新・内海新聞105号

【新ペット産業】

最近、ペットフード業界に転職した友人と話す機会を得た。ペット産業の伸びしろの広さに驚いた。
犬は、08年1090万匹、14年1035万匹と▲15%
ペットフードは、08年705200t、14年596870t▲15%
と、共に減少気味。
しかし、その市場規模は拡大を続けている。全てがプレミアム化していると言えます。
我が家でも私がユニクロのバーゲンの900円のTシャツを着ているというのに、目の前のトイプードルは6000円の犬用のTシャツを着て、お腹を出して爆睡している。
ペット市場は、日本人の少子高齢化に影響しているというのが私の持論。


神奈川県の秦野というところの山の上にK植物園がある。その中に、コンテナを利用したカフェがある。どこにでもあるカフェなのですが、ペット同伴OKというお店です。
お店のメニューも左ページが人用、右ページが犬用となっていて、どちらも区別がつかないほど、美味しそうである。店の床にはペットの綱を留めるフックがあり、何匹もの犬たちが楽しんでいる。庭には大きな敷地を囲ったドッグランがある。飼い主たちは、そのドッグランで愛犬を遊ばし、それを優しく見守っている。
やがて、飼い主同士は仲良くなり、家族ぐるみの付き合いが始まる。
このカフェには一つのアイデアがある。
毎週末に開催される犬種ミーティングです。
犬種ミーティングとは、毎週末決まった犬種だけが集まるイベントです。
今日はコーギーちゃん集まれ!の日、来週はチワワちゃん集まれ!の日、また、その翌週は、ゴールデンリトリバーちゃん集まれ!…という具合に同じ犬種たちが集まる日を決めている。
お店の中も、ドッグランも同じ犬種でいっぱい。
お客たちは、この犬種ミーティングを楽しみにしている。
私の父は開業獣医師であった関係から、動物たちに囲まれて育ちました。飼い主の心理もなんとなく分かります。
お年頃の犬の飼い主の大きな関心は、お嫁さん旦那さん探しです。
どうせ結婚させるなら身元の知れた、しっかりしたお家のワンちゃんと!というのが本音。
この、犬種ミーティングは、そのための飼い主の観察のために開催されている。
犬といえども親戚になるようなものなので、しっかりとした家柄のワンちゃんと、というのが本音となる。
このカフェから、浜の方に降りてくると、ご主人が経営するとフレンチのお店がある。ここもペット同伴OK。カフェで仲良くなった家族たちが、ここに流れてくるのです。
そして、一つ気づくことがあります。その飼い主の年齢です。もうリタイアしたような年齢の夫婦連れが多いのです。
子供も独立し、ぽっかり穴の開いたような寂しさを埋めるために、ペットを飼い始める。犬の寿命は20年もない。自分たちの年齢と比べても丁度良いのです。我が家でも犬がいることで救われた事が多いです。その癒し効果は抜群と言えます。反面、犬がいることで家を空けられない。散歩、食事など世話がかかる。旅行などとんでもないです。ペットホテルもありますがなんとなく可哀想で預けられない。
そういうニーズを反映してか、ペット同伴OKという旅館が増えています。ペット同伴OKのお部屋がないと集客できないとまで言われています。
我が家でも、伊豆下田のペット同伴OKのお部屋を予約して旅行したことがあります。
旅館も特別の対応を考えています。中には犬が嫌いな泊まり客もいる可能性があるので、入り口は別。そして、部屋も離れになっていて、鳴き声も母屋に届きにくい。綱を留めるフックもある。犬の食事用のボールやマット、ゲージも頼めば貸してくれるし、おしっこシートも用意してくれる。もう至れり尽くせりです。
そうなると、伊豆に行けば、必ずこの旅館に!ということになります。
旅行だけではありません。衣料、ペットフード、住宅、健康管理などなど、どんどんその市場は広がっています。
ここに面白いビジネスがあります。カレンダー業界です。ペットのカレンダーを制作販売している会社があります。そのペットのカレンダーは、「犬の日めくりカレンダー」「猫の日めくりカレンダー」。
毎日違う犬猫の写真が掲載されています。それが365日分の365匹の写真の掲載です。犬の日めくりカレンダーは犬だけ、猫の日めくりカレンダーは猫だけのカレンダーです。世の中には犬派と猫派がいるためです。
しかもこれらの写真は、ペットオーナーからの応募によるものです。毎年募集されるのですが、その応募数は数万件以上です。
カレンダーの最後には、カレンダーに掲載されたペットの掲載日と名前と居住都道府県が印刷されています。
このカレンダー製作会社には、これらペットオーナーの個人情報が大量に集まることになります。飼い主は自分の愛犬が掲載されているとしると大量に購入し、ご近所や親戚に配ります。このカレンダー会社は、様々なペット業界の企業と契約をしています。ペットフードの試供品などが送られてきます。
ペットフードと言えば面白いお店があります。
東京都港区の外苑前というおしゃれな街のペットフードショップです。
「プサコキッチン」と言います。(東京都渋谷区神宮前3丁目38-17 イケガミ青山ANNEXビル 1F)
ここは普通のペットフードのお店とは違います。いうなればデリカテッセンです。店内にはキッチンがあり、コック服を着たシェフがいろんな美味しそうなペットフードを調理しています。そして出来上がりが店内に並べられ量り売りされます。通りすがりに発見してもおそらくペットフードのお店とは思わないでしょう。
ペットは家族ですのでそのペットたちに投資されるお金はどんどん上昇しています。
この流れは、人間の少子高齢化と同じ流れです。
ペット産業は、いま新しいステージに上がったかも知れません。
よく考えてみると、人に対するマーケティングとほとんど同じということに気づきます。

