新・内海新聞110号

【生きるということ】

最近、癌になったあるタレントさんのブログの読者が100万人を超えたと話題になっています。
今も昔も人は「死」という未知の現象に興味津々です。
私の実家は開業獣医で、子供のころから動物たちの生と死を何百回と見てきました。そういう意味で、生や死が日常の中で当たり前の世界として捉えていたともいえます。
子供のころの私は「昆虫少年」で山に登って昆虫採集に熱中する毎日でした。その昆虫の中でも一番のお気に入りがトンボです。これは今でも変わりません。トンボは前にしか飛べません。絶対に退かないところから勇敢の象徴として、戦国武将の鎧にモチーフとしてあしらわれることが多かったと言います。このトンボは幼虫時代を「ヤゴ」といって、水中で生活します。それはもう獰猛な昆虫でメダカや小鮒を捕まえ体液を吸血して生きています。それが、ある時期が来ると、水草の枝を上り、水面すれすれのところで動かなくなります。蛹となったのです。そして蛹の背中が割れてトンボの誕生です。トンボは大空に舞い上がり、二度と水中に戻ることはありません。水の底にいる他のヤゴたちは、友人は死んだと思ったかも知れません。友人は死に、その魂は大空高く舞い上がり、もう戻ってこないと。
私は子供の頃、トンボの生態をみて、そのように空想した事を覚えています。
若いころ、私は「死」というものを全く意識もせず、それはまだまだずっとずっと先の話と思っていました。おそらく多くの人はそうだと思います。一か月のうちで「死」について考える時間は、おそらく一秒間もないと思います。しかし、自分の周辺で亡くなる人が出てくる毎に、考える機会も増えてきました。若くして亡くなって言った友人たちは、そのほとんどが癌でした。
私の父は獣医師でしたが、人間の医師になる道から獣医師になった変わり種で、しかも新薬の開発を若いころにしていた学者でもありました。研究者としての視点で物事を見る癖がありました。人間の寿命と病気の関係をよく話してくれました。
人間は年齢ごとに発症する病気が大凡決まっていて、人間の寿命が長くなることで今まで水面下に隠れていた病気があらわれてくる。病気が新しく生まれるのではなくて、その発症タイミングに人の寿命や生態が合致しただけであると。
ここからは、少しスピリチュアルな話なので、不快な方は読み飛ばして下さい。
今から25年以上前の話です。友人の長男が先天性の病気を発症しました。どこの大学病院に連れて行っても原因も解らず、治療法もないという病気です。途方に暮れたそうです。
そんな時、ある友人が良い先生がいるから紹介してあげる。相談に行ってみたら?友人はTさんという男性を紹介されたそうです。
紹介されたのは四谷駅前のしんみち通りにあるカレーショップでした。半信半疑ながら、彼はそのカレーショップに長男を連れて訪問しました。
「○○さんからの紹介で来ました。」と告げるとTさんは奥のテーブルに案内してくれ、店のシャッターを閉めてしまいました。
「どうしました?」
「息子が先天性の不治の病で・・・」
「ちょっと見せて下さい。」そう言ってじっと見つめ、手を頭に当てました。
「左の脳がやられているね。これは私でも治せない。ただこれ以上進展しないようにバリアーをかけることは出来ますがどうしますか?」
それでもよいからとお願いし、以後三回の治療をしてもらったそうです。治療といっても手をかざすだけです。
それ以後、てんかんの発作も治まり、症状が消えたそうです。不思議な話です。
そんな不思議な力を持つTさんですが、ある日こんな話をしてくれたそうです。
あるメーカーのW社長が肝臓癌になりました。
肝臓の表面にびっしりこびりつく様な癌です。全摘出以外にありません。しかし全摘出すれば命はありません。
大学病院でも、癌研でもお手上げです。そして癌研究所からTさんの元にWさんは紹介されてきました。大学病院等からTさんに治療の依頼が来る事が多いのです。
余命3カ月の診断を受けていました。Tさんは診断しても癌研の診立てと同じでした。それから2週間毎日Tさんは治療を続けたそうです。そして次の検査の日、Wさんの肝臓癌は跡形もなく消えていたのです。担当医たちも訳が判らず、中にはこの様な運の良い人もいるということで終わりました。2ヶ月くらい通院と自宅療養の後、会社に復帰する事となりました。今日から復帰出勤という日の朝、会社に向かうため家を出ようとすると、奥さんからハガキの投函を頼まれました。
乗るバス停の反対車線の方に郵便ポストがあります。その横の横断歩道を渡り、ハガキをポストに入れ、バス停に戻ろうとすると信号が赤になってしまいました。向こうを見るともうバスがこちらに向かって走っているのが見えました。車の途切れた間に、信号を無視して、走って渡りました。その時影になって見えなかったところに宅配便のトラックがあったのです。Wさんはその車にぶつかり転倒しました。宅配便の車もゆっくりだったので大事故にはならずに右足の骨折で済みました。救急車で整形外科病院に搬送され、骨折の治療をして、とりあえず今日は用心して一晩入院する事にしました。家族も会社の人たちも安心して帰りました。
その晩です。Wさんが入院している病院から電話がかかってきました。病状が急変したのですぐに病院に来てほしいという連絡です。
駆けつけると、Wさんは間もなく息を引き取りました。死に至る原因もなく、訳が判らない状況でした。
肝臓癌の治療をした関係から、Tさんも呼ばれました。
突然死ということです。
Tさんは、後にこう言われました。「あれは寿命だな。肝臓癌を治したところで、ここが寿命だったということだな。」このことを証明するものは何もありませんが、寿命というものがあるというのは解ります。

