新・内海新聞111号

【靴磨き屋さん顛末記①】

2012年、東京駅前で靴磨きと靴修理のテストマーケティングを始めました。皆、何やってんの?って感想だと思う。思い立ったら吉日。事業ってそんなもの。今回の靴磨き事業は大変大きな収穫を得たと思います。その貴重な体験をやはり皆に伝えておかないといけないと思い、ここに記録しておきます。

そもそもこの発想の原点は今から10年も遡る。テーマは「困っていることを助けることがビジネスになる…」です。それが何故靴磨き?!ですが、詳しく書いていきます。
ジンテックでの私の席は窓側の一番後ろ側。社員の姿が見渡せるところにあります。後ろ姿が良く見える。
ある日、あることに気づいたのです。女子社員たちが出社すると、履いてきた靴を脱いで足元のお手製の棚の上に揃えて置き、サンダルに履き替える。しかも皆可愛いグッズで靴をしまっている。細長いキリンの首のクッションをブーツの中に入れて、型が崩れないようにしたり、素敵なケースにパンプスを入れていたり、可愛いフルーツのクリップでハイヒールの両足を留めて倒れないようにしたり、私は毎日それらを見て「可愛いなぁ…」とニンマリするのが日課でした。彼女たちの素敵な靴たちはそこで勤務時間中ずっと仮眠をとっています。なるほど…。一方、毎日クロネコさんや佐川さんが定期的に荷物を取りにやって来る。ありがたい。いつも来るお兄さんは同じで、すでに顔なじみ。「今日もご苦労様です!」なんて書かれたトレーにキャンディーなんか入れて、ご自由にどうぞと気配りしたり。
待てよ。机の下で仮眠をしている彼女たちの素敵な靴たちを、勤務時間中を連れて行って綺麗に修理して磨いて、また勤務中に送り届けてあげる…そんなことができたらお互いにハッピーになれないか??それが、発想の原点。靴修理といえば、駅にあるミスターミニットが有名。男性客はあまりいない。女性客が中心なのが現状。なのに…なぜ店舗名がミスター?まずそこからおかしい。これは想像するに、かつてモーレツに働いていた団塊の世代の男たちに向けて、成長してきた痕跡。でも、もう今は時代が違う。
東京で一番忙しいと言われる渋谷駅の中にあるミスターミニット渋谷店に見学に行ってみました。いつも5人くらい並んで丸椅子に座って順番を待っている。全員女性。ふーん。私には、人前でさらし者になっているように見えました。急遽、並んでいるおねえさん達にインタビューしていきました。ちょっと勇気が必要でしたが。
いつもココ、来るんですか?「二ヶ月に一回くらい」恥ずかしくないですか?「ちょっと恥ずかしいです」なんか困ったことないですか?「皆、考えてることが一緒なのか、空いてると思って来たら、その日に限って並んでる。モ~って感じ。」他には?「そのスリッパ…誰が履いたかわからないのを履くのはいや。水虫のオヤジが履いてたらと思ったら嫌だし…だから履かないでブラブラさせてます。」他には?「待ってる時間が勿体無い。持って来るのも面倒」皆、不満はあるんだー。なのになぜここを使うの?「だって、他にはないもの…」
というものでした。
これはいただき!です。靴修理と靴磨きのデリバリーをやれば面白い。その名前は『靴急便サービス』もう、一気に企画が核融合です。朝、事務所に取りに行き、夕方に返却。企画の大筋は決まりました。事業創造って、資金やアイデアはとても大事。しかし、もっと大切なものがあります。それは勇気と、体力です。世の中に絶対なんてものはない。やってみなければ、何も始まらない。
現状の不便の解決は一番の基本です。でも、これからやって来る未来も少しは取り入れよう。これから何がやって来る?私は、それを「スマホ」としました。これから全てスマホに始まりスマホで完結の時代がくる。日本が一番出遅れた分野です。日本が誰よりも得意なはずの世界で、出遅れた分野です。スマホでオーダーして決済してもらいます。お客様は女性。女性の靴修理と靴磨き専門です。

 