新・内海新聞104号

フラスコ産業を探せ

【閉塞感の突破法】
営業活動に於いて閉塞感はつきものです。それを分析し手掛かりを掴むのがマーケティングです。マーケティングとは、売り手が買い手に如何に近づくかということです。如何に相手の気持ちや不便を汲み取り、その問題解決をする事と言えます。反面、買い手の気持ちに近づきすぎると、コスト高になり儲からない偏ったものになってしまうというリスクも潜みます。
以前、ブルーオーシャンとかレッドオーシャンとかいう言葉が流行りました。競合が不在で穏やかな状態をブルーオーシャンと呼びます。競合だらけで日夜身を削るような熾烈な戦いを繰り広げる状態のレッドオーシャン。まさに血の海です。誰でもブルーオーシャンを求めますが、そんなところは、そう簡単には見つかりません。多くの市場は既に着手され、新規市場というものはそう簡単に見つからないものです。
「フラスコ産業をさがせ。」という言葉があります。マーケティングでは良く使われる言葉です。この内海新聞でも何度か登場しました。
フラスコとは理科の実験などで使用するガラス製の容器です。フラスコを使用するところは学校や研究所という事になります。しかも、毎年定期的に購入するようなものではなく、破損したりして足りなくなったら購入するというのものです。ちなみに、フラスコ専業メーカーは水戸市にある有限会社タツミ理化という会社です。新たに競合が参入しても赤字になってしまうので、どこも参入してきません。しかも、確実に需要はある。売上はそんなに大きくなくても、市場は無くならない。
つまり、小さくても一番の独占企業なのです。かつてはレッドオーシャンだったものが、儲からないので競合がどんどん撤退し、結果的に一社が独占してしまった、ブルーオーシャンにしてしまった・・・ということになります。残り物には福がある、の様なものです。マーケティングに於いて一番の理想は、その市場を独占してしまうことです。結果的に100%のシェアを持ってしまったと言うことになります。この「小さくても一番」という考え方は重要です。
よく使うたとえですが、ある人が、お花屋さんを開店したいと思ったとします。しかし、街には多くのお花屋さんが既に営業し、顧客もついています。後発でお花屋さんをオープンしても苦戦するのは目に見えています。お客様がこのお店に行こうと思わない限り厳しい経営が待ち構えています。ここで、小さくても一番という考え方で戦略を切り替えたとします。
たとえば、お花屋さんでも赤い花しか扱わないとしたら、店の前を行く人々は「赤いお花屋さん」と呼ぶと思います。そしてさらに赤いバラの花しか扱わないとしたら「赤いバラのお花屋さん」となります。さらにお花は一本では売りません。百本単位の花束でしか売らないとしたら、今度は「赤いバラの花束屋さん」と人々は呼び始めるでしょう。さらに、お店ではお花は売りません。ただ見せるだけです。購入は全てインターネットでの通信販売です。依頼主になり変って、ご指定の住所名でお贈りします。メッセージを添えて。
こうなると、もうただのお花屋さんではありません。親しい人の記念日に贈る、素敵なプレゼント屋さんです。「花の記念日便」といったような、これまでの思考の軸とは変わってきます。
人とは自分の頭の中にある記憶のかけらを軸に物事を比較します。それに比べて良いか悪いか、高いか安いか、美味しいかまずいか・・・などなど物事を直視して判断することはなかなか難しいものです。であればそれを逆用し、わざとその思考に軸を変えてしまうことも方法です。前例でも、最初は街のお花屋さんでしたが、赤いバラの専門店になり、最後は贈答品店に変化しています。しかも市場は全国規模です。ここまで来るとセグメントされた市場は小さくても他になければ一番です。
