新・内海新聞121号

【現代の帝王学②】

前回に引き続き現代の帝王学です。
著者の伊藤肇氏は
⑴原理原則を教えてくれる師を持つこと。
⑵直言してくれる側近を持つこと。
⑶良き幕賓を持つこと。
この三人の人物との出会いが重要と説いています。
この中でも、「原理原則を教えてくれる師を持つこと」に、全体の60%のページを割いています。
その中の面白い話をいくつかピックアップしてみます。
「出処進退の爽やかさ」という項があります。
住友軽金属の社長の小川義男が、社内改革を目的とした大人事異動をやろうとして、いろいろ思案している最中に、ふと思い立って朱子が編纂した「宋名臣言行録」を開いて読み進んで行くうちに、「う〜ん」と唸った。
こんな一節にぶつかったからです。
北宋の革新官僚、王安石がいわゆる「王安石の新法」を施行するにあたり、妙に才気走った小器用な奴ばかりを要職につけるので心配した司馬光が、その理由を問うと「最初は才力ある人物を使ったしゃにむに新法を推進させ、ある程度目鼻がついたところで老成の者に交代させ、これを守らしめる。
いわゆる智者はこれを行い、仁者はこれを守るなり。」と胸を張った。
ところがそれを聞いた司馬光は、途端に「ああ、安石、誤れり。」と叫び、痛切な忠告をする。
「賢者は、顕職につけようとしても遠慮して、なかなかこれを受けないものである。
だが、そのポストを辞めろと言われた時には、さっさと身を引き出処進退が実に綺麗だ。
これに比べて、いかに才智があっても、小人はその反対で、一度得た地位はとことん執着して離さない。もし、そいつを無理に辞めさせでもしたら、必ず恨みを含み仇をなす。だから今のような人事をやったら、他日お前はほぞを噛むことになるぞ。」
しかし、功にはやる王安石は、馬耳東風と聞き流した。
結果は、恨みを持った小人に讒言されて失脚。せっかくの新法も潰れてしまった。
みずから爽やかな出処進退をやってのけた興銀相談役の中山素平は、「責任者は、その出処進退に特に厳しさを要するというより、出処進退に、厳しさを存するほどの人が責任者になるべきである。」と規定している。特に「退」には、のっぴきならぬ二つの「人間くさい作業」をやらねばならぬから、そこのところを見極めてさえおれば、最も正確な人物評価ができるのである。
一つは、退いて後継者を選ぶ作業。
二つは、仕事に対する執着を断ち切る作業、である。
…と語られています。
出処進退の見事さというと二例あります。
お一人は松下幸之助氏です。
松下幸之助氏が、何かあるといつも籠もったという眞々庵(しんしんあん)。 見事な庭園とお茶室だけの場所です。京都南禅寺のすぐ近くにあります。
社員もここには入れないのですが、私はツテを辿って、一度見学に行ったことがあります。
眞々庵の庭の奥に根源社(こんげんしゃ)という社があります。伊勢神宮をイメージしてつくられました。
松下幸之助氏は、何か決断しなければならない時、必ずこの根源さんの前で瞑想し、決断したと言われています。
当時、庭師の川崎幸治郎がその眞々庵のお庭を管理していました。
その眞々庵の真ん中に一本の見事な松の木があります。
ある日、松下幸之助氏がやって来て、「なぁ、幸次郎。あの松の木を切ったらどうやろう?」 と尋ねました。
川崎幸次郎は「いえ、あの松はこの庭で唯一というくらい立派なものです。その木を切るなんてとんでもありません。」
「そうかぁ。」と言って帰られます。
しかしその後も、松下幸之助氏は「あの松を切ったらどうやろう」と、何度も何度も尋ねるので、川崎幸次郎は、「ええぃ、もうどうにでもなれ!」とその松を切り倒してしまいます。
そうしたら、どういうことでしょうか!目立たなかった他の松やもみじや杉の木が、大きく活き活きと見え始めたのです。
後に松下幸之助氏は、川崎幸治郎に語っています。
スタープレーヤーに頼るのではなく、平凡な人たちでも補い合って総合的に力を発揮することの方が重要なのだ。そういう人の集まりが何よりも強力なのだ・・・と。
会社の中に、成績は飛び抜けて良いが、会社のルールに従わないトップセールスマンと言われる人はいないでしょうか?誰よりも頼れる社員。そんな人はいらないと言っています。
その後、松下幸治郎氏は後進に譲り、松下電器の社長を辞めています。
あの松の木はご自身だったのです。
もう一人が本田宗一郎氏です。二輪メーカーから四輪に進出し、世界でも類を見ない自動車メーカーに育て上げます。
かつて、低公害エンジンのCVCCエンジンを世界で初めて開発し、この技術を惜しげもなく、他の自動車メーカーに公開しました。そして、世界が注目し始めます。
会社も順調。
「ホンダはアメリカのGM、フォード、クライスラーのようなビッグスリーと並ぶ自動車メーカーを目指す。」と宣言をした時、社員から厳しい指摘を受けます。
「自分たちは会社のためではなく、社会のために仕事をしている。ビッグスリーなんて興味はない。」と。
本田宗一郎氏は、その時ハッとします。
いつの間にか、自分の発想は企業本位のものになってしまった。
大いに反省します。
そして、本田宗一郎氏は社長を辞めました。
副社長であった藤沢武夫氏も一緒に辞任します。
「いい人生だったな、お互い。」
二人はニッコリ笑いました。
本田宗一郎65歳、藤沢武夫61歳。
まだまだ、現役の年齢です。
そして、新卒第1号社員の河島喜好氏に社長を譲りました。
原理原則を教えてくれる師を持つこと。
人生の中の大切な原理原則を教えてくれています。