メニューは靴修理と靴磨きなら種類は限定されます。回収に行く都合上、エリアを限定しました。東京駅周辺としました。特に丸の内。郵便番号は〒100-0005です。スマホのホームページから郵便番号を入力すると回収エリアかどうか分かります。次に勤務先等の会員登録をしてもらいます。そしてオーダー画面に変わります。
靴のタイプ、修理箇所、サービスメニューを選んでタップ。回収希望日時をタップ。オーダーボタンをタップ。これで予約完了。料金はカード決済。予約の段階では仮決済です。修理後お届けして本決済となります。次回からは靴コード番号と修理箇所とオーダーボタンのタップだけで全て完了です。一度でも修理した靴は登録されコード番号がつけられます。これでシステムは出来上がりました。今度は、誰が回収に行くか?お客様は女性なので、男性は嫌がれるだろう。回収も女性の方が安心だろうと女性コンシェルジュがオフィスに回収に行くことにしました。可愛い女性に回収に行ってもらいたいのですが、アルバイトの募集で苦戦です。私は女優さんやタレントさんに手伝って欲しかったので、彼女達の求人を始めました。そのためにある方法を思いつきました。通常のインターネット求人広告を使ったのですが、1つだけ他にはない日本で初めての仕掛けを付けました。他にはない求人の条件です。「オーディション優先」と一行記載したのです。女優さんの卵達は頻繁に舞台やテレビや映画などのオーディションを受けます。このオーディションはいつあるか分からないので、そのオーディションを受験するには仕事を休まないといけない。だから定職に就けない。しかも、前日とか当日にお休みの連絡をアルバイト先に言わなければならず、もう普通の仕事には就けません。これが彼女達の最大の悩みなのです。オーディション優先。仕事よりオーディションを優先してもOKです。そんな時は、アルバイトの中で空いている他の人と調整してくれればOKです。という項目を付けたのです。やがて応募者が殺到します。「本当にオーディション優先してもいいんですか?信じられません。そんな職場はここだけです。絶対に辞めません。」その結果、目論見通り美人ばかりの職場になります。口コミは広がり、求人広告はいらなくなりました。営業は、チラシをまいたり、新聞の取材をしてもらったり、DMを送ったり色々やりました。少しずつオーダーが入ってくるようになりました。誰かが使えば職場内の口コミで広がります。どこまで回収に行けるか、それがすぐ分かるように、回収に行った景色を携帯で写メしてもらいホームページにアップして行きました。コンシェルジュの女性たちの日記のように。そこには私はノータッチで女性の視点に任せました。その写メを見れば、「あっ、うちの会社の近所も回収に来るんだ!」と分かってくれます。しかし、なかなかオーダーが大きく伸びません。緩やかに上がっているのですか、急成長とは言えません。原因は色々ありました。
①靴の修理ごときで個人情報を登録するのは嫌
②慣れないスマホでのオーダーの仕方が分からない。
③スマホを持っていない。
でした。
当時のスマホの普及率は20%程度。まだまだガラケー中心の時代でした。それではと、パソコンでもオーダーできるようにしたら、会社のパソコンは私用には使えない。丸の内企業ですので、その監視が厳しくオーダーにはなかなか繋がりませんでした。また、丸の内の高層ビルはセキュリティーが厳しくビルに入れないという事態も発生しました。一人、靴職人を雇っていたのですが、暇そうにしています。困った。仕方なく、普通通りお店でお客を待つ修理店も併設しました。店舗は中央区京橋にある小さなビルの9階の事務所にオープンしました。普通なら1階の人通りのある場所に店舗を出店するのが良いのでしょうが、家賃の安い9階に事務所があったので仕方ありません。結局そこで靴の修理店舗を始めることになります。小さなエレベーターで9階まで上がらなければなりません。しかし、このことが、新たな市場のすき間を見つけるきっかけとなるのでした。
【続く】



 

 

 

 

 

 

 

《参考資料》

【平均給与】33歳OLの平均年収は、294~299万円
年齢別 男性/女性〔万円〕
19歳以下 161/126
20~24歳 270/231
25~29歳 379/294
30~34歳 461/299
35~39歳 555/294
40~44歳 629/280
45~49歳 656/278
50~54歳 662/266
55~59歳 634/264
60歳以上 456/234
平均 539/271
(平成18年 国税庁「年齢階層別の平均給与」より)
この20年給与は上がっていない。
【OLの支出内訳(33歳)
年収299万円/手取月給20万円
貯蓄;約330万円
40,000 家賃
10,000 水道光熱費
35,000 食費・日用品
20,000 交際費
12,000 ケータイ代
15,000 洋服・化粧品代
15,000 交通費
5,000 保険
10,000 趣味
5,000 医療費
30,000 貯金
20,000 なんやかんやその他
全部で19万7000円(+α)
クリーニングの必要なものは買わない。