小田原市東町に回転寿司店があります。ここも小さくても一番を実践して大成功を収めています。以前は町はずれにある普通の回転寿司でした。ところがある日突然、大きく方向転換します。寿司が嫌いな人でも食べに来られる回転寿司にする。生魚が嫌いな人でも来てくれる寿司店にする・・・です。駅から遠く歩いて行くのは大変で、皆車でやってきます。でも、お酒のメニューは半端ないです。ベルギービールは100種類以上、ワイン、日本酒、焼酎などなど無いものは無い程です。みなさん飲めない運転手を連れてきます。もちろん寿司は地元小田原の地魚を中心に豊富です。しかし、それよりもそれ以外のサイドメニューは超豊富です。フレンチ、イタリアン、スペイン料理や割烹料理・・・。イベリコ豚等は一皿三万円以上する高級品を驚くほどの低価格で提供しています。チーズの消費量も日本有数です。チーズの輸入代理店の担当者が、相手が回転寿司の店長だと知ると出荷を渋ったそうです。寿司屋でチーズのメニューなんて有り得ないからです。粘りに粘って取引が始まると取引額はなんと日本一になってしまいました。皆、お寿司は最後の締めで、中心がざまざまな各国の料理を楽しみます。全国から有名店のシェフが確かめに訪れますが、その味や品質の高さに驚きます。やがてそのお店は、形態は回転寿司でも「寿司ビストロ」と呼ぶようになりました。Googleで「変態回転寿司」で検索するとトップに出てきます。
「味わい回転寿司 禅」というのが正しい名称です。一度お近くに行かれたら立ち寄ってみて下さい。小さくても一番というマーケティングの標本のようなお店が存在しています。
税務会計のTKCという会計グループがあります。かつては栃木県計算センターと呼んでいました。いわゆるコンピューター会計の先駆けの様な会社です。しかし、後発の会社がどんどん出現し、コンピューター会計の会社は乱立し、レッドオーシャンとなりました。顧客を取るために価格は下がり、利益を出せなくなり、競合はどんどん撤退していきました。当然マーケットは小さくなっていきます。しかし、最後まで頑張ってやり続けたのがTKCでした。市場は小さくなっても、確かな顧客は存在します。やがて市場は安定し、TKCが大きなシェアを獲得することになります。
ロードサイド紳士服の会社にA社があります。A社の戦略は特殊でした。地方の小さな町を狙って出店を続けていったのです。マーケットは小さいので一店舗の売り上げも大きくありません。しかし、競合が出店してきた場合、市場が小さいので、そこにニ店舗も有ると間違いなく赤字になります。それが怖くて追随して出店出来ません。このように、小さな町で一番店をドンドン増やしてゆき、日本有数の企業に成長しました。これも小さくても一番の一例です。

ジンテックという会社は、電話番号クリーニングの技術と実績に於いては日本有数の専門会社です。そもそも最初は、通販会社の不着郵便物を削減するために、顧客電話番号の確認をおこなって不通番号が郵便不着につながるという事を発見したことからこの事業が始まっています。いまや、通販だけでなく数多くのリテール事業を行っている企業が利用し、リアルタイムで顧客の動向を予測し、与信や顧客維持、更にマーケティングにご利用頂いています。20年以上の実績はこの業界最古参の企業として、小さくても一番を進めるという、これも標本の様な企業と言えます。

