内海新聞 6号

私と下田社長とふたりで赤坂見附の歩道橋を渡っていました。1996年の春でした。私は「板倉は頭がいいなぁ。彼の考えたハイパーシステムは良くできている。それにくらべてこっちはどうだ。1円玉をせっせと集める商売だ。差をつけられたな。」そうしたら、すかさず下田社長は「そんなことないです。内海さんの方がはるかに頭がいいですよ。我々のしていることは彼らとは格が違います。我々は金儲けではなく、産業を興すのですよ!」「そうだった。申し訳ない。」 次のシステム開発のアイデアに行きづまっていた私はまたこれでよみがえりました。

板倉雄一郎君は、当時インターネットの画面に広告画面をつけ、接続料金を無料にするというアイデアのハイパーシステムというビジネスで注目を浴び、世間を騒がせていた人物でした。その翌年のニュービジネス大賞をとり、もう飛ぶ鳥を落とす勢いでした。負けん気の強い私はいらいらしていました。その点、社長の下田は冷静です。大丈夫!勝利は我が手中にあり・・といつも平然としています。しかし、そのハイパーネットは、97年12月24日に倒産してしまいました。今、「社長失格」という本を書いて、また注目をあびています。

サンリオの奇跡

私がラーメン屋のコックをはじめて何年かしたころ、友人から、この本は面白いから読んでみたら・・・ともらった本があります。

「サンリオの奇跡」PHP出版。キティちゃんをはじめ、数多くのキャラクターを世の中に送り出したサンリオの創業当時のノンフィクションです。最初、あまり興味がなくて読みませんでした。読む時間もありませんでした。なにせ、そのころは起床は午前3時30分。4時から西宮にある卸売市場の八百屋で9時までアルバイトです。すぐに仕入れをしてダッシュでラーメン屋の店に帰って仕込みをします。10時30分に開店でそのまま午後9時30分まで立ちっぱなしです。10時から11時30分まで、県立川西高校という定時制高校の体育を教えていました。直に帰宅して12時に就寝というのが私の毎日の日課でした。

ある日なにげなく、そのサンリオの奇跡を読み始めました。わたしは引き込まれました。社長の辻さん。専務の荻須さん、常務の友近さんの3人の人物が運命の出会いをして、サンリオという会社を巨大にしてゆく話で、全部取材に基づくノンフィクションです。いつか自分もこんな運命の出会いを体験して、もっと大きな世界で勝負してみたい!私の感想でした。その後10年間で何十回も読みました。

この中に登場する常務の友近忠至さんに大いに興味をもちました。不可能を可能にする男、システム・コンピューターの神様・・・あこがれました。その後、何十人という方々にこの本の話をしました。「すごいでしょっ」って・・・平成5年。その本を手にしてからすでに15年近く経っていました。ある情報関係の会社の会長と夕食をすることになりました。人形町のすきやき屋でした。あいかわらず話題の乏しい私は、サンリオの奇跡という本の話、友近忠至さんの話をしていました。

1時間しっかり私の話を聞いてくださったその会長は、
「わかった、わかった。もういいよ!その友近さんは私の兄貴分にあたる人だ。引きあわせてあげよう!。」私は耳を疑ったのです。あこがれてはいましたが、雲の上の方。お会いできるなんて夢のような話。チャンスがついに来たのです。

「よろしくお願いいたします。」 数週間後、銀座の料亭で友近さんとお会いしました。何を話したか覚えていません。私にとっては雲の上の方です。最後に私は、ぼろぼろになった「サンリオの奇跡」という本をお見せしました。10年以上読み続けた私の宝物です。友近さんは、この本を見てびっくりされました。「ここまでするとは・・・・・・」これが縁で友近さんはジンテックの会社の株主、役員となっていただきました。これまで関わられた、お仕事や人脈をお側でOJTのように伝授いただくことになりました。 何十年も前の話が、今でも十分最先端の発想として通用してゆくところに、私は驚きました。私との共通点も多く、今では毎週のように様々な相談にのいっていただけるようになりました。

私の目標はゴルフで友近さんに勝つことですが、これがまた上手なんです。まだ、先は長そうです。ちなみに友近さんは今年72才のうさぎ年です。またまた、ウサギに縁があったようです。

就職専門のテレマーケティングサービス

1988年にジンテックは産声をあげました。
当時は大学生の名簿のブローカーのような仕事をしていました。あちこちから買い集めた学生名簿を企業の人事部にレンタルするという仕事でした。 これは完全に成熟した市場で価格競争になっていたのです。みるみる見積金額は下げられて、売上げはあっても利益がないというのが現状でした。競合も環境は同じです。結果、仕入れを安くして、値下げに備えるといった事をするしかありません。あまのじゃくであり、この業界の素人だった私は
「こんな馬鹿な話はない。みんなに役に立つ仕事をしているのに、なぜ、皆、足の引っ張り合いをして、自滅の道に進んでゆくのか?」