新・内海新聞110号

【生きるということ】

最近、癌になったあるタレントさんのブログの読者が100万人を超えたと話題になっています。
今も昔も人は「死」という未知の現象に興味津々です。
私の実家は開業獣医で、子供のころから動物たちの生と死を何百回と見てきました。そういう意味で、生や死が日常の中で当たり前の世界として捉えていたともいえます。
子供のころの私は「昆虫少年」で山に登って昆虫採集に熱中する毎日でした。その昆虫の中でも一番のお気に入りがトンボです。これは今でも変わりません。トンボは前にしか飛べません。絶対に退かないところから勇敢の象徴として、戦国武将の鎧にモチーフとしてあしらわれることが多かったと言います。このトンボは幼虫時代を「ヤゴ」といって、水中で生活します。それはもう獰猛な昆虫でメダカや小鮒を捕まえ体液を吸血して生きています。それが、ある時期が来ると、水草の枝を上り、水面すれすれのところで動かなくなります。蛹となったのです。そして蛹の背中が割れてトンボの誕生です。トンボは大空に舞い上がり、二度と水中に戻ることはありません。水の底にいる他のヤゴたちは、友人は死んだと思ったかも知れません。友人は死に、その魂は大空高く舞い上がり、もう戻ってこないと。
私は子供の頃、トンボの生態をみて、そのように空想した事を覚えています。
若いころ、私は「死」というものを全く意識もせず、それはまだまだずっとずっと先の話と思っていました。おそらく多くの人はそうだと思います。一か月のうちで「死」について考える時間は、おそらく一秒間もないと思います。しかし、自分の周辺で亡くなる人が出てくる毎に、考える機会も増えてきました。若くして亡くなって言った友人たちは、そのほとんどが癌でした。
私の父は獣医師でしたが、人間の医師になる道から獣医師になった変わり種で、しかも新薬の開発を若いころにしていた学者でもありました。研究者としての視点で物事を見る癖がありました。人間の寿命と病気の関係をよく話してくれました。
人間は年齢ごとに発症する病気が大凡決まっていて、人間の寿命が長くなることで今まで水面下に隠れていた病気があらわれてくる。病気が新しく生まれるのではなくて、その発症タイミングに人の寿命や生態が合致しただけであると。
ここからは、少しスピリチュアルな話なので、不快な方は読み飛ばして下さい。
今から25年以上前の話です。友人の長男が先天性の病気を発症しました。どこの大学病院に連れて行っても原因も解らず、治療法もないという病気です。途方に暮れたそうです。
そんな時、ある友人が良い先生がいるから紹介してあげる。相談に行ってみたら?友人はTさんという男性を紹介されたそうです。
紹介されたのは四谷駅前のしんみち通りにあるカレーショップでした。半信半疑ながら、彼はそのカレーショップに長男を連れて訪問しました。
「○○さんからの紹介で来ました。」と告げるとTさんは奥のテーブルに案内してくれ、店のシャッターを閉めてしまいました。
「どうしました?」
「息子が先天性の不治の病で・・・」
「ちょっと見せて下さい。」そう言ってじっと見つめ、手を頭に当てました。
「左の脳がやられているね。これは私でも治せない。ただこれ以上進展しないようにバリアーをかけることは出来ますがどうしますか?」
それでもよいからとお願いし、以後三回の治療をしてもらったそうです。治療といっても手をかざすだけです。
それ以後、てんかんの発作も治まり、症状が消えたそうです。不思議な話です。
そんな不思議な力を持つTさんですが、ある日こんな話をしてくれたそうです。
あるメーカーのW社長が肝臓癌になりました。
肝臓の表面にびっしりこびりつく様な癌です。全摘出以外にありません。しかし全摘出すれば命はありません。
大学病院でも、癌研でもお手上げです。そして癌研究所からTさんの元にWさんは紹介されてきました。大学病院等からTさんに治療の依頼が来る事が多いのです。
余命3カ月の診断を受けていました。Tさんは診断しても癌研の診立てと同じでした。それから2週間毎日Tさんは治療を続けたそうです。そして次の検査の日、Wさんの肝臓癌は跡形もなく消えていたのです。担当医たちも訳が判らず、中にはこの様な運の良い人もいるということで終わりました。2ヶ月くらい通院と自宅療養の後、会社に復帰する事となりました。今日から復帰出勤という日の朝、会社に向かうため家を出ようとすると、奥さんからハガキの投函を頼まれました。
乗るバス停の反対車線の方に郵便ポストがあります。その横の横断歩道を渡り、ハガキをポストに入れ、バス停に戻ろうとすると信号が赤になってしまいました。向こうを見るともうバスがこちらに向かって走っているのが見えました。車の途切れた間に、信号を無視して、走って渡りました。その時影になって見えなかったところに宅配便のトラックがあったのです。Wさんはその車にぶつかり転倒しました。宅配便の車もゆっくりだったので大事故にはならずに右足の骨折で済みました。救急車で整形外科病院に搬送され、骨折の治療をして、とりあえず今日は用心して一晩入院する事にしました。家族も会社の人たちも安心して帰りました。
その晩です。Wさんが入院している病院から電話がかかってきました。病状が急変したのですぐに病院に来てほしいという連絡です。
駆けつけると、Wさんは間もなく息を引き取りました。死に至る原因もなく、訳が判らない状況でした。
肝臓癌の治療をした関係から、Tさんも呼ばれました。
突然死ということです。
Tさんは、後にこう言われました。「あれは寿命だな。肝臓癌を治したところで、ここが寿命だったということだな。」このことを証明するものは何もありませんが、寿命というものがあるというのは解ります。

以下は私の友人の死の直前に交わしたやり取りのメールです。彼は死をより良く生きるに考え方を切り替え、最高の人生を過ごしたと私は思っています。それがこのメールに表れています。
流通ジャーナリストとしてテレビ・ラジオ・雑誌等で引っ張りだこの有名人でした。テレビでは明石家さんまさんの「ホンマでっかTV」でも人気者となりました。
しかし、残念ながら病に倒れ帰らぬ人となりました。彼とは、癌が発病した時から相談を受け、死ぬ間際まで交流を続けました。そんな彼が、「死」という現象の捉え方に変化が出てきた内容のメールです。
「癌を慈しむ発想」はまさに彼らしいなぁと感じました。
・・・・・・・・・・
内海勝統さま
メールをありがとうございます。
KTです。

お返事がすっかり遅くなってしまい、申し訳ありません。

本日のパーティーには妻を使いに出しますので、お料理を少しだけお分けいただけたら…と思います。
(もちろん会費はお支払いさせていただきます)。
自宅で頂戴できたら嬉しいです。

また、病気についても、温かい励ましをありがとうございます。
内海さんには…自分の今の姿勢が頼りないように思うかもしれません。
が、自分にとっての病気への対応は、全身転移がわかった時点で「闘う」ではなく「共生」をめざしてきましたので、ちょっと違うのかな~と感じています。

まさに、元々は自分自身の細胞が癌細胞に変化してしまったわけですので、「闘う」では、自分の場合、自分で自分を攻撃しているような感覚になってしまうのです。
ですから、自分ではかるちのいど癌細胞をいわば慈しみ、
静かに静かにしていてもらうようしてきたつもりです。

しかしながら、同時に仕事をこれまで通りに続けることこそが、自分にとっての「病気に負けない」ことだったため、少々やりすぎてしまったのかもしれません。
体力的なバランスを欠いて、7月半ばに肺炎になってしまいました。

現在は、「現代医学では説明がつかない」と言われてしまったように、いわゆる危篤状態から復活して今を生きており、医者にも現在の自分の病状がわからないわけですが、日に日に呼吸は少しずつですが苦しくなっており、
そろそろ着地が近いのかな…とも感じる次第です.