新・内海新聞103号

友翁伝 完結編

当社の創業時の大恩人、友近忠至氏の足跡を連載しております。友近氏はキティちゃんで有名なサンリオの創業メンバーのおひとりです。そして当社の元役員であり株主でもありました。いよいよ今回が最終話です。

2004年7月、友近さんの77歳の喜寿のお祝いのパーティーがとあるホテルで行われました。
百数十人の方々が全国から駆けつけました。私も末席でお祝いをさせていただいたのですが、その時に配られた資料に年代ごとに出会った方々のお名前と経歴、年齢が書かれたものがありました。
つまり、縦軸に30歳代、40歳代、50歳代、60歳代、70歳代と5つに分けられ、その横にその年代に出会った方々の名前が記載されていたのです。
普通であれば、上の年齢が若いころに出会った方々の名前が多く書かれ、年齢を重ねるごとに人と出会う機会も減ってゆくので、記載の名前は減っていくはずです。
また年齢が上がると亡くなる方もいてなおさらです。
しかし、友近さんの場合は違いました、年齢を重ねるごとに、出会いが増え、特に70歳台が一番名前の数が多かったのです。しかもその方々のほとんどが20代30代といった親子ほど離れた方々だったのには驚きました。
その時、いつも友近さんがよく話されていた事を思い出しました。
かつて愛媛県松山市に本店を置く明屋書店に勤められていた時、その書店のオーナーである安藤明さんから、いつも言われていた言葉があるそうです。
「見たことはしたことにならない。聞いたことはしたことにならない。言った事はしたことにならない。ただ、したことだけがした事である。」
「お前は偉そうなことばかり言うけれど、本当にそれをしたんか?」
私も友近さんに同じように言われました。
つまり、友近さんの頭脳は耐えずオープンマインドなのです。どんな人の話でも分け隔てなく聞かれます。
そして、その聞いた話を、すぐに行動に移します。勇気のいることだと思います。
自分もすぐに行って確かめるのです。
このオープンマインドさと行動力が、年齢を超え、立場を超え、誰とでも打ち解ける秘訣だと思いました。
しかも、友近さんは若い人たちが大好きです。
彼らは、一杯時間を持っている。この世の中で一番大事なものは金でも地位でも名誉でもない。時間なんや。これがあれば何でもできる。若者にはそれがある。
・・・ということです。

友近さんは、武蔵野工業大学でシステム思考の講義をされていました。そこには10代、20代の学生が沢山講義を聞きに来ていました。その授業を私も何度か参加させていただいたことがありますが、本当に嬉しそうに話をされ、活発に質疑応答に応えられていたのが印象的でした。

友近さんは2014年8月17日に亡くなりました。多くの事を学ばせて頂きました。
2014年7月31日の10時頃、私の携帯に電話がありました。友近さんからです
「内海ちゃん、会いたいねん。」
「判りました、今すぐ行きます。お蕎麦でも食べましょうか。」