競合はいかに安く売るかを考えている。だったら、私はいかに高く売るかを考えよう。名簿といっても、宛名シールを提供するだけじゃないか?このラベルには、郵便番号と住所と宛名だけが印刷されている。これを10円とか12円とかで人事部は購入している。でもこの本人が何を考え、今何をしていて、どういう活動をしているかなんてまったくわからない。これだと企業は、不渡り手形を買うようなものだ・・・・! この1枚1枚の宛名ラベルの本人たちがどういう人物で、何を希望し、今どんな活動をしているかを全部調べてやろう。これが付加価値というものだ!そうして、就職専門のテレマーケティングサービスは誕生したのです。

じかに本人に電話して、希望を尋ねそれにそった企業の情報を与えるのです。企業にとっても、自社を希望する学生だけが集まればこれほど楽なことはありません。 たった1枚15円の宛名ラベルでしたが、その企業を希望する学生に絞り込む事により、1件2000円から3000円に跳ねあがりました。他の競合とはまったく逆の道を歩き始めました。すべてはここから始まったのです。日本で初めての就職専門のテレマーケティング会社の誕生です。1989年平成元年の事です。

私の実験室

子供の頃、自分の実験室をもっていました。・・・といってもそんな部屋がある訳でもありません。

阪急電車の踏切が私の実験室でした。私の家の近くの阪急電車の踏切で「バラ園の踏切」というところがあります。すてきな名前なので忘れませんでした。その踏切の前が高島屋の配送所になっています。その高島屋の配送所の裏手が空き地になっていて大きな砂山がありました。

かばんをその配送所に置いて夕方までそこで遊んでいました。釘を持ってきて線路の上に十字に置いて手裏剣を作るのが得意でした。裏の砂山は自然観察の場所です。この砂山の中からオオヒョウタンゴミムシを発見しました。このゴミムシの話は以前に書いたとおりです。今でもたまに実家に帰る時、阪急電車でこのバラ園の踏切を通過する時、その頃に瞬時にタイムスリップするのが不思議です。男の子としてとても純粋な時期だったのかもしれません。

以前、アメリカの映画で「スタンドバイミー」という映画がありました。男の子たちだけで冒険の旅にでる映画ですが、大好きな映画の一つです。音楽もいいです。男の子には一生の間で女性の影響を受けない時期があって、それがあのスタンドバイミーや私のバラ園の踏切なのかな・・・と思ったりします。」母親からようやく気持ち的に自立し、そしてまだ恋をしていない時期。とても純情で純粋な大切な時期・・・。

手羽先のから揚げ

私の作る料理の中で、すこぶる評判が良いメニューがあります。それは「手羽先のから揚げ」です。「テバカラ」といいます。このヒットメニューの裏話をすこし聞いていただけますでしょうか?

ラーメン屋の厨房に入って最初にする仕事はスープづくりです。私は、トリガラと豚骨、そしてたまねぎなどの野菜でダシをとります。トリガラはお湯でしっかり洗って血を抜きます。このトリガラは近くの鳥肉屋さんから10キロ単位で買うのですが、たまに手羽先が紛れ込んできます。

最初、この手羽先もダシをとるために一緒にズンドウの中に入れていました。そうしたら、この手羽先が一番最初に溶け出し、黄色い油は浮くわ、もろもろになった手羽肉が溶けてスープが濁ってしまうわで大変なことになりました。結局それから手羽先は最初から抜き取って捨てるようになりました。いつも手羽先だけは違う袋に移しかえる作業がでて、仕事が増えてしまいました。

ある日のこと、アルバイトたちの「まかない(従業員の食事)」のネタが尽きてしまって困ってしまいました。毎日おなじものだと可哀想だし何か簡単なもので他にないかなぁ・・・と考えていたとき、横にたくさんの手羽先がありました。どうせ捨てるんだし、まかないで使えないかな・・・と考えて唐揚げにしました。これだけでは美味しくないので焼肉のタレにつけて味付けしました。それがどうでしょう!いままで食べたことがない味でとっても美味しかったのです。従業員ももっと欲しいもっと欲しいと催促する始末。それを見ていたお客さんが、こっちにも欲しいということになり、恐る恐る出しました。これが大評判になり口コミで広がってどんどん注文が来るようになりました。店を辞めた今でも注文が実家に入ります。母は、特別に作って届けたりしていますが、最近これで商売はじめようかなぁ・・・とまた言い出しています。。

私は、東京で年に1~2回だけオープンする「快食亭」という中華料理をふるまう会を開催しています。そこでもなぜか評判が良く、これを目当てに参加されるお客様もいらっしゃいます。先日も50名のお客様でしたが、250本ものテバカラを用意しましたが、ものの10分で全部売り切れてしまいました。う~ん、やっぱりこのテバカラにはまだ商売の神様が降りているのかもしれません。

商売の神様が降りている間は、まだまだ商売につなげることができるはず・・・な~んて、余計なことを考えてしまいます。でもこのテバカラは1本50円で6本セット300円で売っても相当儲けがあります。もともとゴミですから・・。でもこのテバカラ6本で必ず生ビールが2杯でます。生ビール1杯450円ですから2杯で900円。一人約1200円以上の売上げを稼いでくれる、メニューの優等生となりました。