それでも、この状態になったからこそ「見えてきたもの」もあります。
事務所との契約関係もあり、病気を明らかにすることができないのですが、自分なりに準備を進めています。
いつの日か、それを世の中の方にお伝えすることができると、自分自身は確信しています。
そういう意味での「闘い」は、自分の中ではこれまで以上に、強く大きくなってきています。

さきほど、Aさんたちが拙宅にお寄りくださいました。
F社長からは「赤ん坊のようになって…」と言われました。自分の中の「こだわり」が少しでも減っているといいのですが。

死は敗北ではないと今、深く理解できたと思っています。
自分という命が何をこの世に残せるのか、命のある限り、ギリギリまで模索していきたいと思っています。

ありがとうございます。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
・・・・・・・・・・

新・内海新聞109号

【メロンパン】

前回はジンテックが与信や信用照会の事業に入ってゆくきっかけのお話でしたが、そのヒントを頂いたのがT信販会社のY部長でした。
Y部長が「与信に使える!」と言われたことから、ジンテックのTACSは新たな道に踏み出すことになります。
さて、タイトルのメロンパンですが、そもそもこういう話です。
初期与信や途上与信のお仕事が増えるにつれ、金融業というビジネスに大変興味を持つようになってきました。
なぜなら在庫がいらないこと、利息を稼ぐ事が出来るなど魅力的です。
私は、今までにない、金融庁が見落としているビジネスモデルは無いものか?
毎日のように試行錯誤をしていました。私は当時、ある企業からの依頼で飲食事業のビジネスモデルを作っていました。
昔、10年間飲食ビジネスをしていた関係から、そのビジネスの面白さを良く判っていました。
小規模の飲食店の一番の悩みは、日々の資金繰りです。二番目はアルバイトや職人の手配です。商材というのは頑張って研究すれば何とかなります。
皆さん自分のお店を持つことは一番の夢ですが、そう簡単に店のオーナーになることなどできません。先立つ資金がありません。
小さなことからコツコツと資金を貯め、経験を積み、やがて小さくとも一軒の店のオーナーになるというのが理想です。
これら、志のあるオーナー予備軍を育てるビジネスモデルができないだろうか。そんな中、出てきた答えが「ケータリングサービス」でした。いわゆるキッチンカーによる営業です。


最小限の厨房設備の付いた軽自動車を改造したキッチンカーです。商品は単品の方が効率良く、マニュアル化がしやすいのと、仕入れも最小限に抑えられます。そして自分一人で開業できます。その様なキッチンカービジネスを広く展開する支援事業のモデルです。志願者を募集し、研修を行い、キッチンカーを販売するという流れです。
しかし、このモデルには問題があります。キッチンカーのオーナーになって営業を開始しても、その営業する場所が問題です。顧客の多いところは人通りも多く、路上駐車することになるので、違法駐車になります。他人の所有地を勝手に使用することもできません。
そこで思いついたモデルは以下の様なものです。
最近あちこちに新築のオフィスビルが建設されています。建築法によって、共有スペースを作る必要があります。共有スペースは、環境には良いのですが家賃を生みません。このビルの下にある共有スペースを活用してキッチンカーの業者に場所を貸出し有効利用することは可能です。
有楽町の東京国際フォーラムの共有スペースなどはお昼時になると、多くのキッチンカーが集合し営業を開始します。ここであれば違法駐車になることもありませんし、ヤクザ屋さんに追いかけられることもありません。但し、この様な場所は、競争が激しくなかなか利用することが出来ないのです。
そこで、移動販売業者を会員にした組織を作り、ビルの共有スペースでランチタイムに営業する権利の交渉をします。
もちろんその使用料を移動販売業者から徴収し、賃借料としてビル側に支払います。
この場合、多いのがその日の売上げの全額をいったんビル側に支払います。そして一定期間を置いて、家賃分や光熱費を差引いて移動業者に返却されます。
この方法は一般的で、たとえばスーパーの横のスペースで営業している焼鳥屋さん。百貨店なので開催される駅弁フェアや物産展などの催事は皆この方式です。長い場合は数カ月後というのもあります。
この間に資金繰りが悪くなって倒産ということも多いようです。
普通でも売上の少ない移動販売業者は、入金が数カ月後となると経営が出来ません。
そこで、資金管理会社を作りその資金繰りの支援をすることにしたらどうだろうか?専門家であるT信販のYさんと連日議論しました。
たとえばメロンパンの移動販売と仮定します。
メロンパン屋さんはその日の売上を毎日営業終了後、コンビニのATMからビル側に入金します。
その時のジャーナル(ATMに入金の時に出てくる様な控え)を、資金管理会社に提出してもらいます。一週間後に、メロンパン屋さんの銀行口座に、入金額の80%を振り込みます。
ビル側からは、一定期間後、手数料を引かれて振り込まれてきますが、振込先を資金管理会社にします。そこから、最初に振り込んだ80%を引き、さらに資金管理会社の手数料を差し引いた残額を、メロンパン屋さんの口座に振り込みます。
これによって、メロンパン屋さんは資金繰りが安定し、日々の営業に支障が出ることがありません。
さて問題はここからです。
これが貸金業に当たるかどうかの判断です。
私はこれが貸金業ではないと考えました。
もしも、メロンパン屋さんの債権を買い取り、ビル会社から入金を受けるとこれはファクタリング事業となり、金融事業と判断され金利等も制限を受けることになりますし、金融庁の管轄下に置かれます。
今回、考え出されたのは債権を買い取らず、資金管理会社がメロンパン屋さんに先払いをしているにすぎません。会社の小口の仮払い精算と同じです。
会社の仮払いには金利は付きません。
消化仕入れ方式です。
このプランはS銀行を通じて、同社の顧問弁護士に確認をしたところ、金融事業ではないという判断になりました。
そして「これは大きな抜け道です。誰も気づいていませんね。」と盛り上がりました。
事業化しましょうという話になったのです。
キッチンカー業者は毎日利用客からのアンケートから顧客満足順位を決め、別の業者と入れ替えの指標とします。
また、共同購入会をつくり、業者全員の仕入れを一括購入しコストを下げる。
など、新しいビジネスモデルが出来上がりました。
いまでしたら、各キッチンカーのレジを「Airレジ」などのクラウドを利用すればもっと、細かい経営指導も行えると思います。
結局、この企画は諸般の事情でペンディングとなりましたが、これらのアイデアはTACS事業に反映されていきました。