以下は私の友人の死の直前に交わしたやり取りのメールです。彼は死をより良く生きるに考え方を切り替え、最高の人生を過ごしたと私は思っています。それがこのメールに表れています。
流通ジャーナリストとしてテレビ・ラジオ・雑誌等で引っ張りだこの有名人でした。テレビでは明石家さんまさんの「ホンマでっかTV」でも人気者となりました。
しかし、残念ながら病に倒れ帰らぬ人となりました。彼とは、癌が発病した時から相談を受け、死ぬ間際まで交流を続けました。そんな彼が、「死」という現象の捉え方に変化が出てきた内容のメールです。
「癌を慈しむ発想」はまさに彼らしいなぁと感じました。
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内海勝統さま
メールをありがとうございます。
KTです。

お返事がすっかり遅くなってしまい、申し訳ありません。

本日のパーティーには妻を使いに出しますので、お料理を少しだけお分けいただけたら…と思います。
(もちろん会費はお支払いさせていただきます)。
自宅で頂戴できたら嬉しいです。

また、病気についても、温かい励ましをありがとうございます。
内海さんには…自分の今の姿勢が頼りないように思うかもしれません。
が、自分にとっての病気への対応は、全身転移がわかった時点で「闘う」ではなく「共生」をめざしてきましたので、ちょっと違うのかな~と感じています。

まさに、元々は自分自身の細胞が癌細胞に変化してしまったわけですので、「闘う」では、自分の場合、自分で自分を攻撃しているような感覚になってしまうのです。
ですから、自分ではかるちのいど癌細胞をいわば慈しみ、
静かに静かにしていてもらうようしてきたつもりです。

しかしながら、同時に仕事をこれまで通りに続けることこそが、自分にとっての「病気に負けない」ことだったため、少々やりすぎてしまったのかもしれません。
体力的なバランスを欠いて、7月半ばに肺炎になってしまいました。

現在は、「現代医学では説明がつかない」と言われてしまったように、いわゆる危篤状態から復活して今を生きており、医者にも現在の自分の病状がわからないわけですが、日に日に呼吸は少しずつですが苦しくなっており、
そろそろ着地が近いのかな…とも感じる次第です.

それでも、この状態になったからこそ「見えてきたもの」もあります。
事務所との契約関係もあり、病気を明らかにすることができないのですが、自分なりに準備を進めています。
いつの日か、それを世の中の方にお伝えすることができると、自分自身は確信しています。
そういう意味での「闘い」は、自分の中ではこれまで以上に、強く大きくなってきています。

さきほど、Aさんたちが拙宅にお寄りくださいました。
F社長からは「赤ん坊のようになって…」と言われました。自分の中の「こだわり」が少しでも減っているといいのですが。

死は敗北ではないと今、深く理解できたと思っています。
自分という命が何をこの世に残せるのか、命のある限り、ギリギリまで模索していきたいと思っています。

ありがとうございます。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
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