私は聖蹟桜ヶ丘にある友近さんのご自宅に向かいました。
到着して、近況報告をして30分ほど経過しました。
「友近さん、お蕎麦、行きましょうか。」
「そやな、行こか。」
「いつもの多摩センターのそば佳にしますか?」
「いや、今日はこの下にある蕎麦屋にしよう。なかなかええ店やで。」
「どうしてそば佳じゃないんですか?」
「最近、多摩センターまで行くのがしんどいねん」
私は鴨南蛮、友近さんは天ぷら蕎麦です。
その時、友近さんは妙な話を始めました。
「今まで、いろんな人に出会ってきた。面白かったなぁ。その中でも特に印象に残る人達がいる。内海ちゃん、あんたはその中の一人に必ず入ってくる人や。これまでよう世話してくれたな。ありがとう。」
「先生、止めて下さいよ。最後の言葉みたいやないですか。」
「そうやな、すまんすまん。」
「ところで、来週の水曜日から八ヶ岳の別荘に涼みにいくんやけど、あんたも一緒にいけへんか?」
「行きたいです。でも仕事が・・・・」
「そやろな、無理せんでええで。」
これが、友近さんとの最後の会話となりました。翌週、八ヶ岳の別荘で倒れ、帰らぬ人となりました。
友近さんから学んだ様々の事を反芻してみました。
①PDCAは間違い。Small do → Check → Plan → Big Doが正しい。とにかくまず行動して検証してから大計画を立てよ。
②システムとは、誰でも何も考えなくとも、同じように結果を出せる仕掛けの事をいう。
③出来の悪い人を、もしも出来が良いようにできたなら組織全体の能力の底上げに繋がる。
④まず小さな数字に着目して考え始めよ。大きな数字から考え始めると、構造が複雑化して経費がかかる。
⑤なんでもプラス思考で考える。
⑥入力至上主義 コンピュータのまず入力からという発想は止めよ。なるべく入力しない発想からスタート。もしも入力するにしてもワンライティング思想(最初の一回だけの入力)で完了する事を考えよ。
⑦権限委譲とは、なんでも任せることではない。統一したマニュアルに従って、間違いが起こらない仕掛けをつくって、それに従う事をいう。
⑧数字の比較は、まずアベレージ(平均値)を基準に考えよ。平均値と比べてどうなのかを見ることで、全て指数化が出来る。

 

新・内海新聞102号

友翁伝

当社の創業時の大恩人、友近忠至氏の足跡を連載しております。友近氏はキティちゃんで有名なサンリオの創業メンバーのおひとりです。そして当社の元役員であり株主でもありました。友近氏の人生をなぞることでそのマーケティングの秘話をご紹介したいと思います。
以下、前回からの続きです。

 

「リストラ」
平凡社に戻った友近さんの仕事は業績の立て直しです。しかし、どうしても経費の削減が最優先であり、人件費に手を付けざるを得ない状況になってきました。そして、友近さんの一番嫌いなリストラを断行しなければならなくなりました。1984〜5年の頃です。これまでとは正反対のお仕事です。希望退職者を募り、さらに退職勧奨のリストを作り、面接を繰り返し、苦悩の毎日です。この辺りの話は、私は一度だけ聞きました。あまり、話したくなかったのかもしれません。
「あの時辞めさした社員の人たちは、今でもわしのことを恨んでるやろな…」と、ポツリと言われたのを覚えています。
希望退職した社員、リストラした社員たちの再就職先を世話し、全力で対応されました。この頃の様子は友近さんの奥様の博子さんに伺ったことがあります。
「毎晩毎晩うなされて、辛そうやったよ。」
そして、リストラも見通しが立った時、その責任をとって60歳で平凡社を退職します。お世話になった平凡社と下中社長への恩返しをすることができました。48歳のとき、本門佛立宗のご住職から、あと24足すと幾つになるか?と尋ねられたとき、60歳までに自分の仕事を達成すると決めた通りの人生となりました。
「バスの奇跡」
ようやく自由になる時間を得た友近さんは、今までなかなか出来なかった大好きな読書に没頭します。あるとき、書店で見つけた本にのめり込みます。
松井孝典さんです。地球物理学の学者でノーベル物理学賞に最も近い人物と言われる方です。宇宙の誕生から人類の進化などを宇宙の歴史から俯瞰した考え方に、友近さんはすっかり魅了されました。
よし、松井先生の本にある、地球誕生の痕跡を見に行こうと決心され、世界中を巡ることになります。スイスに行った時、目的地までバスに乗っていました。そして松井先生の本を読みながら外の情景と照らし合わせて楽しんでいた時です。すぐ後ろの席から日本語が聞こえます。「ほら、見てごらん。前に座ってる方。読まれてる本は、タカノリちゃんの書いた本じゃない?」「そうね、でも同姓同名かもしれないし。」「そうね。」
前にいた友近さんが振り返って、「あの、初めまして。
日本の方ですか?いえ、聞きなれた言葉が聞こえたもので。」
「まぁ、大変失礼いたしました。ちょっとそのご本を見せていただけますか?ほら、やっぱりタカノリちゃんのよ。」「そうね。」
「松井先生をご存知なんですか?」
「はい、私の甥っ子なんです。なんか、難しい勉強ばかりしてますわ。」