新・内海新聞108号

【フィンテック】

最近ニュースや新聞によく「フィンテック」という言葉が出てきます。
〔ファイナンス+テクノロジー=フィンテック〕です。
因みにジンテックは、〔人材+テクノロジー=ジンテック〕です。
設立当時、業務内容が人材サービスであったためこの名称になりました。

さてフィンテックですが、急に話題に上るようになったのには理由があります。
それは改正銀行法が2016年5月に可決した事にあります。
日本経済新聞によると以下の通りです。
============
金融とIT(情報技術)を組み合わせた「FinTech・フィンテック」と呼ばれるサービスを促すための改正銀行法が25日、参院本会議で自民、公明両党などの賛成多数で可決、成立した。
銀行や持ち株会社による事業会社への出資制限を緩め、IT企業に出資しやすくする。
ビットコインなどの仮想通貨に対する国内初の法規制も盛り込んだ。
銀行がIT企業へ出資する場合、銀行は5%、銀行持ち株会社は15%までの出資制限があった。
ただ金融サービスとITの融合がいっそう深まっていることから、金融庁は個別認可によりIT企業への出資割合の拡大を認める。
金融持ち株会社では、ガバナンスの強化を条件にグループ傘下の銀行の共通業務を集約できるようにする。
ビットコインなどの仮想通貨への法規制では、取引所を登録制にする。
顧客の資産と自己資産をわける「分別管理」を導入して、監査法人や公認会計士の定期監査も義務づける。
マネーロンダリング(資金洗浄)などを防ぐ一方、利用者を保護する狙いだ。
金融機関が、フィンテックに注目し資金援助が手厚くなれば、資金力のないベンチャー企業にとってこれほど有難いことはない。
たとえば、スマホが急速に普及する中で、スマホを使った金融サービスが続々と誕生している。
電子家計簿やAirレジや、最近有名になってきたMoney Forwardなどがあげられる。
FinTech企業は既存の金融機関との共生型と、市場を奪う競合型に分類される。
また、FinTech企業自身が金融ビジネスを行うパターンと金融機関にシステムを提供するソリューションビジネスを行うパターンが存在する。
============

ジンテックの仕事は共生型FinTech事業とも言えます。
金融機関に代わって、信用調査を行うのが業務となります。
そもそもジンテックの事業は、相手の所在確認を如何に早く、低コストで行う方法はないのか?
という本当に単純な思いつきから始まっています。

これがなぜ金融の分野に入ることになったのかお話したいと思います。
当初はダイレクトメールの不着防止やアウトバウンドコールの不通確認をするために考え出しました。
固定電話が繋がらなければ、そこには住んでいないだろう、繋がらない電話は最初から掛けない、郵便も送らない。
無駄な経費を抑えるためです。
それを自動化してチェックする仕組みがTACS(タックス)です。
「届かないダイレクトメールは送らない!」をキャッチコピーにDM不着防止の営業をしていたある日、
半蔵門にある東総信という中堅の信販会社に飛び込みました。
沢山のダイレクトメールを送っているだろうと思ったからです。
Yさんという自動車部の部長に対応していだだきました。
なぜ自動車部?とは思いましたが自動車ローン担当の部長でした。
私は身振り手振りでTACSの効果を説明しました。Y部長は黙って聞かれていました。

話が終わると、Y部長はこう言われたのです。
「与信だな。与信に応用すればこれは化けるぞ。」
「与信?」私は与信という言葉もその意味も解りませんでした。
その時からTACSは、与信の流れに乗ることになります。

このヒントをいただいたYさんはその後、東総信を退職しジンテックに転職されます。
そして私の考えたメロンパン販売を金融事業として成立させるという世界初の事業を某銀行と始めることになりますが、これはまた次回に。
TACSが果たしてどうしたら与信に使えるのか?模索が始まります。
これまでの顧客は通信販売会社が中心で、今度は金融機関が相手です。
銀行に訪問して「こういう仕掛けがあるのですが、何か与信に応用できることはありませんか?」というような営業です。

相手の担当者は驚いてすぐに追い返されるのが常でした。
ところが、全く予想もしなかった業界から与信の話が舞い込んできたのです。
ある年の秋でした。
突然一本の電話が鳴りました。
「こちらは日本IBMです。あるプロジェクトで御社のシステムが採用決定しました。
ついては明日大阪で全体会議があるのですがご参加いただけないでしょうか?」

「はっ?」IBMに営業をしたこともないし、何のプロジェクトかもわからない。
「何のプロジェクトですか?心当たりがないのですが…」
「詳細は明日お話いたします。ご参加いただけますか?」
強引です。「畏まりました。伺います。」全く不思議な電話でした。
今でもはっきり覚えています。

