瞬時に判断して値決めをしてゆきます。お客の八百屋は小学生くらいのときからこの問屋に顔を出しています。

もう二代目三代目というのはあたりまえでした。ですから双方の手の内をお互い知り尽くし、その上で安く買おう、高く売ろうと毎日毎日しのぎを削っています。間近でそれを見て、自分の商売の甘さを大いに反省しました。そして、今の私のビジネスの基礎になっています。