「内海ちゃん、ホンマ不思議な出会いやった。こんな事があるんやな。会いたい会いたいと思てたら、こんな形でチャンスが巡ってくる。スイスで乗ったバスの後ろの席にチャンスが座っていた訳や。
あの時、あの本を読んでなかったら、これは無かったな。そういや、内海ちゃんとわしもそうやったな。あんたは、10年わしを追いかけたんやったな。」
「いえ、14年です。」

この、不思議なご縁の、このご婦人の紹介で松井先生と念願の出会いを果たすのです。
「断食」
友近さんは、サンリオの頃は、とても肥満で病気の百貨店と言われた位、不健康でした。ある時、同じ松山出身の京王電鉄の社長から、「もっと健康管理を気を配らないといけないよ」、と忠告されます。「もし良かったら、伊豆で人参ジュースだけで断食をするクリニックがあるので行ってみなさい」と、紹介されます。

長崎大学出身の石原結実博士が主宰されるクリニックで一週間人参ジュースだけで何も食べずデトックスをする断食道場でした。友近さんは、言われるまま行動に移します。
1日に1kg位痩せていきます。体重だけでなく、体脂肪も落ちていくのです。10kg位痩せて東京に戻りました。いつもの虎ノ門病院での診察の日、院長が友近さんの採血データを見ています。
そして看護師に「これは、友近さんのデータじゃないよ。間違っちゃいかんよ。」と叱っています。
「いえ、先生。これは友近さんのデータに間違いありません。」
これまで、病気の百貨店と言われるくらい数値が悪かったのですが、一ヶ月の間に、全て正常値に戻っていたのです。
それからというもの、友近さんは石原先生を主治医とし、毎年1〜2回は伊東に断食に行くのが恒例となります。友近さんはゴルフもお上手で、私はまだ一度も勝ったことがありません。
虫歯も一本もなく、入れ歯も必要なしで、歯から換算すると125歳までは保証しますと太鼓判を押していただいたのですが、うまくいかないものですね。
「てんぷら」
ある日、友近さんに仕事仲間の松下さんから電話がかかってきました。
「松下です。お久しぶりです。私の知り合いで、友近さんの事を10年以上追いかけている人がいるんですが、会ってみますか?」
「それは、男性か?女性か?」
「男性です。」
「なんや、そうか。まぁ仕方ない。会ってみるか。」
銀座の天国というてんぷら屋で会う事にしました。
(ここで、この友翁伝の最初の振り出しに戻るのですが…)私は14年待った甲斐あって、友近さんと念願の出会いを果たす事になります。

平成5年、株式会社ジンテックは親会社の人材派遣会社から離れて独自の道を歩き始めます。人材募集コールセンターとしての業務を引き継ぎ、何の後ろ盾もなく苦難の道を歩み始めることになります。丁度、その頃に友近忠至さんと出会う事になります。
当時のジンテックは新卒学生の会社訪問を促進する「学生送致事業」というものを事業としていました。学生名簿に従って電話を掛け、会社説明会に動員してゆく事業です。
当時、経済バブルで慢性的人手不足の中、順調にオーダーを伸ばしてゆきました。
契約先の人事部に希望する大学学部を選んでもらい、学生名簿からそれを無作為に抽出。そこに対して台本に従って電話を掛けてセミナーの参加承諾を取ってゆきます。参加承諾を快諾してくれた学生には、速達で会場の地図や注意事項を記載したはがきを送付します。
このはがきは、地図や注意事項は印刷されているのですが、宛名はあえて手書きで送りました。この理由は、この時期大量のDMが各企業から送られてくる中で、少しでも目立つようにと親書のように見えるように手書きにしていました。
はがきはコンピューターにつながった何台ものプリンターからどんどん印刷されてきます。
そのはがきにアルバイトたちがリストに従って手書きで住所と名前を書いてゆくのです。
丁度、そのころ友近さんが会社に来られました。社内をぶらぶら見て回り、開口一番に「お前んとこの会社は、いつから印刷屋になったんや?」
「いえ、印刷屋にはなっていません。」大量に印刷されるはがきの理由を説明しました。そうしたら今度は「せっかく印刷してるのに、なんで宛名は手書きなんや?」
宛名が手書きの理由を確り説明しました。
そしたら突然怒りだしたのです。
「手書きやったら親書のように見えて読んでもらえる確率が上がると今言ったな。そしてら宛名を印刷するのと手書きと何パーセント差があるんや?お前まさか、感じだけでもの言ってるんと違うやろな。なんでもデータの裏付けが無いもんは説得力なんか無いんや。一回試してみたらええ。手書きと印刷と。」
確かに言われる通りでした。何も言い返せません。
ある会社は手書き、ある会社は印刷と分けて反応を見てみることにしました。
結果はさほど差はありませんでした。結局、宛名も全て印刷することになり、大幅な経費削減につながりました。
これがお叱り第一号でした。