大阪駅まで担当者は出迎えに来てくれました。
それは、日産自動車が大株主となって設立された移動体通信のツーカーホン関西という会社でした。
その開発を日本IBMが一手に担当していました。20名以上の担当者を前に、当社は私一人。
非常に心細い会議でした。
内容はこういう事でした。
まさに携帯ブームが起こる前夜という時期でした。
先行するドコモとDDIを追撃するかたちでJ-PHONEとツーカーホンが設立されました。
後発の差を埋めるため0円電話という無料で携帯電話をばら撒き、通話料で稼ぐという荒っぽい戦略が進められていました。

その時に携帯電話をタダで渡して良いのかという申込者の与信が必要になってきました。
一台数万円もする携帯電話です。
その頃、J-PHONEとツーカーホンの0円電話は通話料を支払わなくても3ヶ月は使えたので、
使うだけ使ってあとは捨てるという悪質な利用者が増え、大きな問題になりつつありました。
店頭での混雑を回避するために15分以内にすべての与信を完了させる必要がありました。
「この15分間のうち、5分間をジンテックさんに任せます。
無人で申込者の与信を完了させて下さい。御社のTACSを使って。」

こうして、与信の分野に踏み込む事になるのです。
私が考えた仕掛けとは、申込者が店頭で書いた申込用紙をFAXでツーカーホンの与信センターに送られます。
コンピューターは申込者の自宅電話番号と勤務先の電話番号を自動で読み取り、TACSに送ります。
TACSは数秒で現在通話可能か、あるいは不通状態かを判断します。
不通状態の場合、その情報はオペレーターの画面に「再審査」のアラートが表示され、
オペレーターは販売店に更に個人本人を証明する書類の追加提出を要求します。
すでに時代は進み、現在ではこのような単純な仕掛けでは対応できません。
TACSのシステムはさらに進化し、さらにハイレベルな与信サービスとして提供しています。
TACSが金融分野に使える!これで「信用調査」という新たなドアが開きました。
まさにこの時から当社は共生型FinTechの道を歩み始めます。
今から20年も前の話です。
与信には入会時の審査の「初期与信」と入会後の動きをみる「途上与信」があります。
TACSはこの両方に対応します。
たとえば「初期与信」としては、クレジットカードの申込時には、申込者の申請内容に虚偽が無いかを調べます。
「途上与信」としては、入会後の当該カードホルダーが、登録情報に変動が有るかどうかの継続調査をします。
「途上与信」の例を上げると、銀行のATMを操作する時、キャッシュカードを挿入します。
その時、その人の個人情報は銀行のコンピューター内で照合されます。
そして、TACS処理の後、その利用者の登録情報が申込時と現在とで相違があった場合、修正依頼がATM画面に表示されるといった具合です。
時代は固定電話から携帯電話、さらにはスマートホンの時代に代わり、バリエーションも広がりました。
ナンバーポータビリティ―サービスも一段落し、携帯の電話番号はよほどのことが無い限り変更しなくなりました。
20年以上前から研究を続けていたショートメールサービスがあります。
当時J-PHONEと共同で数多くの実験を繰り返し、新サービスの開発をしていました。
J-PHONEのメールアドレスは、ドメインの前が携帯番号になっていました。
ショートメールは電話番号だけで送ることが出来るアドレスです。
文字数に制限はありますが、非常に簡単です。
しかし、携帯各社の仕様が統一されておらず、キャリアを超えてのショートメールの送受信ができず、
同キャリア同士でしか利用できない事がネックとなり、研究は中断されます。
現在、総務省の意向で、全キャリアでの送受信が解禁され、大幅に利用のチャンスが広がりました。
電話番号が判ればショートメールを送ることが出来ます。
ショートメールの本文にURLを埋め込めば、多くの情報を送る事が出来ます。
ジンテックの提供するサービスでご説明します。
ある通信販売で購入し、支払いをする時のシーンで以下の事が可能です。
①通信販売会社のある電話番号が開示されていたとすると、注文時にスマートホンで電話を掛けてもらいます。
②コンピューターは発信者電話番号を検知したら直ちに回線を切断します。この時点では着信していないので通話料はかかりません。
③その取得した電話番号にショートメールを返信します。この間、数秒です。
④送られてきたショートメールに、決裁内容のURLが埋め込まれています。
⑤購入承諾ボタンをタップすると、コンビニ支払いの画面が自動的に展開し、
この画面をコンビニで提示すれば支払いが出来るという仕掛けです。
まさに、これは共生型FinTechの姿になります。まだまだ、この分野の可能性は広がることが予想されます。

新・内海新聞107号

【関西よもやま話】

まず京都人大阪人神戸人の違いを述べる。
ちなみに、こういう場合、奈良人はいつもカヤの外である。まず、京都人と神戸人は仲が良いが、大阪人を毛嫌いする人が多い。
神戸人はそこまでではないが大阪人と一緒にされたくないと思っている。
だから神戸人は遊びに行くなら大阪を通り越して京都に行く。
吉本の漫才コンビでも大阪人と京都人のコンビはいないらしい。
神戸人はこだわりがなくオープンマインド。
誰とでも仲良くなれる特技がある。神戸は北が六甲山系、南が瀬戸内海で南北はなく、東西に広がる細長い土地である。
坂本龍馬の海軍操練所以降、軍港として発展し、外国人が多く住み着いた。
今でも外国人居留区という地名が残る。
東西に細長いため学校もその細長いに東西に点在していることから交流も多く学校を超えて友達が多い。
兄妹がいてもその誰かはどこかで学校が一緒で友人同士という場合も多く、友達の友達はみな友達みたいな繋がりができる。
金髪で青い目でランドセルを背負って日本人と同じ学校に通う子供たちも多い。
南京町という中国人街もあり当然中国人も多い。
そんな環境の故、外国人に対して免疫ができている。
勢いそれは誰とでもオープンマインドとなる。