このように全てデータの裏付けを求められました。
私は友近さんによって徹底的に再教育を受けたのです。

 

 

新・内海新聞101号

友翁伝

当社の創業時の大恩人、友近忠至氏の足跡を連載しております。友近氏はキティちゃんで有名なサンリオの創業メンバーのおひとりです。そして当社の元役員であり株主でもありました。友近氏の人生をなぞることでそのマーケティングの秘話をご紹介したいと思います。
以下、前回からの続きです。

 

「スモールドゥー」
内海ちゃん、ある企画を実行する時大切にせなあかんことがある。PDCAって聞いたことあるか?プラン ドゥ チェック アクション や。計画、行動、評価、改善やな。
これは、あかん。いつも計画ばっかりにエネルギーを使って、結果うまくいかんかったら、済んだことは仕方ないと、また次の計画をする。この繰り返しや。評価、改善を省略する。別にしなくても次の計画をすれば不問になる体質ができてしまう。日本人の悪い癖やな。本当にすべき事は、SD・C・P・BDの発想や。
スモールドゥー、チェック、プラン、ビッグドゥーなんやで。まず、小さくやってみる。たいそうなプランは不要。まず行動ありき。そして、検証と仮説や。ここが一番重要なんや。この仮説に基づいて計画や。そして、本格的な行動や。仮説のない行動は意味がない。これによって、思考と行動を高速化でき、高精度に持っていける。
この話は何十回と聞かされました。まさに、「した事だけがした事になる……」です。のちに知るのですが、これは、セブンイレブンの単品管理の考え方です。友近さんのDNAは、あちこちで生き続けています。

 

「ニューヨーク」
サンリオは、急成長を続けていました。ターンラウンドシステムも順調、倉庫も最新鋭でも問題が起こってきました。キャラクター毎のアイテムが爆発的に増えてきたのです。そのアイテム毎のパンチカードも膨大な数になっていき、これを店舗に送って戻してもらうターンラウンドシステムには限界がきていました。いままでの伝票方式に戻す訳にはいかない。どうすれば良いか考えるしかありません。各コンピューターメーカーを呼んで提案させました。しかし、いつの時代も同じで、コンピューターをもっと大型高速化すれば解決します…というものです。問題はコンピューターではなく、その手前の入力にあると友近さんは考えていました。日本中からアイデアや情報を集めました。しかし、決定打は見つかりませんでした。日本がダメなら海外があるさと、ヨーロッパに解決策を求めて長期出張に出かけました。ヨーロッパ中回りましたが、その答えは見つかりません。大西洋を超えてアメリカも調査をかけ、自らも乗り込みました。全米を回っても、いま抱える問題を解決する方法はありません。「だめか……」帰国する事にしました。帰りにニューヨークに立ち寄り松山中学の同級生でシティバンクに勤めている友人を訪問しました。本当に久しぶりの再会で、昔話に花が咲きました。ふと、向こうの席をみると女性スタッフが電話をかけています。ほう、プッシュホンかぁ。さすがアメリカは進んでるな…そう思いました。しかし、電話をかけているのに一言も喋らないのです。しかも、しばらく受話器を耳に当てていたかと思うと、すぐに電話を切ります。そして、また電話をかけています。これを何度も繰り返していました。あれは、一体なにしてるんでぃ?ああ、あれか。実験してるんよ。何の実験なんや?
コンピューターに電話をかけて預金残高を聞いてるんや。コンピューターが喋るんか?そうや。IBMとの共同研究なんや。どないして、電話がコンピューターにつながるんや。わしには、よう分からんけど、電話とコンピューターは、なんや親戚みたいなもんらしい。そやから電気的につながると聞いたで。電話がコンピューターの端末になるんやな!!
友近さんの頭の中に雷が落ちました。ちょっと電話貸してくれるか?米内山を呼んでくれ。おお、米内山か、遂に手がかり見つけたぞ。コンピューターと電話がつながるらしい。これが可能なら各店舗からプッシュホンでダイレクトに発注して貰える。完全無人化ができるはずや。アメリカではIBMが研究してるらしい。すぐに日本IBMの、長谷川に連絡して、わかる限りの情報を集めてくれるか?明後日に帰国するのでそれまでに資料を揃えて、直ぐに会議や。ええな!
すごい勢いです。いよいよ、世界初のテレフォンデータエントリーシステム TDEの開発が始まります。