京都人は一般的にイケズ(意地悪)である。
いや、イケズに感じる。京都人は付き合いが難しいと言われるが、それには理由がある。
京都人にはこれ以上入ってこられては困るという、ある距離感がある。
それより外にいると愛想がいいが、それを破ってズカズカ入るとイケズをされる。冷たく感じるのはその為である。
大阪人は厚かましいので毛嫌いされる。
京都では人の家に行って、話し込んでなかなか帰らない時、「ぶぶづけでもどうだす?」と言われるというが、これは都市伝説である。
そんな話は聞いたことがない。ぶぶづけとはお茶漬けのこと。
お茶漬けでも食べていかれますか?となる。
当時は冷やご飯に白湯をかけて食べる粗末な食事。嬉しいものではない。
つまり、「早く帰らんかい」という意味になる。
そんな京都人の性格を揶揄して生まれた作り話。
また一見さんお断りというのも、これに通ずる。
あの方の紹介ならきっちりマナーを守ってくれるだろうという保証書のようなもの。
四条に大きな鰻屋があるが、オーナーが大阪人の金貸しのため京都人は誰も行かなかった。
行くのは京都見物に来た大阪人ばかり。
二代目が舞妓さんを嫁にもらってから少し認められたという話を聞いたことがある。
京都がこんなに排他的かというとそうでもない。
かつて幕末の時、長州、薩摩など田舎侍の尊皇攘夷派を受け入れたのも京都人の一面である。
よそ者でも認めたものは応援してくれる。伝統を重んずる京都にあって京都発のベンチャー企業も多い。
最も有名なのは京セラである。創業者の稲盛さんは薩摩である。
他にも日本電産、ワコールなどもある。
ノーベル賞も京都大学が最多である。
投機投資の才があるのかも知れない。
牛肉の消費量は京都が日本一なのである。すき焼き大好き。意外である。
密かに新しものが好きなのである。

大阪人は、関ヶ原の合戦以来、江戸を嫌う人が多い。
プロ野球の阪神巨人戦など良い例だ。
とにかく巨人には負けたくない。
難波で東京弁など喋ってると「何いきってんねん!」と難癖を付けられることがある。
東京の友人が旅で大阪のお好み焼き屋に入り、東京弁で注文したら、店内の客全員が振り向き睨まれたという話を聞いた。恐ろしい話である。
大阪人は粉もんが大好き。お好み焼き、たこ焼き、イカ焼き、ちょぼ焼き、キャベツ焼きなどなど。うどんもある。
大阪ではこれがオカズである。これらと白飯をいただく。
有名なお好み定食である。大阪では当たり前だが、関東ではゲテモノに見られる。
東京人はサンドイッチをオカズにご飯を食べるようなものだと揶揄する。
するとラーメンライスはどうなんやと、大阪人は切り返す。
兎に角、東京人の難癖が気に入らないだけなのである。

神戸と大阪の違いは武庫川で別れる。
武庫川の東側は大阪弁圏内。
西側は神戸弁圏内となる。お好み焼きも変わる。
武庫川の東は花かつおを使い、西側は粉がつおを使う。関西では文章を口語体で書く。
いや、私の生まれた地域だけかも知れないが、特に手紙などは口語体で書く。
東京では手紙は標準語で書くと聞いて驚いたことがある。
そうであれば、神戸弁を標準語に翻訳してから書かなければならない。
凄く悩んだ記憶がある。
「今日は大雨で学校に行くのに傘が役に立たず濡れてしまった。」というのを口語体で書くと
「きょうな、大雨でな、学校に行ったんやけど傘が効けへんねん。ベチャベチャやで。」となる。

奈良は、いつも疎外感である。
かつてJR西日本が三都物語というキャンペーンをしたが、この時も京都、大阪、神戸である。奈良は入ってない。
私などは、京都は人が多く息苦しいので奈良に行ったりする。
人も少なく歩くのが楽である。しかし、交通の便が悪い。近鉄しかない。
あとはバスかタクシーか歩きである。ただ、田園風景が広がり、ビルも少なく広々として気持ちが良い。
問題は食事である。奈良人には味覚はないのか?と思いたくなる。
美味い店とかあまり聞いたことがない。そもそも店がない。チェーン店ばかり。
奈良人は食事に拘らない。さらにホテルも極端に少ない。
お土産もない。平城京のとき、絶えず大地震や疫病の発生で苦労した。
平城京には大きな河がなく、衛生状態が悪く疫病が多く発生したと言われる。
これらを鎮めるために聖武天皇により大仏様を建造。聞くところによるとその建造に260万人位の労働者を要したと言われている。
日本の人口が600万人強の時代に……。生活が苦しく、国抜けをして逃亡した人々も多かった。
都も平城京から長岡京やいろいろなところに点々と移動し、落ち着いて暮らすどころではなかったのではないか。
生きるために食べ物に贅沢は言わなくなったのではないか?というのは私の持論。諸説あり。
私などは奈良で食事をした記憶がない。
京都か大阪に移動して食事している。