 

「256」
友近さんの見たシステムは、まだアメリカでも試験中のシステムです。しかも、口座番号をプッシュして一方的に音声を聞くだけの仕掛けです。友近さんの目指すものは、発注システムです。膨大なデータベースと連動し、絶対に間違えない仕掛けを作らねばなりません。エンジニアの米内山さんはじめ、エンジニア達は、寝ずに頑張ったと言います。間違えない仕掛けは難しいのですが、間違えたら警報を鳴らす仕掛けはできそうです。チェックデジットという考え方を取り入れました。あり得ないプッシュをすると、ピッピッピッと警告音が鳴ります。今度は、電話と接続するコンピューターです。いまで言う、CTI Computer Telephony Integration コンピュータ・テレフォニ・インテグレーションという技術です。今でこそあたりまえですが当時としては超最先端です。大量の電話回線を接続できるコンピューターがありません。一件の発注に掛かる時間を計算し1日の発注量を予測し何回線の電話線が必要かを逆算しました。それに耐えられるコンピューターがありません。探し回った結果、ようやく見つけました。DECというメーカーが出しているミニコンです。デックのニゴロと言われる、一台に256回線を接続できて、同時に制御できるものです。このミニコンを、何台か連結し、24時間365日無人で受注できる体制が出来上がりました。お店からサンリオの受注センターに電話をし、コンピューターがでたら、顧客番号、商品番号、数量などをブッシュして入力します。もし、ブッシュを間違えると警告音が鳴ります。このブッシュも面倒だろうと、音響カプラーを用意し、電話を掛ける前に、予め注文の入力を済ませ、受話器を音響カプラーに乗せてスイッチを押すと、ピポパポピポパポとDTMF信号を流して発注が完了します。世界初の世界最先端のオーダーエントリーシステムの完成です。

 

「経営難」
テレフォンデータエントリーシステム TDEは、無事稼働始めました。長年、入力至上主義に悩み続けた友近さんは、遂にその完全自動化に成功したのです。合わせて、経理のシステム化も進み、日次決算を達成します。昨日の売上げから翌日の朝9時には集計が終了し、移動合計から一年間の推移まで計算され、毎朝9時に行われる幹部会議に間に合わせています。これは、驚異的です。NTTにとっても、重要な成功事例となり、電話から通信への先駆けとなりました。そして、サンリオは東京証券市場に株式上場を果たします。その後、システムの維持管理を富士通に委託し、ようやく友近さんは肩の荷がおりたのです。その頃、平凡社の下中社長から連絡がありました。友近さん。平凡社に戻って来てもらえんだろうか?平凡社は、かつての百科事典ブームも去り、経営難に陥っていました。友近さんは、私の意思で決めることはできない、辻社長が、平凡社に戻っても良いというのであれば考えますが、そうでなければ、自分にはどうすることもできません。そう下中社長に伝えました。
かつて、明屋書店を辞めて平凡社に移る時と同じです。主婦と生活社の常務から教えて頂いた、鉄と酸素の話のように、今の仕事を一所懸命頑張ることで、その先の道が広がってゆくという考え方を守っていました。辻社長と下中社長の会談が行われました。
そしてその結果、友近さんは古巣である平凡社の副社長としては戻ることが決まりました。