大阪人の女性は派手である。
原色が好きである。化粧をみれば関西のどこ出身かが分かるというのは、難波シティーのブティックの店長。
化粧と服装で、住んでいる沿線が分かるという。
沿線とは電鉄会社のこと。
①阪急②阪神③近鉄④南海⑤京阪だ。来店する女性客の最寄り沿線を当てるゲームをしたことがあるが全て当てたのには驚いた。
神戸人は阪急、阪神、JRしかない。
西の端の方に山陽電鉄があるがこれは除外。
やはり、阪急沿線は高級である。阪神は駅が多すぎ、電車も斜めっている。
JRは殆ど使わない。わかりやすい。
ちなみに余談ではあるが、関西人ではないが名古屋人もよく比較対象になる。
こんなたとえ話がある。東京人、大阪人、名古屋人の三人がタクシーに乗ろうとした時のこと。
東京人は見栄を張り、タクシー代を全て自分で払うために先に乗って後部座席の奥に座ろうとする。
大阪人は自分は払いたくないので、なるべく後に乗ってすぐ飛び降りれるように乗ることを考えている。
名古屋人は東京人と大阪人のどちらかに払わせようかと中間にいて思案している…という話。
とかく名古屋人は「きしめん」と同じで正面から見たらうどんで横から見たら蕎麦というどちらについても大丈夫というように世渡り上手である。

話を戻そう。大阪人は金には細かい。どこでも値切る。
百貨店でも値切る。大声で値切る。とにかくやかましい。
しかも、人の話に割り込みたがる。何か新しいものを持っていたりすると、必ずおばちゃんの質問攻めにあう。
しかも全員の質問は同じである。「ナンボで買うたん?」である。
金額重視である。
しかも、どれだけ値切ったかはさらに重要である。
次の質問は「どこで買うたん?」である。
自分が知っている店かどうかが重要である。
この二つの答えをあらかじめ用意しておくとコミュニケーションはスムーズである。
1時間は持つ。

また、関西人は電車のホームで並ばない人が多い。
ドアが開いたら一斉に乗り込んで来る。
しかも席の争奪が始まる。特に大阪のおばちゃんである。
あれはなんとかしてほしい。
その点、中国人は大阪は住みやすいかもしれない。
大阪のおばちゃんといえば、有名なのはヒョウ柄の服装である。
あれは本当である。
私の母も持っている。胸の辺りにヒョウが正面向いて睨んでいる。
背中を見るとヒョウの後頭部のデザインである。しかも黒地である。
全身ヒョウ柄の人もいる。
理由はわからないが好きである。光り物は必ず身につけている。
派手である。飴ちゃんも持っている。一方神戸はおしゃれである。
服装のセンスは関西一である。流行の先端をいってる。
とびきり美人も多い。これは外国との交流の歴史が長く、西洋人の血が混ざっていった結果と想像される。
同様に青森や新潟、秋田、長崎も外国との交流が長く美人の産地であるのは同様の理由と思われる。
ちなみにこの中で一番美人の多かったのは長崎である。
こここには昔から8カ国の人々が共存していたと言われる。

さて、神戸のお好み焼きは大阪とは違う。前述のとおり基本は粉カツオである。
また、チーズ入りとか、キウイソースとか意外な素材を使うお店も多い。
ハイカラなのである。前述の通り、大阪人がお好み定食といってお好み焼きとご飯と味噌汁を食すのを神戸人は軽蔑している。
お好み焼きはお好み焼きとして食べたいのである。
炭水化物をおかずに炭水化物を食べるのは邪道と言いたい。
しかしである。焼きそばにご飯を混ぜて一緒に鉄板で焼いてソース味にした「そばめし」を発明したのは神戸人である。
ここを刺されると返答に窮する。
ただ、おしゃれに食べたいのである。京都人は肉好きである。
関西で肉とは牛肉のことである。豚は肉とは言わない。豚肉である。
京都にはすき焼き店が多い。
肉といえばすき焼きである。万願寺唐辛子やトマトを入れて作る。
割りしたは使わない。卵も使わない。絶品である。

じゃんけんも関西は違う。各地域別に調査はまだしていないが確かに違う。
口が裂けても「じゃんけんポン」などとは言わない。
子供の頃は「じゃいけん、ほい」とか言ってたが、もう一派あって、「いんじゃん、ほし」である。
私のは後者である。

さて関西弁であるが地域によって微妙に違う。
地元人はすぐ聞き分けられるが、東京人には無理だろう。
京都弁で言うは「言わはる」大阪弁は「言いはる」五段活用の否定では、京都弁は「言わへん、書かへん」。
大阪弁では「言えへん、書けへん」五段活用の不可能では、京都弁は「言えへん、書けへん」。
大阪弁では「言われへん、書かれへん」となる。アクセントも違う。
例えば動物。京都弁では「どうぶつ⤴︎」。大阪弁は「どう⤴︎ぶつ⤵︎」
東京は京都弁では「とうきょう⤴︎」。大阪弁では「とうきょう」とフラットである。
神戸弁は似ているようで微妙に違う。
例えば有名なのが「来ない」の表現。
京都弁:きーひん、大阪弁:けーへん、神戸弁:こーへん。
特に神戸弁は京都弁大阪弁とは違ってくる。
最大の違いは「とう」である。
「〜してる」は「〜しとう」である。
起きてる?→起きとう?遊んでる?→遊んどう?細かい→こまい

大阪と神戸のエスカレーターは右に立つ。
東京人と大阪人が混じり合う新大阪駅のエスカレーターはこれで揉める。
このように微妙に違い、圏外者がそれを真似て話しても、絶対に聞き分けてしまうので、気持ち悪いという表現で指摘する。
外国語なども同様なのだろう。いくら勉強してもネイティブにはなれない。そこに生まれ育たないと無理なのである。

〔今回の文面には多少個人的偏見があることをご容赦〕